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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

思い出が詰まっているものを処分すると軽くなれる

卒親をスムーズに行かせるためには、断捨離から始めるといい。

物への執着を捨てることが子供への執着を止めることにつながる。

執着を断ち、捨て、離れる。

 

ぜひお勧めしたい。

 

子供の物の断捨離状況

実は、去年から子供たちの思い出のある物を終活を兼ねて断捨離している。

正確には全捨離。

つまり持ち物の80%を処分すること。

感想としてはかなりしんどい。

たかが物、されど物。

思い出がたくさん詰まっている物と決別することは困難なのだ。

こんまりさんも思い出の物は一番最後と言っていた。

今となってはその理由がとてもよくわかる。

 

処分中、

泣きながら

すごいストレスを抱えながら

胸が締め付けられるように感じた。

それでも、前に進むためには絶対にしないといけないのだ。

そう強く感じたのでどんなに心がついていかなくても決行してきた。

「えい、や〜!」と自分を励ましながら。😅

 

現在

長男のものは99%処分済み。

元次男のものは97%処分済み。

三男のものは95%処分済み。

そして娘・・・。

これがかな〜り大変。😅

 

娘の心境

娘は思い出の物を処分して欲しくない。

それは物と一緒に自分が実家から完全に追い出されるような気がするから。

それは自分が否定されていることを意味するらしい。

もう親子ではない気すらしてくるのだそうだ。

 

実家に帰ってきた時に、馴染みの物が見えると、

「あ〜!懐かしいな〜」という気持ち、暖かな気持ちが湧き出てくるのは確かだ。

でも子供たちの物が家から消えれば、見かけは以前とは違う家になる。

物を捨てると、そういう物につきまとう思い出もなんとなく消えてしまうように感じるのだ。

でも娘にとっては実家。つまり実の家。

本当の自分の家から思い出が消えていく。

それが嫌なのだ。

娘は幸せな子供時代だったと言っていた。

だから幸せを捨てられているように感じるのだろう。

 

ママはなんでも処分するんだから!!!と長男に訴えていたとも聞いている。

 

子の親離れとは

でも母が前進するためにはこれは通らないといけない道なのだ。

過去を振り切るためには必要。

子供たちだって、子供のことばかり考えている親は嫌なはず・・・・よね?

 

だけど・・・

どうも子供は自分が勝手な時期に勝手な方法で親離れするのは良くても

親には完全に子離れしてほしくないようだ。😅

どんな理由があっても。

どんな方法でも。

 

子離れして欲しいと口では言っていても本心はちょっと違うみたいだ。

彼らはいつも自分を待っていてくれる変わらぬ家と変わらぬ親がそこにいて欲しいと望んでいるのだ。(無理)

それが子供の心の安定とか帰属心に繋がっているのかもしれない。

実際、故郷という言葉には地域よりも家と親がその意味の真髄を占める。

そして親の自主的な(やむにやまれぬ)子離れはなぜか子供側から見ると「見捨て」とも取れるようだ。

確かに、私の口走る名句、I don't care!(どうでもいい)は

子供にとっては「自由の提供」と共に「見捨て」でもある。

 

娘は思い出の物(つまり全ての物!)を残しておいて欲しいけど、

自分の人生に口出しするなと言っている。

つまりいつまでも娘でいつまでも親だけど、

子供のことは時々考えて欲しいけど、

親らしい態度はやめて欲しいのだ。

要するに

 

自分の都合の良い時に子供帰りし

他の都合の良い時に他人の大人になりたい

それを親に理解してもらいたいし’上手に’対応してほしい。

 

えええ・・・・そんな・・・当然・・・

対応不可能。😰

 

もしも、この要望に対応するなら

親は子供にふりまわさることになる。

 

よって親は卒親が完了できない。

だから

わたしも娘の希望に沿うことはできない。

 

親の言い分

娘が「自分の人生なんだから放っておいて!」と要求するなら

こちらにも言い分はある。

 

つまり・・・

 

「わたしの人生もわたしのものなんだから

放っておいて欲しい!」

 

そもそも今まで31年間、わたしは自分のことをないがしろにして

子供たちのために犠牲を払ってきたのだ。

この辺でいい加減に卒親させていただいてもいいでしょう?

 

今後、わたしがどういう風に生きようとも、子供たちには関係ないはず。

あなたたちが、どういう風に生きようとも、親には関係ないと言っているように。

わたしは綺麗さっぱり過去に別れを告げて残りの人生を満喫したいのだ。

でも子供たちことが脳裏から離れないなら、それは不可能なの。

だから最初は見えるものから処分させてもらい、これが心にも影響があることを期待している。

子供側ばかり、”自分中心的”な態度で、親は常に犠牲を強いられるなんてわりに合わないと思わないだろうか。

親ばかりが常に子供のことを思い、子供は都合の良い時にだけ親と実家のことを思い出す(というか、滅多に思い出さない・・😅)

ってあまりよね〜。😓

 

クリスマスツリーの処分

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箱はかなり古ぼけてますが中身はまだまだいけます。😅

今朝、クリスマスツリーをドネーションセンターに置いてきた。

小さな子供のいる家庭で使ってもらった方がいい。

それはきっと楽しい笑い声の絶えない家庭に違いない。

喜ぶ子供たちの姿が目に浮かぶ。

ちょうど我が家の子供たちがそうであったように。

 

30年間ご苦労様。(年季が入っているけどまだまだ新品同様と勝手に思っている😅)

帰り道何とも言えないほどスッキリした気持ちになった。

思い出が詰まりすぎた物と共にしがらみの一つが消えた。

これでまた一歩、卒親に近づけた気がする。

空も以前より青く見えるから不思議。

体も軽くなった気もする。

もっとあれもこれも処分したい気持ち。

 

このプラスチックのクリスマスツリーは毎年感謝祭の週末に家族で一緒に飾っていた。

そして1ヶ月間そのままにしておく。

子供たちは毎日このツリーを見ながら1ヶ月を過ごした。

朝起きた時も学校から帰ってきた時も就寝時にも

ツリーはあたかもそこでこの家と子供たちを見守ってくれていたかのようだった。

 

その習慣がずっとずっと続いていた。

だから・・・このツリーを見ると目頭が熱くなってくる。

でももう娘以外は家に帰ってこないし・・・飾る必要はない。

飾るだけ虚しいし・・・わびしい・・・。

いっそのことない方がいい。

 

ずっと重たく自分の心と背中にのしかかっていたものを手放すってすごいことだ。

捨てられる物ということは

所詮あれもガラクタだったのか・・・と今となっては思う。

 

古いツリーがなくなったので、

今年からこんな市販のセンスのないクリスマスツリーはやめて

自分で作ろうと思う。

プラスチックのツリーなんかやめて

エコでサステナブルなデコレーションを準備しよう。

家族の思い出ゼロのツリーを作る。

自分の創造性を駆使して。

 

それは新しい人生の門出の象徴。

(ちなみにクリスマスツリーを処分したことは子供達に告げていない。きっと憤慨するとわかっているから)

 

ドクダミママ至言

思い出のたくさんある物でも執着しない。

卒親がなかなかできない人は物から始めるといい。

 

 

 

 

マナーの悪さも今更どうでもいい

娘が先週の土曜日に老化に拍車がかかった親を助けるため家に寄ってくれた。

昼食がまだだったようなので食事を出した。

 

相変わらずの食事マナー。😰

もっとも今更驚きはしない。

 

始終

椅子の上で半分あぐらをかき、

45度の猫背で

肘をつき

ガツガツと食事をむさぼっていた。

おまけに

いただきますの一言もなく

ご馳走様もない。

当然食器の片付けを手伝うなんて予想通りなかった。

 

