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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

毎日くる懺悔メール。。。💦

 

さくらんぼの実が赤くなったので収穫した。
うちの次男の人生もこれからどうにかなって実を結ぶのだろうか?
まあ気長に待つことにしよう。あまり大それた期待はせずに・・・。


前回の続きだけど・・・

例の次男からあれから毎日のように懺悔メールが届いている。

それで、いちいち返信していたけど、

この辺でやめることにした。

 

懸念していることは、こんな反省心ってどのくらい続くのだろうかってこと。

そもそも人間の根本的な性格って変わらないのだよ。

弱点を改善するのは可能だけど、完全に克服ってかなり難しいことだ。

だからいつ前科がぶり返すか・・・それが怖い。

いつこの懺悔ムードが終わるのかこちらはヒヤヒヤしているのだ。(^^;;

 

そのため、

アドバイスを聞きたいとか言ってるけど・・・こちらは遠慮しながらあげている。

かなり・・・(^^;;

 

例えば、

「いらぬおせっかいだったらごめんね。」

とか

「気にさわったらごめんね」

とか

そういう前置きは必ず忘れない。

 

とにかく前科が前科だから、100%彼の反省と悔い改めを受け止められないのだ。

ムショ帰りの人を100%信用できないのと同じ感じ。^^;

 

何を言ったら気を悪くするのか

それは本人のその日の気分による。

誰も予測がつかない。

 

だから・・・交流が再開したと言っても・・・・ちょっとねえええ・・・・😰

実は今日は面着電話がしたいと言っている。

あああああ・・・憂鬱・・・。😰

 

だからその前に準備をする予定だ。

何を話すかリストに書いて、

余計なことを言わないように、マインドフルな心持ちでいられるように瞑想でもしないとだめだ。でも何が余計な質問で意見なのか、それがいまだにわからないのだ。

 

そう簡単に関係が復帰するって・・・可能なのか・・・。

前科者を信じるのは難しい。

 

一年位して本人が本気だということが確認できたら信じることにしよう。

 

成人した子供の扱いは、生卵の殻の上を歩くようなものだ、ね・・・・。

 

ドクダミママ至言

子供が自分を変えようとしている時でも、張り切って話出したりしないほうが良い。

様子を見ながら対応する。

相手を受け止めながら、慎重に対応。

人は普通はいきなりは変われないのだから。

欠点というもの一生くっついてくるもの。

改善はあるけど、克服は難しい。

だからすごいことを期待しない方がいい。

ただ神のみ心のままに進むことを信じて

自然体で行く。

それが一番いい。

 

 

 

 

 

 

懺悔メールが息子から来ることはよくあること

月曜日に例の’元次男’からメールが来た。
下記はその内容の抜粋。
 
I'm sorry that I reacted badly/rudely in the past when you were only trying to help. I cry whenever I think about how much I made you and dad suffer. You never did anything wrong. I was just immature and couldn't see from your perspective--and I was blinded because I had chronic depression and anxiety.
I only wish that I I stayed true to our family and friends who grew up wiht me. 
I'm sorry for making you wait.
I'm sorry for leaving the family.
I'm sorry for throwing everything you and Dad had taught me so deligently. 
 
<和訳>
お母さん、今までとっても酷く失礼な態度だったことを本当にごめんなさい。
お母さんはただ僕を助けようとしていただけなのに・・・。
僕はお母さんとお父さんをどんなに苦しめてきたか考えるたびに涙が出てきます。
お母さんは何も間違ったことをしなかった。
僕が未熟でお母さんの観点を理解できなかっただけなんだ。
それから僕は鬱と不安で何も見えていなかったからなんだ。
 
長く待たせてごめんなさいい。
家族を捨ててごめんなさい。
お父さんとお母さんが一生懸命教えてくれたことを捨ててごめんなさい。
 
これが彼の言葉だった・・・・。
懺悔の言葉。
泣ける・・・😭😭😭😭😭
 
この息子には本当に散々泣かされ、怒りまくって・・・親は気が狂うかと思ったくらいだ。
その後、親は泣くのも怒るのも疲れてしまって、
飽きてしまって、
その全部をやめた。
親としての責任感とか、そういう概念も捨ててしまおうと思った。
 
理想も執着も捨てた。
もう息子と思うのはやめようとまで思った。
だから「元次男」呼びで行くと決めた。
 
そしてジタバタすることも辞めて
全てを全能の神様に任せることにした。
’なるべく’心安らかに生きることを心がけることにしたのだ。
 
そして何かのきっかけで目が覚める日がくることを祈った。
そのきっかけとは、嵐でも病気でも天地がひっくり返るような事件でもなんでもよかった。
大事件であればあるほどいいとさえ思ったものだ。😅
 
彼はものすごく手のかかる息子だった。
親は心身ともに疲労困憊である。
 
それでも、親は彼の心の葛藤もわかっていた。
だから何もしてあげれなくてもどかしさを感ぜざるを得なかった。
でも助けない方がいいとも感じていた。
どうせ親の出番などももうないのだし本人も嫌がっているんだから。
 
結局彼は、一人でももがいて決断を下したのだろう。
生き方を変えることにしたのだ。
 
しかし無駄にした過去12年間を取り戻すのは現実的には大変だと思う。
これからも試練は終わらないだろう。
それでも変わるに遅すぎるということはないし
これからの彼の行く末に期待したい。
 
人はみんな成長している。
親も子供も変わっていく。
量子力学的に見てもそれは当たっている。
 
でもいつ、どのように変わるか、それは人にはわからない。
ただその日が必ず来ることだけを信じて
なるべく心配しないで
日々を乗り切っていくしかないのだ。
 

アートセラピー作品。
夜空に浮かぶ月が子猫を見て泣いている。月が私で子猫が我が子。
もはや太陽の光のような天真爛漫な明るさは母の中にはない。
だから暗闇の中の光で我が子を照らし続ける。それが母の愛情。
今日やっとその母の投げかける光に気づいてくれた・・・。

親になることは苦難と悲しみの連続が多い。でもその苦難と悲しみが私たちを輝かせる。
暗闇の中の光の方がまばゆい。悲しみの中の光の方が美しい。
ドクダミママ至言
どんな子供でも変わる日は来る。
それを信じて生きていこう。
でもそればかり考えていると疲れるし精神が病むから
自分の心のケアを怠らないようにね。
多分、親がごちゃごちゃ言っているうちは子供は変わらない。
どうも、一般的に親が諦めて見捨てた後に変わるようだ。😅
 
 
 
 
 
 

目を覚すのにえらい時間がかかる最近の若人・・ひたすら待つのも疲れるね〜

うちの東がわの花壇(というか雑草畑・・・(^^;;)
真紅の薔薇の花と真紅の日本モミジが緑に映えて美しい。
真紅の意味は「情熱」のほかに「怒り」と言うのもある。
我が子に対する母の情熱と隣り合わせは、まさにこの「怒り」。
この真紅の怒りは緑の中ではほんの少しの場所しかとっていない。それでもかなり目立つ存在^^;

元次男は6月30日に彼の妻と今まで暮らしていたアパートを出る予定だった。

つまり正式別居。

 

しかし驚くことに・・・・

二人はその当日にやり直すことにした!😳

その家出の予定日に!

(まあ毎年これなんだけど・・・😅)

離婚撤回!!!!!!!

 

そして、今日、本人から夫あてに別件で連絡があった。

な、なんと、何を血迷ったか・・・

 

彼は大学院に進学することにしたらしい!

