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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

苦しみから逃れる方法があるのだろうか

人は生きている限り様々なことで悩み苦しむ。

人生に難題はつきものだからだ。

難題のない人生がよければなるべく危険なことを避け新しいことを試みなければいい。

そうやってなるべく何事も起こらないように暮らしていくのは確かに平和かもしれない。

それでも事件は起きるものだ。

おまけに人は大した問題でもないことでも悩み苦しむ。

問題がなければどこからか探してくる。

だから問題や難題がない人生はありえない。

そのため幸福を感じることができない。

なぜ自分はこんなに不幸なのか。

なぜ幸せになれないのか、と不公平な世を恨むこともある。

親も、なぜ我が子は自分をこんなに苦しめるのか、と言ったりする。

(子供も、なんでこんな親の元に生まれてきたのか!と嘆いたりする😅)

 

本当にそこまで苦しむ必要などあるのだろうか。

どうやったらもっと楽に生きられるのだろうか。

 

 悩まなくていいようなことでも悩む理由はなんなのだろうか。

そもそも悩もうがどうしようが事物は全く変わらないのに。

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またコスプレにゃあ〜?やめてくれにゃ〜〜!これが俺様の究極の苦しみにゃあ。😅

 

仏様が教える苦しみからの逃れ方

仏様は現生の苦しみから逃れる方法を教えられた。

つまり苦しみの根本的原因は執着であると説いておられたのだ。

ということは執着をやめれば幸せになる。

 

それではまず人は何に執着するのか。

 

こうでなければならない、というような固定観念への執着。

周りに足並みを合わせようとする執着。

人の目に対する執着。

恥への執着。

プライドへの執着。

こうなって欲しいという願いへの執着。

自分の思いへの執着。

過去への執着。

人への執着。

物への執着。

 

親は特に我が子のことになると執着をやめられない。

子供という存在への執着。

子供の進路への執着。

評価への執着。

愛情への執着。

コントロールすることへの執着。

子供への依存心への執着。

たくさんある。

その執着を捨てられずにとにかくどうにかしようとする。

 

しがみつけばつくほど苦しみが増すのにやめれない。

人は執着のかたまりなのだ。

この執着を止めれば楽になれるのに。

 

そうすれば軽くなれるのに。

 

執着心を捨てるとは諦めること?

わたしも、綺麗さっぱりとまではいかないけれど

自分の子供たちへの犠牲に対する後悔心に

彼らに対する想いに

こうあって欲しいという望みに

期待に

こうあるべきという固定観念に

彼らの将来に

しがみつくのを辞めようと日々努力を重ねている。

側から見ると、それは諦めているように見えるかもしれない。

 

しかし執着心を捨てるとは半分諦めのようだけれどそうでもない。

それは逃げじゃあないか、と言われるかもしれない。

それは望みを全て捨てたわけではない。

ただその結果にしがみつくのをやめたのだ。

その結果を完全に自分の思い通りになるように戦略を考えたりと、

とにかくあくせくとすることをやめたのだ。

やめたといっても今も時々、昔の癖がヒョイを顔を覗かせることがある。

それでも1年前に比べればかなり上達したと思う。

 

確かに努力もしないで諦めるというのはよくない。

努力をするべき時もある。

子供が特に幼い時などはそうだ。

でもその努力の後に何もない可能性に人は悩み苦しむ。

だから努力の結果に執着しないほうがいい。

 

これができれば苦しみから逃れることができる。

 

若い時は、体力もあるし、能力以上の努力も可能だった。

うまくいかなければその上の努力もできた。

それはそれでいいのだ。

でも、年齢を経ていくと、これができなくなってくる。

人間には限界があるということに気づくのだ。

親にも限界がある。

その限界内で努力し、その後はその結果に執着しないで、ありのままを素直に受け入れる姿勢が、心を平穏に保つ鍵であると気づいた。

 

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騒いでもダメじゃあ!腹をくくっておとなしくせい!(ごめんね😅)

三男のケース

我が家の三男は軍隊に志願することは諦めたけれど、その後一般企業からの不合格通知が相次ぎ、今度は他の政府関係の仕事を探すことにした。運よく海軍の一般応募の仕事を見つけ、とんとん拍子で選考過程が進んでいったが、3回目の面接で落とされた。あんなに面接の準備も万端に頑張っていたのに残念だった。これで申し込んだ仕事の総数は300はくだらないだろう。特に海軍の仕事(財務関係)はとてもやりたかった仕事だった。かなり落ち込んでいて、話を聞いてあげていてこちらまで辛くなってきた。

