日本は親子間の境界線があまり見えない文化のようだ。
でもたとえ親と子供でも、血が繋がっていたとしても、それはそれだけのことで、別の個人であることには変わりはない。境界線を無視するなら、それははっきり言って、人格否定ということにもなりかねない。
だから互いのバウンドリーに侵入することはルール違反なのではないだろうか。
実際、親であるわたしたちも思春期の時そのように感じなかっただろうか?
とは言ってもこの日本人の血と育った文化はなかなか消すことが難しいと感じている。
そもそも、ずっと一緒に暮らしているし、親子なんだから。
それに住居が狭かったりもする。
やっぱりこのバウンドリーというコンセプトを完全に理解し実践するのは困難?😰
バウンドリーと言っても
幼い時はやはり親がなんでもやってあげないといけない。
でも大きくなるに従って、自分で考えさせ自分で決めさせ自分で行動させないといけないのだ。
そうしなければ後々反抗という形で子供から抗議がやってくる。
とは言っても、親はついついこのバウンドリーに侵入し余計な口を挟んだりするものだ。
自分もこのルール違反をたくさんしてしまった。ごめんね〜😓
バウンドリーの厳守ルールにはこんなものが考えられる。
例えば
子供に自分の服を選ばせる。
子供に好きな髪型を選ばせる。
子供に習い事を選ばせる。
行きたい学校を選ばせる。
本人の部屋に勝手に入って日記を読んだりしない。
勝手に部屋を片付けたりしない。
子供の友達の悪口などを言わない。
就職先について口出ししない。
結婚相手について口出しを控える。
孫の育て方についていらぬお節介を焼かない。
さらに、精神的なバウンドリーにも入らないことも入る。
でも、上記の例は親がバウンドリーを(いとも簡単に)越えるケースが多いように見受けられる。
バウンドリーを厳守と言っても
いつも本人に完全に決めさせるのは年齢により異なるし状況によっても異なる。
当然、絶対譲れないものは親の意見を反映してもいい。
例えば
歯をちゃんと磨くとか、
野菜をちゃんと食べるとか、
就寝時間とか、
そういった健康に関する事柄は親が提案(あくまで提案)をすることは必要であると思う。
でも、「〇〇ちゃんはどこそこの学校に行ったほうがいいと思うけど」などどいうのは本人の意見ではなく親の意見で親の勝手な希望でもある。それは親のエゴから来ていることが多い。つまり子供が一流大学に入れば自分が誇らしいからだ。子供の業績は自分の業績。切り離して考えることはかなり難しい。😢
そもそも、頑張ってもらわないとこちらの努力と犠牲が無になるってわけ。それに親は本人のために言ってあげているのだ。でも本人からしたら押し付けれられていると思っているはず。
そう、誰でも押し付けられるのは嫌なものだ。
わかっているけど・・・やめられない・・・。😢
ではなぜ親はそんなことをするのだろうか。
自分だって強制や過干渉は嫌なはずなのに。
我が子の事になるとどうしてこうもひっくり返ってしまうのか。
親は、愛という美しい名の裏にある「エゴ」を認めない限りは、過干渉をやめれない。
うちの子供たち
今、娘がフェニックスから帰省している。
部屋は相変わらずめちゃくちゃ。ハリケーンも竜巻も来てたかしら?😅
この寒いのにミニスカート(はけるほど美しい脚であることは認めるけど)で素足!
長く栄養が足らない食事をしていたようで、髪の毛がバサバサと大量に抜けている。😰
彼氏はいるのか?とかそんなことは口が裂けても言わないように気を付けている。
それは娘のバウンドリーなので何も言わない。
ああ平和。☺️
次男は自分の経済を立て直すために昼間の仕事とは別に夜間と週末のアルバイトを始めたそうだ。多分今人手が足らない運送業界だろう。いいことだ。
自分で考えて一生懸命やっている。
親は口出しをしない。でも働きすぎて倒れたりでもしたらどうしようと思わないでもない。
離婚の件もどうなったのかあの後は何も聞いていないし、干渉しないことにしている。
若いんだしできるはず。それに彼からその学習と成長の機会を奪う権利は親にはないと思っている。
人は一人で悶々として悩みながら大人になっていく。孤独には意味がある。
長男はここから車で40分ほど離れたところにゲイのパートナーと一緒に暮らしていてフルで仕事を続けながら大学院に在籍している。今学期の成績もオールAで喜んでいた。母親にその出来栄えを報告して喜んでもらえて嬉しかったようだ。よくできているところは褒めてあげて他は無視に徹している。例えゲイでもなんでも自分の選んだ人生を一生懸命生きている彼を誇らしく思っている。本人が幸せならそれでいいのだ。彼の人生なのだから。
三男は嫁の家族と一緒に暮らしていて仲良くやっているようだ。大学はこれで卒業。でも社会の現状からいくと就職氷河期に収束がついていない。本人はそんな世の中でも楽観的で仕事を絶対に見つけると言っている。親は「ちょっと危ない」と予測しているけれど、本人には何も言わないことにしている。
このように
「提案」(またの名をお節介)というものは聞かれない限りは全てやめた。
平和この上ない。😁
我が子といえど彼らのバウンドリーに入ってはいけないのだ。
しかし、もっと早くからこうしていればよかったとつくづく思う。
じゃあ、ひきこもりとかの場合は?
これはハードルが高い😰。
でも親は平和に生きたかったらこれも基本的にはバウンドリー厳守。
親がすべきことはなるべく明るい態度で過ごすこと。(明るいふりでもいい!😅)
なぜなら、引きこもりの子供は外に出ないとか学校に行かないとかいう外側に見える引きこもりだけでなく、心も引きこもっているからだ。これは根本的には心の問題なのだ。
子供の心が開き、外に向かうようにするには子供が安心しないといけない。子供が安心するには、親が安心した気持ちでいないといけない。そして明るい態度。
そうすれば状況がが好転する可能性が高い。
まとめ
バウンドリーを尊重するなら
子育てのストレスはかなり軽減されるだけでなく我が子を心底エンジョイもできる。
心配事も減る。
いいことばかりだ。
他の人のバウンドリーに入ることを止めれば人生はもっと楽になるし、明るくなる。
ストレスの原因は他の人間の人生をどうにかしようとあくせくするからだ。
これを止めればいいのだ。
ドクダミママ至言
他の人のバウンダリーに侵入することはルール違反。
嫌われる原因。
親が不幸になる原因。
愛とエゴの違いを認識すべし。