人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

一難去ってまた一難だよ!😰&私の製品ご紹介

先日夫から娘にテキストを送ってもらった。

「感謝祭は風邪だから行けない」と。

(うざがられている母は一斉連絡を取らないつもりなので、連絡事項があるときは全て夫から行くことになっている・・・😅)

 

で、良識ある人間は普通こういう返事をする。

「まあ残念だわ。お大事にね。」

でも娘はこの一言だけ。

「オッケー」

 

こういうガサツなところは夫の父方の家系に顕著だ。

こういうところまで遺伝とは・・・。😓

 

本当に娘の乱暴さとかマナーの悪さには呆れてしまうのだ。

Poiseっていうのがないのよ。

 

これって一時的なものなのだろうか・・・それともずっとこれなのだろうか・・・。

こういう姿も母をガッカリさせる原因となる。

あんなに色々教えてあげたのに・・・。

親もちゃんと模範を見せたはず。

それなのに・・・

どこに出しても恥ずかしくない娘じゃあなくて、

恥ずかしくてどこにも出せない娘と化してしまった。😰

 

忍耐力の試しだわ。

だから感謝・・・感謝・・・(とお題目のように繰り返してます😓)

 

一難去ってまた一難

感謝祭が終わり次第・・・というか10月から始まっているけど、

クリスマスのセールにこの木曜日からさらに拍車がかかる。

 

もちろん自分の売っている製品もセールモード・・・なのでなにもいえないけど。😅

(下記のサイトで販売してます。12月5日まで20%引き!Discount code: ZUKZTY.

海外発注も承ってます。ただ覗いていただくだけでも大丈夫です。ちなみに、大変お恥ずかしいのですがこれらの絵は私の作品の一部です・・・😅)

fineartamerica.com

ノートは可愛いですよ〜。

コーヒーカップとかもどうでしょう。

https://fineartamerica.com/shop/coffee+mugs/lulie+cardon

 

他にもトートバッグとか、財布とか、Tシャツとか、色々あります。

当然アートのプリントも。

 

で、これの一部を子供達にギフトとしてあげようと思ったけどやっぱりやめた。

 

絶対に感謝されないと思うから。😰

 

そもそもプレゼントの80%は感謝されないってご存知ですか?

所詮他人の欲しいものなんかわからない。

希望を聞いたとしても、本人の望むようなものを選べる可能性だってどうだか・・・。

で結論は、Amazonのページを送信してもらうのが一番良いようだ。

 

しかし・・・それでも結局使ってもらえなかったりもあるのだ。

やっぱり

プレゼントって無駄な面が多い気がする。(全て受け取る人によるけど・・・)

 

まず何をあげるか考える時間。

それを探す時間。

包装する時間。

郵便局に行き長い列に並ぶ時間。

 

あああ、その莫大な時間とそのストレス!

 

それなのに・・・・。😰

 

これだけやっても結局感謝されず返品になるか(現金にしたいから)、リサイクルショップ行きか、ゴミに出されるか・・・なんて・・・・やってられません。😰

 

さて今年はどうするか・・・。

頭が痛い。😰

 

実は2年前に、子供達に箱詰めをあげた。会社の同僚がそうやっていて子供たちがとても喜んでくれると言っていたから。

中身は、タオルとか鍋つかみとか石鹸とかローションとか缶詰とかうちで作ったお茶とかそういったたぐい。

で・・・それをあげた結果はというと・・・

 

娘:使ってるらしいけど・・感謝の言葉はない。

長男:感謝の言葉なし。使ってもいない様子。一年後に彼の住まいに寄ったとき、台所に、その箱に入ったまま蓋も開いたままその辺に置いてあった。その箱をじっと見つめていたら、息子のパートナーがこう言っていた。「それ、お母さんが去年くれたものだよ。」

わかってるよ〜!ひどーい!どうせ今に至っても台所で埃をかぶったままだと思う。😓

次男:感謝ゼロ。ゴミに捨てたらしい。😰(なんの恨みなんじゃあ〜〜い?!)

三男:何を送ったか覚えてない。

 

それで夫はというと:高級ウールのセーターをあげたけど、全く着ていない。😓

 

結論:人はいただき物なんか感謝してないのだ。

特に家族。

もらえて当たり前だと思っている。

もらえた時だけ興奮するけどあとはそっちのけ。

特に安物だとそれ。

(値段と愛情は比例すると我が家の子供たちは思っているようだ😰)

 

でも母である私は準備に走り回っていた。

当然クリスマスの食事も全部作った。

それにありがとうの一言もないってど〜ゆうことなんねん????

要するに母は見返りゼロでも家族のために喜んで死ねる類の人間だと思われているようだ。

みんな、なんでもやってもらって当たり前だと思っているし

母は最初から何も期待していないと信じて疑わない!

それでそういうのが模範的な母の象徴であるとみんな思っている!!!!!!!

 

😓!

 

だから今年は何も買わないしなんの準備もしないつもりだ。

理由は色々あるけど最大の理由は経済的な理由。

 

1。我が家は来年度に起こるであろう増税の準備を今からしている。

2。2023年は家のローンの完済が目標。(まだまだ残ってます・・・😰)

(急いで完済する理由は夫があとどのくらい働けるかわからないから・・・😓)

 

だから究極の節約ムード。

せめて感謝してくれるならなんか買ってあげてもいいけど、感謝もしてくれない。

だから準備する気にならないのだ。

 

まあクリスマスセールは経済を潤すためにあるんだね。

私はうちの子供達に何かあげるくらいならシリアの難民の子供達に送ってあげたい。

きっと喜んでくれると思うし、使ってくれると思う。

先進国の子供は感謝が足りないよ!

 

我が家の子供たちの素行を認識するたびに

子育てに命をかけた母は泣きたくなってくる・・・。😰

 

しかし!

感謝・・・感謝・・・!

それっきゃない!

 

そういえば三男の嫁が飼ってる猫にそっくりの絵が書いてあるノートが欲しいとか言ってたなあ・・・。それを送ってあげようか・・・。(結局プレゼント買うんじゃんね?!)

 

ドクダミママ至言

家族というものは難儀なもの。

最近の子供たちは親に感謝なんて滅多にしない。

当たり前だと思っている。

豊かになるもの問題だ。

だからやってあげてもいいけどやりすぎるのは避けよう。

 

 

 

アメリカの感謝祭にあやかって感謝リストを作ってみよう!

今週の木曜日はアメリカは感謝祭。

で、夫も私も風邪をひき始めたようなので、家に引きこもることにした。

 

それにやっぱり成人した子供たちは、同世代の気の合う友人とワイワイガヤガヤやる方が楽しいはずだ。

去年は私はコロナ感染を恐れ遠慮し夫が単独で娘の住まいに出かけて行った。家の中は他の兄弟と娘の友人でひしめき合っていたらしい。夫は世代ギャップ&違和感を痛感しそそくさと帰宅した。

 

だから風邪のひき始めということを表向きの言い訳にし今年は夫婦揃って顔出ししないことにした。

 

そもそも、アメリカは感謝祭、クリスマス、元旦、と三つの祝日が5週間以内に詰まっている。

これって絶対多すぎるでしょ?

