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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子供は全員問題揃いで真っ青!

わたしの4人の子供たちは健康疾患や発達障害のオンパレードだった。

風邪や中耳炎などのよくある病気を抜かして・・・

 

肥厚性幽門狭窄症

トーレット症候群

ADD

軽度自閉症

虚弱体質

鼠径ヘルニア

アトピー性皮膚炎

胃潰瘍

軽度知的障害

乾癬(かんせん)

難聴

言語障害

潜在性二分脊椎

不思議の国アリス症候群

膵外分泌不全

自己免疫疾患

心膜炎の疑い。

 

だから子育ては命がけだった。

4人も子供がいて健康で平均的な子供はゼロ。

思えば解決策をいつも探していた。

 

どうやって多数の症状を緩和させるか、と考え事ばかりしていた。

でも一夜で答えが見つかるというわけではなく、

どうにもできずストレスばかりが倍増し、

神経はすり減るだけすり減って行った。

 

 

こんなの自分の力では到底不可能。

できない、できない!

 

神様・・・わたしのような人間には重すぎてできません。

助けて・・・。

といつもシクシク(オイオイの方がどちらかというと正解かな)。

 

こんな手に余るような課題から逃げたかった。

でも逃げられないので対応するしかなかった。

多くの場合は西洋医学では無理だったので、代替医療を利用していた。

それに効くものもあったし効かないものもあった。

 

色々試して見たが結論として言えることは、

様々な障害や疾患は成長していくに従ってだんだん改善していくものだ、ということ。

当然、この中のリストには最近わかった病名もあるので、なくなったわけではないのだが。多くは消えていった。

 

今言えることは、

どうにかなるもんだ!

これほんとです。

*********************************

ドクダミママ至言

いつかどうにかなると信じて”なるべく”明るく対応する事をおすすめ。

子供はいつも成長段階の途中にいるので今後どんな展開になるかは今は見えません。だから改善すると信じることが親にとっても子にとっても精神衛生上必要だと思います。

それに強く願えば叶うというではありませんか。信じること。これにつきます。

心配しすぎると家の中が暗くなってしまいますからね。親としてできることはやってあげて結果は心配しないで天に任せるくらいの心構えが丁度いいと思います。

 

「子供のために生きる」対「子供を通して生きる」

子供のために生きることは問題ではないと思う。

普通ほとんどの親は子供のために一生懸命いろいろなことをやってあげるものだ。

 

それはどういうことかというと

子供の必要に応じることであると思う。

例えば、

 

病気の子供の看病をする。

宿題を助けてあげる。

相談に乗ってあげる。

健康管理をしてあげる。

など。

 

でも実際は親はこれ以上のことをしているはずだ。

そして子供のために生きるだけではなく

子供を通して自分の人生を生きるようになるケースも多々ある。

 

子供を通して生きるということは

つまり、

 

子供の喜びが親の喜びの全て

子供の成功が親の成功の全て

 

であるかのように生きることを指す。

すなわち、

 

自分を子供の中に見いだすこと。

子供と自分の存在をダブらせること。

子供に自分が成し遂げられなかった夢を託すこと。

自分の理想としていた(でも叶わなかった)人生を子供に生きてもらうこと。

などを意味する。

彼らにとって、子供は自分のエクステンションだから子供の喜びや成功は自分の努力の成果であって当然なのだ。

つまり彼らの子供は自分自身と同じなのだ。

 

子供が喜ぶのを見て喜ばない親は普通いない。

でもそれが全て、というのがまずいのではないだろうか。

 

そして、子供の成功が親の成功というのはプレッシャーのかなり高い子育てになりうる。

成功すればいいが、もし成功しなかったらどうなるのか。

それは親も成功をしなかったということになる。

そうなった時にはどんな結果が待ち受けているのだろうか。

 

親業にはかなりの犠牲が伴う。

これを長くやっていると、親は子供を通して自分の人生を生きることになりかねない。

それには「重たい親」になりやすい要素がたくさん潜んでいる。

子供にとってははっきり言って負担である。

大体が精神衛生上よくない。

 

子供を通してではない人生を生きるとは

自分中心に生きると言うことではなく

親は親で自分の成長に焦点を置くことではないだろうか。

そして子供には子供なりの人生をおくらせてあげることではないだろうか。

親は精神的に自立していないといけないのだと思う。

自分の幸せを子供に依存していてはいけないのだ。

 

親が自分の人生を自分の考えで生きているならその子供は心が楽になるのだ。

親がそうすることは、子供にも自由に自分の人生を選んでいいんだよ、と許可を与えることにつながる。

転びながらでも自分の人生を開拓していくことが許されている子供は親から信頼されていることを知っている。だから勇気があり素直に自由に生きることが普通だと思っている。そういう子供は幸せな子供だ。

 

氷点という小説を書かれた三浦綾子氏がこんなことを語っていた。

「どんなにその人を愛していても、あなたの200%を捧げてはいけない。あなたはその人をいずれは憎むようになるでしょう。」と。

 

子供ために200%人生を捧げるということは、普通愛情だけが理由ではない。捧げる限りはしっかり結果も伴ってくれないとその犠牲が台無しになってしまう。

200%の犠牲というのは限界の上のそのまた上を行く。

でも普通親は容易にそれくらいのことをしているものだ。この子の幸せのために、この子の将来のために、と止むところを知らない。

でも、その子供の幸せとは親の知らない別のところにあるのかもしれない。

そしてもしその別の道を我が子が選んだら、親は「子育て失敗」と言うのだろう。

 

親の目から見て立派にならなかった我が子を指して、親は「裏切り者」と言う。

そんなことを言われて子供はなんと返せばいいのだろうか。

たとえ親が子供にどんなに犠牲を払ったとしても、どんなに愛していても、

子供は親のトロフィーでもないし、親の所有物でもない。

そんな親を持つなら子供は息苦しさを感じるだろう。それと同時に、親を喜ばせられるような結果を出せなかった場合は子供は引け目に感じたり罪悪感を抱いたりもする。

反対のタイプは、親を愛しているから自分のやりたいことを捨ててまでも親の希望に沿うようにするだろう。でもそれは子供の本心ではない。本心でないことを選ばされた子供はあとあとまでそのことで親を恨むかもしれない。親は親でそう思われ続け嫌な思いをする。

両者が不幸になるのだ。

*************************

私は子供のために生きたと思う。そして子供を通して自分の人生を生きた。

もちろんそれにはそうしないといけないような背景があり、結果的にそうなってしまったからだ。でもそれをとても後悔している。

私はある意味で重たい母だった。もっと軽やかに生きればよかった。

だからちょっと(かなり)遅いけど、今軽やかに生きようと毎日跳ねまくってま〜す。

でも最近体が重くて、いまいち跳ベな〜い。汗。

 

ドクダミママ至言

自分の人生を子供を通して生きてはいけない。

親は精神的に自立すべきで、子供に執着したり無理な期待をかけたりしないこと。

子供には子供の人生を生きさせてあげること。それが本当の愛情というもの。それが本当の犠牲心。

 

 

 

 

 

 

 

考えすぎる母は教科書が大好き

教科書はどこ?