心の中でため息が出た。

何か言いたい気分だけど・・・

たとえ自分の子供といえども大人に食事のマナーを注意することは’マナー違反’。

だから今回も無言の行。

 

しかし、このマナーを見て結婚したいと思う男性は

この世のどこを探してもいないだろうな〜。😅

 

実は娘は大学に行くまでマナーにあまり問題はなかった。

それが18歳からどんどん下降線を辿るようになっていって

一人暮らしをしてから更に悪化した。

これも親をがっかりされる要因。

あんなに教えてあげたのに・・・。😓

 

自分を否定されることは聞きたくないに決まっている。

だから親は口を閉じて何も言わない。

そのためか、本人はマナーの悪さに気づいていない。

それで結局そういうマナーの人は同類の人としか友達になれない。

だからさらに悪化するのみ。

 

それがわかるまで何年かかるのだろうか。

自分で痛い思いをしてわかるしかないのだろう。

親は教えることは教えてあげたのだから。

もう何もできない。

 

でもこんなにひどいなら、

今度のクリスマスにはマナー教室の予約券でもあげようかとも思ったりもする。

いっそのことマナーの国英国にでも送りこんでしまおうか・・・。

 

日本はすごい

実は娘は一時マナーが急に良くなった時期がある。

2年前に日本の某国立大学に留学した時だ。

カナダ経由で日本に入国する予定だった。

ウィンザー空港まで娘の見送りに行った時は、親も本人も心細く心配した。(成人しているんだから心配など無用なんだけど・・・😅)

初めての単独海外旅行。

ウィンザーからモントリオールに飛び、そこで国際線に乗り換える。

モントリオールの空港は広いので迷って乗り換え便に乗り遅れそうになったらしい。

無事成田に到着したとの連絡はあったけど、その後はほとんど音沙汰がなかった。

 

そして3ヶ月後娘を飛行場に迎えに行った。

おおおお〜!

 

娘は

非常にお淑やかな女性に変貌していた!

 

話し方といい

その手の動きといい

その座り方といい

これが我が娘????

 

娘はこんなことを言っていた。

日本に到着してまもなくにいかに日本女性が女らしいかに気が付いた。

それに比べて自分はなんとガサツか・・・。

とても恥ずかしかった、と。

本当に日本女性は女子力のレベルが生半可ではない、と。

 

お淑やかに変貌した娘を見て親は喜んだ。

でも・・・

大学に戻り次第、あっという間に男女の区別がつかないような人間に戻った。😓

 

アメリカで生きていくには

結局こんなもの。

この国にずっと住んでいてそんなお淑やかな女性を期待する方が間違っているのかもしれない。

もちろんある意味で強くなってほしいし

自立してほしい。

それはアメリカで生きていくには必須だからだ。

威圧的な態度と言葉遣い。

それが常識のアメリカ。

そこで生きていかないといけない娘になんと言っていいのか・・・。

 

理想的には

人に利用されないような強さを備え

尚且つ紳士淑女の身のこなしができる人になれるに越したことはない。

でもそれはこの国では到達するにはかなり難しい目標だ。

 

だけど、自分の周りにはそういう女性が結構たくさんいる。

内面は強いけど外側は淑女そのもの。

はっきりと自分の意見を言うけれど、その言い方は上品。

どこに住んでいても、やはりそれが理想のように思える。

 

親が言ったからって子供は変わらない

成人や思春期の子供が自分を変えようとする理由は

親が言ったからではない。

自分でそうしたいと願わなければ変わらないのだ。

娘の場合は周りの目をあまり気にしないタイプなので

おそらくそういう性格の人はなかなか変わらないような気がする。

それに周りも同じようなタイプのオンパレードじゃあね〜〜。

 

それはネガテイブな考え方で良くないと言われそうだけど

そんな予感がしてならない。

 

その素行からくる結果というものは避けられない。

それがブーメランのように自分に戻ってきて自分で傷つくのが人生の法則。

親にとってもそれは嫌なので口出しもしたくなってくる。

でも

平和に生きたければ、たとえ我が子でも

他人の人生への口出しはやめた方がいい。(と日々自分に言い聞かせている😅)

 

娘自身が自分の人生に責任があるのだ。

親はマナーのことは散々教えてきたつもり。(忘れたとは言わせないぞ〜〜!😰)

でもそれに従いたくないのは本人の選び。

意図的に都合よく忘れるのも本人の責任。

そしてその結果に嫌な思いをするのも本人。

 

親はいずれこの世を去り、そのあとは本当に本人の責任。

親の責任は子供に生きるに必要なことを教えること。

でもそれを実行するかどうかは本人次第。

 

娘はいつかそのマナーを変えるかもしれない。

誰か親切な人が現れてそれを指摘してくれること願っている。

でもそんな人はアメリカに滅多にいない。

だから変わらないことも十分あり得る。

それでもいいかと思っている。

それは我が子は別個の人格を備えた別個の体を持つ人間だからである。

 

願わくは’うんと’恥をかいて自己を吟味する機会が訪れますように。(鬼です。😅)

(今度ビデオを撮って送ってあげよう・・・・嫌味か。😅)

 

ドクダミママ至言

自分のマナーの悪さは自分で気がついて直さないとだめ。

本人の将来を案じて言ってあげても親は嫌われるだけでなく悪人呼ばわりされる。

つまり虐待呼ばわり。😅(いい加減にせんか〜〜〜〜〜い!💢)

「児童権利法」とかいう法律を逆手に提訴もありうる。😰

(どんだけ子供は偉いんかい?ん?ん?ん?)

よって’反逆的態度’のオンパレードに親は苦しむ羽目になる。

 

それなら彼らは外で苦労して学ぶしかない。

その試練がなるべく早く訪れることを願おう。😅

 

 

 

 

 

子育ての最終目標とは何か

 

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キツネの仲良し母子(出典:https://1freewallpapers.com/mother-fox-baby/ja

こんなに可愛がっているのに巣立ちがいずれくる。キツネの母も辛いだろうか・・。

子供は親の宝物。

とっても大切な存在。

だから親は

親の近くに置いておきたいし、

あまり危険なこともして欲しくないし、

なるべくなら事件のない穏やかな安定した人生を送ってほしいと願っている。

 

でもこれでは本当の意味での自立にはつながらない。

 

子育てには最終目標があってそれは

他でもなく

子供の自立。

 

自立とは

自立とは自分だけの足でしっかり立って親なしで一人で生きていけるということ。

それには自分の考えというものが確立していないといけない。

そうでないと周りに振り回される人生になりかねない。

でも親は子供が大きくなっても自分たちに頼ってほしいと思っている人が多いようだ。

親のいう通りにすれば間違いない(とも言えないけど・・・😅)と信じて疑わない。

確かにそれは賢明ではある。

 

でも本当の意味での自立には賭けがありリスクが伴う。

全然スムーズになどいかない。

それが親から見ると歯痒い。

だからいらぬお節介を焼こうともする。

でも子供は親の勧めには興味などない方が普通。

それなのに他の人の意見には耳を傾けようとする。

そして影響を受ける。

 

子供は属している社会にも育てられている

つまり子供は親以外の周りの影響を受けることが多い。

属している社会の影響も受けている。

どうもそれは避けることができないようだ。

さらにそれが親と同じ意見だったらいいけど、異なることもよくある。

それが嫌だと思う親も多い。

 

でも子供が本当の意味で大人になるには、多くの人の手を煩わせることが普通なのだ。

親だけが子供への影響をもたらす人ではない。

その結果、さまざまな思想や行動様式にさらされ

親が思ってもいなかった方向へ進むこともあり得る。

当然、親はショックだ。

どんどん親のわからない世界へ遠ざかっていく我が子。

追いかけても逃げられるだけ。

それは心痛の種になったりもする。

 