で、祝日の間、何をするかって、そりゃあ「食いまくる」に決まってるのだ!😰

 

アメリカ人はこの季節に平均10キロくらい太るらしい。後でダイエットすればいいとか言っているけどね、1月から寒いんだからダイエットなんてするわけないでしょ。

で、夏にダイエットするからいいとか言ってるけど、結局落とせない。

で、またこの大食いの季節がやってくるというわけよ。

毎年これの繰り返し。

だからもう目も当てれないような肥満体型になるってこと。

 

ということで食べるばかりのお祭り騒ぎはなるべく避けようと思う。

 

でも・・・とりあえず感謝祭だから、

何か子育てのことで感謝することを見つけようか。

 

では行きます。

 

子育てとは全く思うようにいかないということに気付かせてくれた我が子に感謝。

親は自分の力の足りなさを認めることが大事であると気づかせてくれたこのチャンスに感謝。

自分発見に繋がった。つまり自分は子育てが苦手をいうことを発見できたことに感謝。

努力は人を裏切らないと、ヤワラのなんとかさんが言ってたけど、子育てに関しては絶対ある、ということを気づかせてくれて感謝。

子育てを通して自分の欠点を嫌なくらい見せつけられて謙虚になったので感謝。

同じように苦しんでいる他の親の気持ちがよくわかるようになったから感謝。

自分を育ててくれた大人に感謝できる人間になれたから感謝。

所詮誰も完全にはなれないから、自分を含めて誰にも完全を要求しないことが幸福の道であることに気づかせてくれたから感謝。

諦めが肝心って心の底から気づいたから感謝。

執着が不幸の原因であるという真実を発見したから感謝。

愛と憎しみは同時に存在するというすごい真実を理解したことを感謝。

所詮、どんなに頑張っても、ほとんどの事をまともにできない自分を認識し、現状で満足することを学んだので感謝。

 

ほら〜子育てに感謝することはたくさんあるでしょ?

 

暗闇がある方が光が輝いて見えるように、人生には暗闇と光の両方が必要なのだ。

その両方に感謝しよう。

今は暗闇しか見えないと思えても、光も必ずある。

つまり、ネガテイブな事柄にポジテイブな側面を見つけるようにしよう。

すると嫌な経験に光が照らされて、落ち込まなくなってくるもの。

ランプの光、周りが暗ければ暗いほど光が輝いて見えるもの。

今年の感謝祭休暇は、

色々気づかせてくれた我が子に感謝しながら・・・

自分の本業と、アルバムに入れ忘れた写真の整理と、薪割りの予定。

きっと達成感をしっかり味わえる日になるだろう。

 

最後にこの達成感だけど・・・

子育てに達成感ってあるのかと

くれぐれも自問しないでね。

あなたの幸せのためよ。😅

 

 

 

我が子のことをどうこう言う前に自分の生活を正す・・・つまりお片付け!

子供の犯す些細な間違いまたは失態。

些細な出来事(大泣きとか・・・😅)。

それがイライラの原因となることは多い。

特にそれが毎日のことになると・・・そりゃもう・・・爆発しちゃいますよね〜。

うんうん。わかる。わかる。😥

 

でも親がイライラするのは実は自分を取り巻く他の環境に影響されていることも多い。

例えば乱雑な家の中!

だから他人(=子供や伴侶)のことをどうこうごねる前に

まずは自分の生活を正す。

その一つに家をしっかり片付けることがあげられる。

我が家のもう一人の手かかる子供(夫)の部屋は無視に徹する!
この部屋に入ったら2秒以内にU-ターンすることにしている。

経験があると思うけど

家の中が整然としていると

家の中のエネルギーが変わるのだ。

物理的に空気が変わる。

浄化される。

 

すると気分が良くなる。

気分が高揚すると子供の些細な欠点や失敗など気にならなくなるものだ。

 

心を変えるには時間がかかる。

でも環境は変えられる。

特に家の中外。

この環境の影響は大きい。

 

人は美しい環境に身を置くと大声で怒鳴ったりなどはしない。

自分の心が穏やかだからだ。

美しい聖堂や寺院でイライラなどするだろうか?

そういう人は滅多にいないはずだ。

 

欧州の煌びやかな大聖堂のように神々しくしろとは言わないけど・・・

結局美は人間の心に多大な影響を与えるようだ。

だから家の内外、特に家の中の美化。

それから初めてみてはどうだろうか。

 

小さな子供のいる家庭

でも・・・

 

はいはい。

言われたいことはわかります。

 

子供が家の中を散らかすんでしょう?

それでイライラするんでしょ?😅

 

その場合は、

散らかさないってそもそも無理なので

予め散らかしていい場所を決めておくこと。

そしてあなたの目に入らないように何かで隠しておくこと。

つまりカーテンとか家具とか段ボールで仕切る。

 

見張ってないと危険だから隠せない?

その場合はやっぱりお片付けの習慣をつけさせること。

 

さらに、全てのおもちゃを出しておかないこと。

少しだけ出しておいて後は押し入れにしまっておくのだ。

そして隔週か隔月でしまってある他のおもちゃと交換する。

ということは遊べるおもちゃは少ないからそこまで散らからない。

量が少ないなら子供も片付けやすい。

これをお薦めする。

 

家の中を玩具屋さんにしないこと。

ということは、おもちゃをたくさん買わないこと。

必要ないから。

あれを開発した人は創造性のある人だけど、

それで遊ぶ子供はそうはならないのだ。

 

私と夫は子供たちにこのおもちゃを結構買い与えていた。

喜ぶ顔が見たくて・・・とついつい買ってあげちゃう・・・。😰

結論から行くと、ほぼお金の無駄でしたね。

 

もしも天才児を育てたいとかすごい夢がある親なら特に与えない方がいい。

反対に彼らに必要なものは・・・

生の材料。

 

つまり・・・

紙類(段ボール・新聞紙などの再利用品も含む)

のり

ホチキス

テープ

ひも類

お絵描き道具

など。

 

人形?

自分で作らせなさい!

(人形の服も!)

 

書籍は買ってもいいけど、図書館を利用した方がいい。(払った税金の恩恵を受けよう!)

子供が音楽が好きなら楽器はお薦め。

楽器を置くスペースがないなら、鑑賞だけでもいい。

音楽を聴いても空間は散らからない。

 

もし子供部屋があるなら

その空間は子供のものなので親はあまり口出ししないこと。

自分の空間だけに気をつけること。

 

とにかく家の中を片付けて、その後は美化実行。

これならできるはず。

自分のできることを最初に!

自分の空間。ここはゴミ厳禁。しかし左に汚いバケツと脱ぎっぱなしのサンダルが・・・。
さては夫の仕業か・・・😅

ドクダミママ至言

子供のことをどうにかしようとあくせくする前に

自分の生活を正すこと。

つまり家の中を片付けよう。

家を美化すると心が穏やかになり幸福感で満たされる。

穏やかな心でいると家族の少々の失態は気にならなくなるもの。

 

散らかしていい場所は決めておくこと。

おもちゃは少なくすること。

お片付けは教えること。

子供の部屋はある程度は無視すること。

自分の空間に焦点を当てること。

 

 

 

 

 

 

 

子育てが終わってから熟年離婚すべきかどうか・・・・

離婚願望

最近、自分の周りで離婚の話を聞くことが多い。

階下の住人も離婚を繰り返してる人だし・・・

 

自分も子育てが終わってから放心状態が続き

見失った自分を回復させるために現場から逃げたいと思った。

精神的だけでなく物理的に逃げたかった。

 

全てを捨てて遠くに逃げたいと思った。

家族を見捨てて遠くに離れたい。

日本が恋しくてたまらない。

やっぱり生まれた国に勝つものはないのだ。

アメリカの馬鹿でかい家や敷地なんていらない。

四畳半のアパートでこたつに入ってお茶漬け生活を満喫したい。

なんでも近場にある店。なんでも美味しい食べ物。

電車に乗って勝手にあっちこっちに出かけられる。

犯罪が少なく平和な国。

外国にいて歳をとってくればくるほど日本の良さが見えてくる。

 

それを言うと、

夫は「僕も一緒に行く!」とか言ったので、

わたしは「ついてこないで。一人になりたい」と言った。

夫は黙りこくった。(ああああ、可哀想・・・・💦)

 

確かにそうやって生きていく方法もあり得る。

ネットでも若年離婚ではなく熟年離婚がなぜか目に入る。

特に最近では自分軸で生きたいとか自分に正直に生きたいという理由で離婚する人もいる。

これは・・・よくいえば現状打破だけど、悪くいえば・・やっぱり逃げ・・・。😅

www.youtube.com

こうやっていつも

子供のために夫のためにと自分を犠牲にしてきた。

やりきれない気持ちになることも多々あった。

そろそろ自由になりたい。

正直に生きたい。

と妻たちは言うのだ。

 

でも・・・

自分に正直になって生きるってどういうことなのだろうか?