機器関係のものを購入すると通常は使用説明書なる便利なものが付いてくる。

でも・・・

子供は子育てマニュアルなしで生まれてくる。

説明書がないので大体の人は「平均的な」子供向けの説明を読み情報を得ることになる。

 

私も子育て中にいつもやっていたことは教科書探しだった。

それぞれの子供の問題に対応するための答えが書いてある教科書。

それをずーと探していた。

だから最低100冊は読んだと思う(これプラス、ネット情報も少し)。

 

その結論とは?

読めば読むほど混乱していった。

 

答えはあったようでなかったような。

今でもよくわからない。

 

親業は実地訓練でトライアル&エラーで行われる。

それで本などに頼る人にはこんなことが起きやすい。

 

この本にこう書いてあったからこれをやってみよう。

3ヶ月。

う〜ん。

うまくいかない。

次!

これもうまくいかない!

次!

 

活字に頼るとこんなことを繰り返す可能性が高い。

そしてその犠牲者は当の本人である子供にしかり。

当然、子供はたいへん混乱することになる。

親が子育ての方法をいろいろ変えるからである。

私は息子の一人にこんなことを言われた。

「実験台」と。

それを言われて「ごめん」としか言えなかった。

 

その実験でうまくいく場合も確かにある。

うまくいかない場合の方が多い。

 

なんとかメソッドが素晴らしいと言われているから飛びつき、でも我が子には合わないこともある。

ここが親業の非常に難しいところなのだ。

料理は失敗しても、次に気をつけてまた作り直せば良いし、まずかったらもう作らなければいいのだ。

子育てはそんな風にはいかない。子育てで失敗すると取り返しがつかないことにもなる。それが怖くで親はますます学習意欲が増す。

それでまた混乱する。

でも何もしないよりはいいと思い、とりあえず色々試してみるけれど、うまくいかず失敗を繰り返す。

で、自己嫌悪に陥る。

ああ、ため息。

 

散々失敗を繰り返した私が行き着いた結論はこれ。

本を読むのは大丈夫。

研究もよし。

でもそこに書いてあることを全部うのみにするのではなく自分の子供に適用できるかよくよく照らし合わせないといけない。

それには自分の心に聞かないといけない

人に聞くのはだめ。

自分の子供のことは自分が一番知っているはず(なんだけど・・・汗)。

母親は第六感が優れている。

特に我が子のことになるとそうだ。

教科書がなくて生まれてくる子供をどうやって育てるのか。

やはり第六感、つまり直感であると思う。

 

もし神様がおられるなら、なんの説明書もなく

「ほれ、今日からあんたが親だよ。しっかりやっておくれ」と

あなたを置き去りにしていくはずがない。

親に与えられた一番の教科書はその直感であると思う。

これは本当であると断言できる。

 

だから本などで情報を得たあとは、

それを

あなたの心がどういう風に感じるかを把握しないといけない。それが自分の声を聞くと言うことだ。

 

そしてくれぐれも言いたいことは、

専門家が勧めているなんとかメソッド我が子をきっちりと合わせるのではなく、

我が子メソッドを(合うところだけ選んで)合わせてあげないといけない

つまり、メソッドを曲げて、子供を曲げない

主役は子供でメソッドではない。

これがコツ。

 

日本人は活字が大好きな国民だと思う。

教科書も大好き。

規則とかルールも好き。

それは安心するからでしょう。

大先生の意見とかね、大好きでしょ?

一人歩きって怖いですからね。

誰かのバックアップが欲しいのです。

特に自分の子供に責任があると思うとついつい真剣になってしまう。

 

でも

活字や人の意見に全て耳を傾けると悩みは尽きない。

頭も混乱する。

 

だから

そこのお母様。

もう一冊読もうとか思ってはいけないよ〜〜〜。

 

自分の心に聞いてみて。

自分の心が一番正しいと思う。

四人の子供を育てて散々失敗した私が言うんだからほんと。

でも、直感とか第六感ってね、リラックスしていないとよく働かないのですよ。

だから、子供に問題がある場合は、そこから頭を離すことが必要。

 

でも役にたった本(2冊だけ!)はあるのでまたの機会にご紹介したいと思います。

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 ドクダミママ至言:

子育ては直感と第六感。

プロの言うことを全部うのみにしないこと。

心の声を聞くこと。

 

 

年相応という化け物

親に襲いかかる最も危険で狂暴な化け物とは

年相当という言葉。

その化け物は巨大で、親が悩めば悩むほどパワフルになる傾向がある。

そして親が恐怖で動けなくなる原因となる。

 

この化け物とは他でもなく

同年代の子供と自分の子供を比較すること。

これさえやめれることができるなら、子育てはかなり楽になるはずだ。

 

親は常に他の子供と自分の子供を比較する。

平均より進んでいれば

喜び

少しでも遅れていれば

焦りを隠せない。

そして「並のレベル」に追いつかせるように様々な策を構じる。

 

親の献身的な努力により少しは追いつくことが可能である場合もある。

けれども

それには取り返しのつかない副作用が伴うこともある。

 

我が子は遅れているという恐怖は親の心から離れることはなく

どうにかしようとする焦りは隠すことができない。

その恐怖感と不安は親の体からオーラを通して放たれ、

子供は全てを読みってしまうからだ。

 

親の努力は、子供に「できない自分」「遅れている自分」を認識されることに拍車をかけてしまう。

 

大体の場合は、そんなに簡単に追いつくことはできない。

だから親はストレスを常に感じることになる。

親がこんなに頑張っているんだから、子供も協力するのが当然、

と子供にもプレッシャーをかける。

だから家族全員の精神衛生に悪い。

結果的に家庭に暗い影を落とす。

最も悪いことに

暗い家庭に育った子供には様々な問題が出やすい。

 