それでも・・・やはり

どんなに危険でもどんなにその歩み方はおぼつかないものでも

自分の足で立つことを学ぶためには親がそこでのこのこ出てきてはいけない。

命の危険をはらんでいることでなければ。

 

彼らは自分で試行錯誤を繰り返し未熟な人生経験をもとに生きていかないといけないのだ。

それを避けるなら本当の意味での大人にはなれない。

 

冷暖自治

仏教用語に冷暖自治という言葉がある。

その意味は水が冷たいか温かいかは、飲めばおのずと分かる」。

つまり、熱いも冷たいも、自分で経験してみないと本当に理解には至らない、ということ。要するに飲んだ自分しかわからない。

子供もそう。

難しいことも避けさせないで経験させてみること。

それは親にとってはこの上なく心配。

でも成長させるためには必須条件なのだ。

それが親のあるべき姿ではないだろうか。

 

熱いか冷たいかあらかじめ親は教えておいてあげたい。

やけどをしないように、ショックをなるべく少なくさせるように危険を教えてあげる。

まあそれはまだいい。

親自身が強制的に飲む水を決めるというのもある。

でもそれは自分のやり方で発見するという自立への道を阻むことになるなのだ。

これは幼い子供の場合はそれでいいけど大きくなった子供にはまずいかもしれない。

 

その水の温度を自分で発見する過程には当然嫌な経験もあるだろう。

でも親は受け入れないといけない。

それが親にとってどんなに辛くても

陰から見守ることが自立を促すのだ。

 

わたしのように影から見守ることさえ上手くできない親は

全ての干渉と心配をやめてしまうしか道しか残されていない場合もある。

でもそれでもいい。

なぜなら親が見守ろうがどうだろうが、どうせ口出しも手出しもできないのだから

結果に貢献することなど不可能だからだ。(つまり無駄骨)

 

成人した子供を持つ親は子供から距離を取ることは必須。

自立して欲しかったらそうしないといけない。

 

今も熱さと冷たさを試す過程で火傷を負ったり凍りつきながら

生きている我が子。

親から見ると経験不足で無知でとんでもないほど賢明でないと見える。

でもその限られた経験と能力で、七転び八起きで自立を目指し頑張っている。

そこからたくさんのことを学んで成長していっている。

それが人生の旅で子供もその旅をしている。

「可愛い子供には旅をさせろ」には、子供に決めさせ子供自身で問題解決させることも入っている。

 

親は自分のことで忙しくする

それなりにしかできないけれ不器用な我が子。

それでもそれが一生懸命生きているという証。

その間ただ成長を見守り待っているだけはしんどい。

 

だから親は

自分の感情や期待や結果に執着せず、

我が子が’自分なりに’頑張っている姿を思い浮かべ、

ただひたすらその隠れた能力を信じる。

同時に自分のすべきことに忙しくして生きる。

 

そうすれば子供は立派に’いつか’自立できるはずだ。

親の知らないところで成長し、いつの間にか自立した我が子に驚きを隠せない日が来る。

 

そう信じよう。

 

ドクダミママ至言

子育ての最終目標は子供の自立。

親に頼らないで自分で決断を下し自分でその決断の結果に責任を持つことも自立の証。

そのためには親は子供と歩幅を取らないといけない。

子供が遠くに行ってしまい寂しいのは当然。

でも自立させるためにはやはり

「可愛い子供には旅をさせる」しかない。

旅の中で、熱いも冷たいも経験し立派に自立した我が子に再会できる日を楽しみに待とう。

 

 

 

 

 

 

 

仕事はやっぱり見つからない

夏の間、インターンシップをしている三男。

もうすぐそれも終わろうとしている。

9月からの仕事は見つかっていない。

今の上司が色々探してくれているけど全滅。

そもそも今働いている部署で応募があるのに、なぜ息子をとらないのか、

そのことも理解できない。

一体どんな裏があるのだろうか。

おそらくもっと経験のある人をとったに違いない。

 

しかしこのインターンを始める前は、一生懸命働いたら正規雇用が可能だとスタンプを押されていたのだ。

息子は一生懸命頑張って、長く働いている従業員が解決できない問題を5分で解決したり、と

自分の能力をアピールしていた。

 

一体誰を雇ったのだろうか。

息子の上司は「俺は外でも顔をきくんだ」とか言っていた。

だから仕事を探してあげるから任せとけ!と息子に大風呂敷を広げていた。

 

単純な息子は人の言葉を真に受ける。

それも問題である。

 

思った通り息子の上司も典型的な大袈裟なアメリカ人だった。

その言葉には確実性・誠実性のかけらも見られない。

確かでないことを堂々と威張って言えるのがアメリカ人。

それはプラス思考でいいとも取れるけど、わたしから見れば’大洞ふき’。

そもそも約束できないことは約束すべきでないのだ。

こういうところがアメリカ人の嫌なところ。

日本人から見ると

これは絶対に嘘。

でも彼らにとっては嘘ではないらしい。

 

よって息子はまたしても仕事に就けないことになった。

一生マックでバーガーをひっくり返す人生かとまたしても暗くなった。

そうしたらとりあえず上司は息子を不憫に思い。インターンシップを12月まで伸ばしてくれた。

でも・・・12月に仕事が見つかる可能性はかなり低い。😰

大雪のロッキー山脈中で誰が転職をするのか。

どこの会社が求人募集をしているのか。

その後は本当に路頭に迷うだろう。

まあ、マックでバーガー担当でもいいか・・・😅

 

実は長男が仕事を8月で辞めるからその後釜にしてもらうことも勧めてみた。

しかしアパートは一年契約をしてしまったらしい。

だからアパートを解約できない。

だから無理。(出れないこともないけど、妻が出たくない・・・)

 

なんとなくこうなるような気がしていた。

だから驚いてはいない。

 

励ますのも

期待するのも

疲れ切って

来る試練拒まず

’なるようになれ’姿勢で親はいる。

子供の人生がうまくいかず陰で黙って見守ることは親にとって辛いことだ。😰

 

コロナによる就職氷河期はまだ終わっていない。

求人募集が増えているとニュースでは言っているけど、新卒には全く反映されていないように見受けられる。

 

でも嫁がグラフィックデザイナーとして仕事を始めたので、助けになっているようだ。

 

我が家の息子たちはどうも皆稼げないたぐいのよう。

長男の婚約者(男性)は安定した会計士。婚約者には持ち家があり借金ゼロ。息子は9月から職なし。食べさせてもらうらしい。親は首にならない限りは辞めてはいけないと言ったのに・・・これだ・・・。😓

次男の妻は教師をやりながら大学院在籍。息子はキャリアなしでコントラクトの仕事のみ。多分今後もこれが続く。全然焦ってない様子。(親が焦ってる・・・😅)

三男の妻、グラフィックデザイナーでいつもすぐに仕事のオファーが来るタイプ。でも息子は就職できない。😓

 

娘は10ヶ月の勤務期間中一人暮らしをしていたのに、$25,000(約2,500,000円)も貯めた。どうも金銭管理が上手なタイプのようだ。22歳で投資も始めた。

 

まあ、こんな感じで、ちゃんと育てられなかった親が悪いと言われそうだけど、それを否定するつもりはない。

でも・・・・・

言っておくけど・・・

親はちゃんと教えたよ!!!!!!!!😰

 

原因は

経験も判断力も欠けるのに誰のアドバイスにも全く従わない頑固で馬鹿な彼らのせい!😰

および

コロナのせい!