 

自分に正直になって誰かが不幸になるって私にはなかなかできない。

だから自分が不幸になるしかない・・・という古臭い考え方に縛られている。

でも、なぜか人としてやってはいけないような気がしてならないのだ。

 

わがまま

その本当の理由は夫を見捨てられないからでもある。

今まで連れ添ってきたし、たとえ「馴れ合い」でも一緒にいてあげるべきと思うのだ。

夫の健康に問題が出ていることも大きな理由の一つでもある。

それにどう考えてみても離婚は自分のわがまま以外に考えられない。

 

まずうちの旦那様は

高収入ではないけど

毎日仕事に励んでくれている。

暴言を吐くわけでもないし

暴力もない。

 

彼をいつも尊敬しているわけでもないし

好きで好きでたまらないわけでもないし

すでに結婚自体とこの結婚相手に「飽きた」なんてお互い様だし

当然性格の不一致なんてあるし(ない夫婦っているんですか???)

イラっとすることもある。

生理的に耐えられない癖もある。(耐えてます💦)

なんでこの人と結婚してしまったのか・・・と自己嫌悪に陥ること何億回!

ついでにこのアメリカという国が無性に嫌になりそのことで暗くなる日々もある。

そしてその嫌な国の市民と結婚してしまった我が浅はかさに何も言えない。

 

でも結局のところ夫をすっごく嫌いというわけではないのだ。

(自分は基本的にあまり嫌いな人はいない・・・)

 

要するに・・・なんか・・・かわいそうでできない。

私はいいけど、彼はかわいそう。

だからできない。

 

自分も伴侶も未完成人間

よくよく考えてみれば

彼にも色々あるけど、自分にも色々ある。

二人とも不完全で未完成人間。

だから彼の足りないところばかりを見ている自分がいけないということにもなる。

(でも自分の方がマシ!と多くの妻は思っている!😅)

 

立派な伴侶を望む前に自分がもっとマシになる努力。

それが欠けていると文句が出る。

だから離婚を打ち出す資格などないのだ。

おそらく夫の方が打ち出したいくらいだろうけど、我慢しているのだ。

きっとそうに違いない。

でも彼は賢明なので何も言わない。

外では立派な妻だと自慢していると聞く。(のわけないでしょ?!)

(愚妻なんてアメリカで言ったら即刻離婚になるので、嘘でも褒めるのが鉄則!😅)

 

で、彼の妻(わたし)はどうかというと滅多に外で夫を褒めたりなんてしない。😰

最低。

自分のことはさておき、伴侶の悪態をつく人は忍耐と慈愛が足らない人間である証拠。

さらに、これは最も自分軸がない生き方なのだ。なぜなら自分の幸せが他の人に左右されているからだ。

つまりある種の依存症。

 

相手にどうかなってもらえたら自分が幸せになれるという考え方ではなくて、結局自分なんだと思うのだ。

(それと同様に、アメリカの嫌なところを挙げ連ねていても問題解決にはつながらないのだ。やっぱり結局のところ自分が変わらないといけないのよね・・・😅)

 

それで、長い試行錯誤や葛藤を乗り越えたあと(子育てみたいですね?)自分が死の床に臥した時に、連れ添ってよかった・・・と初めて思えるのもしれない。

結婚とは多分そういうものなのだ。

結婚する理由は恋。でも継続させるには「深い慈愛」と「根気」が必須なのだと思う

 

結論

最も大切なことは、結婚を通して自分の人格を成長させることで、

結婚の目的は家族を持つこと以外に、理解と慈愛のある人間になるための訓練場なのだと思う。

火の打ちどころのないほど素敵で人格的にも申し分ない人を愛するなんて誰でもできる。

でも問題あり人間を愛し続ける(というか受け入れる)ことくらい大変なことはない。

だからそれができるまで頑張り続けるのが人生の目的なのかもしれない。

 

そのためには

結局現在の立ち位置でいかにして幸せになるか、その方法を見つけるのが課題ではないだろうか。

家庭菜園で収穫した熟プチトマト。こうなってからは一緒にいた方がいい。
ともに寄り添いあって支え合うのが夫婦。豊かな時だけでなく収穫の少ない貧しい時こそ。

ドクダミママ至言

離婚が必須の時もある。

でもしなくて済むならしない方がいい。

もし伴侶が嫌いなら、好きになれるようにどうしたらいいかその方法を見つける方が離婚より簡単。

不完全な人を愛せる人が慈愛の人。

この慈愛の能力を高めるのが人生の本当の目的。

所詮、人は一人で生きてはいけない。

特に老後。😅

 

何も教えなくていいって許されるわけないでしょ〜!?(階下の住人あるある)

この葉っぱの移動が今日の課題じゃあああああ!

今日は5時間もかけて裏庭の枯れ葉を片付けた。

その間雪も降ってきて・・・それでもなお続けるこの執念!

母はたくましいのだ。

そもそも母業に比べれば肉体労働なんてなんのその!

それに、悪いけど、うちの裏庭の葉っぱは我が子に比べればよっぽど聞き分けがいい!

動きたくない!とかわがままも言わない!

(重たいけど・・・・😅)

 

で、片付けながら

あちこちにゴミが見つかった。

これって・・・誰が出したゴミなのだろうか・・・?

絶対に夫と私が出したゴミではない。

 

犯人は階下の借主の子供たちに違いない。

どうして庭にポイするのか・・・・。😰

ゴミを入れる大きな缶が外にも置いてあるでしょうが!

ついでにボールとかさまざまなオモチャもその辺に転がっていた。

 

空き缶とかプラスチックのゴミの数々。

最後の極め付け!

タンポンのケースも4つも落ちていた!

 

それって流れゴミかもって?

それは絶対ない!(隣の家々はかけ離れた場所に立っているんだからね・・)

おまけにそれらは見えなさそうな場所に潜んでいたのだ。

わざわざ!

 

それを大家が片付ける・・・?

なんでわたしが彼らのゴミを拾わないといけないわけ!?

 

どんなにひどくても

我が家にこういう子供はいなかったよ!

 

我が家は遊んだら片付けるは鉄則なのだ。

片付けない場合は取り上げていた。

だって大切じゃあないからその辺に置いたままにしておくのでしょう?

だったらゴミということだ。

鬼の母の監視下、我が子は皆こういった類の片付けはちゃんとやった。

(自分の部屋は別だけど・・・😅)

 

自慢じゃあないけど、うちの子供たちでもできた!(うちの長男はADDだけど・・)

だったら、オタクの子供もこのくらいのことできるでしょ????

 

まさか、できないとか?

ちょっと!

しっかり自分の子供の教育をしてください!!

ゴミをあちこちに捨てるな!と教育しろ!

使った後は全て元に戻すように!と教育しろ!

8歳はともかく、12歳の娘ができないとは思えない。

 

以前にこの長女に、片付けのことについて話をしたことがある。

するとこう返してきた。

「アタシ、ADHDだから」😲

 

だからなんだってゆーの!

それは言い訳だよ。

大体ね〜薬を取ってるんでしょ?

ということは効いてないじゃあん!

 

しかし薬は片付けの方法を教えてはくれない。

結局薬だけに頼っていたって弱点は直らないのだ。

 

母親は何も教えないのだろうか。

アパートの中もめちゃくちゃだから、やっぱり教えられていないのだ。

そもそも洗濯物は絶対に畳まない。ハンガーにでさえかけない。

子供もベッドメーキンなんてしない。

10月に6ヶ月に一度のチェックを入れたらカーペットがシミだらけだった。

タイルのフロアはブラシでこするようにと言っておいたのに、何もしていない。

掃除の仕方がわからない、という答えだった。😅

この子供にしてこの親か・・・・。ため息・・・。😓

 

そして週末になるたびに、この母親は子供たちを親戚の元に追いやる。

理由は、彼氏が来るから。

より詳しくいうなら

彼氏が泊まりに来るから。😵

もしかして父親のところに行くのかと思ったがそうではないようだ。

父親は仕事の関係でほとんど家にいないのだ。帰ってくるのは月一とか・・・。

 

彼女はバツ2の女性。

毎回問題ありそうな男性と結婚した。

最初の結婚で2人の子供を産み。

二度目の結婚でさらに2人の子供を産んだ。

今回は三度目の候補者。

でも見るからに、問題ありそうな男性。

前夫と同じタイプ。😓

なんでそんなに結婚したいわけ?