年相応にさせることは果たしてそんなに大切なことなのだろうか。

何歳で何ができるようになるはずという尺度はあくまでもただの平均でしかない。

ということは上も下もあって当たり前なのだ。

 

普通、人はそんな同じサイズの箱の中にしっくりと収まるようにはできていない。

みんな同じというのはあり得ないのだ。

考えても見ていただきたい。

みんな平均的な人ばかりの社会ってどういう社会なのか。

 

我が家には年相応という子供がいなかった。

学力は年齢平均より上という子供が二人。

年齢平均より下が二人。

でも年齢平均より上の子供が全分野で優れていたわけではない。

遅れていた部分もたくさんあった。

年齢平均より下の子供は「学校」の学習は遅れていたかもしれないが、他の面で進んでいた面も多かった。

それが普通だと思っている。

自分自身もそうだから、納得できる。

でも主に学校などの社会がこの化け物を創造し、親を苦しませることになっている。

 

もし文科省またはその道の専門家が決めた平均的な年齢相応という考えを捨てることができれば、親も子供も楽になれると思う。

でも、すごくわかる。

親は競争社会で我が子が立派に生き延びてくれるように願っているものだ。

でも競争よりも、個性を認めて共存社会を築く方が、長い目で見て世の中の発展につながるのではないだろうか。

どんな能力を持った人も社会に必要であり、そのままで価値があるのではないだろうか。

 (でも、親は普通、他の子供が遅れているのは問題なく、そういう子供に理解を示し優しく対応もしてくれるが、我が子が遅れているのは許せないのだ)

 

大体、平均に足並みを合わせるなんて不可能なのだ!

親も自分のことを考えてみたら良い。

親だって無理。

だから子供はもっと無理。

どの大人も無理。

年相応という言葉は自分らしく生きることを阻む言葉であると思う。

 何歳だからこのくらいできて当たり前という考えは捨てないと子育ては辛いものになりやすい。親も周りの目ばかり気にしていて自分らしく生きれない。

 

周りについて行くことがそんなに大切なのだろうか。

それとも我が子の今の幸せが大切なのだろうか。

「恥ずかしくない人に育てる」というがそれはもしかして「親が恥ずかしくないように育てる」の間違いなのではないだろうか?

でもその考え方は間違いなく子供を潰してしまう。

 

何歳で立ち、歩いて、走って、話して、読み書きができ、どこどこの高校に入り、どこどこの大学に入り、どこどこに就職して、と心配は尽きない。最悪なことに、この先もずっとこれが続くのだ!大人になったら大人になったらで、うちの娘はいつ結婚するのだろうか。よそのうちには孫もいる!とこれなんかはとてもよい例だ。

 

こんな風にいちいち周りと比較していたらどんなにしんどいことだろうか。

まさしくいばらの道に違いない!

 

とっても難しいが、

現状で喜んであげれるような親になりたいものだ、

と今も思っている。

そして日々自分に言い聞かせている。

自分の子供にケチをつけないように、とね。

 

ドクダミママ至言

年相応など、そんなものは存在しない。

今の状態でいい。そのままの我が子を受け入れることが最も大切。

世の中に受け入れられるということよりも親が受け入れてあげることの方が大事。

 

 

 

義理の家族はメキシコ人

今年のクリスマス休暇は、

息子のカイリーは嫁と3回目の結婚披露宴をするためにメキシコに渡っている。

つまり3回目の大騒ぎ。

 

私たち残りの家族は参加しない。(もう2度も参加したでしょ?)

メキシコの2019年の殺人事件は約30000人に及ぶ。

ひょえ〜〜〜!

もしかして!

これなら

自分が犠牲者になる可能性も十分あり得る!

だから行かない。

でも他にも理由がある。

それはもう彼らの大騒ぎについていけないからだ。

ねえ~もうじゅうぶんじゃない?

 

パーテ文化

結婚すると息子というものは自分の実家に寄り付かなくなるのはアメリカでも同じだ。

だからこの面は仕方がないと思っている。

でも・・・。

 

息子は嫁の実家に入り浸りだ。

付き合っていた時からず〜とこれ。

本人も半分迷惑がっていたけれど、恋人が半強制的に連れていくので断れなかった。

今は結婚したので益々訪問義務が増えた。

 

息子の義理の家族は典型的なメキシコ人でとても暖かい感じのいい人たちである。

そのため息子はそこに行くのが好きだ。

それに比べて、自分の家は「く真面目」で「真剣」で「堅苦しい」と思っているようだ。

はっきり言って「嫌でしょうがない」らしい。

 

ラテン文化は日本文化とも一般的なアングロ文化とも異なる。

リラックスしていて家族(友達も)が集まる機会が異常に多い。

実際恥じる嫌いもなく

We, the Latinos, love getting together ALL the TIME! 

(僕たちラテン系はね、年中つるむのが大好きなのさ!)

と言っていた。

はっきり言って多すぎる。

集まる理由などなくとも

勝手に理由をこじつけて集まる。

多忙な人は最低週2で、ほとんどの人はもっと多い。

 

誰かの誕生日や記念日はもちろんのこと、

メキシコ、アメリカ両国の全祝祭日。

(これに日本の祝祭日も追加しようかとも言っていた。唖然。)

雨が降ったからパーテイ。

雪が降ったからパーテイ。

太陽が出たからパーテイ。

虹が出たからパーテイ。

友達から連絡があったからパーテイ。

何となく嬉しいからパーテイ。

落ち込んでいるからパーテイ。

お酒が飲みたいからパーテイ。

お給料日だからパーテイ。

なんとなくそんな気分だからパーテイ。

・・・・・・・

 

日本人の私から見ると

はっきり言って

やりすぎ!

絶対そうだよね〜?

 そう思うでしょう?

 

彼らはいつ生活態度を見直して将来のための計画を立てるのだろうか?

彼らはなぜするべきことが終わっていないのに平気な顔で遊びに行けるのか?

彼らは資産の管理も貯蓄も全くしない。

今日一日の事しか考えていないようだ。

それで心配じゃないのか?

息子もそれと同様なのでメキシコの文化が大好きだと言っていた。

別に妻の実家に行くなとは言わない。

ただ、他の全てのするべきことを終えてから行く、というのが賢明な人のすることじゃないの?

それとも

それって日本人だけの考え方?