ええええええええ〜!😳

 

彼は数年前に大学院に合格していたけど結局1日たりとも行かずに、その後シカゴに引っ越し、嫁と喧嘩をしながら目的なしで生きていた。

仕事はしていたけど、妻の稼ぎがいいので、そこまで頑張らなくてもよく、適当にやっていた。

その間、嫁の大学院卒業という目標をサポート(家事担当とか)していたけど、結局彼女は卒業の2ヶ月前に辞めてしまった。^^;

なんのための引っ越しだったのか・・・。

なんのためのサポートだったのか・・・。

 

常に行き当たりばったり人生・・・で周りはヒヤヒヤさせられることばかり。

 

それもあって夫婦喧嘩が絶えなかったのだろうか・・・。

 

今回の心を入れ替えるきっかけはなんだったのだろうか。

母からも見放され

妻からも見放され、

兄弟中から見放されたせいだろうか。

 

兄も弟も大学院に在学していて目標に向かって頑張っている。

それが彼の競争心を刺激したのだろうか。

自分だけが足踏み状態であることにイライラしていて周りの人に八つ当たりをしていたと気づいたのだろうか?

 

大学院はお金もかかるし、借金を抱えるならリスクは大きい。

だから別に進学しなくてもいいのだ。

でもこのアメリカでアジア系がサラリーマンをやるなら学歴は高いに越したことはない。

人種差別を乗り越えるには白人と同じことをして同じやり方では通用しないのだ。

もちろん、ロバート・キヨサキ氏のような勇気百倍の人なら別だけど・・・ね。^^;

 

どこに願書を出すかは聞かなかった。

自分で決めることだし

まず持って口を出すと嫌がられる。

 

それから次男夫婦は来年子作りを計画しているらしい。

シカゴの治安がとても悪化しているからミシガンに戻りたいとも言っていた。

(アメリカの大都会はどこも危険が伴います・・・)

 

いいニュースだけど、全てを鵜呑みにして今から喜ぶのは控えることにしよう。

むやみに喜んでも、まず第一に実現するかどうかはわからない。

大学院は合格するかどうかはわからない。

子供はもっとわからない。

そもそも彼の妻は医者から「妊娠は命の危険」と言われているのだ。

またどんな爆弾が落ちてくるかわからない。

絶対に落ちてくると確信している・・(^^;;)

 

そういうこともあり

はしゃがないことにしたい。

私は我が子にがっかりさせられることが多かったせいか、全てに疑ってかかるようになってしまったようだ。

 

それでも少しは目が覚めたのか・・・本人が変わろうとしているのは確かで、それに希望を託すしかない。

 

31歳で目が覚めた・・・

遅い・・・。😰

でも最近は皆目覚めが遅いのだそうだ。^^;

 

ドクダミママ至言

子供はいつかは目を覚す。

でも最近はこの工程が長い・・・。

ずっと「いつか、いつか」と首を長くして待つのも親にとってはストレスの元。

だから他のことに集中した方がいい。

彼らは自分で考えてどうにかするだろう。

それを心の底でひたすら信じて(でも無視しながら)生きることが

精神衛生のためには必須だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親が我が子を思う気持ちに終わりはない

庭に咲いているピンクの薔薇の花。花言葉の一つは「我が心、君のみが知る」もしくは、
「母の心、神のみが知る」。全てをお任せして今日を平穏な気持ちで過ごすようにと、この薔薇の花は勧めているようだ。そう、それが美しく軽やかに生きるコツ。

今日は元次男が正式に新しいアパートに引っ越しをする日。

離婚は成立したのか成立寸前のはず・・・。

 

それでわたしは「元次男」と言いながらも結構気になっていたりする。

新しいアパートはどこだろうか、とか

家賃は払っていけるのだろうか、とか

ルームメートはいるのだろうか、とか、

どんなルームメートだろうか、仲良くやっていけるのだろうか、と

思うことは多い。

 

どんな放蕩息子でも、完全に縁を切ったわけでもないし

やっぱり気になるものだ。

でも・・・連絡は入れない。

わざと入れない。

これは喜んでこうしているわけではない。

鬼になってやっているのだ。

 

彼は離婚し、

一人になって我が身を振り返るいい機会なのだから。

放っておくのが一番いいのだ。

 

誰もいない環境で、

静かに自分の人生を思い返し

今後の人生について考えるには一人が一番いい環境なのだ。

そこで最初に聞こえてくるのは自分の声。

そしていずれは、今まで忠告を散々あげていた親と兄弟の声も聞こえてくるだろう。

 

シンシナテイで兄弟と再開した時も、元次男は三日と持たなかったらしい。

レストランで激しい口論となり、

大変な剣幕だったらしい。

あげくの果てはレストランのオーナーに、おとなしくできないなら出ていってもらうとまで言われたそうだ。

 

周りのテーブルの客は見て見ぬふり。

でも迷惑そうな雰囲気が漂っていたとか・・・。😰

そりゃそうでしょう。たった一人の客がレストラン中の雰囲気をぶち壊したのだから。

 

長男も娘も皆公共の場で恥をかかせられウンザリしていたらしい。

 

兄弟からは呆れられ、嫌われ、

同席していた離婚寸前の嫁からも「こんなんだから私は離婚するのよ」と言われ、

親からも見放され、

シカゴに友人はゼロ。

頼れる人・・・皆無。💦

 

彼は・・・これからどうするのだろうか?

 

本当の試練はこれから始まるね。

それでも頑固な彼はこのことからも何も学ばない確率が高い気がしてならない。

 

年齢がいってくると普通人間が丸くなると言われているけど

彼に関してはどんどん頑固になっていくように見受けられる。

どんどん意固地になっていっている。

自分のプライドを守るために・・・。

(彼は自分の非を一切認めない。自分の弱点も認めない。他の人の勧めや意見は全て却下する。全てよく考えないで行動する。全てにおいて感情的で繊細。そして思考能力がイマイチ。だから全てが空回りするのだ・・・)

 

誰も石頭人間の近くには寄りたくない。

だから今後は孤独が彼の友達になるのだ。

 

こうなって、さすがに可哀想だと思わないわけではない。

かといって、何もしてあげれない。(消えろ!とか言われそう・・・だし)

まずなんといっていいかもわからない。(怖くて言えない・・・)

 

そういう時はやっぱり何も言わないのがいいのだ。

全てを彼の成長の時計の動きに任せるしかない。

一刻一刻と確実に過ぎていく時間。

このように人生はあっという間に過ぎてゆく。

この時計の音を聞きながら彼は内省するだろう。

それともますます自暴自棄になり人生を破滅させるか・・・そのどちらかしかない。

 

こういう息子について以前は泣いていたけど・・・

今は泣かない。

泣き過ぎて出てくるものはもはやなにもないから。

涙腺はからっからに乾いてしまった。

 

代わりに

最近私はこのどうしようもない息子のために毎日祈っている。

「どうぞ彼がいつか目を覚しますように・・・」と。

だからいつかは目を覚ます日が来るのだと信じている。

でもそれは私が来世に行ってしまってからのような気がしてならない。

まあそれでもいい。

その時とその方法は

神のみぞ知る。

だから自分は心配しないで全てを神様に任せて、心穏やかに日々を過ごすことにしている。

 

我が子は何歳になっても親にとっては気になる存在。

でも気になっていても何もできないのは歯がゆい。

それはどこの親でも同じのようだ。

 

ドクダミママ至言

何歳になっても我が子は我が子。

母が我が子を忘れる日は来ない。

でもずっと思っているって辛いものだ。

だから神様にお任せするしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が子がラインに返信してこない理由とは?

 

 

裏庭に生えている羊の耳という名の野草はお茶にして飲むと美味。子供たちと野草を積んでお茶にして飲んだ日々が懐かしい。こんな風に何をしていても思い出す我が子との日々・・・。それが親の悲しい姿なのだ。でも忘れられないなら、自分からバッサリ切り捨てるしかない。この野草も葉っぱを収穫し次第根っこから抜いて投げ捨てた。親の気持ちは子供にはわからない。だから何も期待せずにバッサリ未練や思い出を切り捨てることが必要な時もある。思い出の断捨離よ〜〜〜。


成人した子供が親に連絡を入れないとか

ラインを送っても返信が全くないとか

既読サインもついていないとか、

これはどういうことなのだろうか?

