人は今起きていることを自分でコントロールできると思いがち。
何がなんでもどうにかしようと色々思案に暮れたりするのも人の常。
でも実際にコントロールできるものなどあるのだろうか。
ほとんどのことはコントロールなどできないように見える。
自分のものならコントロール可能?
人は、自分の所有物ならコントロールが可能と思っている。
だから家やコンピューターや我が子も”自分のもの”と信じて疑わない。
そのため、自分のコントロール下にあって当然と思い込んでいるのだ。
でも実際、どんなに好きな人やものであっても自分の所有物ではないのだ。
一番いい例は自分の体。
自分のは自分の一部であるのだから、自分のものだと思っている。
でもコントロールできているだろうか。できるなら病気になど罹らないはずだ。
自分の体や持ち物でさえコントロールできないのだから、周りの人や周りのもののコントロールはさらに不可能。
親は我が子のことについて常に目を光らせていて、軌道修正をしようと躍起になったりする。
これもうまくいかない。
実際、コントロールしようとすればするほど事物は空回りし不幸感が増すようだ。
コントロールしようとする生き方は不幸な生き方
コントロールしようとする生き方は自然の法則に則していない。
自然の法則に則さない生き方は苦しみの原因になるのだ。
このような生き方から解き放たれることができたならどんなに楽だろうか。
それを止めることができるなら、今目の前にある事象を別の観点から見ることができるようになるのではないだろうか。
コントロールに集中する人生は悩みの人生。そんな人生を送っていると、美しいものが目の前にあっても気がつかないことが多い。
でも課題を完全に放っておいていいというわけでもない。
それなら、コントロールしようと必死にならずに課題に対応することはできないだろうか。
変更は可能
コントロールは無理でも変更可能のことはある。
変更可能なこととは、つまり
1。過去の出来事の見方や認識
2。今後・将来、自分がすること
3。自分の感情、物事の解釈法、及び自分の可能性の開発方法
反対に変更不可能なことは
1、過去にすでにしてしまったこと
2。過去の行いの結果として今起きていること
3。そのほかの事実
だからコントロールするのではなくて
変更することが様々な問題への対応法であるように感じる。
変更できることはそれをできる限りでいいから一つずつ実施し、
できないことはそれを認め、今後に生かす。
それくらいしかできることはなさそうだ。
肩をいからせて必死になってコントロールするのはやめよう。
腹をくくるべき時もあることを認めることは平穏に生きる鍵であるように見受けられる。
コントロールすることをやめたら、
たとえ曇り空でも一筋の光をそこに見つけることができるのだ。
ドクダミママ至言
コントロールはストレスのもと。
コントロールではなく変更できることを実践すること。
これが一番ストレスが少なく結果が出やすい。