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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

親は開き直って子供の親友になるべき時もある(ゲイの息子から学ばせてもらったこと)

親は開き直らないといけない時がある。

世間に顔向けできない我が子の状態に対して開き直るのだ。

 

開き直る時は

親が子供の一番の理解者で

子供の一番の親友になってあげないといけないと痛感する時。

その時は必ずやってくる。

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うちの猫。人見知りが激しいけど、飼い主にとっては特別な存在。
孫扱いで親友扱い。誰がなんと言おうとも可愛い。愛に条件はなし。

ゲイだからなんだってゆうの?

ご存じのようにうちの息子の一人はゲイ。

最近はゲイなんて驚くことでもなくなってきた。

その辺でいくらでも見聞きする。

 

現に三男の同級生も昨年カミングアウトして、年末に結婚までしてしまった!

おまけにそのニュースを写真入りでフェースブックに載せていた。

あっぱれな勇気!

それで夫も自分も「いいね!」にそれぞれ一票入れてあげた。

彼の生き方を全面的にサポートするという意味ではなく

彼の幸せを心からサポートしているという意味で。

 

そもそも今の世の中はゲイやレズビアンだけじゃあない。

こんなに色々な性別がある。(実際はこれ以外にもあるらしいけど・・・😰)

 

lesbian:レズビアン

gay:ゲイ

bisexual:両性(男性でもあるし女性でもある)

transgender:トランスジェンダー(自分で認識している性ーつまり心と体の性が一致していない人)

queer/questioning (one's sexual or gender identity):クイア(奇人という意味)自分の性がなんであるか考え中の人。

intersex: 間性(男性、女性のどちらとしても認知できるし、あるいはいずれの性にも属さないと認知する)

asexual/aromantic/agender:無性(😓)

 

なんか・・・世もおしまいか・・・・。😰

 

だからゲイなんて軽い軽い。

 

こんな時代でも

新規なものを潔く取り込もうとする勢いのあるアメリカでも

息子がゲイだとこそこそと隠し事をするような態度の親が今でも結構いる。

でも夫とわたしは息子がゲイで恥ずかしいとはこれっぽっちも思っていない。

それどころか世間に堂々と言っている。

我が子はゲイです、と。

それもかなり立派なゲイです、と。

それを間違っているとか変であるとか

そんなことは

考えたくない。

そんなことはどうでもいい。

 

とは言っても

宗教的及び道徳的観点から見るならこれは問題視されることなのかもしれない。

でも自分は神ではない。

不完全な人間には彼を裁く権利はないのだ。

だから息子の個人的な人生の選択には介入しないことにしている。

 

そもそも彼がしっかり生きていってくれればそんなことは二次的なこと。

 

息子は・・・

優しくて、

思いやりがあって、

上品で、

楽器が弾けて、

歌がプロ並みに歌えて、

社交ダンスが得意で、

知性及び教養のレベルが高く、

バイリンガルで、

長身でハンサムで、

紳士の中の紳士。

(もったいない・・・・😅)

 

’ただ’ゲイなのだ。

だからそれがどうした!!!?

 

と、開き直ってます。😅

 

今は親ではなく彼の親友になってあげたいと願っている。

何を言っても許される親友に。

 

親友になる

結局親はいつかは「親」を卒業し、親友にならないといけないと感じている。

我が子が自分の人生を堂々と生きることができるように影で応援するのが親友の役目。

一番の理解者が親友。

そして親友は裁かない。

 

親は危なっかしい子供を見て口出し(ダメ出し)をしやすいけど・・・

それを止めないとといけない時は必ず来るものだ。

 

何も言わないでも子供はいつかどうにかなるもの。

ただ信じてあげる。

本人が自分の力で人生を切り開いていく力があることを。

それだけでいいのだと思う。(それが一番難しいのだけど・・・😰)

 

認めてあげる

子供に親が誇りに思えるような人物になって欲しいと

自慢の子供になって欲しいと

願い、夢を見るのは親の常。

 

でもそうならないケースの方が多い。

ならなければ親は落ち込む。

でも、おそらくそうなれない子供も親の期待に添えなくて辛いのだろう。

だから本人の生き方を認めてあげるしかないのだ。

犯罪を犯していない限りは認めてあげよう。

親の理想なんて捨ててしまおう。

世間の目も無視しよう。

そもそも

世間にどんな目で見られているかなんてどうでもいいことなのだ。

常識?

そんなもの・・・

そんなものは国や文化によっても異なるし時代によっても変わるもの。

永続するものではないのだ。

 

子供が心を割って自分の気持ちを伝えられるような親友になろう。

子供の十分でない部分が見えたら

開き直ろう。

 

ドクダミママ至言

親には開き直るべき時がある。

世間の目よりも常識よりも子供の心の方が大切。

わたしたちには

いずれ親という’上から目線’をやめて親友に変わらないといけない時が来る。

その時が来たら、腹をくくって潔くそれに臨むべき。