それもこういったタイプ。

理解に苦しむ・・・。😓

 

この候補者だけど、きちんとした仕事がない人。

技能も教育も何もなさそうな雰囲気。

しゃべっているその英語でそれがわかる・・・。

うつむき加減で自信なさそう。

挨拶もできない。(何歳なんじゃ〜〜い〜〜〜!?)

 

なんでもっとまともな男性を見つけられないの〜〜〜〜!?

これなら次もし再婚してもどうせまた離婚でしょ。

 

これだけでも目が点になるんだけど、

他にもすごい話がある!

 

彼女の最初の結婚でできた娘は実は18歳で妊娠した。

相手は自分の祖父のような年齢の男性。

今彼女は23歳で子供が1人、そしてその夫は・・・なんと56歳!

 

いや・・・💦・・・でも大金持ちならいいかもよ〜。😅

昔はそういうケースも結構あったしね〜。

 

でも残念なことに大金持ちじゃあない。

問題ありそうなオーラが充満している感じの人。

 

そういえば子供たちの祖母がここに来たことがあるけど・・・やっぱり!と思わせるようなオーラが漂っていた。

もしかしてこれがこの一族の伝統なのか・・・遺伝子なのか・・・😰

 

それなら彼女の下の二人の子供たちもこれと同じ道を歩む確率が高い。

だからわたしが子供たちにもっといろいろしてあげてもいいかとも思うけど・・・

なんか先が見えているし、そもそも大人に反抗する子供の面倒などみる気にもならない。

今からこんなに反抗しているならこの先はどうなっちゃうわけ?

だからあまりかまわないようにしている。

 

もしかしてこの母親も・・・「どうせ・・・」という気持ちから何も教えていないのかもしれない。でも・・・自分の彼氏とずっと一緒にいるために毎週末親戚のところに追いやるのはどうかと思う。

 

子育てに手抜きををしてもいいとは言ったけど・・・これは正当化できるのだろうか?

やっぱり教えることは教えるべき(よね?)。

それに子供より自分の恋を優先っていうのも・・・どうかと思う。

もしかして彼女は男性がいないと生きていけないのだろうか・・・。

とても悪い模範に見えて仕方がない・・・。

 

子育ては複雑で、正しい方式を見つけようとするのは至難の技だ。

だから真剣にならずに、必死にならずに、対応。

でも必要なことは一応教えてあげるべき。

つまり口で伝えるだけでは不十分で、トレーニングしないといけないのだ。

もし何も教えられていなければ、結局本人たちが大人になってできないことばかりで苦労するからだ。

 

それがわかっているから親は色々言うけど・・・結局それも反抗心の塊の子供なら、なすすべがないとも言える。

あとは子供次第。

 

まずは、親も模範を見せれるように自分を成長させることが大切であると思う。

 

ドクダミママ至言

いくら自由にと言っても、基本的なことは教えてあげるべき(怒らずに)。

それが親の役割。

それを聞かなかった子供は後々痛い目に遭う。

それはそれで子供の責任。

もっとも大切なことは子供がどうのと言う前に親。

親の成長。(この成長に遊びは入ってません・・・あしからず。😅)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パズルのピースの型は変えられない

親の理想。

自分の属している社会の期待。

世間の目。

親戚や同世代からのプレッシャー

 

それらは親をビビらせる原因となる。

だから我が子が村八分にならないように親は必死になる。

 

でも親の理想や社会の定例や慣習や常識を優先させると

我が子が犠牲になることも往々にしてある。

 

つまり、これはパズルと同じ原理だ。

三角形のパズルのピースを無理やり四角の穴にねじり込もうとすること。

それは果たして可能だろうか。

画像元(https://illinoisearlylearning.org/blogs/growing/puzzle-play/

人もこのパズルのピースのようだ。

穴・枠は社会や親の期待とか常識とか。

ピースは子供(親でもある)。

無理やり形の異なる穴に入るためには自分の形をどうにかして変えないといけない。

でも上手に変えられない人もいる。

上のパズルのように硬い材質(つまり頑固!)ならほぼ無理。

それならノコギリで切りますか?

水にでも浸けてシナシナにさせて形を変えますか?

 

結局、自分をめちゃくちゃにしてボロボロにして形を変えるしかないのだ。

 

それは魂がボロボロになる生き方なのだ。

 

どうせ大人になったらどうしても型にはめないといけない時も出てくる。

せめて子供の時くらい子供らしく生きてもいいのじゃあないのだろうか。

 

一番大切なことは

子供自身が’自分でいられる’

正直に生きられる場所を用意してあげることかもしれない。

それが生まれ持った子供の「型」を尊重にしてあげること。

それが本当の愛情のような気がする。

 

やっぱり、どう考えてみてこうでなくてはいけない、というような考えは親子相互が苦しむ生き方なのだ。

無意味な苦しみになんの意味があるのだろうか。

こういう窮屈な考え方はやめないといけない気がする。

 

それでも自分らしく自分に正直に生きる・・・って

世間の目を気にしやすい団体行動主流の日本人にとっては難しいかもしれない。

だから子供にもさせてあげれなかったりする。

 

それならやっぱり親の意識改革が問題の鍵を握っている気がする。

型にはめないことが親子双方の心を軽くしてくれる唯一の解決策ではないだろうか。

 

わたしもそうしてあげたかった。

そうしてあげようとすごく努力もしたけど・・・

やりながら、かなりの迷いもあり、

行ったり来たりも多く、

子供たちを混乱させた気がする。(反省😓)

 

息子たちには心配から色々口出しをしていた。

反省するばかりだ。

 

特に元次男には、本当に子育てに失敗したと思う。

だから彼が親を恨みに思う気持ちもわからないでもない。
繊細で学力や思考能力が遅れているけど自立心が旺盛な子供の扱い方は非常に難しかった。

再度子育てをする機会があったら、今度はちゃんとやってあげれそうな気もする。

でも・・・やっぱり・・・失敗の確率の方が高いかもしれない。

所詮、私の性格もあるし、何をやっても、ダメかもしれない。

 

今子供たちが成人して、ちょっと(かなり😅)遅いけど、

もう彼らの型を変えようとはしていない。

親が彼らを変えようとすることは不可能だからだ。

 

自分がピッタリはまるパズルの穴がここになければ、探しにいけばいい。

すぐ隣にあるかもしれない。

そこで幸せになればいいのだ。

 

自分のエゴもプライドも全て捨てて、まっさらになって、どんなに頑張ってもできないことがあることを認める、って幸福に生きていくためには必須である気がする。

 

ドクダミママ至言

子供が自分でいられる居場所がないと子供の精神は曲がってしまう。

型にはめようとすることが問題。

親は、エゴもプライドも捨ててそれでいいと言える勇気が必要。

開拓者精神が重要。

子供がわれ我が道をゆくことを許してあげよう。

 

 

 

 

成人及び思春期の子供と仲良くやっていくための喋り方注意点

ガタイの大きくなった子供の扱い方は結構難しい

と感じておられる親御さんは多いのではないだろうか?

 

その解決策として、つまり相性の悪い家族と仲良くやっていくためには

絶縁にしないためにはどうしたらいいのだろうか?

 

答えはコミュニケーションの改善!

それでもって今日から実践できる具体策は・・・・これ!

 

1。提案禁止

一番はこれ!

特に成人した子供には提案などをあげることを避けること。

(言ったって嫌がられるし、そもそも従わないんだから無駄な努力よ〜)

😭

とは分かっていても、親にとっては子供はいつまで経っても子供だから、

言いたくなるのは当たり前。

でもそこをグッと堪えて黙る。

これしかない。😅

 

提案は、やればやるほど確実に嫌われるよ〜〜〜〜〜。(経験あり!)

