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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

母業は試行錯誤が当たり前

母業には方程式がない。

だから試行錯誤が多い。

つまり迷いながらこっちにいったりあっちに行ったりと

右往左往で迷子になることが多い。

おまけに方程式の答えもはっきりとはわかってはいなかったりする。

そもそも、今歩いている道がどこに繋がっているのかさえわからないこともある。

それはシュヴァルツヴァルト ( Schwarzwald )の黒い森から永遠に出れないのと同じだ。

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母の日に夫がくれた上履き。足の指をあちこちにぶつける癖のある私のために買ってくれた。思えば家族のために無我夢中で走り回って怪我ばかりだった。もうそろそろ労ってあげた方がいいね。

歩いているだけならまだしも母はどちらからというと

走りっぱなしのよう。

それも高速スピードで。

それで疲れ切ってしまう。

それでも止まることはできない。

 

それを続けるとストレス。

体にも精神にもストレス。

わからないことを毎日やるってストレス。

ゴールもよく変わったりするのもストレス。

目的地がわからないで走り続けることもストレス。

 

それでもわからないなりにもなんとなくうまく行っていればいい。

うまくいかないなら

また右往左往で試行錯誤。

その繰り返し。

それは年がら年中のストレスになる。

 

だとしても、最終的にどこかに行きついてくれれば苦労も報われるっているもの。

じゃあ、どこにも行きついてくれなければ母はどんな気持ちになるのか。

 

答えは

すなわち

鬱!

 

当然。💦

 

自分もず〜〜〜と試行錯誤。

運よく手のあまりかからない子供に恵まれた親にはわからない。

でもふと思った。

試行錯誤で当たり前なのかもって。

 

これ以上の努力はもう無理で

これ以上何をしていいかもわからない。

実際そう思っている母親は五万という。

 

神様はそういう母の努力と悩みをご存知で、結果がどうでも

心がどこにあったかを見られておられるのだ。

心は我が子の幸福にあった。

でもどうやってこの子供の幸福を確実化するかはわからなかった。

わからないなりにも頑張っているその母親をねぎらわれる気持ち

それは確かにそこにあるように感じている。

 

神様は試行錯誤で悩みが尽きないこの道に

留まり逃げずに頑張っている母を忘れられることはないのだ。

 

母業に試行錯誤は常。

その中に何か学びがあればそれでいいし・・・

結果もどう出るかはまだわからないことの方が多いけど・・・。

試行錯誤にも意味があるかもしれない。

 

それが人生なのだ。

切磋琢磨が人生の醍醐味。

試行錯誤が人生というもの。

そう思った方がいい。

 

ということは、

試行錯誤をしているならあなたはまさしく生きるべく人生を生きていることになる。

その落胆と悲しみの中にあなたの心を清めてくれる何かがあるのだ。

それがその試行錯誤の目的で、

それには意味がある。

 

親業を通して人間として成長すること。

日々何かを学び昨日より成長していればその目的を遂げたことになる。

親業は実は親のためにあると言っても過言ではないと思う。

 

試行錯誤をするのは子を思うからこそ。

どうでもいいならその子供のことを考えたりはしないものだ。

だから他人の子供で悩むことはない。

どんなに怒っても我が子を愛していることには変わりはないのだ。

 

試行錯誤をして決断したことがうまく結果に現れなくとも

それはあなたの責任というわけではない。

努力をしたということはそれだけで価値がある。

 

母の本音と深いその気持ち・・・それは子供たちにはなかなか届かないけど、いつかわかってくれる日は来るとただ信じて日々を乗り切るしかない。

 

だから落ち込まないで。

 

ドクダミママ至言

母業は試行錯誤が当たり前。

わからないなりに努力していることにも意味がある。

わたしたちは人間的に成長するために親になるのだから。

そして人は大変なことをしないと成長などしないのだ。

 

今は無理でもいつか我が子はわかってくれる。

そう信じよう。