何度も言っているけど、子供には期待しない方がいい。
自分の経験と多くの親の悩みを聞いてきてこれが真髄であると断言できる。
親が期待をやめれない理由
とは言っても親というものは子供に対する期待をそう簡単には止めれないものだ。
親とは根本的にそういうもの。
子供は親の延長、つまりエクステンション・コードのような感じに捉えているからだ。
でも実は、量子物理学的見地から見るなら、それは合っている。
つまり子供と親はたとえ肉眼には映らなくとも
物理的に本当につながっている部分があるのだ。
そして魂レベルでもつながっている。
だから我が子のことが頭から離れなかったり、我が子の苦しみが自分の苦しみと感じられるのだ。
ということは100%無視することは不可能ということになる。
最悪の痴呆症にでもならない限り忘れることは無理なのだ。
以前の恋人のことは忘れられる。
離婚した元の伴侶のこともいつか記憶の彼方に追いやられる日が来る。
でも我が子は別。
だから苦しいのだ。
そして母の精神を冒すことになる。
それは本当に苦しい。
苦しいから精神安定剤を取らないと日常生活に支障を来たす人もいる。
だって、自分の精神の安定を図るためには
是非ともこの子供にちゃんとなってもらわないことには困るのだ。
だから何度ガッカリするようなことがあっても、期待することをやめれない。
とってもわかるけど・・・やっぱりそれは問題かもしれない。
少しの期待はいい。
でも現状の子供本人の能力と意志を超えたような期待は
害あって利なし。
期待するのではなく
本当に親がすべきことは・・・実はこれ!
信頼
ひえ〜〜〜!
それって無理!という声があちこちから聞こえてきそうだ。
確かに。
すっご〜くうなずける。😅
うちの子供を信頼するなんて無理。
今までの素行と経歴を考慮するならもっと無理。
それはごもっともな意見だ。
自分もそのように思ってしまうことが多い。
でも!
それは可能。
実は子供自身は親に「期待していない」と言われることが嫌なんだそうだ。
見捨てられた気持ちになるらしい。
でも期待しないということは見捨てるということではなく
自分のエゴから来ている「期待」を捨てるということ。
その代わり、子供が”いつか”自分の力でどうにかできると”信頼”してあげるのだ。
我が子を信じる。
それに尽きる。
信じれば楽になれる
わたしの”元次男”は、二人の間に線を引くためにそう呼んでるけれども、どんなにそう呼んでも我が子には変わりはない。
そして彼の平行線人生を悲しむ自分もしっかりここにいることも認識している。
それでも、彼に対して”こうなってくれたらいいなあ” などという具体的な期待はもうない。
その代わり
いつか、彼は自分の力でどうにかするだろうと、彼を信頼しているのだ。
(実際は、信頼しようと自分に言い聞かせている・・・😅)
自分に欠けていたのはこれだった。
息子への信頼。
息子を助けてくださる神様への信頼。
信頼すること・・・それは親にとってかなり難しい注文。
でも、この信頼こそが親の精神を安定させ、希望を与えてくれるたった一つのかがり火なのだ。
今は何も見えなくとも
信頼。
どんなに過去の経歴が悪くても
信頼。
そうすれば
あなたは楽になれる。
我が家の赤ちゃんブルベリーに実が生った!
我が子にもいつか実がなる時がくると信じている。
親の勝手な期待はやめたけど
元々備わった底力で実を生らせる時がいつかくると彼を信じている。
ドクダミママ至言
たとえ信頼に置けない人間であると思っても
我が子を信頼しよう。
我が子が信頼できなければ
我が子を親よりもよく理解していて愛して下さっておられる
神様を信頼しよう。
そうすれば楽になれる。