事件があったとき、
必ず犯人の家庭環境が取り上げられることが多い。
どういう背景と行き筋があってこういう人間ができ上がったのか・・・
と専門家とメデイアがほじくりたいのがよく見える。
ここでよく登場するのが、
その犯人の母親をなじる言葉。
そして育て方が悪かったからこうなったと一言で片付けるのが一般的。
それだけでなく世間もメデイアに便乗してやれどうのこうのと他人の家庭を厳しく裁く。
被害者の親は耐えられないかもしれないけど、
加害者の親の苦しみだって想像を超える世界だろう
とわたしは思うのだ。
我が子が国中・世界中から叩かれているのだから。
でも言われた母親は
「我が子に限ってありえない」と信じ続けたい。
たとえ世間に「ほおれ、この子にしてこの親」と中傷されても。
そう。
母はいつも自分の子供を信じたい。
どんなに悪態をついても、非行に走っても
心の中では「我が子に限って・・」と思っているものだ。
こういうのを親バカと呼ぶ。
でも世の母というものは普通は皆、たとえ世間が100%我が子を否定しても、自分だけは我が子を信じようとするものなのだ。
そして必ず「自分のせい」だと思う。
だから母の愛は深いのだ。
世間がなんと言おうとも。
「我が子に限って」と信じることのどこが悪いのか。
誰か一人でもこの人間を信じてあげる人がいることがその人を立ち直らせることに繋がったりりする。
それは通常は母親である。
それは「親バカ」ではなくて「深い愛情の」証明であると思う。
どんな過ちを犯しても母は我が子を信じ続ける。
世界中が彼に敵対しても。
どんな不幸が訪れても。
母の愛は神の愛の次のレベルと聞いたことがある。
それは本当であると思う。
我が子は母を怒らせ心痛の種となることも多い。
でもそれは我が子をこよなく愛しているからに他ならない。
何が起きても「親バカ」でいいと思う。
それが正しいように思う。
ドクダミママ至言
誰に親バカと言われようが構わないじゃないか。
それはごく普通のこと。
最後の最後までその人を信じるのは常に親。
世間に深く頭を下げるのも親。
自分を激しく責めるのも親。
我が子の失敗を十分に理解していても
心の底では信じている。
本当はそういう子じゃあないんだと。
親バカでいい。
親バカというのは親の深い愛情の表れなのだ。
ほとんどの場合は決して自己中な感情ではない。