と思われる親御さんも多いかと思う。

 

実は私も思っていた。

娘に対してね。

一時期ちょっと関係が壊れたけど、娘も大人になっていって、キツさも消えてきたし・・・修復は90%達成かなと思っていた。

だから時々(4ヶ月に一度くらい)連絡を入れていた。

でも返事はない。

既読サインもなかったりが普通。

 

最初は多忙なんでしょう、と思っていたけど、

なんとなく無視されていると感じ始めるにそう長く時間はかからなかった。

実際、会社の同僚にそれを言うと驚かれた。同僚の娘はしょっちゅう母親にラインを送ってくるらしい。

それでだんだんと

もしかしてやっぱりまだ嫌われているのかしら?とか

何か気に触るようになこと言ったからしら?とか

勘繰るようになっていった。

 

確かに忙しいというのは真実なんだと思う。

でも・・・本当の理由は・・・やっぱり「うざい」とか「迷惑」とか「しつこい」とか

「一体何の用なの?」が正解。

ネットでそういうことをつぶやている若い人のコメントを多く目にしてやっぱりそうなんだと納得した。

 

それから友達とチャットしてることも多いみたいだった。

そうか・・・友達とチャットする時間はあるけど母とはないんだ・・・・。

それが答えだった。

そうだよね。友達と話している方が楽しいものね。

 

父の日の出来事

父の日に子供たち二人(長男と長女)を実家に呼んだ。

我が子に会えなくて寂しがっている夫を喜ばすためだった。

(でも・・・こういうのって本来は子供たちが呼んでくれるものじゃあないの???)

娘に連絡しても返事はないのが普通なので長男に聞いてくれるように1ヶ月前からお願いしておいたのだ。

 

ちょうど二人の子供の誕生日が6月ということもあり、誕生日兼父の日のお祝いだった。

近所のレストランに行って、いろいろ話をしたけど、卵の殻上を歩くように互いに気を遣いながらの会話だった。(世代ギャップとか思想ギャップとかギャップが多すぎて共通の話題が少ないから・・・気を遣う・・・^^;)

他人行儀で白々しい受け答えも結構あった。

当然得意のニセ笑顔を貫いたけど。😅

 

それでカードをあげそこに現金をちょっと入れてあげた。

 

その時の反応。

 

ゼロ。😰

無表情。😰

 

ありがとうの一言もなかった。

なっ、なんという・・・。😰

 

きっと金額が大したことなかったからだと思う。

それは、もう二人とも社会人だし稼いでるんだから、親に大金を使わせることを期待してほしくはないし、気持ちだけということであげたのだ。

でも・・・何か言って欲しかった。

それは望みすぎというものなのだろうか?

 

しっかり教えてない?

いえ、散々教えてきたつもりだけど。😰

(夫が自分の家系の遺伝だと言っていた・・。こういうのも遺伝?😰)

長男33歳。

長女25歳。

いい加減大人。

でも感謝の言葉の一つも出てこない未熟人間か・・・。

ため息・・・。😰

 

こういう感じなので、

成人した我が子に何かあげるのはこれで終わり、と心に誓った。

だいたい我が家はそこまで経済的に豊かではないのだし・・・

余計なお金は医療費に回さないといけないし

増税がすごくて頭が痛いのに・・あげたのだ・・・。

 

あげっぱなしの親。

それを当たり前だと思っている子供たち。

最近多いらしい。😰

 

さようなら

その1週間後、娘の高校時代の友人の婚約発表とか、出産祝いとか、従姉妹が法律大学院に合格した話とか工学博士過程に進む娘の幼馴染のニュースなどを教えてあげるためにラインを送った。(みんな時間を無駄にせず、意味なしの友人関係などは避け、さっさと結婚するか、進学するか・・・しっかりやっている・・・)

でも返事はなかった。

「それがあたしと何の関係があるわけ????」と多分娘は思っていたのだろう。

いや別に「あなたもどうにかしたら」と焦らせているつもりはなかった。(下心がなかったわけではないけど・・💦)

動機はおめでたい話だから教えてあげただけだ。

 

私は娘の人生にとって大切な人ではなくなったのだから、もうどうでもいい人間なのだ。

そもそも、お母さん元気?とか一度も聞いてくれたこともないし・・・

死のうが生きようがどうでもいいと思っているに違いない。

そうだ。きっとそれが当たってる。

 

たかが4ヶ月に一度の連絡に返事がないってことはやっぱり迷惑なんだと思う。

 

それで思った。

もう止めようと。

完全にやめようと。

しつこく付きまとうのはみっともない!!!

(つきまとうのってストーカーよね???^^;)

 

その数日後の深夜12時に、わたしは娘からのメッセンジャーとラインの両方をブロックした。

ブロックしても、彼女が連絡をしてくることはないとわかっているので、今までと何も変わらないけど、自分の気持ちを完全に整理するために自ら行動に起こすしかないと思ったのだ。

しかし、相手をブロックしたということは、お互い様ということだね。

そもそも娘も私をブロックしていたのと同じなのだから。

メッセンジャーはこちらからも連絡できないことになっている。

こうやって無理やりそういう設定にすれば、諦めもつくっていうものだ。

 

親子の絆に縛られて、がっかりすることも悲しむことも、もうこりごり。

息子たちに対する気持ちはかなり整理がついたと思ったけど・・・末娘に対する自分の感情のコントロールはなかなか難しい。

それでも、娘にしてあげた恩などさっさと忘れ、未練がましい行動は停止ということにしよう。

 

末娘は可愛がってあげていたし関係もずっと良かったからそれが大人になっても続くものだと思っていた。

でも、それは私の勘違いだったのだ。

 

まあ、もう仕方がない。

人間関係というのは一人では成り立たないのだから。

 

「さようなら。

もう邪魔しません。」

そう言って「ブロック」をクリックした。

すると不思議なことに気持ちが一気にスッキリした。

 

終わったんだ。

これでいいんだ。

救急でもないことで娘に連絡を入れて彼女の大切な時間を盗んでもいけない。

我が子を愛しているなら、こうすることも大切だ。

(ついでに自分の時間ももったいない・・・(^^;;)

 

実際、会えなくて寂しいとか、悲しいとか・・・思っているのは普通親だけ。

我が家も、今のところ子供全員が親なんてなんとも思っていない。

 

いつか親を思ってくれる時が来るだろうか?

それはおそらく親が他界した後のことだろう。

普通はみんな元気で生きている間は親のことはなんとも思っていないものだ。

そう、そういうもの。

それでいいのだ。

(戦争とか大病で死にそうになれば親を思い出すらしい・・・😰)

 

「ブロック」は気が向いたら「ブロッ解除」に戻すかもしれない。

でもそれは、わたしが200%娘離れに成功するまではこのままでいるつもりだ。

 

娘のニュースは長男から聞けるからそれで十分。

多分何もすごいニュースとかないと思うから聞くこともないか・・・。^^;

 

ドクダミママ至言

子離れは親から率先してやらないとだめ。

それもかなり大胆にやらないと上手くできないことも多い。

成人した我が子から返事がないのは、嫌がっている証拠。

だから連絡なんて入れない方がいい。

心のどこかがつながっていればいいのだ。

近くて遠い関係が成人した子供との付き合い方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母業のような感情労働職は精神を病み易い

感情労働職

感情労働と呼ばれる職業には

人と接する類が含まれる。

例えば、教師、看護師、カウンセラー、営業職など。

 

そして・・・当然

無給・無休・無報酬の上健康を害しやすい母業もこれに入る。

 

この感情労働職には共通点がある。

それはストレスが生半可じゃあないってこと。

 

特に母業。

 

普通仕事は終われば家に帰りリフレッシュできる(はず)。😅

でも母にはそれはない。

母には休みはない。

 

子供が乳児の時は肉体的に限界を超すことも多い。

でも長い子育て年月を振り返ってみて、親業は全体的に感情労働だったと、気づいた。😅

 

感情の屈折の連続が母業。

これは非常に疲れる・・・。

 

いい親になろうと努力すればするほど疲労は溜まっていく。

それで燃え尽きてしまうのだ。

そして感情労働はウツになりやすい。

一生懸命やるタイプの人が犠牲者なのだ。

その血と汗を流して頑張る人。

もしかして・・・あなた・・・。😅

 

癒しは必須

ドイツには癒しセンターなるものがあって、

鬱になったりすると、医者から個人的に、そういう場所に行くようにとの処方箋がもらえる。すると3週間の有給休暇がもらえる。

仕事も行かなくていいし子育てもしなくていい。

上げ膳据え膳で家事もない。

さらにもっとすごいことに、これは国の保険でカバーされるというではないの!

