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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

運命を愛するしかない

 

人生はこの地面のように、整然としていないことが多い。そのため見ているとイライラすることもあるし、どうにかしないといけないと焦ったりもする。でも、どういう感情が湧いてきても、現状を受け入れ愛するしかないのだ。めちゃくちゃでも感謝する。それしか幸せになる方法はない。


結婚してみて

子供を持ってみて

こんなはずじゃああああなかったあああああ!

と泣き叫びたい人いますか???

 

おおお!たくさん手が上がってますね〜。😅

 

確かに理想を追いかけるのはいいことでもあるけど

不幸の要因にもなるってご存知?

 

世の中に試練が重い人と軽い人がいるのは明らかでも

基本的に人生は楽じゃあないし

いいこともあれば嫌なこともあるのが普通。

順風万帆の人生ってない。

 

人生は最初からそういう風にできている。

だからそういうふうに開き直って捉えた方が

生きるのが楽になるのではないだろうか?

 

自分も試練ばかり。

でも明らかに試練の多そうな方向に自ら向かってしまう性格でもあるから仕方がないのだ。

だからそういう気質である自分の運命なんだと思う。

 

そもそも別に留学なんてしなくてもよかった。

超貧乏で悪玉遺伝子を持った人と結婚しなくてもよかった。

国際結婚もしなくてもよかった。

アメリカに住まなくてもよかった。

別に子供なんて産まなくてもよかった。

あんなに必死になって子育てなんてしなくてもよかった。💦

 

でもなぜかそういう風に生きてしまう性分なのだ。💦

苦労を買って出る性分・・・。💦

 

それをどうのこうのと今更論じてみても始まらない。

やっぱりどうにもできないことってある。

 

前にも話したけど、わたしは4歳の時の両親を亡くした。

そのせいで波乱万丈の人生だったと人から言われる。

それは確かに当たっているかもしれない。

でも親がいなかったことはどうしようもなく、

そういうことを言っても始まらないからそれに対して愚痴を言ったりはしたことはない。

ただ目の前の出来事に対応するだけでせい一杯だった。

 

その目の前の出来事とは数限りない虐待とネグレクトとそれに付随する

全ての苦悩。

それに立ち向かうごとく日々が戦争だった。

子供ながらに、自分が死のうが生きようが、そんなことを気にかけてくれる人はこの世にたった一人もいないと心の中で理解していた。

だから自分一人で必死になって耐えていた。

 

瞬時瞬時が命懸けだったから過去のことを考えている余裕もなかった。

その瞬時の張り詰めた気持ちが限界に達するとメソメソと泣くことも多かった。

それでも、後にこれは軽い方だったと気付いた。^^;

だって・・・親になったらメソメソどころじゃあないくて

号泣の日々だったから・・・。🥵

 

我慢が多かった人生。

人生の悪天候に左右されるばかりだった。

自分軸なんてありそうでなかった。

でもそれも仕方がない。

それが自分の運命だったのだ。

それでよかったのだ。

 

今の時代は自分軸で生きることが流行り。

で、それって自分中心に生きるってことのように取っている人もいることに驚く。

嫌なことに合わせて生きることは非自分軸とかそんな意見もある。

嫌だったらさっさと逃げればいい、というアドバイスもある。

 

確かに逃げてもいい時も、逃げたほうがいい時もある。

でも一事が万事というわけではない。

 

実際「徹底的な自分中心」は子供っぽいようにも感じる。

だって

赤ん坊は

人の都合なんて全部無視で

泣きたい時に泣いて

起きたいときに起きて

自分が不快だと思うことに対して頑固に抗議してくる。

迷惑お構いなし。^^;

 

このように

自分のやりたいことをやりたいようにやるのが子供。

それが自分軸?

 

でも我々親はそれはできないのだ!

だから最初から期待しない方がいい。

できないことを悲しまない方がいい。

 

だって、100%自分軸で生きるなんて・・・やっぱり赤ん坊だけに許されること。

 

なら、どうせ最初から人生は思い通りにならないものなら、

良きも悪しきも受け入れ、

愛するしかないのだ。

 

幸せな人生。

不幸な人生。

両方を愛する。

全て引き受けるのだ。

つまり腹をくくる。

覚悟を決める。

 

そして不幸に見舞われたら

自分に問うのだ。

これは一体自分に何を問いかけているのか、と。

一体これから何を学べるのか、と。

 

わたしも、現在に至っても自分に問いかけている。

親としての経験はなんだったのかと。

きっと意味がある・・・。

 

まず親になることによって自分の欠点が明らかにされた。

それで改善するようにがんばった。

だって子供に立派になれと言っておきながら親がいい加減ならなら何もいえないじゃあないの?

それでもそこまで立派になるなんて無理だった・・・。🥵

 

だから親と同様に立派になれない我が子を赦そうと思えた。

 

子供時代の悲しみと親時代の悲しみを合わせると、自分の人生のほとんどは悲しみに埋もれていた。でもそれが自分の運命で、それでよかったのだ。

だから悲しんでいる子供の気持ちもわかる(結構てごわいことを言ったりもするけど💦)。

苦しんでいる親の気持ちも手に取るようにわかる。

こういうのは実際に経験しないとわからないものなのだ。

だから経験できてよかったのだ。

 

この運命を愛する。

全てを愛する。

どんな人生でも与えてくださった神様に感謝する。

不幸でも幸福でも感謝し

愛する。

 

ここに行き着いた。

これが究極の悟り。

これしかないのだ。

 

ドクダミママ至言

良きも悪しきも受け入れ愛する。

自分のがっかりする気持ちを内側で仕立て直す。

つまり出来事の裏側にある意味を自分自身に問う。

それを発見することが自己啓発につながる。

人生の意味発見につながる。

究極的に幸福につながる。