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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

この世がダメなら次があるさ!

キリスト教は

現生の後には来生があり、

人生は永遠であると説いている。

そして来生でも自己の魂の成長に臨む。

魂は永遠に続くと説いている。

 

仏教やヒンズー教では輪廻の概念があり、

つまり生まれ変わりを説いている。(実はお釈迦様が説かれたものではないとか)

輪廻とはカルマの解消と魂の成長のために何度もこの世に生まれ変わること。

つまりここでも魂は永遠という概念。

 

ということは我が子が現生でしっちゃかめっちゃかでも

希望はまだ残っているということになる。

 

つまりね、物事を俗世の短いレンズで見ないで

永遠の視点から見れば

今起きていることなど

人生の一点に過ぎなく

大したことではないということなのだ。

 

ということは人生は長くて90歳とかではないのだ。

だから今このレベルでも、そのレベルを上げるに十分時間はある。

それを気長に待つのが親で、

自分に忍耐しながら生きてゆくことが各個人の責任。

親自身も今はこんなレベルでも、この先も同じというわけではないのだ。

 

つまり、こんな今の状態で・・・と悲しまなくてもいい。

人生は永遠なんだから。

この世がダメなら次があるさ!

 

目の前のことに囚われずに

長い目で物事を見ることが

思い通りにいかない人生を生きるコツであるのではないだろうか。

我が家の前の田舎道。
人生は永遠に続く道。終わりのない道。
目の前がダメでもずっと先はどうなるかまだわからない。だから希望はある!

ドクダミママ至言

今の目の前にあることばかりに囚われていると不安に襲われたり落ち込んだりするものだ。

そういう時はもっと永続的な長い目で物事を捉えた方が賢い。

人生は永遠。

この世がダメでも次があるさ!

そう考えよう!

 

ところで、アメリカで安倍元総理の暗殺というショッキングなニュースを耳にしました。

哀悼の意を表明すると同時に、故人のご冥福を祈りたいと思います。

これで安倍元首相も全ての人が通らないといけない道を通られて来世にと向かわれたことになります。次の人生を歩まれることになります。

大変残念ではありましたが、死は全ての終わりではないということが、ご家族やご友人の方々の哀しみを和らげることにつながりますようにと祈ります。

 

 

 

心の中でさようなら

6月の父の日に長男(だけ)が家に来てくれた。

午後2:30にスーパーに立ち寄って買ってきたサラダを手に玄関に現れた。

相変わらず優しい笑顔。

 

この日は父の日だから父親を持ち上げる日で

父親を中心の会話をする日のはず。

 

でも・・・

来てくれた息子を中心に会話が進んだ。(夫は半分無視されてました・・・😅)

久しぶりに親二人と子供ひとりだけでじっくりと心を割って話ができた。

 

そして夕方の7時に彼は家を出た。

そのあとに思った。

今日は残りの一生分の会話ができた、と。

そして全く悔いがないほど親の気持ちも伝えられた、と。

 

だから今後一生会わなくても全く大丈夫でもあるとも感じた。

それは悲しくもなく

ただ、それでいいという気持ちだった。

 

長男はゲイのコミュニテイに関わっていて

この辺のゲイのコミュニテイは毎週末に何かしら行事がある。

それはゲイの自尊心を向上させるためにあるらしい。

ゲイというマイノリテイとして生きていくことはいくらオープンなアメリカでも差別対象にされたり嫌なこともあるのだ。

辛いこともたくさんある。

たとえ家族や友人が受け入れてあげていても・・・やはり彼らの心中は100%穏やかにはなれないようだ。

自分の中での葛藤が100%消えることはないようだ。

それはおそらく多分こういう理由からきているようだ。

 

まず、彼らは正常ではないというような引け目を多少は感じている。

それを強く感じている人はアイデンテイテイ・クライシスに陥る。

 

二番目に彼らは良心の呵責を感じている。

心のどこからか、それが間違っているという声が聞こえてきて、間違っている生き方に対する罪悪感。どんなにその声は微かでも、消すことが難しいらしい。

そしてそういう胸の痛みをこれからも一生抱えていかないといけない。

それは辛いことだろう。

だから仲間の精神的サポートが生き延びりに大きく影響する。

 

もしサポートがなければ麻薬やアルコールに逃げることも多い。

社会できちんと機能できなくなりホームレスになったりもある。

自殺もある。

やっぱり単独で孤立は危険なのだ。

 

精神状態を健やかに保つために

誰でも自分が属することのできるトライブ(一族)や場所が必要。

何も言わなくとも分かり合える友の存在は大切だ。

特に彼らに関して言えばかなりのサポートが必要とされている。

 

息子は自分と同じような人たちの集まりに行っている時が最も幸せなのだと思う。

実家には時々顔を出してくれるけど・・・親に対して言いたいことをなんでも言うかというとそれは違う。

所詮、息子といえど彼の世界はよく理解はできないし

聞いても、彼は黙秘権を使うことも多いから気を遣う。

深入りは厳禁。

言葉遣いも常に敬語調。

 

これって親子なのだろうか?