 

何事が起きても

「そう?よかったわね〜。」

「あら〜まあ〜」

「残念ね〜!」

と、これらをおうむのように繰り返す。

それで、その次に「どうするの?」

これだけ。

 

私の日本の育ての母はすごい。

一切合切自分の意見を言うことを控えている。

でもそれだとストレスの元になるので本音は自分の女友達にだけばらす。😅

 

2。呼び方の変更

日本の母は他にもすごいことを実践している。

それは・・・自分の息子たちを「さん」呼びし、プラス敬語と謙譲語を繰り返す。

(いくら我が子でもね、息子二人とも中年の社長なんだから、「ちゃん」とかおかしいでしょ?)

しっかり線を引いている。

これもおすすめです。

 

実は私も我が子に対してこれを実践している。

前は子供の時のように「ちゃん付け」だった。

でも今は、長男は「君付け」だけど、「さん付け」にちょっとづつ変えている。

娘に対してはすでに「さん付け」

三男だけが今も「ちゃん付け」(本人がそう呼んでほしいと言うから・・😅)

確かに今は「ちゃん付け」だけど、本人に気づかれないように少しずつ「君」に変えていこうとしている。いずれは「さん」に完全に移行する予定だ。

 

元次男は「さん付け」にしたらすごい嫌がられた。

冷たくて愛情を感じないからだそうだ。

彼は私の丁寧でよそ向きの言葉遣いを嫌がっている。

いや、こっちは子供の人生を邪魔しないようにと、ものすごく努力しているのだ。

その一つに呼び方を変えるのがあるし敬語活用がある。

彼は子供扱いされたくないけど、子供の時のように、愛情を示してほしいと願っているのはわかる。

しかし、それは難しい。

なぜなら彼はガタイも態度もヒジョウーにデカイ大人なのだから。😅

 

一番いけないのが呼び捨て!

もっとも欧米は呼び捨てが普通だけど・・・我が家は異なる。

「さん」をつけないときは、「Dear, darling, my love」などと呼ぶ。

白々しくてとても言えないと思うこともあるけど・・・嫌味で言う。

思ってもいなくとも言う。😅

 

実際、「さん付け」や丁寧な呼び方はとても効き目がある。

なぜなら会話ムードをガラッと変えられるからだ。

そして呼び方を変えた次に自然に来るのは「敬語」!

 

3。敬語に徹する

米国にお住まいの方は普通のアメリカ人のようにしゃべらないことをお勧めする。

米国の英語はカジュアルで、市民はあまり尊敬語も話さない。それで子供でも対等な話し方をしてくることが親をむかっとさせる理由にもなる。子供の言葉遣いが売り言葉になり、買い言葉として同じような調子でガンガンに返す。だから喧嘩に発展しやすい。

その対処として敬語を使う。

三男は日本語は流暢ではないので、日本語で話すときは「正しい日本語」みたいな教科書日本語で話しかけている。😅 これは絶対に喧嘩に発展しない話し方。

元次男は日本語はほぼ忘れたから会話は英語。でもこれが言い合いの原因になっていた。英語はストレートですごいシビアなことも軽々しく言えちゃう言語のため互いに言いたい放題で嫌な気分にさせることが簡単なのだ。だから言葉遣いにすごーく気をつけるようになった。

 

成人した子供たち全員に、つまりこういう言い回しをよく使うようになった。

 

Perhaps...(おそらく・・・)

I am very pleased to... (とても喜ばしいことですね)

It's so lovely, fabulous, remarkable, etc. (素晴らしいですね)

Although you may be offended, would you mind if I offer a comment or two? (迷惑かもしれませんが、少しコメントしてもよろしいでしょうか?)

この最後は、本人は一応承諾しているので文句は言わせないことができる。

(コメント受けたわまるって言ったでしょ?)

 

英語でお願いするときは

必ず、would you mind.......(・・・していただけますか?)

Could you please... (お願いですからこれをやっていただけますか?)

I am sorry to interrupt you.....but.....(お邪魔だと思いますがちょっとよろしいですか?)

といった長ったらしい前置きを言って遠慮がちにお願いする。

 

つまりね・・・親しい家族と思わないことです。😅

 

敬語だと親も自制できる。

感情に任せて言いたい放題の可能性も低くなる。

 

4。命令調を止める

絶対ダメな言葉遣いは、命令調。

「座れ」『座りなさい!」

「言うことをきけ」「黙って聞かんかい!」

「いい加減にしろ」「いい加減にせんかい!」などなど。

 

つまり威圧的な「上から目線」をやめないと嫌われるのだ。

相手は大人なんだから。

(思春期も同じかな・・・😅)

たとえどんなに我が子がどうしようもない人間だと思っても、

子供にも一人の人間としての尊厳がある。

それを尊重してあげることも大切。

 

5。音量を下げる

母親は、自分の不安から音量を上げることが多くある。

そしてその怒っている「不安で一杯の自分の声」を聞いてますます不安になるのだ。

するとますます音量が上がる。

ヒステリックになったりもある。

泣いたりもする。

これが子供をイラつかせる。

喧嘩に発展する。

だから音量は下げる。

 

6。口を大きく開けてしゃべらない

音量を下げるために一番簡単にできることは口を大きく開けないことだ。

口をちょっとだけ開けるなら音量も抑制できる。

やってみて〜!

 

結論

自分を見失わないようにするには、このくらいしないとダメな親はたくさんいる。

心を変えるのは結構大変だし時間がかかる。

だから外側の態度から始めることもありだと思う。

まずは言葉遣い。

 

効き目?

保証できます!

淑やかな京美人。(https://www.kyoto.yumeyakata.com/%E4%BA%AC%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%AC%8E/

つまり母はお淑やかになればいいのだ。

京都弁で話せばいい。

「東男に京女」と昔から言われるように・・・京都弁はお淑やか。

「おはようさんどす〜」とかメチャ素敵〜!

憧れ〜〜〜〜!

麗しい〜〜〜!

 

この話し方・・・してみたい・・・でも自分は東女・・・無理よね〜〜〜。😅

それでもって常に茶の湯の心持ちで子育てにも対応したら喧嘩なんてまず起きないはず。

 

ドクダミママ至言

ガタイが親並みになった子供と成人した子供に対する言葉遣いの注意点。

1。提案禁止

2。呼び方の変更

3。敬語に徹する

4。命令調を止める

5。音量を下げる

6。口を大きく開かない

 

 

 

 

 

 

 

 

母親に向かない人の子育て術(30年前に読みたかった本!)

ドイツ在住でジャーナリストの川口マーン惠美さんの書かれた本がある。

川口氏は元々は音楽家で後にジャーナリストとして転身された方だ。

www.amazon.co.jp

これは具体的な子育て教則本ではなくドイツでの著者の子育て体験記をエッセイ風にまとめたものだ。

一口に言えば軽く読みやすい内容。

で、何が本書のユニークな点かというと

世の中には誰でも子育ては努力でどうにかなり、その努力で子供も立派になるというような風潮がある中で、この本は「子育てには向き不向きがある」という前提を踏まえて書かれているということ。(悩める母の味方!)

 

まあ、もっと深いものを期待している人にはイマイチ物足りないものがあるかもしれないが、ここに少し、あそこに少しと座右の銘になるような語録が登場していて、真面目すぎる母親には救いの言葉になりそうだ。

例えばこんなのがある。

 

’いい子’だから’幸せな子’というわけではない。

’聞き分けのいい子’とか’勉強ができる子’が’幸せな子’というわけではない。

’いい子’か’いい子でない’かは親の主観。

’幸せ’と感じているかいないかは子供の主観。

’子供の幸せ’と信じられているものは、’親の満足’であることが多い。

子供の自然の姿を変形すればするほど、子供は幸せから遠ざかる。

親がすべきことは子供が幸せだと感じられる子供時代を与えてやること。

子育ては母親は一番楽なようにやるべき。

我慢してやったからといって別段子供のためになっているわけでもない。

要は自分に無駄な負担を強いないこと。

親子という近くてそして対立する関係にある人との関係(は微妙・・・)

母親は偉大な脇役。

教育は洗脳と紙一重。

他人の評価は関係ない。

(世間、一般常識、親戚家族、学校、近所、ママ友・・・・全部無視すべし!)