 

ちなみに嫁の実家は貧乏なメキシコ人ではない。

息子の姑は医者の家の出身で本人も歯学部出身。

舅はエンジニア。両方とも大卒。

家族もみんなそんな感じだ。

まともな家というかメキシコの実家は裕福層に属する。

それでもメキシコ人には変わらない。

 

その文化。

勘弁してほしい。

 

優先順位がおかしい

カイリーはなんでもゆっくりで今一頭が働かない。

だからなんでも理解が遅いし時間がかかる。

ということは、妻の家で遊んでいる場合ではないのだ。

今の仕事も1年半後には解雇になることは分かっている。

それでも彼にはそのことを不安に思っている素振りもない。

次の動きを検討している感じもゼロ。

カイリーの嫁はものすごく頭がよく何故こんな優秀な女性がうちの息子と結婚したいのか全く理解できない。

(私は付き合っている時から嫁に止めておいた方がいいよ〜、と警告したんだけど)

別に彼らの人生なので今更反対をしても仕方がないけれど、

この親の家にしょっちゅう呼ぶのは止めて欲しいのだ。

息子は他にやることがあるんだよ!

職業的も経済的も健康的にも問題を抱えているのでそれに焦点を当てるべきで、

遊んでいる場合じゃないんだよ!!!!

そうやって生きていると、今は楽しいかもしれないけれど、

しっぺ返しがすぐにやってくるのだよ。

だいたいが、息子は借金を抱えていて遊びにいけるような身分ではないのだ。

一刻も早く借金を返ししっかり生活の基盤を築くことが最優先じゃないの?

じきにポンコツトラックは完全に機能停止し、仕事も失い、我が家の地下からも追い出され、苦しい人生が君を待っている。

それでも親は君をどん底から救ってあげれないことを忘れてはいけない。

 

お好きなように

それを言ったら、逆上していた。

なので諦めた。

底をつかせるしかない。

いや。底の底の底の底の底の底の底の底の底の底をついてもらおう。

当然そんなことを望む親はいない。

でも薦めに従わない人に他に何ができるというのか。

 

頑固で生意気で高慢で反抗的で感情的で繊細で教訓から全く学ぼうとしないオスライオンに何を言っても無駄(怒らせるとすごく怖い!)。

私は彼に関しては(かわいそうだけど)親業から足を洗わせてもらうことにした。

(メキシコにいるし)今のところまだ口を利いていない。

 

息子はいっそのことメキシコに移住したらいいと思う。

生活費は安いしゆったりとしていて人は暖かい。

彼に絶対向くと思う。

困ったことがあればメキシコの親戚に助けてもらえばいいのだ。

彼は妻の名字に変えたいと言っていた。

どうぞどうぞ。

賛成です。

 

彼にはメキシコ文化が似合う。

毎日楽しければそれでいい文化。

あの国に原子爆弾が落とされても絶対復興しないだろう。

そんな国民性なのだから。

 

ドクダミママ至言

1.成人した子供に何を言っても無駄。

2.   頑固で生意気で高慢で反抗的で感情的で繊細な人間に何を言っても無駄。

3.   他国の文化は尊重したいけど、家族のことになると別件。

 

 

 

 

軽度知的障害を抱える息子への手紙

私には軽度知的障害の息子がいる。

その子に私は最近手紙を書いた。

いつか、機会のある時に渡すつもりでいる。

でもそれがいつになるかもまだわからない。

もしかして永遠に渡さないかもしれない。

 

でもせっかく書いたので

今回その手紙の一部(オリジナルは英語)をご紹介させていただきたい。

********************************

 

カイリー君(仮名)へ

 

初めて自分の腕に抱いた時、そのヘーゼルかかった青い目を見つめた時、

お母さんはあなたに恋をしてしまったわ。

ふっくらしたピンクの頬のあなたは世界の誰にも負けないほど愛くるしくて

心が溶けてしまったように感じたのよ。

あなたは私にとってとっても高価な宝物。

だからあなたがこの世に誕生してくれてお母さんはとっても幸せだったのよ。

 

お母さんにとって、

あなたの乳児期も幼児期も子育てがとっても楽しくて仕方がなかった。

あなたはスイートで抱き心地のいい子供だったわ。

毎晩お母さんのお腹の上で寝ていたわね。

寝付いたのを確認して自分のベッドに移そうとすると泣いていた。

あなたはお母さんの跡ばかり追いかけていた。

二人の間にはとっても強い絆があったことは疑いの余地のないことと、

みんな知っていたわ。

 

ダーラのデイケアセンターでは、あなたはとても行儀がよくて、他の子供たちともいつも仲良くできたのよね。

お母さんが迎えに来る時間を知っていたようで、

5分でも遅れると、ダーラに「僕のママはいつ迎えに来るの?」と聞いていた。

 

でも、

4歳の誕生日の1か月後に弟が生まれて、それであなたは急に変わってしまった。

以前よりイライラするようになって、怒ってばかりで、お母さんにはとても手に負えないやんちゃさんになってしまったのよ。

あなたは意志が強固で自立心が旺盛だった。

自分の思うようにならないと猛烈に癇癪を起こし、

叫びまくり、

棚にある全てのものを殴り落とすほどだった。

お母さんは、それがいつものことだったので、

元に戻してね、とだけ伝えたのよ。

そんなのごく普通の男の子だと思っていたわ。

 

それから、

オハイオのプレスクールで、先生方に呼ばれてこんなことを言われたのよ。

あなたはちょっと学びや理解が遅いし言語の発達も遅れている、と。

外国から来た子供たちがどんどん追い越している、と。

でも体を動かすことは得意で他の子供たちより優っているとも言われていたわ。

 

そんなことを言われてもお母さんは全然心配していなかった。

男の子って最初は遅れているものなのよ。

それに先生方は女の子たちと比べていたわけだし。

すぐに追いつくでしょう。

全然気にしていなかったのよ。

 

5歳になってダックスベリー小学校付属の幼稚園(*)が始まったわね。

担任のトレント先生から、こんなことを言われたわ。

「おたくの息子さんはお行儀が良くてクラスのみんなのとってもいい模範です。」

ってね。

あなたはクラスのみんなにいつも「先生の言うことを聞かないとダメだよ!」

って言っていたんですって。

家での態度とは全然違うので驚いちゃいました。

 

それから1年生に上がり、その時点では問題は見られなかったけれど、担任の先生からは少し問題視される時もあったよう。イライラすることも増えたようだったわ。

2年生になり、学習にはどうにかついていけていたけれど、理解に時間がかかることが目に見えてはっきりしてきたのよ。

でもあなたはいつも誰よりも一生懸命で頑張り屋さんだった。

お母さんはそんなあなたをとても誇りに思っていた。

 

でも学年が上がるとともに、

あなたは本当に学習についていけないようになっていった。

親は交互にあなたの家庭教師を務めたけれど、

手を替え品を替え教えようとすればするほど、あなたは混乱していった。

自分でもわからないことを充分わかっていて、

そのためフラストレーションが溜まっているのが態度に表れていた。

あなたは学べないわけではなかったの。

ただ学び方が違ったのよ。

それから、ある概念を学ぶふさわしい時期が平均的な子供たちとは違っていたのよ。

 

助けてあげたくてたまらなかったけど、そのプロセスで私もがっかりしてフラストレーションが溜まっていってしまった。

お母さんがあなたに怒っているように見えたでしょう?

