メデイアでよく使われている言葉がある。
それは”呪縛”。(とっても怖い言葉よね〜〜😰)
一般的に子供が親に精神的に縛られ、自由意志を犯され、それが呪いのように感じられることを指すようだ。(夫婦間のケースもあり)
親に”こうしろ、ああしろ”とうるさく言われ続け、大人になってからもこれがやまず、この親の呪縛から逃れるために苦労するとか、逃げる、とか・・・
よく聞く。
我が子もその例に漏れず同じようなことを思っているに違いない。
しかし、親も”子供からの呪縛”で苦しむことが多い気がする。
その呪縛はおそらく子供の抱えている呪縛より苦痛が激しい。
なぜなら・・・
犠牲が多いからだ。
子供に縛られていると感じるほど精神が奴隷のように縛られていると感じている。
学齢期に達しても、成人しても、地理的距離が発生しても、心には我が子のことが常にある。
そう常に。
親の我が子を想う気持ちは止まない。
その反対に子供は親のことを常に想うとか、眠れないほど心配するとか・・・
ほとんどないようだ。😅
それは愛情の度合いが根本的に異なるからだろう。
その理由とは・・・
人は何かを”やってあげた”人を愛するからだ。
奉仕の対象を愛するのだ。
しかし、奉仕の受け側はやってくれた人にそこまでの深い感謝とか愛情とかはない。
してあげたほうの人が愛が強くなるのだ。
だからこの呪縛には愛というと背景がある。
やってあげればあげるほど愛情が深くなる。
愛情が強くなればなるほど呪縛が深い。
その理由で体は別個体でも、
距離的に離れても、
その感情を捨てることが
忘れることが
難しいのだ。😓
その我が子を想う気持ち。
それから完全に逃れることはかなり難しい。
でも・・・呪われていると感じるほど縛られている現実も
意識的に暮らすことにより改善は見られると断言できる。
我が子が自分のコントロールの及ばないところでちゃんと見守られていると信じられるなら呪縛は軽くなること請け合いだ。
肩の荷を降ろして、
不安も何も全て
神様を信頼しお任せして、
より崇高な人生の目標を目指して
我が残りの人生を生きる。
母以外の人生を探し
それを生きる。
それが答え。
キリスト教的な考え方
わたしは育ちがキリスト教だった。
だから聖書には少々詳しい方かもしれない。
そこにこんな聖句があった。
「あなた方のうちに重荷を追っている人はわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしのくびきは軽いからである。」
くびきとは農場で働く牛に使う木の道具(頭の上)。普通牛は2頭でこのくびきを引っ張る。
一頭はあなた。
もう一頭は神様。
一緒にこの重たいくびきを引いてくださるのだ。
くびきはあなたの試練。
このくびきを誰かが一緒に引いてくださるなら、重さも半減する。苦しみも半減する。
この重荷に耐えられる気もしてくるものだ。
だから一人でなんでも抱え込まないで頼りなさいということ。
その重荷は神様にあげてしまいなさいということ。
わたしは子育てに関わる問題を自分だけでどうにかしようとした。
くびきをたった一人でかつごうとしていた。
涙を拭いながらどんなに重くてもくびきを降ろそうとはしなかった。
重いくびきを担ぎながら毎日’自分の農地’をせっせと耕した。
疲れても休まなかった。
今、そんな母としての人生にほとほと疲れ切ってしまった。
そして初めて謙虚になり、くびきを完全に下に降ろした。
そしてこれからは誰かに頼るしかないという結論に至った。
頼るそのお方とは人ではなく神様。
我が子の魂を創造された神様。
それで気が楽になった。
もし神様の存在を信じられるなら、
今は地平線の彼方に何も見えなくとも、いつかどうにかなる、と信じられる。
ということは子供のことはお任せして、一日中考えたりしない。
自分のことに忙しく生きていくのだ。
そうすれば呪縛から解放される。
神さまはあなたの辛い気持ちをご存知だ。
「頑張ってるね。頑張ったね。立派だよ。」って言っておられるに違いない。
頑張りって完全じゃあなくてもいい。
結果がどう出ようと頑張ったことには変わりないのだから。
でもあなたは「こんなに苦しんでいるのに、なぜ助けてくださらないの?」と言いたくなってくるかもしれない。
それは神様は直接手を貸したりすることは滅多にないからだ。
それは私たちの成長のためでもある。
学習のためなのだ。
神様は親と同じで、我が子の成長のためには、毎回のこのこと出てきて問題解決を代わりにしたりなどしないのだ。
でも神様はくびきをともに担いでくださる。
どういう風に?
それは
心に平和をくださることによって。
慰めを与えてくださることによって。
心にいい案を囁きかけてくださることによって。
助けを他の人を通し送ってくださることによって。
それらが神様の援助方法なのだ。
だから
いつか一番いい方法で問題は解決する。
そう信じられる。
そう信じよう。
ドクダミママ至言
呪縛からの解放は、
まずいつも子供のことを考えないようにする努力によって起こる。
次に子供を自分よりより大きな存在にお任せすること。
つまり神様にお任せすることによって起きる。