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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

親が衰弱すれば子供の究極の目覚めはやってくる

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影絵劇のチラシ。さまざまなお芝居に子供たちを連れて行っていた。これもその一つ。この日、家に帰ってきてから自分たちで影絵劇を真似して遊んでいた。懐かしい時代。子供たちが可愛かった時代。子育ては大変でもやりがいがあると感じていた時。希望がたくさんあった時代。でも今は親も子供も変わり果てあの当時が夢のように感じられる。いや、本当に夢を見ていたのだ。そして今が現実でその過去と現在のギャップに驚いている今の自分もまた現実。現実とは容赦無く厳しい。

どんなに親が嘆願しても

泣いても

怒っても

どうにもならない時があるし

どうにもならない子供もいる。

 

でもそんな子供にも目が覚める時がやってくるものだ。

ただそれがいつかなのかはわからない。

人によって異なる。

大きな事件が訪れるならそれが目覚めの時となるかもしれない。

 

’元’次男に転機が訪れるかも

1年間全く話をしていなかった’元’次男が感謝祭休暇に帰省した。

なぜか、今までとはうって変わって彼は不思議ととても感じが良かった。

反抗的な態度はいっさい見られなかった。

さてはやっと落ち着いたのか・・・。

ホルモンが減少したのか・・・。😅

 

実はそれには正当な理由があった。

彼は親を心配させることはもうできないと思ったらしい。

 

父親は杖をつき

髪の毛がほぼ全部真っ白になり(1月で56歳になるけど最低70歳に見える・・・😅)

皮膚は弾力性を失い

変わり果てた姿を目の前にして

彼は親が急に歳をとったことを理解した。

 

それだけではない。

 

母親には春に心臓発作があった。

そのことを知らされ彼は愕然としたらしい。

 

わたしのこの発作の原因はやっぱりストレス。

ちょうどあの時、三男の期待していた仕事が決まらず、息子と一緒に泣いて落ち込んだ。

今度こそ!と期待は大きかった。

雇用側もかなり乗り気だった。(例のアメリカ人の大袈裟な態度に騙されただけ😅)

だから親子でこれに賭けたのだ。

執念と祈りで。

でも決まらなかったのだ。😥

 

息子の不幸は母の不幸。

息子のストレスは母のストレス。

そしてその夜中、いきなり動けなくなった。

 

心臓発作なら心臓が痛くなるはず、でも背中に激痛が走ったのだ。

ちょうど大人のゾウが乗っかっているのような痛みだった。

どうにかして痛みを止めるために、動けないなりに手を打とうとした。

でも体を斜めにしようが横にしようが痛みは全く軽減しない。

そもそもほとんど動けない。マッサージも効かない。ということは筋肉の問題ではない。

それと同時に呼吸困難。

それが結構長く続き、翌朝それを医者に告げると、女性がかかる典型的な心臓発作だというのだ。女性は背中で感じるらしい。

 

「ママはもうストレスを乗り越える力が残っていないんだよ」

と父親から伝えられ’元’次男は黙りこくった。

 

でもだからと言って「もうストレスをかけるようなことはしてくれるな」とは言わなかったらしい。

 

’元’次男がこの日家に来てから私は彼に対して何も言わなかった。

言いたいことは当然あった。

でも口を閉じて、彼の言っていることにひたすらうなずくだけだった。

「それはいい案ね」とも、もちろん言わなかった。

 

彼はいつも親に自分の夢を語る。

大きくとても届きそうもないような夢だ。

でも行動に起こすことはほとんどない。

応援してもやらない。

口だけ。

口だけなら誰でもできる。

口だけならただの夢。

夜見る夢と変わりない。

 

そのことを指摘すれば凶暴になるので何も言わないことにした。

少なくとも今回は。

 

目標はこの休暇中なるべく平和に過ごすこと。

そのためには口を閉じる。

不思議なことに努力なしでできた。

卒親が近いという証拠かも。

 

子供をどうにかしようとか、変えようとかそういう無駄な努力をすることに意義を見出せなくなったから、もう何もしないし何も言わない。

息子の頑固さと親としての無能さを認識し、受け入れ、諦めたからである。

つまり身体的にも精神的にも限界に達したということだ。

 

