前回の続きで、子供を責めることについて考えていきたい。
多くの場合は感情に任せて責めている。
ではなぜ親は子供を責めるのか。
それはおそらく・・・
こういうことではないだろうか。
自分の心の均衡性を保つため
子供のある行動や決断により親の感情が乱れ、
その乱れを整えるために
その要因となっている子供を責めるのだ。
おまえのおかげでパパもママも心が揺れている。
正気の沙汰ではない。
だから親の心を安定させるために
再度穏やかな状態に戻すために
どうにかしろ!
と叫んでいるのである。
つまりストレスの原因である子供に解決しろと訴えていることになる。
精神の均衡性を保てなくなった親はその原因を作った子供にどうにかしろと言っているのだ。
(まあそんなこと無理に決まっているのですが・・・
ついついそう叫びたくなるのです・・・はい。😅)
心が揺れて不安定になることは命に関わる
我が心が揺れて揺れてどうしようもなく
ストレス100%の状態は
生命の危険につながる。
人は自分の命が脅かされると必死になる。
この大切な命を守るためにはどんなことでもしようとする。
正気を失うのだ。
目の前にいる’敵’をやっつけなければ自分の命が危ないとしたら
人は相手を傷つけても、戦いを挑むようにできている。
この場合の敵とはいうまでもなく我が子。😅
これが自然の法則。
創世の始めからずっとこうだった。
生存に欠かせない特性。
つまり動物的本能なのだ。
自分が一番
全ては我が心のためである。
自分の幸福のためである。
子供のためではない。
所詮人間は自分が一番可愛いのだ。
子供を(他の人を)責めることがそれを証明している。
自己防衛が責める目的。
責めてもいい関係は築けない
責めるという行いは相手を敵視していることになる。
敵といい関係を築くなんてまずもって無理。
一方が勝てばもう一方は負ける運命。
ウィンウィンには絶対ならない。
でも両方とも頑固で両方とも負けるのが嫌なら
戦いはいつまで経っても終わらない。
ということは、どう考えても責める方法は心が離れていく一方だ。
だから’我が子可愛さに子供を責める’は
正当化できないことなのだ。
こういうことを理解していながら
自分も子供を責めたことはたくさんある。
その度に自己嫌悪に陥った。
でもこれを認識しているのとしていないのとでは大きな違いがあるように感じている。
認識していれば、少しずつでも改善の余地がある。
相手の心に寄り添うこともだんだん可能になってくる。(時間がかかってます。。。😓)
今日から責めない練習
この責めるという行いがいかに非効果的かは
子供だけでなく伴侶や職場でも一目瞭然である。
だからこの行いに意味はないのである。
止めるべきなのだ。
とは言っても、もしこれが習慣化しているなら
いきなり変えるのは結構難しい。
それでも
責めている自分は相手の立場に立っているのではなく
自己中であるということをしっかり認識するだけでも
もっと余裕を持って事態に対応することにおいて
役に立つように思える。
もしそれが理解できれば親は変わることができる。
親が変われば家の中の空気も変わる。
そして子供の心が明るくなっていく。
その後に変化がやってくる・・・だろう。
だから、今日から子供を責めない練習をしてみよう。
まずは責めたくなったら、そこで一歩立ち止まって考える。
もしすでに責め始めていたらそこで止める。
次はもっと良くできるように自分に言い聞かせる。
などの戦略を構築すること。
ドクダミママ至言
子供を責めるのは実は親のため
親の心の安定が目的
自分の不安感をどうにかしてくれと子供に向かって要求していること。
本当は不安感100%の親が原因。
だから子供を責めるのではなく
親の自己改革が必要。
穏やかな人間に近づけるように訓練が必要。(なかなか難しいけどね・・😅)