親だからこそ’いい子’ではなく、’幸せな子’になるように見守ることができる。

報われない努力はやめよう。

 

これだけでも、読みたくなるような本であることしかり。

 

この中で個人的に自分がハッとさせられた語録はこれ。

母親は偉大な脇役。

まさに当たっている。😰

それでもって、この脇役を自然に笑顔でできる人が理想的な母なんだと思う。

 

で、自分はどうだったかというと、子供の幸せを考えて色々やったつもりだったけど、自己満足が目立つことも多かった。

当然やりすぎた面も多く、同時に足りなかった面も目立ち、結局子育て終了後の自分の結論はこれとしか言えない。

 

つまり・・・

 

子育ては頑張っても頑張っても完璧にはできない。

それでそこまで頑張っても子供は親の思う通りになど絶対にならない。(保証する😅)

結局親の子供への望みはただの「親のエゴとプライド」。

「こうあって欲しい」というのは本当は親の幸せのため。

子供の幸せとは親の知らないところで起きていることが多い。

子供に尽くしすぎると執着がひどく子離れできない。

執着がひどいと子供を自由にさせてあげれない。

すると子供から避けられる。

だからやらない方がいい。

放任主義賛成。

親子両者にとってベスト。

 

要するに川口マーンさんと同意見ということだ。

 

こういう本に30年前に出会っていたかった・・・。

いや、始めるに遅いってことはないはず。😅

 

ドクダミママ至言

母親に向かない人はそれに向く子育てをすべき。

女性に課せられた理想像は聖母像であり、これはプレッシャーが生半可ではない。

もちろんできる人はそれでいい。

でも無理な人もいる。

無理でもいい。

開き直るべし。

向かないなら向かないなりの子育て方式があっていいはず。

それが許されるなら、少子化問題なんて発生しないはず。

理想を語る人は多い。

でも理想は理想。

現実は現実。

現実に対応しおう!

 

 

 

 

 

 

 

卒親間近・卒親後に母親が自分のやりたいことを見つけるには

やりたいことはぼーっと自然を眺めること・・・なんて言いたいけど無理な相談。
落ち着かないゆっくりできない性分ですので・・・😅


子育ても終盤まじかとか、子供に手がかからなくなってくると少し余裕ができる。

そうすると自分に心が向くようになる。

さあ、これからは、自分のやりたいことをやろう!と意気込む母も多くいる。

 

でも、その’やりたいこと’がなかなか見つからない人がいる。

それもそのはず、今まで子供中心で生きてきたのだから

いきなり見つけるとか無理があったりする。😅

 

そして自分の人生の使命とは何かとか真剣に考え出したりする。

自分は社会を変えるような原動力となる人間になりたい・・・とか思ったりして・・・。

 

でもこれはかなりのプレッシャーだとは思わないだろうか。

実はそんなすごいことを考えなくてもいいと思う。

 

もっと軽い気持ちで

わたしは事務と翻訳の仕事をしていたけど・・・それは生きがいでもなく、特に楽しいわけでもなかった。なんとなく慣れたけど、元々こういう仕事に適正が不足しているのだと思う。頭脳もイマイチだし・・・。努力しても無理。得意な人はちょっとの努力で結果を出せるけど、苦手だから人の百倍努力しても結果が出ない・・・。これって意味なし・・・😰。

だから今はそこからかなり足を洗いアート(イラスト風油絵)に焦点を置いている。

 

でもアートが生き甲斐とか聞かれるとそれはどうだか・・・。

生き甲斐とか

人生の目的とか

使命とか・・・

そういうことは考えていない。

そもそもそういうことを考えていくと、煮詰まってしまう感じがする。

 

絵を描いて社会貢献とかそういうことも考えていない。

今私が絵を描いているのは、それを見てみんなが幸せになってほしいとかそういうのはないのだ。ただ楽しくて描いてる。

もし作品を観た人が好いてくれるならそれはそれで嬉しい。

買ってくれるなら(そうです。商品化して売ってます😅)もっと嬉しいけど・・。😅

ただそれだけのことよ。

 

みなさんも

そんな軽い気持ちで物事に当たった方がいい感じがする。

 

特に何かのコースに登録したりもしなくていいと思う。

今の生活の中で何か興味のあることを拡張すればいいだけなのだ。

(でも、ネットで調査をやりすぎると、これも迷いと煮詰まりの原因となりやすい・・😅)

 

身近なものでいい

家事だって立派な活動。

お片付けだって

料理だって

掃除だって

なんだっていい。

なんでも徹底してやるとそこには深いものがあることはわかるだろう。

なんでも成長の糧となる。

全ての意義ある活動には哲学が潜んでいるのだ。

 

だから遠くに探しに行かなくてもやれることを追求したらどうだろうか。

今やっていることを楽しんでやることでいいのだ。

 

特に深く考えずに

自分が楽しいと感じれることで今すぐ取り掛かれることをすればいい。

 

人生の使命とか目的とか・・・

もう〜考えるのやめ〜〜〜〜!

 

本当の人生の目的

もし人生の目的が本当にあるなら(あります)

それは・・・

自分に与えられた(イマイチ不具合の多い)この環境で

このわずかな才能や能力で

感謝の気持ちで生きていくことだと思う。

 

それができる人こそが幸福な人であると感じている

(・・・ほとんどの人はなかなかできないのです。😅)

 

キリスト教的な概念だと、この世はただのお勉強会で、

別に大金持ちになったり有名になることが目的でもない。

なんのためのお勉強会かというと、それは自分の人格を改善し、神様に近づく努力をすることが人生の目的なのだ。

 

それで当然、そんな大それた目標だと無理が多いので落ち込む。😓

落ち込みながら、一喜一憂しながら、ダルマのように転んだり立ち上がったりと苦戦しながら生きていくのが人生。

そしてこの世を去った後に、それを神様にご報告するのだ。

色々大変だったけど、自分なりに頑張りました、とご報告。

(あくまで自分なりの頑張り😅)

 

親になることは使命

もし使命が知りたいなら、私たちはすでに自分の使命を生きているはず。

例えば子育て。

でも私たちが言いたいことは、「これは使命ではない!」ということだろう。

絶対これじゃあない!もっと、素晴らしくて、華々しいものに違いない!と思っている。😅

 

そもそも・・・

いくら続けても失敗続きでプロレベルに決してなれないものに生きがいを感じるって

無理があるよね〜〜〜!?😅

 

さらに子育ては目立たないし、あまり感謝もされない。

失敗が大きいと世間からもコテンパンに叩かれる!

とても使命とは思えないし思いたくもない!と感じられて当然だ。

それでも・・・やっぱり・・・子育ても女性の使命のうちだと気がしてならない。

 

人助けが使命

これは素晴らしいことでこれこそ究極的な使命だと誰もが思うことだろう。

だから子育ても使命なのだ。

ただあまり感謝されないけど・・・。

 

この人助けを他人にするととても感謝されるし

認めてもらえる。

心が温かい気持ちで満たされるのがうってつけだ。

確かに心からの人助けは一番の幸福につながる道であると思う。

 

だから人助けになる何かをしたい!と思うのももっともなこと。

とても立派な姿勢だと思う。

 

でも・・・その前にどうにかしないといけないことがある。

それは自分自身の幸せ。

人をどうのという前に自分自身が充実しないとね。

まずは自分が幸せにならなければ本当の意味で他の人を幸せにはできないと思う。

 

自分を大切にすることも重要

まず言いたい!