確かに血は繋がっているけれど、別の人間である彼の人生は彼のもの。

自由に生きる権利がある。

だから親はただ笑顔で息子の幸せを願うしかない。

そして親子でも一線を引き、彼を尊重する。

 

そもそも、もう子供の時の関係は私たちの間にはないのだから。

かといって友達とも違う。

じゃあなんの関係なのかと聞かれるとうまくは説明できない。

 

もしかして彼はもうこの家には属さない人間なのかもしれない。

そうかもしれない。

それなら実家に近寄りたくない気持ちもわかる。

 

夫は子供への執着心が強い人なので同意しないと思うけど・・・

この日を境に長男を全ての面において’完全に’自由にさせてあげることにした。

それもなんの努力もなしにできそうだ。

 

この日、わたしは心がまた一段と軽くなった。

もし二度と会えなくとも悲しくはない。

この父の日に全てが吹っ切れて、それでいいと思えた。

 

I would let him go, completely. (完全に息子を手放すつもり。)

さようなら。

また会えればそれもいいし会えなくても大丈夫。

心の中で繋がっているから執着しないで済む。

 

去る者追わず来る者拒まず。

自然の成り行きに任せることが歳を経るに従って容易にできるようになってきたような気がする。(ちょっとは成長したかなあ〜〜〜?😅)

 

幸せになってね。

母はさようならを言います。

でもこの’さようなら’は、悲しみでいっぱいの’さようなら’ではなくて

すがすがしい気持ちの’さようなら’だから。

子供に依存しないで生きていくことを宣言する言葉なのだ。

 

親になる真髄とは

親とは悲しい役割だ。

その涙の果てにあるものは何か・・・。

その涙を乗り越えられた時に悟りがあり、

悟った人はもう悲しまないですむ。

そして親になる真髄がわかる。

 

実は

親になって自分のことがすごくよく見えてきた。

特に自分の弱点について嫌なくらい気がつくようになってきた。

つまり

親になると我が身を振り返る(内省の)機会が多く与えられる。

そのことにより魂の成長がもたらされる。

それが真髄なのかもしれない。

 

子供は親の先生なのだなあ・・・。

出来の悪い生徒ですまなかったと思う。

ついでも素行もイマイチでした。😅

 

桟橋を渡って一人で向こう側に行ってしまった我が子へ
ちょっと前まであなたは母の人生の全てでした。それが今は霞んだ点のような存在になってしまいました。母の知らない世界で生きるあなたの未来はどんなものになるのでしょうか。わからないなりにも、それがなるべく幸せである事をただひたすら望んでます。あなたの道は石ころが多そうだからたくさん転ぶかもしれませんね。転んだ時きっと母はその事を感じ取るでしょう。音信不通でも心はいつも近くにいるからわかるのです。胸に痛みが走るでしょう。それでも’さようなら’と言ったのだからもう振り返れません。またいつか気が向いたら家に寄ってください。お元気で。

ドクダミママ至言

子供は’我わが道を歩む’もの。

そうしたら親は2歩も3歩も引いて陰でそっと見守り

そして最終的には、見守るのもやめる。

その時は潔く、その場を去り、我が子の人生の門出を祝おう。

行きたいところに行かせ、

犯罪でない限りはしたいことを許し、

怖くて見ていられない場合は両目をつぶる。

それも無理ならうんと遠くに行くかせることだ。

過去は振りかえらず現実を受け入れ前進あるのみ。

さようならは子供に依存しないで生きていくことを宣言する言葉。

 

 

 

 

 

 

 

三男の桃の木と母の気持ち

我が家の敷地にある桃の木。

この木の苗は三男が中学生の時に植えた。

 

昨年までは一年に3個くらいしか実らないどうしようもない劣木だった。

それが今年は始めての豊作で大量の桃の実がなった。

 

これは息子の人生にもやっと実がなり始めてきたことを象徴しているかの如くだ、

と、思っていた矢先のことだった。

折れて地面に倒れた桃の木の枝。

それが昨日ポキッと折れてしまった。

そして桃の実の半分が地面に落ちた。

 

