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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

全ての親に心の平安が訪れますように

この25日はクリスマス。

幸いにもキリスト教国でない日本も休日になったことでお祝いする人も多くいることと思います。

それでは今日は聖日という事でいつもとは語調を変えて真面目に行きたいと思います。😅

 

この日をお祝いをする理由は

以前にも書きましたが、イエス・キリスト様の誕生を祝うためにあります。

サンタと言うのはカトリック教会の聖人セント・ニコラスを商業化したものなのです。

 

次の動画は、マリアの子守唄という曲に合わせた動画で、

馬小屋で産まれた我が子イエスの誕生を母マリアの目から見ています。

実際この時、わが子の将来に起きることをわかっていたのかどうかは定かではありません。

ただ多くの母が思うように、この子はどんな人になるのだろうか、どんな人生を歩むのだろうかと心を思い巡らせていたそうです。

そしてなぜか我が子に恐ろしいことが起きるような予感も感じていたのでしょう。

それをわかっていたのか、マリアは「今宵だけはママの可愛い赤ちゃんでいて欲しい」と歌っています。

子供を産んだことのある人ならマリアの気持ちが手に取るようにわかるはずです。

我が子をこの腕に抱いた時のあの気持ち。

今も覚えていますか?

 

最初にこの誕生のお祝いに駆けつけたのは、星に導かれてやってきた羊飼いたちです。

www.youtube.com

 

以前にも申しました通り、人生の目的は自分の人格を向上させることと言いました。

この世は試しの人生なのです。

そこでどういう振る舞いをするかが来世の行き場に影響します。😰(非常に怖い話です・・)

 

当然、神様は心の清い善人しか天国には入れてくださりません。

天国とはそういう人へのご褒美なのです。

でも本当に清い善人になるなんて、こんな現世ではかなり難しいとは思いませんか?

 

それなら天国に入れる人はほとんどいないことになりますよね。

愛ある神様はそうならないために、救い主を備えられました。

それが神の御子イエス・キリスト様だったのです。

(キリストとは彼の苗字ではなくギリシャ語で救い主という意味)

彼は、人類を救うために自分が身代わりとなりますと、天の父なる神に約束をしたのです。

つまり、十字架にかかり、どうしようもない私たち人類の罪を一人で肩代わりしてくださったのです。彼は全ての人のために苦しんで亡くなってくださいました。

 

そんな素晴らしい彼のみ業のため

世界各国の人々がこの日を祝うことになりました。(でも・・・12月25には彼の本当の誕生日ではなく、異教徒のお祭りと重ねた日です・・・😅)

 

煌びやかなイルミネーションの本当の意味は

彼が世を照らすために来られたことを象徴しています。

 

暗い空に輝く眩い光。

暗い世界を照らす光。

それが救い主であるイエス・キリスト様と彼の誕生の喜びを象徴しているのです。

 

わたしは親になる前も自分は大した人間ではないとは自覚していましたが

親になって、本当にどうしようもなく「罪深い人間」であるともっと自覚するに至りました。

 

私は忍耐に欠け、理想の母にもなれませんでした。

どんなに力不足かいつも思い知らされていました。

それは苦しいことでした。

だから落ち込んでいました。😓

 

今でも罪悪感に襲われることもありますが

救い主がおられるから、希望があると思えてくるのです。

こんな人間でも赦してもらえるってすごいことです。

それに対して感謝の念しか湧いてこない・・・。

 

兄弟のために死ねるってこんなすごい愛はこの世にない。

 

罪人の涙をぬぐい魂を救ってくださるなんて

彼の払ってくださった代価は本当に計り知れないものです。

 

この感謝の気持ちを表した讃美歌・民謡が英語圏にあります。

実はアメリカでは第二の国家と言われるほど有名です。

次にこの歌をご紹介したいと思います。

英語:Amazing Grace,「われをもすくいし-讃美歌第二編第167番 日本基督教団1967年版 原恵訳」)は、イギリスの牧師ジョン・ニュートン (John Newton,17251807)の作詞による賛美歌。作曲者不詳。

 

www.youtube.com

このクリスマスの日に、全ての親の心に平安が訪れますように。

神様の慈悲を感じられますように。

そして大変な子育てを一人で乗り切らないでいいことを理解できますように。

神様はそのあなたの努力をご存じなのです。

足りない部分は神様が担当してくださるので心配しなくとも大丈夫です。

 

我が子の誕生の感動を今も思い出し再度心に刻むことができますように。

そしてどんなにわたしたち親が子供たちを愛しているかを

いつか彼らがわかる日がきますように。

 

我が子を赦しそのままの姿を愛することができますように。

そして自分をも赦せるように。

そのように望み祈るばかりです。

 

今日この日に、

皆様が神の愛に包まれますように。