 

ドクダミママ至言

子供の人生がうまくいっていないのは全て親のせいというわけではない!

 

 

 

東京五輪の悪夢と母の息子への思い

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(出典:https://www.bbc.com/japanese/58003338

 

現在、東京オリンピックの真っ最中。

才能と勇気と体力と強さと自制心の塊のような選手たちがとても眩しく見える。

 

でも、屋外での競技に参加している選手たちはこの例年にないような猛暑で熱中症にかかっても全くおかしくない状態にいる。

 

なるべく涼しい時間に競技を予定することもできるけれど、日数も限られていることからそういう弁官を図ることもなかなか難しいと実行委員会側は語っていた。

 

こんな最悪の状況でも諦めないのがスポーツ選手というもの。

彼らはヒーローなのだから。

それでも弱音を吐きたい気分になることはある。

 

ロシアの選手はこんなことも言っていた。

最後まで戦うことはできる。でも生きて母国に帰れるかは定かでない。

その時誰が責任をとってくれるのか?(菅総理か実行委員長か?😓)

 

オリンピックは感動が多い。

でも特に自分の息子たちと同じような年齢の若い男性の選手を見ていてとても辛い。

(なぜかなぜか女性選手のこともあまり心配していない・・。女性の方が結構タフと思っている。。)

 

とても他人事とは思えない。

応援してあげているけど、

この選手たちの母親はどんな気持ちで我が子が猛暑の中で戦う姿を見ているのだろうか、とついつい考えてしまう。

なぜなら息子の戦いは母の戦いでもあるのだから。

 

母親は我が子が意識不明にでもなって死の谷をさまようくらいなら、

勝っても負けてもいいから無事に帰国して欲しいと望んでいるはずだ。

反対に男性は同性には往々に厳しく、どんなに大変でも甘ったれたことを言うな、とか言いそうだ。

 

この母の気持ちが息子の甘やかしにつながり息子の自立を阻むことも知っている。

でもこうやって母というものは、常に息子を心にかけているものだ。

だから息子が苦しむ姿は見ていられない。

すぐにでも駆け寄ってできることはなんでもしてあげたい。

我が子の苦しみと引き換えに自分が苦しむ方がいいとさえ思っているものだ。

 

だけど

自分は卒親が目標だから彼らのことを考えないようにしているし、連絡もわざと取らないようにしている。

それでも、あの子は今頃どんな気持ちでいるだろうか、とふと頭に浮かぶことは多い。

ただ考え始めるとキリがないのでそれを一瞬だけにとどめるようにしている。

それ以上考えると苦しみとなるからだ。

 

母というものはそういうもの。

どんなに遠くに行っても我が子を100%忘れることはできない。

 

それなら安全な家にずっと置いておいておけばいいかもしれない。

でもそれはだめ。

特に息子。

息子という存在は母親のそばに置いておくものではなく遠くに行かせるものだからだ。

そうすることは自立した大人の男性になるための大切な段階なのだ。

息子が四苦八苦してもがき苦しく姿は目も当てれない。

でもそれは避けれない道。

だから母は皆涙を飲んで息子を巣から飛び立たせないといけない。

自分が安心したいがために、息子の苦労を取り上げてはいけない。

 

それが正しい息子への対応であるように感じている。

 

遠くに飛んでいった自分の雛鳥に何もしてあげることはできない。

ただ無事を祈るだけ。

その母の気持ちが我が子に届くことを願い、

あとは神様にお任せするしかない。

 

選手の無事も祈りたい。

 

ドクダミママ至言

息子がもがき苦しむ姿は母には耐えられない試練。

とても見ていられない。

でもそういう経験は彼らが大きく成長するには必要なこと。

だから母は背後に周り、ただ無事を祈ることしかできないのだ。

でも試練を乗り越えて家に帰ってきた時には立派になった息子がそこにいる。

あなたは彼を誇りに思うだろう。

その日が来ることを信じて遠くに飛ばさせてあげるのだ。

 

オリンピックについての補足:

実は日本のオリンピック実行委員会は2020年の東京での主催国申請時に、世界に向けて嘘をついたらしい。

つまり・・・こう言った。

“With many days of mild and sunny weather, this period provides an ideal climate for athletes to perform their best.”

長期にわたるマイルドで晴れの天気を伴うことから、

この時期は選手たちが最高の力を発揮できる理想的な気候を提供する。

ca.sports.yahoo.com

www.tokyo-np.co.jp

嘘。えらい嘘。

日本の夏のどこがマイルドなわけ?

理想的?????????

 

日本人がこれを聞いて嘘と思わない人はいない。

7月と8月は猛暑と誰もが知っている。日本人だって耐えられないのに外国人ならもっと大変でしょ?特に北国出身と南半球の選手。さらに地中海性気候の国から来た選手も。

と言っても決まった後で日本側は秋の開催を提案したらしい。

でもアメリカが自分たちの都合で夏に無理やりさせたとか・・・。

やっぱりアメリカ・・・。自分たちの国が勝ちさえすればあとはどうでもいいのか。

さすが。勝つためならなんでもする国民性。😰

それとも大した暑さでないと楽観視していたのか。

 

それにしてもオリンピックこそ、アンフェアな国際競技はないかも。

だって貧しい国の選手はほとんどメダルがもらえない。

国を背負って出てきたのに、メダルなしで帰国するなんて合わせる顔がないでしょ?

だから基本的にオリンピックはあまり好きではない・・・。

メダルは三種しかないから、ほとんどの選手と国は負け組になることになる。

おまけに今回はコロナでせっかく一生懸命トレーニングをして来日したのに、陽性と出て参加できなくなった選手やスタッフもいる。そもそも日本で使っている検査試験はおそらく以前アメリカで使用してた古い類のものに違いない。

これだと陰性でも陽性と出てしまうのだ。だからあんなにケースが多かった。

あの感染数に騙されてはだめ。

いずれにせよ、今回無理やり五輪をすることは良かったのか悪かったのか・・。

でももしお金のためにやることが一番の目的なら、選手のパフォーマンスはおまけ(金儲けの道具)みたいなもので、結局汚い何かが陰で動いているように感じられてならない。

 

 

 

 

 

娘帰省するが・・・

 

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うちの家庭菜園。

帰省した娘に草取りをお願いしようと思っているけど・・・果たして家に寄るだろうか?


アリゾナに去年の8月に行ったきりの娘が今日帰省した。

4日にわたる自家用車での移動。

大陸を女性一人で横断したのだ。

猫と一緒に。

拳銃と一緒に。😅

 

途中「どこどこに着いたよ〜」という連絡が入っていたが・・・

なんと目的地のミシガンに着いたかどうかは全く連絡がなかった。😅

それで9時半に連絡をしたら、「ああ5時に着いた」と全然悪気のない口調でそういうではないか。なんで連絡しないといけないのか?と言わんばかりの態度。

 

実は娘は家に帰ってきたのではなく友達の家に着いたのだ。😅

そして連絡もしてこない。

 

こういう時はどうしたらいいものか。

まともな親なら

そういう時は無事に到着しました、というべきでしょ、と説教でもするべきなのだろうか。

心ある親なら本人のためにするべきなのだろうけど・・・

呆れて何もいう気にならなかった。

 

いつからこんな常識ゼロの人間になってしまったのか。

(人のことは言えませんが・・・😅)

 

アリゾナの仕事はさっさと辞めたそうだ。

そしてミシガンで仕事が見つかったらしい。

収入も上がるらしい。

でもここの方がアパートの家賃が高いことを本人は知らない。

それに9月から全米の賃貸住宅が値上がりする。

だから結局大した収入アップにはならない。

 

それも親切に言ってあげたほうがよかったのだろうか。

でも・・・口出しをするとうるさがれるので教えていない。

自分で発見させるのが一番いい。

 

ミシガンに戻ってきた理由というのは

1。アリゾナの猛暑に耐えられない。

2。西武は水不足と山火事ばかり。

3。勤めている会社でどんなに頑張っても給料がほとんどあがらないことがわかった。

4。一周年記念日に他の部署に回されると言われ再度トレーニング期間に入るらしい。だからいつまで経っても低収入のまま。

5。ミシガンに家を建てたいから。

6。ついでに、体にガタが来ている両親を助けるため。(絶対口からデマカセ!😅)

 

親は、一年も働いていないのに辞めるなんて、あまり良い動きではないと伝えたが、すごい剣幕でまくし立ててきたので、そのあとは無言の行に徹した。

 

娘は帰ってきたけど家には寄り付かない予定。

退屈な中年族には興味がないから。(助けるんじゃなかったの?)

