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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

卒親活動で自分と向き合う

2021年も終わりましたね。

皆さんにとってはどんな年でしたか?

相変わらず怒涛の年?

 

コロナに振り回された年でしたね。

でも子育てに振り回されて一年が終わったと思われている方もいるかと思う。

私も一年の終わりには毎年そう思っていたりして・・・。😅

 

それから去年の新年の抱負は達成できましたか?

 

2021年の新年の抱負は達成!

自分はというと

新年の抱負はなんとなく達成できた気がする。

その一つは長年怠ってきた子供のアルバムを完成させること。

そしてそのためにとっておいた2004年から今までのプランナーとカレンダーを処分すること。

そこには子供が中心に回っていた自分の人生が刻まれている。

いつどこに連れていったとか、いつ写真を撮ったとか、そう言うことがぎっしり記録してあるのでずっと捨てられなかったのだ。

 

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左がカレンダーで右がプランナー(小学生の作文帳を活用していた)

クリスマスの日に子供の一人に「ほらママはこんなことをしていたんだよ」とプランナーとカレンダーを見せたけど、ちらっと一瞬横目で見ただけで、基本的に関心ゼロだった。

子供はなんとも思っていないようだった。😰

そんなものか・・・。😭

 

自分一人だけがこだわっていたようだ。

過去にしがみついていて・・・捨てられなかった。

30年という長い月日の思い出。

苦労の証。

それを処分した。

苦しくて泣きながら怒りながらまとめたアルバムはやっと終わったからだ。

 

全部暖炉に入れて燃やした。

一ページ一ページ破りながら燃やしていく時、確かに胸が痛かった。

溢れる涙を拭いながら跡形もない姿となっていく様子を眺めながら

間違っていた自分を慰めるしかなかった。

でもそれと同時に自分の中の何かが解けていくように感じた。

それは一体なんだったのだろうか。

しこりのような硬いものが溶けていったのだ。

しこりは執着でエゴで自分で勝手に描いていた子供にとっては迷惑極まりない理想。

これで全てを手放し過去に別れを告げることがかなりできたかもしれない。

 

それが2021年の卒親活動の実りだった気がする。

 

断捨離すると自分が何に固執しているかが見えてくるって本当だった。

自分は子供に固執していた。

彼らは自分の働きの業績だったのだ。

でもそのイマイチの業績に落ち込む日々。

今、過去のものと決着をつけること、つまり自分と向き合う機会に、目を背けることなく

1年かけて頑張った結果、重いものが本当に削ぎ落とされていくと感じている。

 

後悔していることは、卒親活動って子供がもっと小さい時から始めればよかったということだ。

子供から離れていく努力を少しずつすることはまとめて一気にやるより楽だ。

片付けも溜まっていくと大変になるのと似ている。

だから少しずつやるべきだったのだ。

 

母親になると気が狂う

このブログを読まれている方の中に男性の方が結構おられることが不思議なのだけれど、

時々、彼らから私の子供に対する思いは「尋常じゃあない」と言われることがある。

 

そう。母親になると半分発狂状態になるのだ。

尋常じゃあないと言われてそれは当たっていると思う。

母親になるとメンタルの強いまともな人間になどなれない。

強くあろうとしても粉々になってしまう日も必ずある。

それが母というものなのだ。

それが普通なのだ。

子供のことで悩み苦しみ、自ら命を絶つ女性もいる。

それもとてもわかる気がする。

わかっているから自分は

尋常じゃあないから、だから(なんなの)?

と開き直ってます。😅

 

それにそれはとてもキチガイじみていると言われるなら

その要因となっている当人が親を悲しませないように少しは努力をするっていうのもあってもいいかもしれない。

と親の立場にある自分はそう思うのだ。😅

 

2022年

2022年の新年の抱負は’捨てる’こと。

最後の執着の断捨離。

それには

1。物の断捨離

「スエーデン式死に向けた片付け」英語でSwedish Death Cleaning。つまり今後自分も使わないだろうし、子孫に回す予定のないものは全部処分するということ。

 

2。仕事の断捨離

今年は仕事を辞める計画でいる。

翻訳業務が90%なくなったので仕事量が大幅に減り、会社も私が辞めたくなるような方向に進めているように伺えられて仕方がない。

当然まだ定年には至っていない。

辞めたら家のローンの支払いにも影響がいく。

でもその解決策はもう見つけた。もうどうでもいい感じ。

 

3。人間関係の断捨離

必要のない関係は断ち捨て離れる。子供を含め他の人の人生に一斉口出しをしない。そのことにより精神的な自立を図る。他の人に振り回されないようにする。

 

この辺で私は自分の人生を生きたいと思う。

今まで心の中で燻っているた我が声を無視して、黙らせて生きてきた。

そんな自分が嫌になることもある。

それももうやめたい。

絶対にやめてやる〜〜〜〜〜〜!😅

 

いろんな母がいていい。母の悲しみは理解されない

ご存じのように最近日本で神田沙也加さんの死亡のニュースがあった。

彼女の不幸は母親である松田聖子さんのせいもあるようなことが言われているようだけど、そういうことを言う人の気が知れない。

私の目から見ると、彼女は自分に正直に生きてきた女性なんだと感じている。

それに・・・彼女は主婦は無理でしょうし、舞台で歌を歌うことが好きでたまらない女性なのだからそれを全うすることが相応しいのではないだろうか。

子供が一人っ子だったということで親の期待も高かったと思うし、それで本人の精神を冒した部分があるかもしれないけど、結局今更仕方がなかったのだ。

聖子さんを羨ましいと思っている人は多く、その理由で叩くのかもしれないとも感じている。

ただ・・メデイアが叩く・・・と言っても叩いている人って・・・男性が多い気がする。😅

 

彼らはおそらく女性の気持ちはわからないのだと確信している。

だから叩いている方に申し上げたい。

普通の女性は子供と家庭のために自分を殺し犠牲を払って生きていることを忘れないでいてほしい。

聖子さんは自分に正直に生きてきた女性。眩しい存在。それが半分家庭崩壊につながったとしても、とても彼女を叩く気にはならない。

あれが彼女のベストだったに違いない。世の中が言っているような理想的な母親にはなれなかったかもしれないけれど、娘を愛していなかったわけではないのだ。

 

人の愛し方はそれぞれ違う。

それでいい。

聖子さんの悲しみは深いことだろう。

親にしかわからない世界なのだ。

そして母親の気持ちも母親にしかわからない。

そんなものだ。

聖子さんの心が安らかになる日が1日も早く訪れますようにと祈るばかり。

 

ドクダミママ至言

子供の業績に固執しない

子供を通して自分の人生を生きない。

子供は子供

自分は自分

それを自己に言い聞かせて2022年を生きましょう。