さすが福祉国家ドイツ。

 

羨ましい限りだ。

 

反対にアメリカにこんな優雅なものはない。

この国は’No pain; no gain’「痛みなしに得るものなし」が常識の国なのだ。

まるで苦しむことが美徳のように考えられている。

特に苦しんでこそ母親みたいな・・・。😅

人生とは苦しむもの・・・って価値観が抜けない国。

闘争心100%の人のための国。

勝ち組のための国。

そんな大変な土俵で戦えない人は弱い人で・・・普通じゃない・・・とか怠け者・・・みたいな・・・目で見られたりしてね。😅

 

でもまあ・・・

日本も似通ったものかもね。😅

 

確かにどんなに避けようとしても人生にチャレンジはつきものだ。

ただ、精神を完全に病むまで苦しむ必要なんてない気がする。

予防は無理でも、処方箋はあるべきだ。

 

それとも親業は病気じゃあないから必要ない?

 

全ての感情労働はきつい。

その中で一番しんどいのが親業。

だからエネルギーの充電が大切なのだ。

 

だって、ずっと走りっぱなしって無理でしょ。

ずっと電流が流れっぱなしの電池ならいずれ劣化し、死ぬ。

人も同じ。

人の場合は心が死ぬのだ。

与えるばかりの職業は感情労働なんだから。

 

エネルギーの充電

長い間の感情労働の後に待っているものは

脳疲労と心臓疲労と魂疲労。

 

会社の仕事は感情労働じゃあなくて肉体労働と頭脳労働。

 

感情労働はそれらより後味が悪い。

労働後でも自分の中では終わってないのだ。

それが親の仕事。

 

子供が巣から出ても

親は労働が終わらない。

感情的にまだ働いている。

だから燃え尽きる。

燃え尽きると動けなくなる。

 

そういう時はやっぱり充電しなくちゃね。

そのためにはゆっくりしたほうがいい。

でも長い間ゆっくりするだけならそれはあまり良くないらしい。

 

このドイツの癒しセンターではタラタラしているのではなく、元気になるためにはゆるいスケジュールがあるほうがいいと言われるらしい。

タラタラ生活が長くなるとかえって悪影響らしい。

これはいいニュースだ。

なぜなら日本人はどうもあくせくして生きる民族のようだからだ。

 

日本人はあくせく生きる性分か

日本人は、ゆっくりしてもいいと言われても、

それを怠惰だと感じる人も多いだろう。

日本人特有のものだ・・・。😅

 

わたしたちの体中に流れる血潮には日本人の遺伝子が組み込まれていて、

この細胞にも日本人の遺伝子が組み込まれている。

それは消せないものなのだ。

だから頑張っていない自分を許せない・・・みたいなものがある。

罪悪感と焦りに悩まされる。

だからちょっと計画性のある「ゆる療養生活」が向いている気がする。

 

開き直りも大切

もしそれもどうしても無理なら、

「この際だから’だら〜’と生きるか〜」と開き直ることも大事。

七転び八起きってゆうけれど・・・

そんなに起きあがっていたら疲れるよね。

実際母親は七転び八起きどころじゃない。

 

だからこれでいい。

今はこれで。

だって母親になることは病気になるということだもの。

そう、精神の病。😅

病には休養が必須。

今日、川で見つけた亀!水にいるんだから海亀だと思う。でもサイズが結構大きかったからもしかして陸亀?いずれにせよ太陽の下で日干しになっていた。かわいい。😅 ゆっくり療養中かな?

 

ドクダミママ至言

子育て真っ最中のお母様はあまり張り切らないように。

この道は長いからねええ。

張り切りすぎると後が怖いよ〜。

 

適当に休憩を入れながらと楽に構えたほうがいい。

七転び八起きを常に実践しなくてもいい。

起きれない時もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

allabout.co.jp

元次男の離婚の理由に落胆する親。

 

うちのジャガイモ畑は何もしてないけど勝手に育って不思議。それは神様が必要なものを与えてくださっているからだ。苗を植えたのは人間。養ってくださるのは神様。子育ては家庭菜園より難しい。でも子供も神様の御手の中にある。それを信じて親はできる限りの努力のあとは神様に任せた方がいい。親ができないところはゆだねた方がいい。


元次男の離婚の理由を三男から聞いた。

元次男とその妻は「私たちは最初から一緒になるべきじゃあなかったのよ」という両者の同意での離婚なので6月末のアパート契約が切れるまでまだ一緒にいる。

結局基本的なところでの意見の食い違いとか・・・性格の不一致とか・・・。

(あるあるですね・・・😅)

 

嫁はフェミニスト。

元次男はフェミニスト大嫌い。

(なんで結婚するんね!)

よくよく聞いてみると、嫁はただ自分の意見を言っているだけなんだけど、元次男は嫁に馬鹿にされているように感じて「男性のプライド」がつぶされて耐えられないのだそうだ・・。💦

 

でも思った。

この元次男は誰と結婚しても続かないような予感がしてならない、と。

そもそも彼とうまくやっていける女性なんて世の中にいるのかしら?

利発な女性はまずもって無理でしょう。

例外は常にあるとして、息子に関して言えば、所詮自分自身が変わらなければ何人と再婚しても無理。

奴隷になれるくらい腰の低〜〜〜〜〜〜〜い’尽くすタイプ’の’自分軸ゼロ’の女性なら平気かも。

でも今の時代にそんな女性がどこにいるんかい?

大和撫子にだっていないと思う。

イスラム圏の女性とか?

う〜ん。それでも無理かもね・・・。😰

(なんたって舅の性格ですから・・・😰)

 

でも離婚の理由は意見の食い違いだけではなかったことがわかった。

 

実は先々日に元次男のフェースブックの最近の写真を見て目が飛び出た。

 

考えられないほど太っていて(172センチで130キロってどうゆーこと???)

髪の毛は長くてボサボサ。(最後に床屋に行ったいつのだろうか・・・)

シャワーはいつ浴びたのだろうか?

癖っ毛だから四方八方に飛んでいて猛獣のよう・・・。

ヒゲも伸び放題。

顔の輪郭なんかない!!!

だから二重顎を超えて三重顎?

 

これは・・・節制とか自制とかゼロの証拠。😅

目も当てれないヒッピー。

一体どこの国のおっさん???

これなら日本の引きこもりの男性の方が絶対マシだと思う・・・。

 

それからなんでも皮膚病も悪化したとか・・・。

歯は以前は真っ白で歯並びもまっすぐだった。

それが今は茶色で歯並びなんてガタガタ。

😰😰😰😰

 

でもこれの原因は・・・

全て生活態度が悪いからよ!!!💢

つまり習慣病!

 

だいたいね!

実家に住んでいた時は体は引き締まっていて

皮膚病なんかなかった!

歯も歯並びも問題なし!

 

それなのに今はこれですか?

・・・・ドッと落ち込んだ。😰

 

一瞬だけどね・・・。😅

 

なんでこうなっちゃうの?

あんなに健康に気をつけて育てたのに・・・。

 

リモートで仕事をしていてシカゴに友達もいないから

人に会わなくなったせいだろうか。

それなら外見なんてどうでもよくなる。

外に出ないということはまず歩いてない。

その反対に、コンピューターのスクリーンに貼り付け状態で

ポテチとかの「ながら食い生活」なのだろう。

飲み放題で食い放題でやりたい放題。

節制ゼロ。

 

絶対そうだ。

それなら太るし健康を害するに決まってる。

 

なぜ親が教えたことを全てここまで却下するのだろうか。

一体なんのため?