結局、感謝祭は娘の借り家で行い、夫には参加させたけど、私は行かなかった。

疲労困憊で人がたくさん集まるところに行く気力も体力もなかったからである。

今までは私が全ての行事のイベントプランナーだったけど、もうその役割から引退したいし、参加も勘弁して欲しいのだ。仕方がないと分かっていても、期待から180度も外れてしまった’元’次男の姿を見ることが辛いのだ。(まあこれが普通なんでしょけど・・・)

 

’元’次男は母親が現れなかったので気にしていたらしい。👍

 

死んでもいい

結局子供は親の死が近づくことによって変わっていくのかもしれない。

それなら親が亡くなることにも意味がある。

 

よくドラマで、歳老いた親がこんなことをいうシーンがある。

「我が子が心配であの世に行けない」と。

その気持ち、今となってはとてもよくわかる。

 

でも、わたしはほんのちょっと違う。

自分がいなくなれば子供たちは目が覚めるだろうと思う。

それならば、この世から消えることにも意義がある。

だからあの世に行っても構わない。

子供たちのために命を捨てよう。

もしそうなれば、

命ははかなく、人生はあっという間に終わることを彼らは認識するだろう。

 

フラフラしている人生はもったいないのだ。

無駄に生きるとはそういうこと。

5年考えて答えが出ないことは10年たっても出ない。

でも本人がそれでいいなら親は何も言えない。

 

自分はそういう人生を生きている我が子(一人ではない)を見て出る言葉がない。

これ以上何を言っても無駄だと思うし、

とにかくストレスを増やしたくない。

 

息子たちと生きた人生は大嵐だった。

なぜ彼らはもっと賢く穏やかに物事を運べないのか・・・と常に思っていた。

(親が親だから・・・遺伝でしょうか????😅)

でもそんなことは願うだけ無駄と気づくまでにこんなに時間がかかってしまった。

もっと早く手放せばよかった。

 

今は静かに生きたい。

それだけが望み。

 

次に心臓発作が起きたらアウトだと言われた。

助からないかも。

すでに夫に言ってある。次に起きたら放っておいて、と。

蘇生させなくていい、と。

 

もし自分の終わりが我が子にいい影響を与えるなら、戦うことはしたくない。

結局、こういう子供もいるのだ。

親が弱り果てないと変われない子供。😅

それを素直にただ受け入れ、今日という日を穏やかに過ごす。

それだけができること。

 

世の中には’強い母’という人がいて’強さの灯台’、つまり、暗闇の中でも諦めずに子供のために光を灯し続ける灯台のような母がいる。

彼らはどんなに困難でも我が子を信じていく。

しかし・・・期待している母を悲しませないように頑張る子供もそこには存在することも忘れない方がいい。

親を悲しませるとかそういうことは念頭にも浮かばない人もこの世には存在しているのだ。

自分を喜ばせることが一番。

そういう場合は期待しても無駄。

本人の好きなようにさせた方がいい。

 

それでも親が亡くなればそんな人でも少しは目が覚めるだろう。
たとえ覚めても行動に起こすかどうかは別話だけれども・・・。😅

 

ドクダミママ至言

子供の究極の目覚めは親が歳を取り衰弱すればやってくる確率が高くなる。

でもその時ではもう取り返しがつかないということもあり得る。

そうなったら、それはそれで仕方がない。

子供は自分の人生に責任があるのだから。

 

目覚めはやってくる。

ただその時期は検討がつけられない。

だから気長に待つなんていうことも止めたほうがいい。

期待するとストレスになるからだ。

 

いつか究極の目覚めは必ずやってくる。

もしこの世で来なければあの世で来る。

だからどの人にも必ずやってくるのだ。

 

ただ日々を平和に過ごすこと、それを目標にしよう。

そのために下記のことを念頭に置き今日という日’だけ’を乗り切ろう!

(明日のことは明日に任せよう)

  • 子供は何歳でも必要以上に期待しないこと。
  • 心配しないこと。(してもしなくても結果に変動はないから)
  • 平和に生きることを今日の目標にすること。
  • 自分の魂の滋養を第一目標にすること。
  • 自分にも子供にも厳しいことは言わないこと。