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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子供を育てる上で最も大切なことは何か

子供を育てる上で最も大切なことはなんだろうか。

それは・・・・

たとえ認識していなくても

多くの親はおそらくこれを考えているはずだ。

つまり・・・

我が子を・・・

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(出典:https://www.inc.com/nicolas-cole/10-lies-people-believe-about-success-that-simply-arent-true.html

勝ち組にすること😅

親は往々にして世俗的な成功に焦点を置き易い。

でもそこにだけに、またはそれに1番の焦点を置くことは危険かもしれない。

つまり、良い成績を取り良い学校に入り安定した仕事に就くことが全てのような姿勢だと子供がバランスの取れない人間になる可能性があるということ。(自分がそれ・・・・😅)

そのためならなんでもする、というような人間にもなりかねない。

友達や同僚は競争相手であり、その競争相手に勝つためにはどんな汚い手でも使う、

といった人間にもなりかねない。

それはどんなものだろうか。

 

親は我が子に立派な人になってもらいたいと思っているのが普通だ。

でも立派な人というのはどういう人を指すのだろうか。

認識しているいないにかかわらず普通は社会的に成功している人を指しているはずだ。

表向きには優しい人になって欲しいとか言っても

本音は競争に勝てる人。

要するに勝ち組。

 

だけど、勝てない子供だっている。

そういう子供はどうしたらいいのだろうか。

もし親の望むような勝ち組になれなかったら

子供は自尊心がズタズタに傷つき、

自分を責め、

フラストレーションから誤った行動に走るかもしれない。

 

確かに学校の勉強やこの世の成功も大切かもしれない。

でも基盤がちゃんとしていないところにそれを乗せていくことに問題があるように感じられる。

もっとも大切なことは

他にあるのではないだろうか。

 

世俗的なことを目標にすること

そもそも、どんなにこの世で成功を収めても、そんなものは永続するものではない。

みんな歳をとっていき

いずれは墓に横たえる日が来る。

それならなんのために成功しないといけないのか。

生きることとは一体なんなのか。

どうせいつかは死ぬ身ならなぜここまで頑張らないといけないのか。

この世を去った後に一体何が残るのだろうか。

この世で生き抜くことだけが唯一の生きる目的で目標なのだろうか。

と、特に親の期待に応えられない子供に限ってそういうことを考えるきらいがある。

 

たくさんのお金を稼ぎ、海外旅行に頻繁に出かけ、豪邸に住み、

みんなに羨ましがられるセレブ生活が目標?

それが可能ならそれをすることもいいだろう。

でもそれだけが人生の目的ならいずれは虚しさを感じる時がやってくるに違いない。

 

どんな人の人生にも終わりはやってくるのだ。

財産はあの世に持ってはいけない。

豪邸も然り。

持って行けるのはその人の人格とか学んだこととか

そういった内面的なもの。

実際、傑出した人物の共通点とはただ単に社会的成功を収めたということだけでなく

人格的なことも多く含まれている。

やっぱり心が一番大切。

 

有名にならなくとも、経済的に大成功を収められなくとも、

誰かたった一人の人を助けることができたなら

それは助けてもらった人の心に残る。

誰かの心に残ること、

それも立派な業績の一つと数えられるのではないだろうか。

 

とは言っても貧乏は苦しいし、辛いものだ。

我が子がホームレスになるとかやっぱりとんでもない。

それでも、我が子が自分でいいと思えるレベルで幸せならそれでいい気もする。

 

一番大切なこと

どんなに稼いでも悪いことをすれば結局それが発覚した時に全てを失うのだ。

だから道徳心が大切。

また、心が不安定だとどこでも機能できない。

だからやっぱり心が一番大切。

 

子育ては子供を育てること。

それは体だけでなく心も。

子供の心の衛生状態を健康に保つことは体の健康と同じくらい大切。

 

そしてそれが一番難しい。

実際、子育て中に親はたくさんの間違いを犯し、意図せずに子供をひどく傷つけることもある。

子供の心を守ってあげることが大切とわかっていても’うっかり’舌が滑るのだ。

そして手が出てしまう場合もある。

時には足も・・・・・。😰

 

それを避けることは人によってはとても難しい。

一番大切なことは一番難しいものなのだ。

親業は難しい。

そして親は後悔ばかりが頭をよぎる。

 

でも過去をずっと悔やむより、

今日から子供の心を汲んであげる姿勢を見せる努力をすればいい。

つまり我が子を違った眼差しで見てあげるのだ。

 

そのために、最初に認識することがある。

それはこれ。

 

子供の本当の存在は、その肉体ではなくその肉体の中にある魂であるということ。

子供は親と同じで心のある生き物であるということ。

それを親は常に自分自身に言い聞かせないといけないかもしれない。

(悪気はないけどそれをついつい忘れてしまうのも親・・・😅)

 

それができれば、我が子を今までとは違った目で見てあげれるようになろう。

 

それなりでいい

期待が大きいと、我が子の出来具合に対して親はガッカリすることが多い。

ただ我が家に関して言えば、本人たちはあまり気にしていないように見える。

気にしているのは’やっぱり’親。😅

それは親はエゴと見栄の塊だからかもしれない。

 

でも最近思う。

本人がそれでいいならいいんだよね、と。

 

とりあえず生活できていれば

たとえそれが理想からはかけ離れていても

そういう人生もありではないだろうか。

親は別のことを考えていたし期待していたけど、

本人以外が自分を変えることはできないのだから。

 

彼らが自分でどうにかしないといけないと感じた時に

初めてどうにかするだろう。

 

もしどうにもならなかったら?

それも本人の人生だから親には責任なし。

 

子供が50歳になってもどうにもなっていなかったら?

その時は親はこの世にいないかもしれないから

そんな先のことまで心配しても仕方がない、と開き直るしかない😅

 

多くの子供は親が喜んでくれるような人になりたいと心の中では思っているものだ。

でもそれがなかなかできない・・・。

できないとわかっているから苦しいのだ。

だからその気持ちだけでいいとしてあげよう。

結果が伴うことがなくても、その心だけは理解してあげよう。

そしてそれだけで十分と思えるようになった時が

親の悟りの時と言えるかもしれない。

 

勝ち組になんてなれなくともいい。

 

ドクダミママ至言

子供が’勝ち組’になるようにとそれだけに集中するきらいが親にはある。

しかし実は社会的に成功するように育てるより心を育む方がもっと大切。

子育てには子供の体のみでなく心を養うことが入っている。

それを忘れてしまうことが親にはとても多い。

子供の心の奥深くに入り込み、そこにあるものを感じてあげるなら、

親は子供を理解することができるようになる。

そうなれば、子供も自分を認め、自分でしっかりやって行けるだろう。

ただその’いつか’は子供が決めること。