でもそれは違うの。

お母さんは自分自身に怒っていたのよ。

あなたをうまく助けてあげれない自分自身に対してね。

それであなたの気持ちを傷つけてしまったと思う。

だからお母さんはそんな自分自身のことを嫌いになっていった。

お母さんはすごく忍耐に欠けていた。

あなたがお母さんを嫌いになっても仕方がないと思っている。

お母さんは母という立派な名前には全くふさわしくない人間だと思っている。

 

それでもあなたは毎日一生懸命努力を続けたわね。

そして高校は特別なカリキュラムを持つ学校に入りものすごく大変だったけど、

あなたはこれ以上できないほどの努力を重ね、本当に頑張っていたわね。

頑張っていたあなたを助けようとたくさんの先生方が親身になってくれたお蔭で、

良い成績で卒業できたのよ。あの時は本当に勉強しかしなかったわね。

卒業式の時に表彰台に立つあなたの姿をみてみんな涙をこらえきれなかった。

あなたは本当に頑張り屋さんでした。

 

その後、本人の希望で4年生大学に進むことになって、

でもそこであなたは発見したのよ。

四年制大学はかなり難しいと(**)

大学生活を満喫したかったあなたは、

クラブとかデートとかアルバイトとか、いろいろなことに手を出し始めたのよね。

あなたは自分の人生を自分のやり方で切り開いていこうとしていたのよ。

それは素晴らしいことだと思う。

でも人はそれぞれ違うから人によってはうまくいかないこともあるのよ。

それはやめた方がいいという親の勧めにも反抗して、

自分の好きなように生きるために、結局家を飛び出して行ったわね。

心配だったけど、お母さんはいつも心の中であなたの人生がうまくいくように祈っていたのよ。

 

他の学生は勉学以外にいろいろなことをしてもやっていけたようだけど、あなたは無理だった。そして自分が他の学生より劣っていてゆっくりであるということを、いやおうなしに感じるようになってしまった。

当然勉強する時間は足りず、課題は難易度を増し、成績はどんどん落ちていき、焦りで心はいっぱいになり、ますます逃げるようになっていった。

ずっと今まで頑張って来て、これからも、いやこれからこそが今まで以上に頑張らないといけない現状を見て、あなたの心は打ち負かされてしまいそうに感じたのよね。これ以上頑張れないという気持ちだったのでしょう。

多分燃え尽きてしまっていたのよね。

 

自立心の強いあなたは親の助けなしで、アルバイトもしてデートもして友達とも遊んでと、「普通」にやりたかった。

でもそれは能力以上の賭けだったのかもしれない。

 

あなたは自暴自棄になり、それでもやっとのことで大学を卒業した。

成績もかんばしくなく、ポートフォリオも競争に勝てるレベルではないため、大学の専攻に関係する仕事は見つからず、結局ずっと洗車の仕事とホテルの夜勤をしていたわね。今は会社で2年契約の仕事をしているけど、あと1年半でそれも終わる。

こんな状態なのにこの8月に結婚もしてしまった。

明るい兆しは今のところ何も見えない。

今27歳。

 

親は心配して助言をするけど、助言なんて聞きたくないでしょう。

この間もあなたに「ほおっておいてほしい!」と怒鳴られた。

そこから今までに類を見ないほどの大げんかに発展してしまった。

 

でもわかってる。

自立したいのよね。

大人の男性になるためには母親の言うことなんて聞いていられないものね。

 

母にはもう何もいう権利も義務もなく、黙ってあなたの大変な人生を影から眺めているしかないのです。

それがどんなに辛いことか。

今のあなたにはわからないでしょう。

 

ただあなたのその強固な意志で艱難を乗り越えて行って欲しいと願うばかりです。

いつか人生が好転してくれますように。

せめてこの手紙をあなたが読むときにはそうなっていますように。

どうぞいたらない母を赦してください。

母より

 

****************************

◎息子の当初の知能指数の検査結果は70前後だった。知能指数は変化するので、現在は以前より高くなっている可能性が高い。大学を卒業した時点で90くらいまで伸びたかもしれない。

*注:米国は幼稚園は小学校の一部として組み込まれている

**注:米国の大学は課題数も多く難易度も高く、ついていけなくて辞める学生も多い。教授が一つ一つの概念を丁寧に説明するとかはなく、自分で理解していかないといけない。つまり上位思考スキルが伴わないとやっていけない。

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスー母マリアの心(歌リンク入り)

今日は米国ではクリスマスイブです。

世界の多くの国でもクリスマスの曲は町中に流れイルミネーションで飾られ、

皆様もこの特別な季節を深く感じておられることでしょう。

 

今日はクリスマスにちなんで日本ではほとんど知られていない歌を一曲ご紹介したいと思います。

クリスマスというと商業化してしまい、歌と言えばサンタやプレゼントの歌ばかりですが、この曲はよりクリスマスの心を表したものです。特に救い主の母の気持ちを表したもので、世界中の母の心をも反映しているように思います。

我が子が産まれたその晩に母マリアの脳裏にはこんなことがよぎったはずです。

それはどんな親にも起こり得ることです。誕生という奇跡を目の当たりにして天使のような我が子を見て神聖なものを感じる気持ちを抑えきれない人は多いと思います。そしてこの子はどんな大人になるだろうか、どんな人生が待ち受けているかと思うことでしょう。それは国や文化を問わず、ずべての親が思うことです。

私もそれぞれの我が子の誕生の際には、計り知れないほどの篤い気持ちで胸が一杯になりました。そしてどんなことがあっても我が子を守って行くことを自分に誓いましたが、その時はどんなに願っても待ち受けている苦難を止めることができないことが母にはあるとは思ってもいませんでした。

 

二つのバージョンを載せます。最初のは映画のクリップが入ったもので、2番目のは歌詞入りの歌のみです。歌詞の和訳はちょっといまいちですが私がさせていただきました。

この曲がクリスマスの心を呼び起こしますように。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-AyLgHChza4  

https://www.youtube.com/watch?v=5cxUjKhO_4A

 

Mary's Lulluby - Tonight You are Mine

マリアの子守唄ー今宵汝は母のもの

 

All mine in your loveliness, Baby, all mine;

汝の愛らしさに母の心はことごとく溶けてしまう。赤ちゃん。母の全て。
All mine in your holiness, Baby Divine.

