家の中に缶詰になっていると誰でもイライラしてくるものだ。
自分も同じで
心も缶詰状態になってくる。
そんな時は
外に出て
裏庭のシュガーメープルの木に抱きついたりする。
すると不思議と涙が出てくるのだ。
それはあたかも自分の心の中の傷を癒してくれているかのようだ。
樹皮
木の樹皮は硬くてザラザラしていて荒い。
こんなに硬いのに優しいのはなぜだろう。
外側が硬いのは厳しい自然の中で生き延びるための守り。
荒いのは、試練にさらされてこうなってしまったのだ。
厚いのは、敵の侵入防止のため。
中身が虫などに襲われて簡単に滅んでしまうこともあるほど繊細だから外を強くしているのだ。
人も辛いことがあると中身は本当は優しくて繊細なのに
外側では強がったりする。
自分が環境に負けないためだ。
楓の木から声が聞こえてくる。
「僕たち樹木のように、傷つきやすい中身を人生の試練から守るように、皮を厚くし強くならないといけない。」と。
柔らかで傷もシワもない身で、
風にもさらされたことのない身で、
子育ての嵐を通り抜けることはできない。
だからこれでいいのだ。
ただ木のように嵐の中、雪の中、雨の中においてもしっかりと大地に立つこと。
それが母には大切なのだ。
メープルシロップ
外見の頑丈なイメージとは裏腹にメープルの内部は強固さだけでなく美しい木目で名高い。
そのためかメープルの家具は高値で売買されている。
シュガーメープルはそれに加えて甘い香りがする。
だからそれをいいことに利用しようと寄ってくる敵は多い。
それは
シュガーメープルからは甘い樹液が取れるからだ。
その硬い樹皮からは想像もできない甘く芳しい。
日中の気温が氷点下のほんの少しを上回り、夜になり氷点下をほんの少し下回る時がメープルシロップの時期。
早春の2月中旬から3月中旬が採りごろ。
でも1ガロン(約4リットル)のシロップを作るのに40ガロンの樹液を煮詰めないといけない。
収穫にも時間がかかる。
それでもその少ない樹液のために努力を惜しまない。
一生懸命その体の中で作った樹液。
ほんの少しでもそれが自然への愛情。
母の愛情もそれ。
自分の体を犠牲にして樹液を作る。
でもそれは無視できない誘惑ともなる。
利用されているとわかっていても
それを止めようとはしない。
自己犠牲。
それが母の愛情。
嵐の日だけじゃあない
自然は厳しくとも、
太陽が燦々と照る日もあることを忘れてはならない。
そんな日も過去にあったことを思い出し、それに感謝をして
悪天候の日には、嵐と雪と雨も実は自然のサイクルには重要であり、例えそれが見えなくとも意味があることを認めるなら、悪天候でも悪天候とは思えないようになるだろう。
メープルはその自然の中でしっかりと足場を固めて何年も立ってる。
日に日にその樹皮を厚くし自分を守りながら生きている。
何回春を迎えたのか。
何回冬を乗り越えたのか。
その間、世の中の事件は全て聞いただろうか。
風が吹いてなびいてもいい。
葉がみんな飛んでしまってもいい。
枝が折れてもいい。
樹液が全部なくなってもいい。
辛いことがあっても
メープルの木のように足場を固めれば
倒れることはない。
ドクダミママ至言
足元を固めるということは自分の精神を強くするということを意味する。
それができるなら、
メープルの木のように嵐が来ても全てが削ぎ落とされてもしっかり立っていることができる。
この世で試練を避けることはできない。
嵐を避けることはできない。
ただ自分がどうあるか、それにかかっている。