反抗しても自分の益にはならないのに何故ここまで頑固なのか・・・。

さっぱり理解できない。

自分の人生を破壊させれば親が苦しむからそのためにやっているのだろうか。

自分の夫の姉がそういうタイプだった。

Get even (仕返し)というやつ。

この家族はどうもこういう遺伝子なのだ。

でも反抗すると結局全てそのツケが自分に返ってくるのだ。

それで一番苦しむのは自分なのに・・・。

でも親なんかさっさと死ぬんだから、その後のことは知ったことではない。

それに親はあの世で我が子のことで悲しんだり落ち込んだりはしないのだ。

そのあとは自分でしっかりやらないといけないのだ。

亡くなった親のせいにはできないのだ。

 

生き残った自分に全責任が残り、誰のせいにもできない。

 

こういう恐ろしい姿を見るたびに

親が教えてきたことなんか全く意味を持たない!

学校や空手の先生やボーイスカウトリーダーの犠牲はなんだったのか。

無意味でしかない!

と思ってしまう。😰

 

それでも親はただ落胆するだけど、

所詮他人である嫁はこの結婚から足を洗いたいと思うに決まっている。

子供がいるわけじゃあないし今後も一緒につれそう理由なんか見つからないでしょ。

せめてハンサムだったらいいけど

こんなになってそりゃ嫁は当然いやでしょう。

生理的に勘弁して!と言いたいと思うわ。

 

おまけに・・・

嫁に言わせると仕事も収入も将来性がない。

その反対に嫁の一番上の兄は一流大を出ていて一流銀行に勤めている。

その下の兄も同じようなタイプ。

いとこもメキシコの親戚も皆勝ち組家族。

嫁の母親は歯科大卒。

父親はメキシコで一番レベルの高い私大卒で、まあすごく成功しているわけではないけど

うちの息子に比べればずっとマシ。

さらに、あの家族に肥満はない。

みな美形。

嫁はちょっと前まで太っていたけど、元々意思強固だから、

必死になってダイエットをして見事に痩せた。

だから今は絶世の美女なのだ。

(全てにおいて息子の家族とは正反対・・・・😅)

 

多分嫁は比べているんだと思う。

職場の同僚とね。

毎日、病院でハンサムで優秀な医師と一緒に仕事をしていて、家に帰るとこのボサボサ頭の目標なしで生きているダメ夫が威張っているのが耐えられないのだろう。

そんな気がする。

もしかしてもう狙いの人がいるのかも。

もしかしてすでに付き合ってるとか・・・。

一緒に昼食とかやってるね。

きっと。

 

彼女のフェースブックの名前は2月に旧姓に変えてあった。

結婚指輪もさっさと外したことだろう。

 

彼女は

「何を言っても、助けてあげようとしても、変わらない!自分は努力してアルコール依存症も克服したしダイエットも成功させたし、仕事も頑張っている。でもあんたはなんの努力もしていない怠け者!」

「子供がいるわけでもないし、あんたと一緒の将来なんか見えない!」

「こんなのと連れ添って自分の人生を破滅させたくない!今ならまだ間に合う!」

と言って離婚を固く決意した。

どんなことがあっても2度と決意を変えないらしい。

 

勇気百倍の女性だ!

 

でも彼はこのくらいしかできないのだと思う。

だから親は期待するのをやめたのだ。

現状を受け入れるしかないと腹をくくったのだ。

そうすることが互いのためにベストだと気づいたのだ。

でも本当はもっとできるはずと思っていた・・・。だけどね、色々言うと噛み付かれるし、身の危険を感じてやめたのだ。そもそもあんな頑固な巨体男子に言う言葉などもう・・ない。

 

嫁とは最初は文化の違いからちょっとあったけど、

あとで結構仲良くなった。

だから離婚は残念だ。

でも・・・彼女にとって離婚は良い結果をもたらすと思う。

二人は別世界の人間で価値観も違うし、

そもそも頭脳が異なりすぎて・・・

最初からうまくなんて行くわけなかったのだ。

 

これでよかったと思う。

わたしは息子をかばう気もしないし

助ける気もしないし

彼の立場を擁護する気もしない。

どうせ全て嫁のせいだと言うのだし。(と三男に言っていた。💦)

 

頑固が度を越しているから、そういう人にはもう励ます人も助言をくれる人も世間に一人だっていない。

それで一人で勝手にトロトロやっているから人生は前進していない。

出だしが10年以上遅れている。

それを多分理解しているはずだ。それもあって彼は自暴自棄の面もあると察する。

 

夫の家族にこう言うタイプが結構いるからやっぱり遺伝か・・・。

結局それだね・・・。^^;

頑固は遺伝。

 

ドクダミママ至言

成人した息子に何を言っても無理。

だから底を突いてもらって、そこから学習してもらうしかない。

でも頑固が度を越してる人は何も学習しようとしない。

それでいいならそれもその本人の選び。

実際、そういう人は洋を問わず結構いる。

心配なのはわかる。

悲しいのもわかる。

辛いのもわかる。

でも・・・精神崩壊につながるから悩んだりどうにかしようとあくせくするのは

やめた方がいい。

自分の精神を守ることに第一に焦点を置くべき!

 

 

 

 

 

 

子供から逃げたい人へ

 

 

今日は温度は高いけど乾燥していて気持ちがいい。
この青い空のように明るく広々とした場所に逃げたい・・・。
この雲のように自由に解き放たれたい。
そう思う母は多い。


最近ね、ヤフー知恵袋にこんな記事を見つけました。

 

子供と夫を捨ててどこか遠くへ行きたい

もう色々なことに疲れてしまいました

産むと決めたのは私で、母親として頑張らなければならないのは頭ではわかっているのですが、いつか自分の子供を殺してしまいそうな自分が怖いです。

子供は可愛いし愛してるけど毎日毎日こ子供を捨ててどこかで1人ひっそりと暮らす妄想をしてしまいます

矛盾したことを言っていることは理解してます。

もう疲れました。

いっそ死のうかと何度も思いましたがそんな勇気ない。

どうすればいいんでしょう。

辛いです

 

回答

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

母親の苦悩

この質問者さんの気持ち・・・わかる!😭

 

夫や子供を捨ててどこか遠くへ行きたい

実は自分も家族を捨ててどこかに消えてしまいたいと思ったことが何回もある!

 

もう色々なことに疲れてしまいました。

気持ちわか〜〜〜る!😭

 

どこかで1人ひっそりと暮らす妄想をしてしまいます

今でもそれに憧れてます。😅

 

もう疲れました。いっそ死のうかと何度も思いましたがそんな勇気ない。

普通はそれよね。😅

 

辛いです。

😭😭😭

 

回答者さんの素晴らしい語録について

 

母親脳ではなかった。

ドキ!まさに自分のこと!?。😅

 

みんなこれよ〜〜〜。😭

 

ずっと子供に振り回されてきた30年間でした。😅

 

真実。黄金の言葉。

 

まさにそれ!

 

逃ても我が子を忘れることは無理で、捨ててしまったことに対する罪悪感からも逃れられない。だから心が痛い。でも現状に向き合い子育てを頑張ることも痛い。どちらに逃ても痛い。

 

そう。理想は理想。

現実は正反対。😰

 

養子は子供を捨てたことにはならない。

だってできないんだから仕方がないでしょ?