もしや・・・。

いや・・・彼の身に何も起きてはいない(はず)。

 

きっとこれは自分だ。

枝はポキッと折れた自分の心を象徴しているのかもしれない。

今までずっと耐え忍んできてもう耐えられなくなった自分がこの桃の木。

 

重たくて重たくて・・・

うまく支えてあげれない。

それでもいつか実がなる日を待ち望みながら

長い年月を耐え忍んできた。

 

実はちょっと前にこの桃の木の苗を植えた三男にやっと仕事が見つかった。

コロナ禍で就職氷河期に突入し、執念で400社も申し込んだ。

そのうちの数社からお声がかかったけれど・・・結局最後の雇用マネージャーとの面接で落とされた。その数社はかなり名前の知れたエリート会社で落ちた時は親子共々泣いた。

 

人生に疲れ切った息子は親に内緒で米国陸軍に予備兵として申し込んだ。

ウクライナ紛争の数ヶ月前の話だ。

 

親の心配をよそに、彼は何事もなく6月中旬に無事訓練から戻った。

そしてそれと同時に仕事が決まった。(予備兵はパートタイム軍人なので一般の仕事を見つけないといけない)

2社から合格通知があった。一つはモーゲージ会社(住宅ローン会社)。もう一つは保険会社。

本人は規模の大きいモーゲージ会社は断り、7人しか従業員のいない小さな保険会社に決めた。

理由は給料。

モーゲージ会社は年収$45,000。(これは女性の事務職の人の初任給くらい。)

保険会社は$60,000。(アメリカの新卒はこのくらいが平均)

 

モーゲージ会社は息子が断ると、四半期に一度$5000のボーナスを支給するとすかさず言ってきた。でもそれは100%の約束ではない。おそらく引き止めるための口実に過ぎないと見た。

さらに不動産業界は今厳しい状態にある。今後のさらなる利上げを恐れ、また不動産価格の高騰で人が家を買わない。これが解決しなければモーゲージ会社は生き延びりが難しい。だからリセッション寸前でこの橋を渡ることは危険度が増す恐れがある。それも断る理由の一つ。

 

しかし長い目で見るならこっちの方が良いようが気がしないでもない。それは彼の分野だからだ。キャリアを構築するには自分の強みを活かせることをしないとダメなのだ。「なになに」の分野でプロ!と言えるようにキャリアを構築していくことが戦略なのだ。

しかし親が何を言ってもそれは彼にとっては要らぬお節介なので何も言わなかった。

 

そういえば前回のインターンシップもお金で決めた。で、結局それは良い判断ではなかったと言うことが後で分かった。

最初に親はもう一件の方を薦めた。でも聞くわけない。

案の定、親の言った通りとなった。

それでも本人は自分の浅はかさを認めない。

 

なんでもはしょって数秒で決断を出す息子。

(結婚もそれ。買い物もそれ。よく考えずに勢いで決める人!)

もっとも何年も考えてなんの決断も下さない他の子供たちよりはマシかもしれない。

でも早すぎる決断もどうかと思う。

猶予期間に最低1週間はくれるのに、その瞬間で決めるバカ。😓

 

実はこの保険会社では彼の専門はあまり生かすことができない。

ということは職替えをする際に、自分の専門分野で経験を積んでこなかったと言われることになる。また、経験が足りない!と言われる羽目になる。

つまり、また競争で負けることになる。😰

 

先週、息子はボストンの大学院にも戻り、仕事も始めた。

仕事量はかなりあると言っていた。

この分でいくと残業もあるだろう。

残業なら学院の勉強をする時間が取れない。

 

断った会社の方がよかった気がする。そっちは暇らしい。

勉強にも邪魔が少なくていいだろう。

それならたとえお給料が低くても長い目で見てそちらの方がいいのではないだろうか。

 

親は先の先まで考えているけれど若い彼は目先のことしか考えていない。

それが彼の個性であり、まさに彼の生まれ育ったアメリカ文化を映し出しているように見受けられる。

アメリカは若い国なので、ずうっと先のことを見据えて物事を決めると言う文化ではない。

それが国民性なのだ。

 

常に今が大事で、短い展望しかない人が大多数に見受けられる。

この国で「トシだから」と言う台詞もあまり聞かない。

だからか新規なものを取り入れる勢いがこの国にはある。

それはいいことでもあり悪く出る時もある。

 