 

まあ仕方がない。

所詮娘は親と共通点が、二つくらいしかないのだから。

すなわち、

血が繋がっているということ。

過去に親子という名目の元に一緒に暮らしていたということ。

それだけ。

 

今後は友達として付き合っていく・・・なんて思っていたけど・・・

人生に対する姿勢や意見がここまで違ってしまっては、とても友達にもなれそうもない。

一人で暮らして人生経験を積みちょっとは謙虚になったかと思ったけど、どうも考えが甘かったようだ。

自信が付き高慢さがますます目立ち、言い合いにならないようにこちらが腰を低くしないといけない。身長も高いのでますます高圧的なオーラで満ち満ちている。

 

一緒にいてつかれる。

こんな人と友達になるなんて無理。

勘弁してほしい。

 

親子ってこんなものなのか・・・。

娘はどこから見ても、口が達者な(親も達者ですが・・・😅)

生意気なアメリカの若い女性になってしまった。

いや・・・アメリカにだってもっと可愛らしい女性はいる。

 

なんでこれなの・・・?

そう思わずにはいられない。

本当はアリゾナに最低3年は行っていて欲しかったのに・・・。

地理的距離が近いことは、たとえ滅多に顔を合わせなくとも卒親の妨げなのだ。

 

ドクダミママ至言

子供の自立過程には親もびっくりするほど変化変貌が多い。

それはショック以外の何者でもない。

それで悲しむ親もいる。

どうにかして子供を変えようと躍起になる親もいる。

しかし子供の人生だから、と見て見ないふりをしたほうが楽だ。

期待はなし。

希望もなし。

負け戦に臨む意味なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

白旗をあげるのが一番いい

肉体的だけでなく精神的に子離れ・卒親するにはどうしたらいいのだろうか?

 

それにはまずそうすると決断すること。

次に、日々自分の決断を思い出すこと。

そして心に再度その決断を刻み込むこと。

 

そのための一つの方法として

旗を作ることが考えられる。

 

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家のベランダのところで翻る白旗。

風に乗って自由に舞うためには心を解き放つことが必要。

心を縛っているものは他でもない思い出。

思い出とは重たいもの。

それを引きずっている限りは心は自由になどなれない。

この旗のように軽くなって生きたい。

 

白旗を作ろう。

毎日この白旗を眺めては、自分の置かれた現在の境遇を思い起こそう。

もう戦うのはほとほと疲れたでしょ?

このくらいで親業から引退させていただきたいとは思わないものだろうか。

そう引退。

 

引退とは子供の人生からただ引いて退く・・・。

 

それを象徴する白旗を翻す。

これは勝利でもないけど敗北でもない。

ただ単に引いて退く。

 

自分の親としての期待とか望みとかもう子供に押し付けることはやめて、引く。

そして子供の人生から退く(どのくらい退くかは年齢にもよるけど)。

体も心も。

それを常に思い起こすように白旗を見上げる。

 

そうすれば心が軽くなり

この旗についているラメのように魂がキラキラ輝く気がする。

 

娘に用があって電話をしたときに伝えた。

別に特に何も期待していないから親のことは気にしないで好きなように生きなさい、と。

別に何かでうんと成功するとか、そんなこともどうでもいいよ。

結婚もしなくていいよ。でもしたかったらどうぞ。

自分が満足する生き方を選びなさい。自分が幸せだったらいいのよ。

親はそれには関係ないから。

自分の決めたことをやりたいときに好きなようにすればいいよ。

何もなければそれもありね。

長男にも期待していないし、元次男もほぼ赤の他人だし、三男はお嫁さんにあげたのだから、特に親が口出しすることも、期待することもないの。それに期待をかけられる本人にとってそういうのは確かに負担よね。嫌なのはわかっている。親の束縛から解き放たれたいでしょ?

 

娘は思わず黙ってしまった。😅

不思議。みんなそれを望んでいるのではないの?

 

どうも、娘は親の提案に乗るつもりはなくとも、一応親の期待していることが聞きたいらしい。(その心境よくわからん・・・😅)

 

当然、特記するような親のエゴから来た期待はもうないけど、

何かがうまく行けば当然喜んであげよう。

でも何もうまくいかなくとも、落胆はもうない。

悲しくもない。

なぜなら、期待してないから。

何が起きても一喜一憂しないためには白旗を上げるのが一番いい。

 

この白旗に・・なんとも平安な気持ちにさせられる。

白旗は戦いに負けたということを象徴しているのではなく

自分の限られた能力で最高の努力をしたのに結果はいまいちという現実を素直に受け入れますと決断したことを意味している。

周りの目には敗北のように一見映るかもしれない。

でもそれは違うのだ。

ただここで引退させていただくという決断の象徴。

引いて退く。

戦場から。

 

これは

親業という仕事からの引退であり(100%でなくてもいい)

家庭という名前の職場からの引退を意味する。

 

親にもできないことはある。

それを素直に認め、つまり変えられないことに必死になって固執しない。

 

でも変えられるところがまだあるなら変える。

今変えられると思われる点は

自分の子供への執着を捨てること。

子供のために血眼になって頑張っていた自分の過去への執着を捨てる。

後悔も捨てる。

ずっと悲しんでいたい自分の心への執着も捨てる。

子供への様々な期待を捨てる、などかも。

 

平安に生きたかったら

白旗をあげるがいい。

親が子の全問題を解決してあげなくてもいい。

実際、子供の年齢が上がるに従ってできないことも多い。

それは仕方がないことでごく当たり前のこと。

 

執着せず、状況をコントロールしようとせず

白旗をあげよ。

 

心が白旗のように真っ白になっていくようで

実に気持ちがいい。

まさに悟りの境地。

 

ドクダミママ至言

自分の白旗を作ろう!

そして毎日それを眺めよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親のためのタイムアウトは必須!

どんなに我が子を愛していても、

可愛いと思っていても

子供は本当に😰大変!(同感?)

そして可愛いはずの我が子が全く可愛く見えなくなる瞬間も(数え切れないほど)あったりする。

 

だからタイムアウトが必須なのだ。

このタイムアウトとは Time Outと綴り、

直訳すると”中断”のこと。

 

実はアメリカではこの言葉が子育てに頻繁に登場する。

子供の躾方法なのだ。

”タイムアウト!自分の部屋に行って反省してきなさい!”とか

”タイムアウトチェアに座りなさり!”とか(タイムアウトのための特別な椅子がある。通常、部屋のすみに置かれていて壁をじっと見させる。子供によっては存在否定や愛情否定ととられる場合もある・・・)

表向きは現場を離れて頭を冷やすためにある。

でも本当は怒っている親から子供を離す目的もあると確信している。

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三男。ニャンタと一緒にタイムアウト。三男が可哀想だと思って隣に座ったのか・・・。

かわいい・・・猫が・・・。😅

そう、

本当はこのタイムアウト、親のためにあるのかもしれない。

 

親業は発狂の原因となることも多々ある

必死になって365日休みなく子育てを続けると

絶対に気が狂うこと請け合い。

もし発狂したくなかったら

子供から離れないといけない。

自分のイライラが100%に達する前にその場から離れるべき。

もし家から出れないなら、同じ家の中にいて自分の心を他のことに向けることによってタイムアウトをしないといけない。

 

楽しいことを考え実践する

子供が叫びまくっていたりしたら、その場から離れること。

自分のことをすること。

楽しいことをすること。

最後におしゃれをしたのはいつ?