でも不合格の通知のあったその当日にがっかりする気持ちを振り切ってもうすでに他の仕事を探し始めていた。そして今度は警察官の仕事に応募したらしい・・・😓。

これも危険な仕事。日本の警察官の仕事とは比にならない。アメリカは犯罪国で平和な国からは程遠い。事件だらけの国。それも大きな事件が多い。それに対応するのが警察官。

アメリカの市民の中には法律に従わない人がたくさんいる。テロリストもいるし、不法移民もたくさんいるし、麻薬密売者もいるし、人身売買者もいる(これからもっと増えるだろう)。命を懸けて市民のために働かないといけない。危険な場所にはどこにでも顔を出さないといけない。事件が起きたときは体を張って市民を守らないといけない。自然災害のときにも駆り出され、逃げるのは一番最後。怪我も事故も死亡も覚悟でその仕事に就く。夜勤もあるし、いきなり出頭も普通で家に何週間も帰ってこないこともある。

おまけにこんなに大変な仕事なのに収入はその危険性や困難性に比例していないときている。ボランテイア的な要素が多いのだ、要求されている最低学歴は高卒で、大学もしくは専門学校での単位が60単位要求されているが卒業はしていなくてもいい。この仕事に息子の経済学の知識は必要ない。大学院に進みたかったけれど警官のスケジュールでは学習時間を確保することが難しいだろう。確かに警官になれば一時的に安定した収入が手に入る。でも彼の今までの夢は全て消える。この仕事について次に銀行になど入れないのだ。警察に入ったら警察でキャリアを積むことになる。長い目で見てとても懸命な決断とは映らない。

アカデミーと言って6ヶ月の厳しい軍隊並みの訓練(para-military training)もある。卒業率は20%から80%のみ。彼の健康状態ではとても危険で無理ではないかと思った。でも他に仕事はないし本人もすっかりやる気になっていてこれ以上説得することに意味を見出せなかったので、口を出すことをやめた。

この人は、こういう危険をともなう仕事に向かない人間だけれども、なぜか性懲りもなくこういう類の仕事を探してくる。

親の第六感ではこう感じている。この人は、自ら危険の中に飛び込むような性分の人で、そういう方向に惹かれてしまうタイプなのだ。彼は怪我をして下手をしたら命を落とす運命の人間なのだ。

そんなこと両手をあげて喜ぶ親などいない。

でもそんな彼の意志をコントロールしようなどということも結局子供への執着。彼の将来への執着。息子は親に向かって自分の希望を承認して欲しいので戦いを挑んできた。それにもほとほと対応するのに疲れた。だからこれも運命と受け入れ、今後の彼の人生に執着することをやめた。

キッパリとやめた。

どうなってもそれは彼の選び。

怪我を負い亡くなってもそれも神の御心。だからそれでいいのだ。

重症の怪我を負った場合、その後の彼の面倒を見るのは彼の妻。

稼いできてくれればなんでもいいと思っている甘えた考えの彼の妻が責任をとるのだ。

 

究極的に命への執着もやめた。

その決断に至るまでに、自分の親としてのエゴや様々な思いを捨てることがなかなかできなかった。でもしがみつくのをキッパリやめたら気が安らかになった。

それに選考過程で落とされる確率もあるので、させてみないとどうサイコロが出るかもわからない。運良く(親にとっては運悪く)全て通ってしまい、晴れて警察官になったとして・・親は当然心配だ。でも今更心配してもどうなるってものでもない。

だから全てを神のみ腕にお任せするしかないのだ。

この子をお願いします、と。

生きようとも死のうとも、今後にも執着しない。

親には究極的にはこれしか残っていない。

それでも、

そういう最悪の事態を考慮の上で彼の決断を受け入れることは簡単なことではない。

 

だから

手放すことは幸福への道。

しがみつくことは不幸への扉。

そうやって自分に言い聞かせるしかない・・・。😰

 (息子を持つ母親は心痛が絶えないものだ・・・とほほ😓)

 

ドクダミママ至言

苦しみから逃れたいなら執着しないこと。

できるだけ努力したら、その結果がどう出るか心配しないこと。

考えないこと。

それが執着しないこと。

子供の人生にも執着しないこと。

どんなサイコロの目が出てもそれを受け入れること。

変な期待を手放すことが幸福の道。

自分の思い通りにしようなんて考えないこと。