養子縁組は欲しくてたまらないけど授からない人には喉から手が出る話。

人にお願いした方がいい場合もあるよね。

 

ドクダミママ至言

子育ては逃ても続けても痛みからは逃れない。

向き合う痛みを取るか逃げる痛みを取るか。

どちらを取るかは本人次第。

逃げれば一生苦しむ。

向き合えば、一定期間苦しむ。

でも向き合っても後々はいい結果になるとも断言できないから一定期間の苦しみとも言えない。

 

それなら・・・多分・・・

なるべく自分の良心の呵責を覚えない選択がいい。

だって・・・罪悪感って苦しいものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運命を愛するしかない

 

人生はこの地面のように、整然としていないことが多い。そのため見ているとイライラすることもあるし、どうにかしないといけないと焦ったりもする。でも、どういう感情が湧いてきても、現状を受け入れ愛するしかないのだ。めちゃくちゃでも感謝する。それしか幸せになる方法はない。


結婚してみて

子供を持ってみて

こんなはずじゃああああなかったあああああ!

と泣き叫びたい人いますか???

 

おおお!たくさん手が上がってますね〜。😅

 

確かに理想を追いかけるのはいいことでもあるけど

不幸の要因にもなるってご存知?

 

世の中に試練が重い人と軽い人がいるのは明らかでも

基本的に人生は楽じゃあないし

いいこともあれば嫌なこともあるのが普通。

順風万帆の人生ってない。

 

人生は最初からそういう風にできている。

だからそういうふうに開き直って捉えた方が

生きるのが楽になるのではないだろうか?

 

自分も試練ばかり。

でも明らかに試練の多そうな方向に自ら向かってしまう性格でもあるから仕方がないのだ。

だからそういう気質である自分の運命なんだと思う。

 

そもそも別に留学なんてしなくてもよかった。

超貧乏で悪玉遺伝子を持った人と結婚しなくてもよかった。

国際結婚もしなくてもよかった。

アメリカに住まなくてもよかった。

別に子供なんて産まなくてもよかった。

あんなに必死になって子育てなんてしなくてもよかった。💦

 

でもなぜかそういう風に生きてしまう性分なのだ。💦

苦労を買って出る性分・・・。💦

 

それをどうのこうのと今更論じてみても始まらない。

やっぱりどうにもできないことってある。

 

前にも話したけど、わたしは4歳の時の両親を亡くした。

そのせいで波乱万丈の人生だったと人から言われる。

それは確かに当たっているかもしれない。

でも親がいなかったことはどうしようもなく、

そういうことを言っても始まらないからそれに対して愚痴を言ったりはしたことはない。

ただ目の前の出来事に対応するだけでせい一杯だった。

 

その目の前の出来事とは数限りない虐待とネグレクトとそれに付随する

全ての苦悩。

それに立ち向かうごとく日々が戦争だった。

子供ながらに、自分が死のうが生きようが、そんなことを気にかけてくれる人はこの世にたった一人もいないと心の中で理解していた。

だから自分一人で必死になって耐えていた。

 

瞬時瞬時が命懸けだったから過去のことを考えている余裕もなかった。

その瞬時の張り詰めた気持ちが限界に達するとメソメソと泣くことも多かった。

それでも、後にこれは軽い方だったと気付いた。^^;

だって・・・親になったらメソメソどころじゃあないくて

号泣の日々だったから・・・。🥵

 

我慢が多かった人生。

人生の悪天候に左右されるばかりだった。

自分軸なんてありそうでなかった。

でもそれも仕方がない。

それが自分の運命だったのだ。

それでよかったのだ。

 

今の時代は自分軸で生きることが流行り。

で、それって自分中心に生きるってことのように取っている人もいることに驚く。

嫌なことに合わせて生きることは非自分軸とかそんな意見もある。

嫌だったらさっさと逃げればいい、というアドバイスもある。

 

確かに逃げてもいい時も、逃げたほうがいい時もある。

でも一事が万事というわけではない。

 

実際「徹底的な自分中心」は子供っぽいようにも感じる。

だって

赤ん坊は

人の都合なんて全部無視で

泣きたい時に泣いて

起きたいときに起きて

自分が不快だと思うことに対して頑固に抗議してくる。

迷惑お構いなし。^^;

 

このように

自分のやりたいことをやりたいようにやるのが子供。

それが自分軸?

 

でも我々親はそれはできないのだ!

だから最初から期待しない方がいい。

できないことを悲しまない方がいい。

 

だって、100%自分軸で生きるなんて・・・やっぱり赤ん坊だけに許されること。

 

なら、どうせ最初から人生は思い通りにならないものなら、

良きも悪しきも受け入れ、

愛するしかないのだ。

 

幸せな人生。

不幸な人生。

両方を愛する。

全て引き受けるのだ。

つまり腹をくくる。

覚悟を決める。

 

そして不幸に見舞われたら

自分に問うのだ。

これは一体自分に何を問いかけているのか、と。

一体これから何を学べるのか、と。

 

わたしも、現在に至っても自分に問いかけている。

親としての経験はなんだったのかと。

きっと意味がある・・・。

 

まず親になることによって自分の欠点が明らかにされた。

それで改善するようにがんばった。

だって子供に立派になれと言っておきながら親がいい加減ならなら何もいえないじゃあないの?

それでもそこまで立派になるなんて無理だった・・・。🥵

 

だから親と同様に立派になれない我が子を赦そうと思えた。

 

子供時代の悲しみと親時代の悲しみを合わせると、自分の人生のほとんどは悲しみに埋もれていた。でもそれが自分の運命で、それでよかったのだ。

だから悲しんでいる子供の気持ちもわかる(結構てごわいことを言ったりもするけど💦)。

苦しんでいる親の気持ちも手に取るようにわかる。

こういうのは実際に経験しないとわからないものなのだ。

だから経験できてよかったのだ。

 

この運命を愛する。

全てを愛する。

どんな人生でも与えてくださった神様に感謝する。

不幸でも幸福でも感謝し

愛する。

 

ここに行き着いた。

これが究極の悟り。

これしかないのだ。

 

ドクダミママ至言

良きも悪しきも受け入れ愛する。

自分のがっかりする気持ちを内側で仕立て直す。

つまり出来事の裏側にある意味を自分自身に問う。

それを発見することが自己啓発につながる。

人生の意味発見につながる。

究極的に幸福につながる。

 

 

手放すことで手に入るものがある。手放さなければ現状は変わらない。

親はいつまでも我が子に執着することが多い。

子供はとっくの昔に精神的にも物理的にも自立し

巣を飛び立ってしまった場合もあるのに・・・

親は子離れがなかなかできない。

子供もそういう親を’うざい’と思っていたりする。

 

親は子供を冷たいと感じる。

こんなに長い間、自分はないがしろでも子供のことは優先順位の一番だった。

それなのに・・・・。

ひどい・・・。

 

そうそれそれ、わたしも同じ意見よ〜〜〜😭。

 

でもね、

こういう気持ちを手放さない限り

不幸な気持ちは消えないもの。

 

仏様も言っておられたでないの。

不幸の一番の原因は「執着」だと。

これはもっともだとは思わないだろうか。

 

人は執着心を手放せないから苦しいのだ。

子供が自分を不幸にしているのではなく

自分自身の執着心をどうにもできないから苦しいのだ。

 

「自分を縛っている余計な考え」

「大切ではないこと」

を手放すことができればどんなに楽になれることか。

 

両手に荷物を抱え重くて疲れて動けなくなっている人・・・

そんな人を道端で見つけたら

あなたはその人になんと言うだろうか?

おそらく「荷物を置けば?」と言うだろう。

 

我が子のことで行き詰まっている時も

どうにかしようとあがいている時も

 

この重たい荷物を抱えているのと同じだ。

手放せば軽くなれる。

もっと楽に動ける。

 

まずもって両手が完全に塞がっていたら他のものは手に入らないのだ。

 

人生もこれと同じ。

 

「べき」思考は止めよう!