自分の魂が心からリラックスし喜ぶことをすること。

そうしてタイムアウトする。

タイムアウトは気分のリフレッシュなのだ。

 

母だって女性。

人生を楽しむ権利はある。

でも母親はそれを罪のように感じている。

子供のことを常に考えていないことに、

自分のことに時間とお金を費やすことに、

子供の面倒を一瞬でもみないことに、

罪悪感を感じるのだ。😓

 

いや、罪なんかじゃあない!

だって!母親が幸せでなくて子供も幸せになどなれないのだから。

  

こんな風に犠牲の上になった子育て・・・

それでいい結果が出て親思いの優しい心の人になってくれれば全ての苦労も水に流れるというもの。

でもそうならない場合もある。(我が家の子供達がいい例😅)

そうなった時に

あなたは自分の犠牲を絶対に後悔するに違いない。

保証する。😓

 

だから、もう耐えられなくなったら

他の人の助けを借りるとか

自分だけのために時間を使うことを自分に許すべきなのだ。

 

それをしなければ

あなたは完全に狂う。

 

子供を産む前のあなたはどんなことを楽しんでましたか?

何が好きでしたか?

忘れた?

 

そうでしょう。そうでしょう。

みんなそんなもの。

でも、それを思い出して

10分でもいいからタイムアウトをして。

 

で、こんなことを薦めると「なんてひどい母親」とか言われるのを承知で言っている。

言いたかったらどうぞいくらでも言ってください。

子供がかわいそうだろう!とか罵倒される。

いいえ、母親も十分かわいそうです。

 

自分も子供のわめき声に耐えながら子育てを続けた。

逃げずに続けたのだ。

その結果、本当に尋常でないと言われてもおかしくないほど狂ったと思う!

そう、子育ては女性を狂わせるのだ。

 

そんなことを言うと、世間は「そういう女性は母親になるべきではない」と来る。

確かに、それが法律にでもなれば、この世で母親になる女性は最低9割は減るだろう。

どうせなら資格試験でも設けたらいい。

それなら自分は絶対に不合格に違いない。😅

 

そもそも、

ちょっとくらい面倒を見なくても子供にはほとんど支障はない。

でも不幸せそうに子育てをしている母親の子供への影響は大きい。

 

子育てに方程式はない。

唯一ひとつの答えもない。

親と子供による。

 

だから「こうじゃなくちゃダメ」とか型にはめない方が賢明。

理想の母親像なんて描かない方がいい。

借りられる助けはどんどん借りて、

息抜きをして。

タイムアウトは絶対に必須!!!!!

 

ドクダミママ至言

タイムアウトは子育て中の必須活動。

しなければ発狂する。

 

 

子供は期待する代わりに○○する

何度も言っているけど、子供には期待しない方がいい。

自分の経験と多くの親の悩みを聞いてきてこれが真髄であると断言できる。

 

親が期待をやめれない理由

とは言っても親というものは子供に対する期待をそう簡単には止めれないものだ。

親とは根本的にそういうもの。

子供は親の延長、つまりエクステンション・コードのような感じに捉えているからだ。

でも実は、量子物理学的見地から見るなら、それは合っている。

 

つまり子供と親はたとえ肉眼には映らなくとも

物理的に本当につながっている部分があるのだ。

そして魂レベルでもつながっている。

だから我が子のことが頭から離れなかったり、我が子の苦しみが自分の苦しみと感じられるのだ。

 

ということは100%無視することは不可能ということになる。

最悪の痴呆症にでもならない限り忘れることは無理なのだ。

 

以前の恋人のことは忘れられる。

離婚した元の伴侶のこともいつか記憶の彼方に追いやられる日が来る。

でも我が子は別。

だから苦しいのだ。

そして母の精神を冒すことになる。

 

それは本当に苦しい。

苦しいから精神安定剤を取らないと日常生活に支障を来たす人もいる。

だって、自分の精神の安定を図るためには

是非ともこの子供にちゃんとなってもらわないことには困るのだ。

だから何度ガッカリするようなことがあっても、期待することをやめれない。

 

とってもわかるけど・・・やっぱりそれは問題かもしれない。

少しの期待はいい。

でも現状の子供本人の能力と意志を超えたような期待は

害あって利なし。

 

期待するのではなく

本当に親がすべきことは・・・実はこれ!

 

信頼

 

ひえ〜〜〜!

それって無理!という声があちこちから聞こえてきそうだ。

 

確かに。

すっご〜くうなずける。😅

 

うちの子供を信頼するなんて無理。

今までの素行と経歴を考慮するならもっと無理。

 

それはごもっともな意見だ。

自分もそのように思ってしまうことが多い。

 

でも!

それは可能。

 

実は子供自身は親に「期待していない」と言われることが嫌なんだそうだ。

見捨てられた気持ちになるらしい。

 

でも期待しないということは見捨てるということではなく

自分のエゴから来ている「期待」を捨てるということ。

その代わり、子供が”いつか”自分の力でどうにかできると”信頼”してあげるのだ。

 

我が子を信じる。

それに尽きる。

 

信じれば楽になれる

わたしの”元次男”は、二人の間に線を引くためにそう呼んでるけれども、どんなにそう呼んでも我が子には変わりはない。

そして彼の平行線人生を悲しむ自分もしっかりここにいることも認識している。

それでも、彼に対して”こうなってくれたらいいなあ” などという具体的な期待はもうない。

 

その代わり

いつか、彼は自分の力でどうにかするだろうと、彼を信頼しているのだ。

(実際は、信頼しようと自分に言い聞かせている・・・😅)

自分に欠けていたのはこれだった。

息子への信頼。

息子を助けてくださる神様への信頼。

 

信頼すること・・・それは親にとってかなり難しい注文。

でも、この信頼こそが親の精神を安定させ、希望を与えてくれるたった一つのかがり火なのだ。

 

今は何も見えなくとも

信頼。

どんなに過去の経歴が悪くても

信頼。

 

そうすれば

あなたは楽になれる。

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我が家の赤ちゃんブルベリーに実が生った!

我が子にもいつか実がなる時がくると信じている。

親の勝手な期待はやめたけど

元々備わった底力で実を生らせる時がいつかくると彼を信じている。

 

ドクダミママ至言

たとえ信頼に置けない人間であると思っても

我が子を信頼しよう。

我が子が信頼できなければ

我が子を親よりもよく理解していて愛して下さっておられる

神様を信頼しよう。

そうすれば楽になれる。

 

 

自分に素直になれない子供には処方箋はない

今年の母の日の出来事について語りたい。

 

米国東部時間午前10時に娘からラインで"Happy Mother's Day"と連絡が入る。

10時半に長男から来た。

午後3時(ハワイ時間午前9時)に三男から同様に連絡。

そして例の元次男からは・・・・

夜の10時に夫のメルアドに、メッセージが入った。

なっ、なんで父親のメルアドに送るわけ?????

