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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子離れは段階を経てやるもの

子離れがなかなかできないで苦しむのは母親がほとんどを占める。

子離れができない理由の一つは

親の心が未熟だからとも言われている。

つまり、癒着した心の関係がないと愛情が感じられない状態にあるから。

 

嫌でも親はいつか子供から離れないといけない。

どんなに愛していてもそうしないといけない。

でもそれは一度にすることではなくて

少しずつすることなのだ。

 

その段階は、つまり・・・

乳児期:しっかり胸に抱っこして、肌を離さない。

幼児期:下におろして、手を離さない。

少年期:手を離して、目を離さない。

青年期:目を離して、心を離さない。

(助産婦、賀久はつ氏の言葉から抜粋)

www.youtube.com

ああ、 耳が痛い動画・・・😓。

 

でも理想的にはこうやって少しずつ、子離れをしていく。

親が子離れしないと、子供にとっては’重たい親’で、そう思われたら最後、家に寄り付かなくなる。(我が家みたいに😓)

上手に子離れができる親が子供に好かれ、

ほどよい距離がある親子関係が健康的な親子関係と言える。

 

親の心は我が子のことで溢れている。

心が愛で一杯はいいこと。

でも幼い時からの「目を離さない」ことが習慣になっていて、ずっと後を追ってしまう。

目で耳でそれを行う。

常に神経をピリピリさせたりもある。

手助けをやめれない。

子供への信頼?

無理。

 

でも子供は日々成長している動物であるから親もそれに合わせて調整が必要。

つまり子育てには柔軟性が必須。

手綱をあるときは強め、あるときは緩めるというように

少しずつ子供の成長に合わせて緩める頻度を多くしていき

最後には手綱を完全に地面に下ろさないといけない。

それが親の使命なのだ。

つまり親の使命とは子供を自立させること。

 

自立しようとしている子供を引き止めているのは親。

引き止めたら嫌がれる。

それでもやめれない。

困ったものだ。

 

少年期の「手を離して目を離さない」とは 

手をつないで親が人生のガイド役になることを少しずつ減らしていく事を意味し、本人の意志を考慮することであり、本人が自分の意志で動いているときは目を離さない、ことを意味するように感じる。

 

青年期の「目を離して心を離さない」は、

心で我が子の幸福を願うだけを意味するのだと解釈できる。

目を離すとは具体的に、

1。後を追わない

2。見ない

2。いちいち今やっていることを詮索せず口出しもしない

ということ。

 

心を離さないとは、

心に寄り添っていてあげるということ。

つまりこれが遠くから見守るということなのだ。

 

子供が大きくなるに従って、一歩ずつ引いていき、成人したらかなり引かないといけない。

それが究極的の子離れ。

つまり親にとっては別れと同じ。

だから苦しいのだ。

でも子供側は親から離れる時が来ることを感覚的に理解しておりなんとも思っていないことを知っていて欲しい。

彼らは日々成長している。彼らにあるのは未来のみ。

でも親は常に子供を追いかけている。

そんなに早く成長して欲しくないかの如くに。

親は子供の成長の速度についていけないので転びながら追いかけているだけなのだ。

そしてその過程で自分を失っていく。

本当はそうではなくて親自身が個人として成長しないといけないのだ。

 

ドクダミママ至言

子離れは段階を経て行うもの。

一気にやろうとすると親子関係をこじらせることにもなりかねない。

最後は、目を離して心は離さない。

どんな親にもその日はやってくる。

それを避けることはできない。

それでいいのだ。

子供から離れることが全ての動物の運命なのだから。

そして子供を追いかける人生はやめて

自分の成長に重きをおくべき。