自分を大切にすることはわがままではないのだ。

(でも母親は我慢の人生を生きるのが運命で、自分はいつでも一番最後が常・・・😰)

 

自分を大切にするということは、我が身をいたわること。

我が身をいたわるということは

自分が幸せだと思うことをすることでもある。

(好き放題に何でもかんでもOKということではないけど)

 

自分の魂と細胞が喜ぶことをすること。

それは罪悪ではない。

 

神様はこう言われた。

「自分を愛するように他の人を愛しなさい」と。

 

これは、つまり自分をなおざりにしていいということはないのだ。

そもそも自分を愛していない人が本当の意味で他の人を愛せるか?ってことよ?

 

家族の例でいくと、

’自分だけが我慢していれば家族が幸せ’というのはまずあり得ない。

親が不幸で、子供たちも不幸な顔をして、みんな我慢しているだけなら、

家族全員が不幸な気持ちでいることになる。

これでいいってことないでしょ?

 

だから母も幸せになるべきなのだ。

そのためにも、今できることで自分の魂が喜ぶことをやってみよう。

 

ドクダミママ至言

子供に手がかからなくなってきたら自分の幸せに焦点を移そう。

使命とか目的とかそういう立派なことを考えなくてもいい。

自分の魂が喜ぶことをすればいい。(健康に悪いことはだめだけど)

身近なことですぐに始められることに取り掛かってみよう。

それを続けていくと自分が本当にしたいことが見えてくる。

 

 

 

 

 

成功するかどうかは結局これにかかっている

(わが家の前の道)大人になると歩む道は敷かれていない。道は自分で見つけないといけない。
見つけたら勇気を振り絞って歩んでいかないといけない。
問題はどのくらいその道を歩みたいかということ。

同じ教育を受けても

いい環境で育っても

成功する人としない人がいるのは何の違いなのだろうか。

 

生まれつきの才能の違いなのだろうか?

知能指数の違いなのだろうか?

どのくらい勇気があるかなのだろうか?

 

多くの著名人によると

実はこれが一番大切らしい。

 

それは・・・

 

どのくらいハングリー精神があるかどうか!

 

これだ!!!!

 

人は、絶対やりたかったらたとえどんなに怖くてもやるだろう。

立ちはだかる壁などものともしないだろう。

でも取り掛かりもしないとか、すぐ諦める人は、そこまでのやる気がないからなのだ。

つまりその人にとってそこまで重要ではないということ。

 

石橋を叩いても叩いても渡らないとか、途中で引き返す人とか・・・。😅

よくあるケースよね〜〜〜。😅

 

我が家の娘は周りから「類まれな才能と知性の持ち主」と言われ育った。

チヤホヤされて育った。

当然親の期待も大きく、我が家のたった一人のスターとか言ってた。(親バカ・・・😅)

素直な娘は親の勧めを聞きながらスムーズな人生を送った。

学校も先生方の言うことに従順に従い、課題はそつなくこなし・・・順風満帆人生だった。

反抗という言葉とは無縁の娘だった。

そしてパブリックアイビーリーグと言われる大学をトップで卒業した。

ここまではよし。

線路のレールの上を歩いてきただけなのだから。

 

しかし問題はその後。😰

 

社会人になると線路のレールが消えるのだ。

そのレールは自分で敷いていかないといけない。

それができない人は成功できない。😅

 

自分の中に燃えるようなものがない人はレールは敷けない。

よって結局伸びないのだ。

 

娘は大学を卒業した途端、親の今までのアドバイスは全て却下し無視に徹することにした。

大人宣言!自立宣言をしたのだ。

ところが今まで素直に真面目にしか生きたことしかなかったら、そんな簡単に暴走もできない。そもそもする勇気もない。😅

 

でも高い学費を出してくれた親に申し訳ないから成功しないといけないような気持ちも消えない。

(そういう女性はさっさと医者の卵でも捕まえて結婚しろと伝えたけど、それも却下された!それじゃあ一体全体何がしたいねん!!!?娘の大学には将来有望な男性がたくさんいたのに・・・😓)

 

暴走もできないけど、成功もできない娘は宙ぶらりん状態にいる。

その状態がなんとなく嫌でもあるから、その気持ちから逃げるために、彼女の精神を鼓舞してくれるでもないレベルの低い友達とつるみ人生を謳歌している(親に言わせると、無駄な時間を過ごしている!)

 

結局、娘にはそこまでのガッツもハングリー精神もないということが最近わかった。

それがなければ大きな成功は無理なのだ。

娘は暮らしを回していければそれで満足のようだ。(もしかして末っ子って皆これ?)

 

三男

我が家の三男は難聴だったため言語の発達が大幅に遅れ、そのため学業にも支障が出た。

知能検査では、言語を介しない知能が高いと出ていた。

でも結局なんでも言語でしょ?(だからバインリンガルなんて無理😰)

 

だが勉強はダメでもスポーツがとっても得意だったから、男子から人気があった。

おまけに長身で顔も割とハンサムだったので女子からも人気があった。

さらに明朗活発な性格もあり、自尊心に傷がついているようには外側には見えなかった。

 

でもやっぱり勉強は苦手。

そのことで彼はとっても苦しんだ。

今でもそのトラウマが多少なりとも残っているようだ。

 

現在は彼は保険会社でフルで働くと同時にボストン大学の大学院にフルで通っている。

(学費は大学院からの返却無用の奨学金と軍隊と自腹で賄い親は援助していない)

専攻はビジネスデータ解析で焦点は投資解析。

成績もすこぶる良くて実際本人も驚いている。

その昔勉強で苦しんだので今も時々不安になるようだけれど、

自分の存在をこれに賭けて

物凄い馬力とハングリー精神で上にのしあがろうとしている。

 

結局「悔しい」というような気持ちがないと、ここまで頑張れないのかもしれない。

甘ったるい環境で育ったお坊ちゃまで生まれつき秀才なら別にそこまで頑張らなくとも、人生はなんとなく順風満帆に進んでいくケースが多いのだろう。

でも彼は下に落とされるばかりで悔しい思いを余儀なくしたから、ハングリー精神が旺盛なのだ。

 

しかし、学校のことに限っては、この息子は親の勧めを(半分嫌々ながらだけど)聞くから不思議だ。

彼はコロナ就職氷河期の大学卒業で仕事は全く見つからず落ち込んでいた。

それで、とにかくなんでもいいから前進するようにと、親が進学を勧めたのだ。

そして申請する大学院のリストにボストンを入れることを勧めると、彼は怖くなって尻込みをした。(ちなみにボストン大学はハーバード大学などと肩を並べるレベルではありません)

だけど結果的に合格してしまった。

 

入ったのはいいけど恐怖感はなかなか抜けなかった。(過去のトラウマのせいで)

それで親はさらにこう言った。

「ダメもとでいいからチャレンジした方がいい。やらないで逃げると後で後悔するよ。」

息子は親の言っていたことをよくよく考えてみて、やってみることにした。

 

そして最初の学期が始まった。

親の予測は当たった。

 

アメリカの大学院は通常各々のコースで最低Bを取らないと退学処分となるのだ。

だから彼はそれも恐れていた。

(学士でも成績は比較的よかったけど、大学院だからもっと難しいと思っていたらしい)

自分の同期は一流大卒で一流企業勤務や弁護士などとわかり彼はさらに青くなった。😰

 

でももう怖くなくなったようだ。

同時に自尊心も上がったようだ。

そしてさらに上を目指すように頑張っている。

彼は恐れを克服するためには行動しかないと理解した。

 

結局ハングリー精神が成功の鍵なのかもしれない。

(この先はまだわかりませんが・・・)

 

ドクダミママ至言

ハングリー精神が欠けていると結局成功できない。

そもそも自分の存在をかけてまでやりたいことがあるかっていうことも条件の一つ。

悔しい思いもハングリー精神を養う要素になる。

悔しい思いをプラスに変えることができるなら。

ということは弱点や逆境もいいことでもある。

しかしそれに負けて諦める人もいる。

だとしてもそれもその人の人生。

 

つまりハングリー精神を養うことにおいては

結局本人次第で

親はあまり出る幕がない。

さらに親が色々手を貸しすぎるとハングリー精神が欠ける確率が上がるようだ。

(うちの娘😅)

