親はいつまでも我が子に執着することが多い。
子供はとっくの昔に精神的にも物理的にも自立し
巣を飛び立ってしまった場合もあるのに・・・
親は子離れがなかなかできない。
子供もそういう親を’うざい’と思っていたりする。
親は子供を冷たいと感じる。
こんなに長い間、自分はないがしろでも子供のことは優先順位の一番だった。
それなのに・・・・。
ひどい・・・。
そうそれそれ、わたしも同じ意見よ〜〜〜😭。
でもね、
こういう気持ちを手放さない限り
不幸な気持ちは消えないもの。
仏様も言っておられたでないの。
不幸の一番の原因は「執着」だと。
これはもっともだとは思わないだろうか。
人は執着心を手放せないから苦しいのだ。
子供が自分を不幸にしているのではなく
自分自身の執着心をどうにもできないから苦しいのだ。
「自分を縛っている余計な考え」
「大切ではないこと」
を手放すことができればどんなに楽になれることか。
両手に荷物を抱え重くて疲れて動けなくなっている人・・・
そんな人を道端で見つけたら
あなたはその人になんと言うだろうか?
おそらく「荷物を置けば?」と言うだろう。
我が子のことで行き詰まっている時も
どうにかしようとあがいている時も
この重たい荷物を抱えているのと同じだ。
手放せば軽くなれる。
もっと楽に動ける。
まずもって両手が完全に塞がっていたら他のものは手に入らないのだ。
人生もこれと同じ。
「べき」思考は止めよう!
悩みを抱えて苦しんでいる人に限って
思い込みが激しかったりする。(自分のことか・・・・😅)
「こうするべき」
「こうあるべき」
という理想を抱えて生きている。
これを実際の例に当てはめるなら、
「常識だからこうするべき」で
「家族はこうあるべき」で
「母とはこうあるべき」で
「何歳なんだからこうあるべき」で
「周りにこう思われるべき」
と終わりがない。
でも、この自分の中にある「べき」思考という鉄則は自分で決めたもの。
これにがんじがらめになると
自分の目の前のことしか見えなくなり、広い視野から考えることができなくなるのだ。
そして精神に悪影響を及ぼす。
行き詰まる。
だから、そういう時は「手放すべき」。
そういうがんじがらめの硬い考え方を手放すべきなのだ。
手放し方
1。一度全部諦めてみる。
2。自分の魂の声に耳を傾ける。つまり「本当はどうしたいの?」と自問する。
諦めるという漢字は、
「真実をしっかり見て、現実をありのままに観察する」という語源なのだ。
つまり、悟りを意味する。
自分を縛り付けていた常識とか「べき思考」を手放すと悟れる。
つまり見えてくるものがたくさんある。
今までふさがっていた両手があく。
だから新しく手に入るものが現れる。
これができると心が軽くなる。
我が家の子供たち
今週末、4人の子供たちとその伴侶は、オハイオ州のシンシナチに集合しリーユニオン(再会)を計画している。
当然親は招待されていない。
親は無視されている。^^;
年寄り親は場違いで
せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊す犯人なのだからか・・・。^^;
まあそういう見方もできるけど・・・(^^;;
若い人たちだけで思いっきり楽しみたいから・・・という風に
肯定的に見てあげることにしよう。
三男はロッキー山脈から自家用車で本日目的地に向かっている。
全てが終わってから帰りにミシガンに北上するとか・・・。
彼は今大学院の学期の真っ最中なのにいつ勉強するのか・・・と
親はついつい心配してしまう。
でも、彼は来たら来たらで、銀行口座を閉めて、親とはちょっと顔合わせだけして、
おさらばだそうだ。^^;
この息子は毎週親と話しているので、あまり話すこともないし、
義理で寄ってくれるだけだと思う。
彼の妻?
当然、義理の親のところになど寄りたくない。💦
義理でも顔を出すのが常識でしょうが?!!!!!💢
シンシナチからここまで自家用車でおよそ5時間。
長旅(米国では近い距離のうち・・・)ということでまあ許すか・・・。
まあこんなものだね〜〜〜。
これが現実。^^;
こういう若い人だけどの行事に無理やり顔を出すのが夫の親だったけど・・・
わたしたち夫婦はしない。
それで、昨日、銀行は実際に出向かなくても閉鎖が可能とわかり、
ここにわざわざ来なくてもいいと伝えた。
すると、寄るかどうかはちょっと考えるということだった。
去る者追わず、来るもの拒まず。
親の座右の銘だよ。^^;
巣を飛び立ったヒナと飛び立ちたいヒナは手放すしかない
最近、下の住人に事件があったようだ。
どうも子供の結婚問題についてのようだ・・・。
夜中ずっと彼らは起きていて朝まで人が出たり入ったりしていた。
そのヘビメタル音楽と人声という騒音(夜中は響く!)が止んだのは朝の6時。^^;
私は睡眠不足で迷惑極まりないと感じていた。
しかし、そうやって成人した子供に口出しして、嫌がられないってすごいことだ。
これと同じことを我が子にするなら、ものすごく憤慨されるだろう。
とにかく一切合切アドバイスは聞きたくないのだ。
だからわたしたちは諦めたのだ。
子供たちの話は聞いているのみ。
親の意見ゼロ。
アドバイスゼロ。
でも何も言わないって怖いことよ。
彼らはわかっていない。
親が真実を語らないことの恐ろしさを。
しかし今更何もできないので
彼らには苦渋をなめてもらうことにした。
その時が到来する時、親は既に現生を後にしていることを・・
願わくば期待している。^^;