彼のことだ。絶対意図的な仕業に違いない。😅

 

それでメーセージはというと

「母の日おめでとう。

僕のことは心配しないでください。現在は(超エリートの)〇〇銀行で働いていますから。

コロナの予防接種もこの間三度目のをうってきました。だから何がきても大丈夫です。」

 

では(素直でないこの母は)この行間を読むことにしたい。😅

母の日おめでとう。(何がおめでたいのか・・・。こういう息子をもっておめでたいことは何もない)

僕のことは心配しないでください。(心配はしていない。イラっとさせらるだけ)

現在は(超エリートの)〇〇銀行で働いていますから。

(働いている建物は確かにその銀行の所有物で、建物の上にも銀行名が書いてある。でも一階だけが銀行。次男はその銀行に勤務というわけではないし、銀行業務に携わっているわけでもないことは、長男から既に聞いている。彼は自尊心が低いせいか、こういうエリート名や華やかな職業に憧れるきらいがある。自分に素直になればいいのに・・・そうすれば生きるのが楽になるのにね。)

コロナの予防接種もこの間三度目のをうってきました。だから何がきても大丈夫です。

(3回目???やっぱり生き延びたいのか・・・。親が心配しているとでも思っているのか。いや、彼が感染するとか頭にも浮かばなかったんだけど・・・感染でもすればちょっとは反省するかとも思ったりして・・・。😅)

 

とりあえず就寝する前に連絡がきたのでノルマ達成ということで認めてあげよう。

該当しない人宛だけど・・・。😅

 

しかし、

息子はなぜ自分に素直に生きないのか?

残りの子供たちは自分に素直に(わがままに自己中で)生きていると思う。

 

で、我が家の方針として、好きなことで得意なことをしなさいといつも言ってきた。

それはなんでもよく、他の人と比べてはいけないとも言った。大学はアジア系米国市民は普通は行くけど、我が家は進学を強制したことはない。

また、何を選ぶかは少ない人生経験から選べば良い、とも言っていた。

(それしかないでしょ?)

ところがうちの元次男は、隣の芝生ばかりを見ているきらいがある。

今やっていることを一生懸命やれば花が開く可能性があるのに、ちょっとでも困難にぶつかると諦めてしまう。そして隣の芝生を見ている。

 

では何をやってきたからというと、

習い事:

体操(身長が伸びてきて柔軟性にも欠け体が重くなってきたので向かないと言われて断念)

空手(黒帯持ってます。でも全くやっていないからスキルは全部忘れたはず。)

ピアノ:脳の開発のためにやった。なんとなく弾けていたけど・・才能・・・なし。

アート(なかなかいいと思ったけど、妹に勝てないからやめたらしい。なんでも競争心をむき出しにするタイプ。😅)

 

大学:(注:米国の大学はいくらでも選考を変えることができる)

1。ビデオ制作(グループ活動が苦手。頭が柔軟でないのか創造性に欠ける。でも編集は得意。就職が厳しいので止めてしまった。成績は割と良かったのに・・・。)

2。科学(動物が好きだったので獣医になりたいと言い出した。でも高度な数学でつまづきさっさとやめてしまった。)

3。日本語(一時、大学の専攻だったけど翻訳が嫌いでそういう仕事は嫌だからと言って止めた。成績はB+だったので悪くはなかった。)

4。ビジネス(日本語と合わせて仕事に直結させようとしたけど失敗。苦手なだけでなく理解もできない、イコール不向き。)

5。シミュレーション、アニメーション、& ゲームデザイン。(彼の憧れる華やかな業界だし、手に職をつけるためにこれはいいかと思い親が勧めた。才能はあったとみんなに言われているけど頑張らなかったので、卒業しても仕事につけない。ちなみにこの大学始まって以来この専攻で関連業界に仕事が見つからなかったのは息子一人だけ!平均成績はB(ほとんどC+)。就職にはギリギリの成績。でもポートフォリオが良ければ仕事が見つかる。それなのに彼はポートフォリオの作品数が少なすぎて相手にされない・・・。数を増やせばいいだけなのに・・・やらない。何かが怖いから。)

6。教えるのが上手なので、先生になることも勧めた。でも行動に移さない。

 

職歴:

  • ファーストフードレストランでの肉体労働。
  • 洗車
  • モール(デパートのこと)のセキュリテイガード
  • データエントリー。今もやっている。一日中同じようなデータをコンピューターにインプット。この仕事をするのに大学の学位は必要ない。確かにこれはキャリアにならないのでどうにかしたいと思いながら既に29歳。😅😅😅生活費の高いシカゴの一等地に住んでいるため(身のほど知らず😅)データエントリーの仕事は二つかけもちしている。

なんでも学士をやり直して今度は建築に行きたいらしい。しかしこれ以上親は学費を払えない(払いたくない)ので、自分でどうにかしるようにと伝えてある。

製図が好きで得意だったので頑張るようにと勧めた。そのくらいの学費なら助けてあげれるので一部助けるつもりもあった。しかし今のところ全く行動に移さない。

電気技工士も興味があったらしく、それもやりたければがんばれと励ました。それはとても安定しているし収入もいい。師弟制度があるのでそれでキャリアをスタートさせることも可能。でも行動に移さない。それを指摘すると怪獣になるので何も言えない。

動物が好きなので、トリマーとかどうかと勧めた。でもごちゃごちゃごねてるだけ。

 

自分に素直になればいいのに。

つまり正直になればいいのに。

今やれることをやればいいのに。

 

苦手なことは苦手と認め、少しでも得意なことがあればそれも認め、一生懸命がんばれば道は開けるというもの。それなのに世間の目を気にして、かっこいいかどうかが選択肢の基準になっていることが問題なのだ。それから始めたばかりの時は誰でも初心者でわからないことが多いもの。慣れてくると理解も深まってくる。そこまで頑張らないといけないのに、途中で止めてしまう。そしてどんな分野にもスランプはあり課題があるということもわかっていない。当然それを教えても聞く耳持たず。

プライドが許さないから。

人の提案を聞くということは自分の無知を認めること。

それは彼にはできないことなのだ。

そしてごちゃごちゃ考えるだけでますます頭が混乱していっているようだ。つまりぐるぐる周りとしている。そして根っからの頑固さが状態をさらに悪化させている。

 

当然それも周りから言われるのは嫌。親から指摘されるのが一番嫌。

だから黙っているしかない。

親がこの世を去ったあとに目が覚めても遅いでしょう。

しかしどうにもならない人は仕方がないのだ。

 

自分に正直に素直になるって大切ですよね〜?

こういう子をもった親ははっきり言って何もできない。

助けられない。

アメリカでも50歳をすぎた男性が、過去を悔やむ話、よく聞く。

元息子もこれの可能性が高いと見ている。

まあ彼が50歳の時はどうせ親はもうこの世にいないはずだからどうでもいいと思ってる。

結局自分が撒いた種は自分で刈り取ることになるのだから。

 

とは言っても素直じゃあない石頭の彼はかわいそうでもある。

そう、固執するものなんて何もないのにね〜。

自分に素直になれば生きやすくなるというもの。

それが幸福への道なのだ。

だから

それをしない彼の理解に苦しむ。

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(出典:https://quotefancy.com/quote/884729/Paramahansa-Yogananda-Be-honest-with-yourself-The-world-is-not-honest-with-you-The-world

 (訳)

自分に正直になろう。

世の中は人に正直ではない。

世の中は偽善を好む。

自分に正直になるなら、

心の平安への道を発見するだろう。

 

ドクダミママ至言

頑固に処方箋はなし。

素直じゃないと誰も助けれくれる人もいない。

 

 

 

 

 

 

どうにもならないときは諦めるが勝ちですよ

思春期で反抗期の子供。

大人になっても反抗期の子供。

人生空回りの子供。

 

どうしたらいいのか?