汝の神聖さに母の心はことごとく引きつせられてしまう。神聖な赤ちゃん。
Sing on, herald angels, in chorus sublime;

歌い続けて、使者である天使たちよ、崇高なコーラスで。
Sing on and adore, for tonight you are mine.

歌い続けて崇拝して。でも今宵汝は母のもの。

The wise men are coming to worship their king.

博士たちが彼らの王を拝みにやってくる。
The shepherds are kneeling, their homage to bring.

羊飼いたちはひざまづき忠誠を誓う。
Out yonder, the star over Judah will keep;

遠くかなたのユダヤの空にある星は消えない。
No harm can befall thee, then sleep, Baby, sleep.

汝になんの害も起きないから、大丈夫おやすみ。赤ちゃん。おやすみ。

Oh, let me enfold thee, my baby, tonight;

ああ。今宵汝を抱きしめさせて。私の赤ちゃん。
While legions are singing in joyous delight.

天の軍が嬉しく喜ばしく歌うとき。


A new star has risen to hail thee divine,

新しい星が神聖な汝に万歳と言うかのごとく舞い上がり、
For you are a king, but tonight you are mine.

汝は王だから。でも今宵は母のもの。

Away, spectered future of sorrow and plight.

かなたに、将来の悲しみと苦境が見える
Away to the years that must follow tonight.

それは今宵の誕生のずっと先のこと。
The pangs of Gethsemane, let them be dim;

ゲッセマネの苦しみと激痛がかすんで見えますように。
The red drops on Calvary, not, Lord, for him!

カルバリーに落とされる赤いしずく。

いいえ、神様、それは私の赤ちゃんのものではありませんように!

Oh, let me enfold thee, my baby, tonight;

ああ、今宵汝を抱きしめさせて。私の赤ちゃん。
While legions are singing in joyous delight.

天の軍が嬉しく喜ばしく歌うとき。
A new star has risen to hail thee divine,

新しい星が神聖な汝に万歳と言うように舞い上がり、
For you are a king, but tonight you are mine. 

汝は王だから。でも今宵は母のもの。

All mine in your loveliness, Baby, all mine;

汝の愛らしさに母の心はことごとく溶けてしまう。赤ちゃん。母の全て。
All mine in your holiness, Baby Divine.

汝の神聖さに母の心はことごとく引きつせられてしまう。神聖な赤ちゃん。
Sing on, herald angels, in chorus sublime;

歌い続けて、使者である天使たちよ、崇高なコーラスで。
Sing on and adore, for tonight you are mine.

母親がイヤイヤながら子育てをすると・・・

女性は使命感から一生懸命子育てに励むことが多い。

でもそれで子育てを楽しんでいるのだろうか。

もしかしてイヤイヤながらやっている人もいるのではないか。

このイヤイヤ何かをやることだが、どんなにしんどいか、経験のある人は分かるであろう。それは確実に母親の顔に出るだけでなく子供にも影響が行く。

 

それでは、なぜ親業に関わらずなんでもイヤイヤやることがどんなに良くないことかを説明させていただきたいと思う。

 

人の本質とエネルギー

まず最初に、人は「魂の多粒子の集合体」であることを念頭に置いていただきたい。

これを「魂のつぶつぶ」という人もいる。

要するに、人の霊というものは数え切れないほどの粒子すなわちエネルギーの塊からできているのだ。

 

もし母親がイヤイヤながら子育てをするとする。するとその体から不幸せなエネルギーの波動が起こり、体を取り巻く粒子が外に送られる。体を取り巻く粒子とはオーラとも呼ばれており、様々な色がある。乳児のオーラは最も汚れのない白で、殺人犯は真っ黒のオーラを持っている。白は周りの影響を受けやすい。動物などはこのオーラが見える。

 

そして周りの人がそのエネルギー及び粒子を受け取ると、いやいややっている母親がますますいやになるような事件が起こりやすくなる。つまり、子供がイライラしている母親のエネルギーを助長する、つまり「手助け」をすることになる。

この「手助け」の例として、母親がイライラしている時に、子供がコップの水をこぼし、兄妹喧嘩を始め、宿題をサボりゲームに没頭し、口答えを始めたり、がある。

そのため、母親はもっとイライラを募らせ、ますますイヤイヤながら子育てに臨むことになる。だからこんな日は、どんな小さな事件であっても、それには母親を鬼にさせる可能性を潜ませている。我が家では上記のような事件が同時に起きたことが何度もある。当然私は自分を見失った。そんな時に夫が仕事から帰宅でもしようものなら大変である。

私は夫に自分の散々たる一日について延々と説明し、母業一時引退を宣言するのだ。 いや一時どころか永遠に引退したいと思ったものだ。

 

どういうことかというと、これは女性特有の性質だからである。

それではこれがよく分かるように男性と比較してみよう。

 

女性と男性の違い

男性は、仕事がどんなにいやでも、それが誰かの幸せになるなら

じっと黙って我慢ができる。

(できない人はアルコールでも飲んで憂さ晴らしをする)

男性は今の苦しみをじっと耐え、もっと大きな目的のために動ける人種なのだ。男性の愛はスケールが大きい。男性は誰かを幸せにすることによって、他の人のために生きることによって繁栄する。そしてそれを喜びとし生きることを目的とできるのだ。より大きな結果のために今犠牲を払うことができるのだ。

 

女性は、自分のやっている仕事(母業)が面白くないと、この上ない辛さを感じる。たとえ20年後に立派になった自分の子供の姿を思い描いても、今の辛さを拭うことができない。女性にとってはその「プロセス」が非常に大なのである。

このいい例に戦争が挙げられる。

男性は自分の国と家族と部族を守るために人殺しに出かけていくことも厭わない。その大きな愛によって自分の命をも犠牲にすることができるのだ。あんな恐ろしい状況でもしっかり目を開けて戦えるということが女性から見ると信じられないことなのだ。