悩みを抱えて苦しんでいる人に限って

思い込みが激しかったりする。(自分のことか・・・・😅)

「こうするべき」

「こうあるべき」

という理想を抱えて生きている。

 

これを実際の例に当てはめるなら、

「常識だからこうするべき」で

「家族はこうあるべき」で

「母とはこうあるべき」で

「何歳なんだからこうあるべき」で

「周りにこう思われるべき」

と終わりがない。

 

でも、この自分の中にある「べき」思考という鉄則は自分で決めたもの。

これにがんじがらめになると

自分の目の前のことしか見えなくなり、広い視野から考えることができなくなるのだ。

そして精神に悪影響を及ぼす。

行き詰まる。

 

だから、そういう時は「手放すべき」。

そういうがんじがらめの硬い考え方を手放すべきなのだ。

 

手放し方

1。一度全部諦めてみる。

2。自分の魂の声に耳を傾ける。つまり「本当はどうしたいの?」と自問する。

 

諦めるという漢字は、

「真実をしっかり見て、現実をありのままに観察する」という語源なのだ。

つまり、悟りを意味する。

 

自分を縛り付けていた常識とか「べき思考」を手放すと悟れる。

つまり見えてくるものがたくさんある。

今までふさがっていた両手があく。

だから新しく手に入るものが現れる。

 

これができると心が軽くなる。

 

我が家の子供たち

今週末、4人の子供たちとその伴侶は、オハイオ州のシンシナチに集合しリーユニオン(再会)を計画している。

当然親は招待されていない。

親は無視されている。^^;

 

年寄り親は場違いで

せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊す犯人なのだからか・・・。^^;

 

まあそういう見方もできるけど・・・(^^;;

若い人たちだけで思いっきり楽しみたいから・・・という風に

肯定的に見てあげることにしよう。

 

三男はロッキー山脈から自家用車で本日目的地に向かっている。

全てが終わってから帰りにミシガンに北上するとか・・・。

彼は今大学院の学期の真っ最中なのにいつ勉強するのか・・・と

親はついつい心配してしまう。

 

でも、彼は来たら来たらで、銀行口座を閉めて、親とはちょっと顔合わせだけして、

おさらばだそうだ。^^;

 

この息子は毎週親と話しているので、あまり話すこともないし、

義理で寄ってくれるだけだと思う。

彼の妻?

当然、義理の親のところになど寄りたくない。💦

義理でも顔を出すのが常識でしょうが?!!!!!💢

シンシナチからここまで自家用車でおよそ5時間。

長旅(米国では近い距離のうち・・・)ということでまあ許すか・・・。

 

まあこんなものだね〜〜〜。

これが現実。^^;

 

こういう若い人だけどの行事に無理やり顔を出すのが夫の親だったけど・・・

わたしたち夫婦はしない。

 

それで、昨日、銀行は実際に出向かなくても閉鎖が可能とわかり、

ここにわざわざ来なくてもいいと伝えた。

すると、寄るかどうかはちょっと考えるということだった。

 

去る者追わず、来るもの拒まず。

親の座右の銘だよ。^^;

 

巣を飛び立ったヒナと飛び立ちたいヒナは手放すしかない

最近、下の住人に事件があったようだ。

どうも子供の結婚問題についてのようだ・・・。

夜中ずっと彼らは起きていて朝まで人が出たり入ったりしていた。

そのヘビメタル音楽と人声という騒音(夜中は響く!)が止んだのは朝の6時。^^;

私は睡眠不足で迷惑極まりないと感じていた。

 

しかし、そうやって成人した子供に口出しして、嫌がられないってすごいことだ。

これと同じことを我が子にするなら、ものすごく憤慨されるだろう。

とにかく一切合切アドバイスは聞きたくないのだ。

 

だからわたしたちは諦めたのだ。

子供たちの話は聞いているのみ。

親の意見ゼロ。

アドバイスゼロ。

 

でも何も言わないって怖いことよ。

彼らはわかっていない。

親が真実を語らないことの恐ろしさを。

 

しかし今更何もできないので

彼らには苦渋をなめてもらうことにした。

 

その時が到来する時、親は既に現生を後にしていることを・・

願わくば期待している。^^;

ここは私のアトリエ。つまり自分の聖所です。
家事をしていない時と、外で畑仕事をしていない時は、ここで絵を描いてるのよ〜。子供のことはあきらめて自分のやりたいことに没頭するしか逃げ道はない、と悟った!😅我が子たちは自分の人生に責任があってそれで失敗してもそれは親には関係ない。だって散々処世術を教えてあげたけど、ことごとく却下するだけでなくおもむろに嫌な顔をするんですもの・・黙るしかないでしょ?親の仕事はただ陰で見守ること、とも言われているけど、それも精神的にかなりしんどい。見守るってやっぱり子供の現状をしっかり把握していることでしょ?それも苦しみの原因になる感じがしてならない・・・。まあ重たい荷物は手放すしかない、ってのがたどり着いた結論。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

’まあまあママ’も’いい母’のうち

先週の母の日は台所をピカピカにしようと思っていた。

そしてオーブンの下の油のシミ取りをしていたその時・・・・

 

いきなり長男が玄関に現れた!!!!!

 

え〜〜〜〜?

来るなんて聞いてないぞ〜〜〜!

それに招待もしてないぞ〜〜〜!

食事なんて用意してないぞ〜〜〜!

父ちゃん、昼寝中だぞ〜〜〜!

 

で、息子を見ると手に大きな花を抱えていた。

母の日のプレゼントだって・・・💦

 

これだ〜〜〜!

これは最低50ドルはするわね・・・。(6千円くらいかな)

こんな高いものは買わなくていいよ、というと、実はタダだって。😅

パートナーが週末だけまたホテルに勤務するようになり、そこで処分する花を勿体無いからもらってきたとか・・・。😅

 

あらそー。😅

まあ、気持ち気持ち。😅

 

それでこの日は息子が私のカウンセリングをしてくれた。

親としてちゃんとできなかった・・・とか(いつも言ってるんだけど・・・😅)

またこぼすと、

息子はこういうことを言ってくれた。

 

"Good enough mother is a good mother."と。

「そのくらいで十分」つまり「まあまあママ」も「いい母」のうち!というのだ。

 

なんとすごい洞察力!

びっくりだああああ。😅

こんなことが言える人間に成長するとは・・・。奇跡か!?

 

なんでもいろんな人に会い、人生経験を積むに従って、

「自分は恵まれた子供時代だった」ということに気づいたのだそうだ。

 

それで引き続き聞いているとこんなことを言っていた。

 

「僕は

良い教育環境に置かれ、

両親は健在で、

ばくちとか麻薬とか酒とかの依存症もなかったし、

家庭は極めてクリーンな感じだった。

両親は完全じゃあなかったけど、子供達を育てることに真面目に取り組んでいた。

それどころか、一生懸命だった。(やっとわかったか!^^;)

裕福じゃあなかったけど

底をつくほどの貧乏でもなかった。(いや・・・そういう時代もあったよ・・・(^^;;)

たくさん助けをもらって

いろいろなことをさせてもらって

家族であちこちに出掛けたりゲームしたりで楽しかった。

劇場とかコンサートとか博物館とか美術館とか・・・数えきれないほど連れて行ってもらった。(アメリカは親が全ての場所に運転して連れて行くのが普通・・・^^;)

褒めてもらえるような機会をたくさん作ってもらった。

いい家庭だったんだ。

 

僕はすごく恵まれていたって気づいたんだよ。

だからお母さんはいい親だったんだよ。」

 

・・・😭😭😭😭😭

こんな言葉が聞けるなんて・・・信じられない。

(もしかしてこれって夢・・・・?😅)

 

いや!

この6月で33歳だから、そろそろ気づかない方がおかしい!

