人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

慈母になりたいあなたへ

慈母とは

母のあるべき姿。

慈母とは

慈愛に満ちた母のこと。

f:id:MimosaPalette:20210627113534j:plain

慈母観音像。(出典:http://seihou8.sakura.ne.jp/shop/004-jibo/indexm1.html

 

子供の一部の行動だけをみて総合的にこの子は0点と判断したりせず

心の深いところを読み取れる母。

 

そんな母になりたいとほとんどの母親は思っているに違いない。

でも現実は

多忙な日々の中で多くの義務をこなすことだけで精一杯。

だから子供の心の深いところまで汲み取ってあげるまでは行かない。

余裕がないのだ。

余裕がないとなかなかできない。

それでも内心は

慈母になりたいと思っている。

 

でもやっぱり・・・

慈母にはそう簡単になれない

だから現実に直面するときに母は落ち込むのだ。

自分はなんてひどい母なのか。

だから最初から母になんて向かない人間なのだ・・・と。

でもこんなこと言ったって今更遅いのだ。

じゃあ、解決するにはどうしたらいいのだろうか。

 

わたしは

我が子にこんなことを言っていた。

他のお母さんの方がよかったかもね。

なになにちゃんのお母さんはもっと優しくて忍耐があって大らかでずっといいよね。

あの家に産まれていた方が貴方は幸せだったに違いないね。

 

こんなことを言うと、我が子は決まって

それを否定していた。

日頃は母非難精神の塊なのに

その母が自分の役割を否定すると、彼らは再否定する。

変な話だ。

多分子供たちは罪悪感を感じるのだろう。

(多分、色々やってもらっているくせに文句が多いと自分たちでも理解しているようだ)

 

確かに生まれつき慈母タイプの女性はいる。

友人にもいる。

うらやましい。

 

でもほとんどの場合は

努力しないとなれない気がする。

そう、慈母は1日ではなれない。

 

女性は生まれつき母なのではない。

その過程で母が作られていくのだ。

慈母もそれと同じ。

 

慈しみ深い母とは

レベルの差こそあれどほとんどの場合はあると思う。

あるけどそれが表面に現れるの時に波があると言うことが問題なのかもしれない。

 

わかっている。

我が子の悩みも悲しみも。

どうにかしてあげたいと思うのが普通のレベルの慈母。

だからほとんどの母親は慈母。

でも、それよりもっと深い部分の子供の心を感じてあげれるのが正真正銘の慈母。

 

いつかそうなれると思う。

今はまだウオームアップ時期!

日に日に上達しているのだ。

ただまだよく見えないだけ。

 

本当は母のほとんどは慈母。

世間になんと言われようとも慈母。

そう信じている。

 

ドクダミママ至言

ほとんどの母は慈母。

たとえそう見えなくとも中身はそれ。