 

 

 

 

 

 

再び感情が蒸し返すなんて・・・

今日、娘が家に寄った。

家に呼んだのは他でもない夫。

健康保険に関する書類を渡さないといけないからだ。

 

本人は何時に来るとも言わずに、いきなり現れた。

そして

ある案件について話し出してから娘は立ち上がった。

それは説教ではなくて、すごい発見があったからそれをシェアしたまでだと伝えた。

でも娘にとってはやっぱり説教としか取れなかったのだろうか。

 

娘に何か聞くと、詮索を入れられていると本人は感じるらしい。

プライバシーの侵害とか・・・。😅

それなら、本人の近況については聞けない。

外見を褒めても、嫌な顔をされる。

じゃあ他の人のことを話すか。

それはゴシップとなり醜いからやりたくない。

それなら親は親のことについて話すしかない。

最近読んだ本の内容とかね。

私が始めたビジネスのことも、全く興味がなさそうだった。

ただ「随分決断が早いですね?」とか言ってた。😅

 

当然。

 

私は自分の貴重な時間を子育てに費やしてきたため、残された時間があまりないのだ。

あの世からお迎えが来るまでの間にやりたいことは全て達成しなくては死にきれない。

本当に子供のことばかり考えてお婆さんになっていくなんでごめん被りたい。

 

何を言っても結局説教に聞こえるのだろう。

親が何を言っても不快であるに違いない。

だから立ち上がったのはもう実家にはいたくないという暗号であると納得した。

もちろん本人がそれを顔に表すことはなかった。

ということはこれでも前よりはマシになったということだ。

 

娘が家を出る前に、父親からの連絡は緊急案件が多いので必ず確認を入れるように、

でも母親からの連絡は無視して構わない、と本人に伝えた。(だって、迷惑そうなんだもの〜〜〜😓)それから母親からはもう連絡を入れないとも伝えた。

 

感想。

 

やっぱり会うんじゃあなかった〜〜〜〜!😰

今度こういう機会があったら

その時間だけ外に出ることにしよう。

 

会って、自分の感情がくすぶってくるのを感じた。

子離れしようとしているのに、会ったり会わなかったりと、その度に自分の心が揺れる。

 

もう本当に本当に本当に本当に会わない方がいいと思う。

会わなければ互いに嫌な思いをすることもない。

話なんてしない方がいい。

 

思うに

卒親はできても

子離れはやっぱり難しい。

会わなければ心はだんだんと離れていく。

でも会えば感情が蒸し返す。

つまり閉じかけていた傷口がまた開いてしまったということだ。

 

卒親とは親の役目を終えること。

子離れとは、子供から身体的のみでなく精神的にも離れること。

前者は難しくない。

反対に後者はかなり難しい、と感じている。

 

このあと、11月に感謝祭、12月にクリスマス、1月に元旦が待っている。

今から頭が痛い。

家族を無視して一人旅にでも出るかな・・・・。😓

 

ドクダミママ至言

卒親はできる。

でも子離れは難しい。

それでもそれしか道は残されていないのだから

子離れの道を歩むしかない。

その道は人によっては茨の道。

それでもただひたすら歩む。

それしか出口はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の夢は子供のもの

 

 

コスプレさせられて嫌がるニャンタ!(メードカフェのメードのつもり)
オラの人生はオラのもの!やめてくれ〜〜〜!

 

親は子供を通して夢を見やすい。

というかほとんどの親が子供に過大な期待という夢を抱いている。

 

自分もある意味でそうだった。😅

 

だって・・・

こんなに犠牲を払っているんだからそれに見合う報酬がないなんて割に合わないでしょ?

でも・・・現実はこういうふうに行かないことの方が多い。

 

例えば子供にバイオリンを習わせるとする。

親は意識していなくとも、その眼の裏では我が子がカーネギーホールで演奏している姿を妄想してたりする。

これがバレエならボリショイバレエ団。

スポーツならオリンピックなど・・・。(まあ、これはすごいマックスの期待ですが・・😅)

 

それは良い言い方で言うと「ビジョン」。

確かにビジョンは素晴らしい。

高いビジョンがあるなら努力もできるし、最高記録も残せる。

 

でもそのビジョンは

本人が描くものであって親ではないのだ。

 

子供と親は一心同体ではなく別々の体と別々の魂を持った別固体なのだ。

それを親はついつい忘れてしまい、勝手な夢を見る。

 

その夢を見ることは

実に楽しい。

その夢があるからこそ大変な子育てにも耐えられるというものだ。

 

でも子供の立場になったら、多分迷惑でしかないのだろう。😅

 

それでも・・そういう親の期待に応えられる子供も世の中にはいる。

例えばゴルフのタイガー・ウッズとか・・・スケートの羽生結弦君とか・・・。😅

彼らの親は我が子の才能を伸ばしチャンスを掴ませるために多くの犠牲を払ったけど、

そこには生まれつきの才能や本人の根性もさながら、親の期待や勧めに応えてもいいと思う従順な性格もあったのだ。

 

じゃあ、わたしたちの子供たちはどうだろうか?

 

我が家の子供たちにそういう従順さはない。

そういう従順という遺伝子は夫の父方の親類にはあまり(というかほとんど)見受けられない。

我が子たちは、地理的にかけ離れた場所に住んでいるため、親類にほとんど会ったこともない。それでも性格だけでなく表情までそっくりで遺伝子の威力とその怖さに頭が下がる思いだ。

 

夫の家族はここまで反抗するか〜〜〜?と思わされるほど、その反抗に何の意味がなくとも反抗する。

要するに「頑固」なのだ。

どの角度から見ても確実に間違っていても懸命になって「固執」する。

 

例えば夫の姉は父親を怒らせるために、反抗するために、わざと大して愛してもいない男性と19歳の時に結婚した。

大学1年が終わった夏に家に帰省していた時に知り合ったのだ。

お相手は学歴なし、教養なし、専門技術なしで安定した仕事もない。

かと言ってそこから這い上がるために何か計画とかあるわけでもない。

大志も夢もない。

ただ遊びボケているタイプ。😅

かろうじて揃っていたのは外見だけ。

 

親は当然猛反対。

でも娘が引かないので、仕方なく娘の自由意思を尊重することにして結婚させてあげた。

 

でもやっぱり周りの予測通り21歳で離婚。

それだけでなく持病が悪化してその若さで亡くなった。

 

全て親の勧めに耳を傾けなかった結果による。

実際、彼女はこんな言葉を最期に残した。

「やっぱり親が正しかった」と。

 

従順かどうかとか

親孝行とか親に感謝とか

親の応援を感謝しその心を汲むとか

そういうのは謙虚じゃあないと無理なのだ。

そして謙虚さっていうのは長く生きていって身についていくものなのだ。

だから若い人にそれを望むのも無理があるかもしれない。

 

それでも若くてもそういう傾向のある人はいる。

それはある種の経験と先天的な性格がものをいう。

 

その経験とは親がお膳立てして経験ではなくて

自分で選んで経験したことであり

(親の勧めはあっても自分の本心から決めて行ったことも含む)、

結局親がうるさく言っても効き目はないのだ。

 

親は我が子が人生で失敗する姿に耐えられない。

だから手を差し伸べようとする。

でもある年齢に達すると子供はその差し伸べられた手を「おせっかい」としか取れない。

 

だから我が子が七転び八起きを繰り返している中、親は影に潜んでいるしかできないのだ。

それが親にとってはかなりきつい。

それでも結局、彼らは彼の人生を歩むことが運命で、

親は親の人生を生きることが運命なのだから仕方がない。

 

なぜなら・・・

子供の夢は子供のもので、親の夢は親のものだから。

 

ドクダミママ至言

子供の夢は子供のもの。

親の夢は親のもの。

 

子供の人生は子供が決める。

親の人生も自分が決める。

各々が自分の人生に責任がある。

だから・・・

互いに過剰な期待をかけないこと。

結局頑固は治らない。