 

でも最近の若い人の成長速度はこんなものらしい。😥

 

それにしても

「まあまあママ」も「いい母」 のうち

っていい言葉だなあ、と思う。

世界の悩める母を救ってくれる言葉だ。😭

 

たとえ半分慰めの言葉でも、そういうことにしておこう。

母親は自分に厳しすぎるんだから・・・。

 

注意書き1:この「まあまあママ」ってゆうのは、子供をすごい虐待してご飯も食べさせないで死なせてしまったり、年がら年中パチンコ店に浸っていたり朝から「のんべえ」とかの親は入ってないです。ごく普通の親のことです。

 

ドクダミママ至言

「まあまあママ」も「いい母」のうち。

子供はいつかは理解する(はず😅)

母が死にたくなる時

清々しい5月の空気の中で静かに咲くライラックの花々。
空は雨模様。心も雨模様。

今年も母の日が来てしまった・・・。😰

今年も・・・’やっとなんとなく悟った’長男と

’今一親離れしていない’三男からは

義理に決まってると思うけど・・・連絡が来るだろう。😅

 

長男はパートナーと自分のゲイ友と人生を謳歌していて実家には滅多に寄らない。

三男は嫁の実家にまたしても帰省している。

結婚してから実家に戻ってきたのはたったの1日だけ。

息子というものはどこもみんな疎遠になるようだ。

 

残りの二人からは例年通り故意的に無視されるだろう。

 

夫は気を遣ってくれて、母の日に何かくれるのが常だ。

でも、今年は何もくれなくていいと伝えた。

何もしなくてもいいしどこにも行かなくてもいい。

母の日は疲労困憊の夫に昼寝をさせてあげることにしよう。

私も庭の手いれてクタクタだ。

 

夫婦揃って・・心身共に疲れて何もしたくない気分。

 

アメリカでこの日に教会などに行くと、

「母を大切にしましょう」というお説教がされる。

「母親はすばらしい存在」だから「感謝しましょう」と言われる。

 

でも・・・うちの子供たちはみな教会にも寺院にも行かない。

ほぼ無宗教で無標準。

だから心がちくりとする話に触れることはない。

彼らが触れるものは、もっぱらネットの「ナルシスト毒親バッシングサイト」のみ。😅

 

そういえば、こういう現状を気にしていた時も過去にあったなあ、とふと気づく。

でも今は出口も逃げ道も解決策も頭に浮かばないから

理想は捨てて現実を受け入れることにした。

個人的にとらないことにした。

それに我が子といえど他人の決断に介入はできない。

なんで母の日に連絡がないの?なんて言えない。

そもそも自分で母の日に食事も用意して子供たちを呼ぶなんて・・・

どうみてもおかしい。(よね〜〜!)

私は招待される側の人間なのだ。(でしょ〜〜?)

 

みんな自分の人生で多忙だから(のはずがない!)それどころじゃあないのだ。

母の日なんて大切じゃあないのだ。とゆうことにしておこう。😅

ほとんどの人は、母のことなど、自分たちが親になるか、母の死に直面しなければ、感謝とか頭にも浮かばないのだ。

それが普通だと肝に銘じておいた方がよさそうだ。

 

ただ、たとえそういう風に肝に銘じておいたとしても、このなんとも息苦しい感じは抜けない。

生きている限りこの気持ちに逃げ道はないのだろうか。

 

逃げ道は普通はある

生きていて嫌なことって他にも色々ある。でもそんな時でも逃げ道ってあるものだ。

 

人は仕事がうまくいかなくて悩む。

上司のモラハラとか仕事の量が多すぎるとか・・・色々。

でもそんなに辛いなら辞めれる。

 

学校が嫌?

それも不登校という手がある。

退学という手もある。

家庭学習という手もある。

 

伴侶に耐えられない?

別居や離婚するという手がある。

 

自分の住んでいる所が嫌?

引越しすればいい。

国外脱出という手もある。

 

逃げ道はある。

 

逃げ道がない場合

でも母には逃げ道はない!😰😰😰😰

たとえ家出をしても心から我が子のことが消えることはない。

逃げれないのだ。

 

だから母は死んでしまいたいと口走ることがある。

唯一の逃げ道は「死」しかないのだ。

 

死という重い言葉。

それを母という人間は割と簡単に口にする。

 

ちなみに母親が死んでしまいたい、と思うときはこんな時だ。

  1. 我が子が「思い通り」をはるかに越して、目も当てれない姿に成長してしまったことを直視しないといけない時。
  2. 育児のストレスが限界を超えた時。
  3. 我が子が親を大切にしない時。
  4. 我が子が亡くなってしまった時。
  5. 我が子の人生の失敗。
  6. 家庭崩壊。
  7. 子供と断絶状態の時。
  8. 子育てに年月を費やし人生を無駄に過ごして今更どうにもできないと感じる時。
  9. つまり・・・希望が全く見えない時。😰

死にたいという気持ちに隠れた本当の叫び

今までは他の人間のために生きてきた。

それは長くて辛すぎた。

でもあの時は希望があったからどんなに辛くてもできた。

でも・・・今は希望はどこを探しても見えない状態。

だからただ息をしてその日暮らしで自分と向き合うことは避けるしかない。

でも心の中の真っ黒な点はまだそこにある。それを無理やり無視して生きている。

 

無視はできても

その点を消すことはできない。

苦しい。

だから死にたい。

そう思っている母は結構な数らしい。

 

でも実はそれは、

自分の本来の魂に帰りたいと思っているということなのかもしれない。

 

あなたの魂が本来の姿に戻りたいと思っているのだ。

この世はうんざりだと感じているのだ。

で、魂に帰りたいと思う。

つまりこの肉体を脱ぎ捨てて魂という存在にだけなりたい。

でも魂が帰るにはあの世しかない。

つまり、死・・・・💦

 

死なないで魂に帰るには

ただ、死にたいと思ってもそうそう簡単には死ねないのが人間。

だからこの現生でこの精神的な苦痛をどうにかするのがベストなのだ。

 

でもどうやって?

それは、死なないで魂に帰ればいい。

 

死なないで魂に帰るには

自分の魂とは永遠の存在であるという原理を信じることだ。

そういう見地から今の状況を見るなら、悲しみや苦しみもそこまで耐えられなくもなくなってくるというものではないだろうか。

あなたの本当の姿は霊であり魂で

肉体は仮の姿でしかない。

すなわち、この地上での苦しみは幻覚のようなもので一時的なものなのだ。

 

だからこの苦しみから逃れるには魂に帰ること。

魂に帰るには、魂の声を聞くこと。

永続的な存在であるということろ理解すること。

すると永遠的な観点から物事を見られるようになってくる。

 

地上の人生は魂が本来あるべき姿から離れた状態で生きていかないといけないきらいがある。

つまりこの世で賢く生きるには魂が欲しているのと反対の生き方をする必然性を感じるのだ。

でも本当はそれは他人の築いた幻覚なのだ。

他人の築いた幻覚社会で幻覚的な人生を送る。

それをあたなの魂は辛いと言っている。

それを五感として感じているのがあなた。

子供を取り巻く様々な出来事も「幻覚」のようなもの。

でもあなたそれを現実として捉えている。

だから苦しい。

 

この世は幻覚のだ。

あなたは本当は魂で、いつかは滅びる肉体の中に住んでいる。

 

だからあまり真剣にとらないように。

子供の問題も全て解決できなくともいい。

 

母の日に連絡がなくても大丈夫。

母の日なんて幻覚。

母の日は人間が決めた祭日。

他の現生の出来事も幻覚のオンパレード。

子供も悪気があってのことじゃあない。彼らのことも幻覚のようなもの。

 

だからそんなものにコントロールされてはいけない。

そもそも、幻覚ならそこまで気にすることじゃあないでしょ?

あなたの本当の存在は霊であり魂だからだ。

そういう遠目で物事を捉えるといい。

 

ドクダミママ至言

この世は所詮幻覚。

起きていることも幻覚のようなもの。

だから気にしないこと。

あなたの本当の姿は霊で、魂。

肉体も幻覚のようなもの。

永遠の観点から物事を見るといい。

 

母の日おめでとう。

 

完全な母でなくともいい。

完全な母なんて無理。

子供の抱える問題を全て解決してあげなくてもいい。

(だってそもそも不可能だもの・・・)

それなりの努力で十分。

母の務めも幻覚のようなもの。

だからあまり真剣にとらないほうがいい。