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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

子育ての最終目標とは何か

 

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キツネの仲良し母子(出典:https://1freewallpapers.com/mother-fox-baby/ja

こんなに可愛がっているのに巣立ちがいずれくる。キツネの母も辛いだろうか・・。

子供は親の宝物。

とっても大切な存在。

だから親は

親の近くに置いておきたいし、

あまり危険なこともして欲しくないし、

なるべくなら事件のない穏やかな安定した人生を送ってほしいと願っている。

 

でもこれでは本当の意味での自立にはつながらない。

 

子育てには最終目標があってそれは

他でもなく

子供の自立。

 

自立とは

自立とは自分だけの足でしっかり立って親なしで一人で生きていけるということ。

それには自分の考えというものが確立していないといけない。

そうでないと周りに振り回される人生になりかねない。

でも親は子供が大きくなっても自分たちに頼ってほしいと思っている人が多いようだ。

親のいう通りにすれば間違いない(とも言えないけど・・・😅)と信じて疑わない。

確かにそれは賢明ではある。

 

でも本当の意味での自立には賭けがありリスクが伴う。

全然スムーズになどいかない。

それが親から見ると歯痒い。

だからいらぬお節介を焼こうともする。

でも子供は親の勧めには興味などない方が普通。

それなのに他の人の意見には耳を傾けようとする。

そして影響を受ける。

 

子供は属している社会にも育てられている

つまり子供は親以外の周りの影響を受けることが多い。

属している社会の影響も受けている。

どうもそれは避けることができないようだ。

さらにそれが親と同じ意見だったらいいけど、異なることもよくある。

それが嫌だと思う親も多い。

 

でも子供が本当の意味で大人になるには、多くの人の手を煩わせることが普通なのだ。

親だけが子供への影響をもたらす人ではない。

その結果、さまざまな思想や行動様式にさらされ

親が思ってもいなかった方向へ進むこともあり得る。

当然、親はショックだ。

どんどん親のわからない世界へ遠ざかっていく我が子。

追いかけても逃げられるだけ。

それは心痛の種になったりもする。

 

それでも・・・やはり

どんなに危険でもどんなにその歩み方はおぼつかないものでも

自分の足で立つことを学ぶためには親がそこでのこのこ出てきてはいけない。

命の危険をはらんでいることでなければ。

 

彼らは自分で試行錯誤を繰り返し未熟な人生経験をもとに生きていかないといけないのだ。

それを避けるなら本当の意味での大人にはなれない。

 

冷暖自治

仏教用語に冷暖自治という言葉がある。

その意味は水が冷たいか温かいかは、飲めばおのずと分かる」。

つまり、熱いも冷たいも、自分で経験してみないと本当に理解には至らない、ということ。要するに飲んだ自分しかわからない。

子供もそう。

難しいことも避けさせないで経験させてみること。

それは親にとってはこの上なく心配。

でも成長させるためには必須条件なのだ。

それが親のあるべき姿ではないだろうか。

 

熱いか冷たいかあらかじめ親は教えておいてあげたい。

やけどをしないように、ショックをなるべく少なくさせるように危険を教えてあげる。

まあそれはまだいい。

親自身が強制的に飲む水を決めるというのもある。

でもそれは自分のやり方で発見するという自立への道を阻むことになるなのだ。

これは幼い子供の場合はそれでいいけど大きくなった子供にはまずいかもしれない。

 

その水の温度を自分で発見する過程には当然嫌な経験もあるだろう。

でも親は受け入れないといけない。

それが親にとってどんなに辛くても

陰から見守ることが自立を促すのだ。

 

わたしのように影から見守ることさえ上手くできない親は

全ての干渉と心配をやめてしまうしか道しか残されていない場合もある。

でもそれでもいい。

なぜなら親が見守ろうがどうだろうが、どうせ口出しも手出しもできないのだから

結果に貢献することなど不可能だからだ。(つまり無駄骨)

 

成人した子供を持つ親は子供から距離を取ることは必須。

自立して欲しかったらそうしないといけない。

 

今も熱さと冷たさを試す過程で火傷を負ったり凍りつきながら

生きている我が子。

親から見ると経験不足で無知でとんでもないほど賢明でないと見える。

でもその限られた経験と能力で、七転び八起きで自立を目指し頑張っている。

そこからたくさんのことを学んで成長していっている。

それが人生の旅で子供もその旅をしている。

「可愛い子供には旅をさせろ」には、子供に決めさせ子供自身で問題解決させることも入っている。

 

親は自分のことで忙しくする

それなりにしかできないけれ不器用な我が子。

それでもそれが一生懸命生きているという証。

その間ただ成長を見守り待っているだけはしんどい。

 

だから親は

自分の感情や期待や結果に執着せず、

我が子が’自分なりに’頑張っている姿を思い浮かべ、

ただひたすらその隠れた能力を信じる。

同時に自分のすべきことに忙しくして生きる。

 

そうすれば子供は立派に’いつか’自立できるはずだ。

親の知らないところで成長し、いつの間にか自立した我が子に驚きを隠せない日が来る。

 

そう信じよう。

 

ドクダミママ至言

子育ての最終目標は子供の自立。

親に頼らないで自分で決断を下し自分でその決断の結果に責任を持つことも自立の証。

そのためには親は子供と歩幅を取らないといけない。

子供が遠くに行ってしまい寂しいのは当然。

でも自立させるためにはやはり

「可愛い子供には旅をさせる」しかない。

旅の中で、熱いも冷たいも経験し立派に自立した我が子に再会できる日を楽しみに待とう。