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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

マナーの悪さも今更どうでもいい

娘が先週の土曜日に老化に拍車がかかった親を助けるため家に寄ってくれた。

昼食がまだだったようなので食事を出した。

 

相変わらずの食事マナー。😰

もっとも今更驚きはしない。

 

始終

椅子の上で半分あぐらをかき、

45度の猫背で

肘をつき

ガツガツと食事をむさぼっていた。

おまけに

いただきますの一言もなく

ご馳走様もない。

当然食器の片付けを手伝うなんて予想通りなかった。

 

心の中でため息が出た。

何か言いたい気分だけど・・・

たとえ自分の子供といえども大人に食事のマナーを注意することは’マナー違反’。

だから今回も無言の行。

 

しかし、このマナーを見て結婚したいと思う男性は

この世のどこを探してもいないだろうな〜。😅

 

実は娘は大学に行くまでマナーにあまり問題はなかった。

それが18歳からどんどん下降線を辿るようになっていって

一人暮らしをしてから更に悪化した。

これも親をがっかりされる要因。

あんなに教えてあげたのに・・・。😓

 

自分を否定されることは聞きたくないに決まっている。

だから親は口を閉じて何も言わない。

そのためか、本人はマナーの悪さに気づいていない。

それで結局そういうマナーの人は同類の人としか友達になれない。

だからさらに悪化するのみ。

 

それがわかるまで何年かかるのだろうか。

自分で痛い思いをしてわかるしかないのだろう。

親は教えることは教えてあげたのだから。

もう何もできない。

 

でもこんなにひどいなら、

今度のクリスマスにはマナー教室の予約券でもあげようかとも思ったりもする。

いっそのことマナーの国英国にでも送りこんでしまおうか・・・。

 

日本はすごい

実は娘は一時マナーが急に良くなった時期がある。

2年前に日本の某国立大学に留学した時だ。

カナダ経由で日本に入国する予定だった。

ウィンザー空港まで娘の見送りに行った時は、親も本人も心細く心配した。(成人しているんだから心配など無用なんだけど・・・😅)

初めての単独海外旅行。

ウィンザーからモントリオールに飛び、そこで国際線に乗り換える。

モントリオールの空港は広いので迷って乗り換え便に乗り遅れそうになったらしい。

無事成田に到着したとの連絡はあったけど、その後はほとんど音沙汰がなかった。

 

そして3ヶ月後娘を飛行場に迎えに行った。

おおおお〜!

 

娘は

非常にお淑やかな女性に変貌していた!

 

話し方といい

その手の動きといい

その座り方といい

これが我が娘????

 

娘はこんなことを言っていた。

日本に到着してまもなくにいかに日本女性が女らしいかに気が付いた。

それに比べて自分はなんとガサツか・・・。

とても恥ずかしかった、と。

本当に日本女性は女子力のレベルが生半可ではない、と。

 

お淑やかに変貌した娘を見て親は喜んだ。

でも・・・

大学に戻り次第、あっという間に男女の区別がつかないような人間に戻った。😓

 

アメリカで生きていくには

結局こんなもの。

この国にずっと住んでいてそんなお淑やかな女性を期待する方が間違っているのかもしれない。

もちろんある意味で強くなってほしいし

自立してほしい。

それはアメリカで生きていくには必須だからだ。

威圧的な態度と言葉遣い。

それが常識のアメリカ。

そこで生きていかないといけない娘になんと言っていいのか・・・。

 

理想的には

人に利用されないような強さを備え

尚且つ紳士淑女の身のこなしができる人になれるに越したことはない。

でもそれはこの国では到達するにはかなり難しい目標だ。

 

だけど、自分の周りにはそういう女性が結構たくさんいる。

内面は強いけど外側は淑女そのもの。

はっきりと自分の意見を言うけれど、その言い方は上品。

どこに住んでいても、やはりそれが理想のように思える。

 

親が言ったからって子供は変わらない

成人や思春期の子供が自分を変えようとする理由は

親が言ったからではない。

自分でそうしたいと願わなければ変わらないのだ。

娘の場合は周りの目をあまり気にしないタイプなので

おそらくそういう性格の人はなかなか変わらないような気がする。

それに周りも同じようなタイプのオンパレードじゃあね〜〜。

 

それはネガテイブな考え方で良くないと言われそうだけど

そんな予感がしてならない。

 

その素行からくる結果というものは避けられない。

それがブーメランのように自分に戻ってきて自分で傷つくのが人生の法則。

親にとってもそれは嫌なので口出しもしたくなってくる。

でも

平和に生きたければ、たとえ我が子でも

他人の人生への口出しはやめた方がいい。(と日々自分に言い聞かせている😅)

 

娘自身が自分の人生に責任があるのだ。

親はマナーのことは散々教えてきたつもり。(忘れたとは言わせないぞ〜〜!😰)

でもそれに従いたくないのは本人の選び。

意図的に都合よく忘れるのも本人の責任。

そしてその結果に嫌な思いをするのも本人。

 

親はいずれこの世を去り、そのあとは本当に本人の責任。

親の責任は子供に生きるに必要なことを教えること。

でもそれを実行するかどうかは本人次第。

 

娘はいつかそのマナーを変えるかもしれない。

誰か親切な人が現れてそれを指摘してくれること願っている。

でもそんな人はアメリカに滅多にいない。

だから変わらないことも十分あり得る。

それでもいいかと思っている。

それは我が子は別個の人格を備えた別個の体を持つ人間だからである。

 

願わくは’うんと’恥をかいて自己を吟味する機会が訪れますように。(鬼です。😅)

(今度ビデオを撮って送ってあげよう・・・・嫌味か。😅)

 

ドクダミママ至言

自分のマナーの悪さは自分で気がついて直さないとだめ。

本人の将来を案じて言ってあげても親は嫌われるだけでなく悪人呼ばわりされる。

つまり虐待呼ばわり。😅(いい加減にせんか〜〜〜〜〜い!💢)

「児童権利法」とかいう法律を逆手に提訴もありうる。😰

(どんだけ子供は偉いんかい?ん?ん?ん?)

よって’反逆的態度’のオンパレードに親は苦しむ羽目になる。

 

それなら彼らは外で苦労して学ぶしかない。

その試練がなるべく早く訪れることを願おう。😅