反対に、女性はそのような全く楽しくない殺戮は、どんなに国家と家族を守るためでも遠慮させていただくだろう。そのプロセスが女性には耐えられないからだ。たとえ戦地に出向いたとしても恐怖で意識を失ってしまうであろう。

 

他にもある。

消防士、警察官、政治家など、動機は他の人を守るためである。

自分の命を犠牲にして。

 

女性も自己犠牲を払う。でもそれは主に自分の子供にだけである。

かと言って女性が男性のように黙ってただ歯を食いしばって我慢するかというとそれは違う。どんなに我が子を愛していようとも、もしその子が育てにくい難しいタイプだと、母親は子育てのプロセスを楽しむことはできない。

続けることができるとすれば、それは時々見せる可愛らしい笑顔だ。その笑顔が見られれば辛い気持ちが消える。でもそれも長続きしなければまた心が暗くなる。我慢しようと努力をするが黙ってではない。泣きながらだ。愚痴を言いながらだ。

女性は感情に押し寄せてくる辛い気持ちを我慢することができないのだ。

男性から見ると、感情で左脳が完全にシャットダウンし感情が彼女の全てを支配してしまっているかのようにも見える。こうなったら男性のどんな理露整然とした説明も女性には馬耳東風なのだ。

 

だから女性は黙って耐えるのではなく、笑顔になることがもっとも大切なのだ。結果的に周りみんなが笑顔になれる。

学校制度で教えられた「じっと耐えろ」というのは男性に対する教訓であって女性向けではない。女性は自分の幸せ作りに集中するべきだ。

女性が喜んでいるだけで、笑顔でいるだけで、世の中が良くなると言っても過言ではない。なぜなら彼女は幸せの波動を出しているからである。

 

結論

子供をどこに出しても恥ずかしくないほど立派に育てることが重要ではなく、家の中を明るく保つことが一番重要なのだと私は自分の失敗からも確信している。

なぜなら子供は

家の中の空気、つまり波動を100%読み取ることができるからだ。

そして周りの影響を受けやすい。

 

母が犠牲心によりいやいや子育てをすると自己受容の少ない子供になりやすい。

犠牲の上になった子育ては波動が重苦しく、家族の誰もが容易に感じ取ることができる。だからもっと軽い気持ちで子育てをするようにしたらいいと思うのだ。

 

米国南部の英語で19世紀から伝わる表現(文法的には間違いだが)がある。

If mama ain't happy, ain't nobody happy.

ママが幸せでないなら(家の)誰も(が)幸せになれない。

これは100%真実である。

 

だから今回のドクダミママ至言は、

お母さん方!もっと力を抜いてゆるい子育てをしましょう!!!!

 

 

毒親がどうした!

昨今とてもはやっている流行語がある。

アメリカから輸入されたものだと思う。

その流行語とは

毒親。

毒親って一体なに?

 

みな自分の人生のうまくいかないのを親のせいにしている。

毒親ってどこでもいるんだよ。

アメリカにだっている。

 

大人になったら自分で自分を変えていくように努力しないといけない。

いつまでも親のせいにしているなんて大人のすることじゃあない。

育ててもらったことだけで感謝すべきだと思うけど。

その道の専門書も「毒親からどうやって解放されるとか」とかうるさいくらいあるが、

そんな本を読んでも簡単には解決はしない。

過干渉と無視?

それって普通。

 

親になるってすご~い大変なんだよ。

親って親業だけやってるんわけじゃないいだよ。

大人って忙しいんだよ。

みんなどうしていいかわからなくてやっているんだよ。

そんな親も本当はいい親になりたいのかもしれない。

いつも試行錯誤で心配ばかりしている親が毒親になりやすいケースも多い。

逃げてしまう人もいる。

最低かもしれない。

それはわかる。

確かにひどいのもいる。

 

でも親がいるだけで感謝だよ。

わたしは両親が4歳の時に突然死んでしまった。

父が夜中の11時に亡くなって母が翌日の正午くらいにいきなり心臓が止まって亡くなった。

一緒に住んでいた祖母も1週間以内に亡くなってしまった。

だから里親と養護施設で子供時代をずーと過ごした。

天涯孤独だと言われていた。

虐待なんて当たり前。

無視?

それ普通。

 

私の子供時代など、それこそほとんどが毒環境だったよ。

でもわたしは自分を面倒見てくれた人々や環境に感謝している。

理想からはかけ離れているかもしれない。

でも「なんで自分だけが」みたいなことは思ったことはない。

生きていくだけで精一杯でそんなこと考える時間がなかったのだ。

それに、

大切なことを学ぶためにその経験が自分の人生に必要なことだったのだと納得している。

だからあれで良かったのだ。

あの子供時代で感謝している。

自分の与えられた環境で頑張るのが自分の人生の使命だと思っている。

 

はっきり言って毒親がどうとか文句言っている人は甘えている。

養護施設には、毒親でもいいから親が欲しいという子もいる。

親と一緒に暮らしたいけどできない子供たちが一生懸命生きているんだよ。

涙をこらえて生きているんだよ。

恥ずかしくないの?

親のところより養護施設の方がいい?

確かにそっちの方がいい場合もあるかもしれない。

でもいつもっていうわけではない。

 

毒親に育てられたから自分はこうなんだ!ってね、

自分には全く非がないような言い方だけど、

そんなこと言ったって解決なんてしない。

責任転嫁は解決にはつながらない。

こんな親なんか、と恨みに思ってるみたいだけど、

それなら孤児はどう?

孤児の方がいい?

 

 

人は理想的で問題のない人生を幸福というけど、本当はそうじゃない。

だいたいそんな人生は存在しない。

だから嫌な親かもしれないけど、

それがあなたの人生の課題なのだ。

 

毒親がどうのこうのと言っているうちは成長なんてないと思う。

それを言っている限りは言っている本人が一番不幸なだけだ。

最初に、被害意識は捨てた方がいい。

誰かが悪くて自分は間違ってないという考えを捨てた方がいい。

現実としてそのままただ受けいれること。

 

2番目に、全ての出来事に意味を見つけること。

そうすれば、心がもっと軽くなれるのではないだろうか。

 

3番目に親を赦してあげること。

人間はみな不完全なんだから。

自分だって完全な親になんてなれないって親になったらわかるよ。

親を赦してあげれるまでは何冊本を読んでもだめ。

感謝することなんてない、とは言わせない。

親のいいところを探して、

見つからなかったら赦して、

その経験から何かを学ぶしかない。

 

人を赦せない!

