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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

母が死にたくなる時

清々しい5月の空気の中で静かに咲くライラックの花々。
空は雨模様。心も雨模様。

今年も母の日が来てしまった・・・。😰

今年も・・・’やっとなんとなく悟った’長男と

’今一親離れしていない’三男からは

義理に決まってると思うけど・・・連絡が来るだろう。😅

 

長男はパートナーと自分のゲイ友と人生を謳歌していて実家には滅多に寄らない。

三男は嫁の実家にまたしても帰省している。

結婚してから実家に戻ってきたのはたったの1日だけ。

息子というものはどこもみんな疎遠になるようだ。

 

残りの二人からは例年通り故意的に無視されるだろう。

 

夫は気を遣ってくれて、母の日に何かくれるのが常だ。

でも、今年は何もくれなくていいと伝えた。

何もしなくてもいいしどこにも行かなくてもいい。

母の日は疲労困憊の夫に昼寝をさせてあげることにしよう。

私も庭の手いれてクタクタだ。

 

夫婦揃って・・心身共に疲れて何もしたくない気分。

 

アメリカでこの日に教会などに行くと、

「母を大切にしましょう」というお説教がされる。

「母親はすばらしい存在」だから「感謝しましょう」と言われる。

 

でも・・・うちの子供たちはみな教会にも寺院にも行かない。

ほぼ無宗教で無標準。

だから心がちくりとする話に触れることはない。

彼らが触れるものは、もっぱらネットの「ナルシスト毒親バッシングサイト」のみ。😅

 

そういえば、こういう現状を気にしていた時も過去にあったなあ、とふと気づく。

でも今は出口も逃げ道も解決策も頭に浮かばないから

理想は捨てて現実を受け入れることにした。

個人的にとらないことにした。

それに我が子といえど他人の決断に介入はできない。

なんで母の日に連絡がないの?なんて言えない。

そもそも自分で母の日に食事も用意して子供たちを呼ぶなんて・・・

どうみてもおかしい。(よね〜〜!)

私は招待される側の人間なのだ。(でしょ〜〜?)

 

みんな自分の人生で多忙だから(のはずがない!)それどころじゃあないのだ。

母の日なんて大切じゃあないのだ。とゆうことにしておこう。😅

ほとんどの人は、母のことなど、自分たちが親になるか、母の死に直面しなければ、感謝とか頭にも浮かばないのだ。

それが普通だと肝に銘じておいた方がよさそうだ。

 

ただ、たとえそういう風に肝に銘じておいたとしても、このなんとも息苦しい感じは抜けない。

生きている限りこの気持ちに逃げ道はないのだろうか。

 

逃げ道は普通はある

生きていて嫌なことって他にも色々ある。でもそんな時でも逃げ道ってあるものだ。

 

人は仕事がうまくいかなくて悩む。

上司のモラハラとか仕事の量が多すぎるとか・・・色々。

でもそんなに辛いなら辞めれる。

 

学校が嫌?

それも不登校という手がある。

退学という手もある。

家庭学習という手もある。

 

伴侶に耐えられない?

別居や離婚するという手がある。

 

自分の住んでいる所が嫌?

引越しすればいい。

国外脱出という手もある。

 

逃げ道はある。

 

逃げ道がない場合

でも母には逃げ道はない!😰😰😰😰

たとえ家出をしても心から我が子のことが消えることはない。

逃げれないのだ。

 

だから母は死んでしまいたいと口走ることがある。

唯一の逃げ道は「死」しかないのだ。

 

死という重い言葉。

それを母という人間は割と簡単に口にする。

 

ちなみに母親が死んでしまいたい、と思うときはこんな時だ。

  1. 我が子が「思い通り」をはるかに越して、目も当てれない姿に成長してしまったことを直視しないといけない時。
  2. 育児のストレスが限界を超えた時。
  3. 我が子が親を大切にしない時。
  4. 我が子が亡くなってしまった時。
  5. 我が子の人生の失敗。
  6. 家庭崩壊。
  7. 子供と断絶状態の時。
  8. 子育てに年月を費やし人生を無駄に過ごして今更どうにもできないと感じる時。
  9. つまり・・・希望が全く見えない時。😰