方法は

 

そりゃあ・・・

諦めるしかな〜い。

そんな〜〜〜〜〜😰

 

子供が思うようにならないと親は必死になってそれをどうにかしようとする。

助言とか(またの名を要らぬお節介)、外部に相談とか、とにかく手を変え品を変え必死になる。

どんな手を使ってでも改善させないといけないと。

でもほとんどの場合は改善しないどころが悪化することの方が多い。

実際、成功例をみたことはほとんどない。

だから諦めた方がいい。

 

諦めると見えてくるものがあるのだ。

自分の親としての不出来さも見えてくる。

子供の深い部分も見えてくる。

 

必死になっているときは見えなかったものが見えてくる。

だから諦めてください。

 

こんな立派な成績をとってもらいたいとか

こんな立派な大学に入ってもらいたいとか

こんな立派な会社に就職してもらいたいとか

こんな立派な大人になってほしいとか

全部諦めるのだ。

 

まずはこういった子供のアジェンダをドロップすること。

エゴの詰まった親の一方的な願いは下に下ろすこと。

そして自分の心の中をじ〜と観察すること。

 

所詮、子供といえど他人。

親が変えることができるなど夢にも思わない方がいい。

子供は自分で変わりたいと思うときに変わるだろう。

変わりたいと思わなければ変わらない。

それが人間というもの。

考えてもいただきたい。

親だって、そうそう簡単には変われない事実。

でも本当に変わりたいと思うなら変われる。

 

一生変われない人もいるにはいる。

その場合、あなたには一生気長に待てる忍耐力が備わっているだろうか?

 

真剣勝負であることを示すために本気で喧嘩してもいい、という人もいる。

自分もやってみた。

でも結果は自分自身の感情も子供の感情もより激しくなり関係を悪化させた。

だからこの結論。

何も言わない方がいい。

この”いくさ”は戦うべき価値があるかどうか初めに検討すべきだ。

 

人に期待するなんて馬鹿げたことだ。

それには伴侶への期待も入っている。

人には期待しないで自分に大いに期待しよう。

子供は多分期待されて迷惑と感じているだろう。

特に期待せず、本人の選びに任せ、我は我が道を行く。

現状を条件なしであるがままで受け入れる。

そう生きた方がいい。

その方が、平和な人生を保証できる。

 

その代わりに、親は自分の感情を安定させることに集中しないといけない。

親の感情が安定すれば子供にもいい影響が訪れる。

 

期待する代わりに、

子供の思う通りに生きることを許してあげる方が互いに平和でいい。

平和にいきたければアジェンダはドロップ。

ずっと悩みを抱えて苦しみたければ、ずっと期待すればいい。

でもそれは落胆と悲しみの人生になる確率が高い。

 

子供たちは子供たちで自分の人生に責任があるのだ。

はっきり言って・・・親には関係ない。

 

親はいずれはこの世を去り、子供たちは大人として責任を持って生きていかないといけない。

そんな歳になって親のせいになどしていられない。

みんな自分でどうにかしないといけないのだ。

親は親で、ある条件下での努力しかできなかったのだ。

親も苦手なことがあるし子育て以外の心配事もある。

理想的な家庭は存在しない。

皆どこかが欠けている。

そういうものだ。

 

いずれみんなわかる時がくる。

親になるとは本当に大変なことなのだと。

その時がくるとみんな言うんだ。

親は偉大だ、と。

 

わたしは自分の(とりあえず)成人した四人の子供に今は何も特に期待していない。

ついこの前まで三男に期待していたけど、それもほとんど辞めた。

彼らに対するアジェンダは自分のエゴからきていることが多いからだ。

そしてそのエゴは自己の精神を消耗し破壊してしまうからだ。

ほとんどどうでもいいと思っている。

そして自分は限界に達したことを認めた。

これ以上の努力にも願いにも意味を見出せない。

だから子供たちの人生を神様にお返しすることにした。

この祈りとともに。

 

神様、

わたしはうんと頑張ったけど、これくらいの結果しか出せませんでした。

ごめんなさい。

やっぱり子供たちは私を恨んでいるでしょうか?

そんな彼らを赦すように努力しますので

いたらない母であったわたしのことも赦してください。

聖母のようにもなりたかったけどなれませんでした。

でもこれが限界です。私は人間で限界があるのです。

だから子供たちのことはこれからは神様が担当してください。

全知全能の神様ならあの子たちのことを一番よくご存知のはずです。

神様、お任せしますので、

どうぞよろしくお願いします。

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諦めると黒い雲が心から去っていき全てを悟ったような気持ちにさせられる。諦めれば青く澄み切った空が私たちを待っている。そこには混じり気のない光だけが存在するのだ。

(出典:https://www.pikist.com/free-photo-vkalr/ja

ドクダミママ至言

子供が思うようにならない時に親ができることは

たった一つのことしか残っていない。

綺麗さっぱり、

未練を捨てて

諦めるべし。

他に答えはない。

 

 

 

 

慈母になりたいあなたへ

慈母とは

母のあるべき姿。

慈母とは

慈愛に満ちた母のこと。

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慈母観音像。(出典:http://seihou8.sakura.ne.jp/shop/004-jibo/indexm1.html

 

子供の一部の行動だけをみて総合的にこの子は0点と判断したりせず

心の深いところを読み取れる母。

 

そんな母になりたいとほとんどの母親は思っているに違いない。

でも現実は

多忙な日々の中で多くの義務をこなすことだけで精一杯。

だから子供の心の深いところまで汲み取ってあげるまでは行かない。

余裕がないのだ。

余裕がないとなかなかできない。

それでも内心は

慈母になりたいと思っている。

 

でもやっぱり・・・

慈母にはそう簡単になれない

だから現実に直面するときに母は落ち込むのだ。

自分はなんてひどい母なのか。

だから最初から母になんて向かない人間なのだ・・・と。

でもこんなこと言ったって今更遅いのだ。

じゃあ、解決するにはどうしたらいいのだろうか。

 

わたしは

我が子にこんなことを言っていた。

他のお母さんの方がよかったかもね。

なになにちゃんのお母さんはもっと優しくて忍耐があって大らかでずっといいよね。

あの家に産まれていた方が貴方は幸せだったに違いないね。

 

こんなことを言うと、我が子は決まって

それを否定していた。

日頃は母非難精神の塊なのに

その母が自分の役割を否定すると、彼らは再否定する。

変な話だ。

多分子供たちは罪悪感を感じるのだろう。

(多分、色々やってもらっているくせに文句が多いと自分たちでも理解しているようだ)

 

確かに生まれつき慈母タイプの女性はいる。

友人にもいる。

うらやましい。

 

でもほとんどの場合は

努力しないとなれない気がする。

そう、慈母は1日ではなれない。

 

女性は生まれつき母なのではない。

その過程で母が作られていくのだ。

慈母もそれと同じ。

 

慈しみ深い母とは

レベルの差こそあれどほとんどの場合はあると思う。

あるけどそれが表面に現れるの時に波があると言うことが問題なのかもしれない。

 

わかっている。

我が子の悩みも悲しみも。

どうにかしてあげたいと思うのが普通のレベルの慈母。

だからほとんどの母親は慈母。

でも、それよりもっと深い部分の子供の心を感じてあげれるのが正真正銘の慈母。

 

いつかそうなれると思う。

今はまだウオームアップ時期!

日に日に上達しているのだ。

ただまだよく見えないだけ。

 

本当は母のほとんどは慈母。

世間になんと言われようとも慈母。

そう信じている。

 

ドクダミママ至言

ほとんどの母は慈母。

たとえそう見えなくとも中身はそれ。