なんて、文句を言っている大人だけど子供みたいな人の方がよっぽど人間的に問題ありだと思う。

 

わたしの友達にもいる。

一流私大出身で、フランス語専攻。

でも講義に一度も出たことがないと開き直って言っていた。

彼女はずっと父親を毒親と呼んでいる。

自分がこんな風なのは父親のせい!といつも言っていた。

(全部自分のせいです)

でも彼女の高卒のサラリーマンの父親は娘のために全学費を払っていたのだよ。

娘は遊びボケていると承知でね。立派な親じゃあないの。

わたしだったら、そんな娘に学費援助などとっとと打ち切りにするね。

40も過ぎて何をいっているのか。と思った。

彼女が毒親と呼んでいる父親にだって毒親がいて、その毒親にも毒親がいる。

負の連鎖なんだ。

お父さんのせいばかりじゃあない。

それにお父さんはすごく苦労していてきっとつらいことが沢山あっていやな感じの人間になってしまったのだ。

大人ならそういう見えない部分を見てあげないといけないと思う。

理解できなくとも、赦してあげないといけない。

自分がどうしても赦すことができないなら、一生そのままだよ。

親がこの世から消えた後もそのままだよ。

それでいいの?

 

舅もそれだ。死ぬ2週間前まで30年も前に亡くなった自分の母親の悪口を言っていたなあ。自分の性格が悪いのは母親のせいだそうだ。

勝手に言ってろ。

80歳でもそれですか?

自分のせいだよ。

全部。

それでも母親の葬式では大泣きしていた。

変なの。

嫌いだったんじゃなかったの?

 

職場の同僚に、ギャンブルに手を染め、借金を抱え、それなのに仕事は勝手に辞め家に全くお金を入れない父親がいた。だから同僚は高校生の時から家に生活費を入れていた。これなんかまさに毒親。家計を支えるために大学も諦めたと言っていた。

でも恨みに思ってないそうだ。

 

自分の人生は自分で切り開いていくものだよ。

親がどうのこうのと言っているレベルではもうそこでだめ。

育った環境がどうでも、偉業をなしている人もたくさんいる。

毒親の子供が嫌なら瓦礫の中で生活している孤児の方がいいの?

発展途上国にはそういう子供が沢山いるけど、生きるのに一生懸命だよ。

毒親がどうのとか言っている暇もない。

独裁者がどうのと人のせいにしている場合じゃあない。

今日の食料の心配をしないといけない。

 

だから言い訳にしか聞こえない。

現状が嫌なら自分でどうにかしろ〜〜〜〜!

厳しい言い方かもしれないけれど。

これが本音。

 

ゲイの婚約者が気に入らない。

トビアスには婚約者がいる。

台湾から来ている。

当然男性だ。

名前はベン。

2年ほど前に婚約したと聞いた。

息子の方が指輪をあげた。

 

息子も1ドルにもならないような「プロミスリング」らしき金の輪っかを左手の薬指にしている。

次男の結婚式が先週の土曜日にあり、代表でスピーチをしているトビアスの左手に目がいった。

でもそのあと、ベンの手を見たが指輪らしきものは全く身につけていなかった。

なんと。

息子があげた指輪は?

 

彼は公共の場で絶対にゲイだとバレないように気をつけているのだ。

なんか息子が可哀想になって来た。

 

2年前に、ベンに親に話をしたのかと聞いてみた。

その会話はこんな感じだった。

 

ベン:親は自分の子供のプライバシーに興味がない(嘘)。

干渉しない(信じない)。

オープンな考えの持ち主(のはずがない)。

だからゲイでも気にしないはずだ(そんな親はどこを探してもいるわけない)。

 

私:じゃあ、婚約者がいるって今言ってあげても全く問題ないってことよね?

ベン:今はそんなことよりも重要なことがあるんだから言う必要なし。

私:そんな。教えるだけなら、2分とかからないでしょ?一刻も早く言ってあげたほうが親切だと思うけど。

べん:(うるさいと言わんばかりの眼差しでこっちをみる)

 

それで息子に後で聞いてみると、

「ベンは親に知らせることをものすご〜く恐れている。だから言えない。」

 

なんだ嘘か。

やっぱり。

勇気がないんだ。

ということはやっぱり保守的な親なんだ。

それにベンは長男で跡取りだし、家は財産もあるらしい。

言ったらショックだろうな。

これって親不孝だよね。

どこから見ても。

うちは息子が3人もいるから、一人くらいゲイでもどおってことはない。

でも一人息子がゲイじゃあ孫はなしってこと。

あちらさんの気持ちを察することは簡単だ。

 

その1年後。

少しは進展し、来年の夏(2020年夏)に東京に行ってそこで親と落ち合うという大展開となった。

でも

親が可哀想。

なにやら

自分がゲイであることと、男性の婚約者がいることを、

一気に知らせるという戦略らしい。

それもレストランで!

 

ひどい!

息子がゲイであることも知らないのに、いきなり婚約者?

なんと意地悪。

公共の場で大声で泣くわけにもいかない。

文句も言えない。

 

ただショックを与えて、ほなさいなら、ということらしい。

 

本当にひどい。

1年くらい、いやせめて6ヶ月前に自分のアイデンティティを知らせてあげて、親が諦めてから、失礼、納得してから、婚約者を紹介すればドラマにならないじゃないの。

それなのに、有無を言わせないために、これ?

親の気持ちも考えてよね。

可哀想。

これってすごい意地悪。

自分も親なのでこんなことをされたらたまったもんじゃない。

 

息子も可哀想。

東京のレストランで、相手の親に「せっしゃは何者?」とジロジロ見つめられた後に、ベンは親と中国語で言い合いになるかもしれない。きっと気まずい雰囲気に包まれることだろう。

容易に想像できる。

 

これを聞いてベンの評価が一気に落ちた。

ついでに息子のあげた指輪をしていないことも気にくわない。

弱虫!

それでも男?

おっと、ゲイだったね。

 

ゲイの息子を持つと相手の親のことまで心配しないといけない。

こちらから秘密で知らせてあげたいくらいだ。

でもそんなことをすると、息子たちの怒りを買うので黙っているしかない。

 

我が家は事件が多くて心やすらかになる日などない。

夫はそれから逃げるためか休日も仕事にずっと行っている。

 

もうどうにでもなれ!

わたしには関係ない!

 

勘弁して。

これ以上なにも知りたくない。

ほっといて!

と叫びたい。