死にたいという気持ちに隠れた本当の叫び

今までは他の人間のために生きてきた。

それは長くて辛すぎた。

でもあの時は希望があったからどんなに辛くてもできた。

でも・・・今は希望はどこを探しても見えない状態。

だからただ息をしてその日暮らしで自分と向き合うことは避けるしかない。

でも心の中の真っ黒な点はまだそこにある。それを無理やり無視して生きている。

 

無視はできても

その点を消すことはできない。

苦しい。

だから死にたい。

そう思っている母は結構な数らしい。

 

でも実はそれは、

自分の本来の魂に帰りたいと思っているということなのかもしれない。

 

あなたの魂が本来の姿に戻りたいと思っているのだ。

この世はうんざりだと感じているのだ。

で、魂に帰りたいと思う。

つまりこの肉体を脱ぎ捨てて魂という存在にだけなりたい。

でも魂が帰るにはあの世しかない。

つまり、死・・・・💦

 

死なないで魂に帰るには

ただ、死にたいと思ってもそうそう簡単には死ねないのが人間。

だからこの現生でこの精神的な苦痛をどうにかするのがベストなのだ。

 

でもどうやって?

それは、死なないで魂に帰ればいい。

 

死なないで魂に帰るには

自分の魂とは永遠の存在であるという原理を信じることだ。

そういう見地から今の状況を見るなら、悲しみや苦しみもそこまで耐えられなくもなくなってくるというものではないだろうか。

あなたの本当の姿は霊であり魂で

肉体は仮の姿でしかない。

すなわち、この地上での苦しみは幻覚のようなもので一時的なものなのだ。

 

だからこの苦しみから逃れるには魂に帰ること。

魂に帰るには、魂の声を聞くこと。

永続的な存在であるということろ理解すること。

すると永遠的な観点から物事を見られるようになってくる。

 

地上の人生は魂が本来あるべき姿から離れた状態で生きていかないといけないきらいがある。

つまりこの世で賢く生きるには魂が欲しているのと反対の生き方をする必然性を感じるのだ。

でも本当はそれは他人の築いた幻覚なのだ。

他人の築いた幻覚社会で幻覚的な人生を送る。

それをあたなの魂は辛いと言っている。

それを五感として感じているのがあなた。

子供を取り巻く様々な出来事も「幻覚」のようなもの。

でもあなたそれを現実として捉えている。

だから苦しい。

 

この世は幻覚のだ。

あなたは本当は魂で、いつかは滅びる肉体の中に住んでいる。

 

だからあまり真剣にとらないように。

子供の問題も全て解決できなくともいい。

 

母の日に連絡がなくても大丈夫。

母の日なんて幻覚。

母の日は人間が決めた祭日。

他の現生の出来事も幻覚のオンパレード。

子供も悪気があってのことじゃあない。彼らのことも幻覚のようなもの。

 

だからそんなものにコントロールされてはいけない。

そもそも、幻覚ならそこまで気にすることじゃあないでしょ?

あなたの本当の存在は霊であり魂だからだ。

そういう遠目で物事を捉えるといい。

 

ドクダミママ至言

この世は所詮幻覚。

起きていることも幻覚のようなもの。

だから気にしないこと。

あなたの本当の姿は霊で、魂。

肉体も幻覚のようなもの。

永遠の観点から物事を見るといい。

 

母の日おめでとう。

 

完全な母でなくともいい。

完全な母なんて無理。

子供の抱える問題を全て解決してあげなくてもいい。

(だってそもそも不可能だもの・・・)

それなりの努力で十分。

母の務めも幻覚のようなもの。

だからあまり真剣にとらないほうがいい。