悪く出て悲しむのは本人だけでなく

親もだ。

でも先のことを心配しても仕方がない。

息子は仕事が見つかっただけでよかったのだ。

彼の決断がどの方向に行くかは彼の運命であり、親の出番はない。

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折れた桃の木は

やっぱり・・・

必死になって耐えてきた自分の心だった。

それがポキッと折れたのだ。

それはあたかも安心した我が心を象徴しているかのようにも取れるが

やっぱりもう頑張れないと

支えきれないと

心が根を上げた、と言った方が近い気がする。

そしてもう頑張らなくてもいいという自然からのお告げなのだ。

 

難聴を始め、多くの体の問題を抱える息子に仕事が決まった。

ホッとしたのか

やっぱりポキッと折れたのは母の心だったに違いない。

 

ハッピー・インデペンデンス・デイ!

インデペンデンスは建国記念のこと。

でも母にとっては意味が違う。

 

我が子の自立の日、おめでとう。

我が子の自立の日イコール母の心がポキッと折れる日。

 

ドクダミママ至言

我が子のことで心がポキッと折れる時は母にはよくあること。

ずっとずっと支えてあげるのは母親で

でもずっとはやっぱり無理なのだ。

ある時点で終止符を打つときは必ずくる。

 

折れた枝はもう元には戻らない。

もう疲れ切った桃の木の母は

自然の成り行きに身を任せるにかない。

ボロボロになった我が身を案じながらこれからは生きていくのだ。

そして可愛い桃の実の運命が良いものであるとひたすら信じていく。

 

親のエゴなどは捨てて

目に見えない宇宙のエネルギーと

その宇宙を管理されている神の御腕に自分と我が子の魂を任せ

信頼していくことが

心安らかに生きる術と言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親の生き方が嫌いな子供がなんと言ようとも親には関係ない

米国は7月4日が例年通り独立記念日。

我が家はこの連休に何をするか・・・

子供たちが大学に入る前までは焚き火でマシュマロをクラッカーに挟んだものを焼いて

花火をあげるのが習慣だった。

 

でも今はしない。

 

きっと花火もインフレのあおりを受けて値段があがっていると思うと買う気にもならない。

米国の人は連休なので車で旅行に行く人も多い。

ただガソリン代が高騰しているのに旅行とは・・・。

何が起きようと例年行事は続けるのね〜。😅

 

さて、我が家の子供たちにはどんな予定が入っているのだろうか。

 

長男

大学院の履修科目で多忙なので連休は勉強するはず(だと親は期待している)。

でも4日はゲイの友人とちょっとだけつるむかもしれない。

親には関係ない話。😅

 

三男

軍隊の訓練から戻ったので連休を利用して大学院の学習に復帰すると言っていた。

しかし既に嫁の実家に行っておりそこで3泊4日の予定でお祭り騒ぎもするらしいし、

義理の親にゴマスリもしないといけないので多分勉強はしないだろう。

これも親には関係ない話。😅

 

しばらく音沙汰なしだし連絡しても返信ないので何をするのかさっぱりわからない。

多分友達とつるんで遊びに講じるはず。(大きな夢はどうしたの???)

まっ、親には関係ない話。😅

 

元次男

例年通り、おそらく嫁の家族がシカゴを訪れ

ミシガン湖での大花火大会を見物すると思う。

ミシガン湖での花火大会。(画像元:https://divnil.com/wallpaper/iphone/item_3/fireworks-iphone-wallpaper_75a6d4d07e2ab59e44d64911edd7d15b.html

そして昼間は高層ビル内の高級レストランでグルメ料理に舌鼓を打つのだろう。

支払いはどうせクレジットカードだから借金がまた増えるだろう。

 

目的ゼロで目標ゼロで身の丈に合わない暮らしを楽しむ彼ら。😅

すっかり嫁の家族の文化に洗脳されたようだ。

でもそれも親には全く関係ない!😅

 

では夫と私はどうかというと

土曜日の朝、夫は学生と面談するために大学に向かった。

多分一日中オフィスで仕事をするはず。(夫は貧乏暇なしの大学教授・・・!😅)

わたしはというと今週は週2日も出勤したため疲れ切っていて10時半まで寝ていた。

これから家の外壁のスス払いと洗浄をする予定だったけどやる気ゼロでエネルギーゼロ。

本当はボーとしていたい気分。

しかし重い腰を上げてブログ書きの後にやるつもりだ。

計画したことは熱でもない限りは絶対にやる!というのがモットーなのだから。

疲れていても、「終わりにするまではまだ疲れてはいない!」と

自分にマントラのように言い聞かせている。

そもそもこうでもしないと何も終わりにならないだから。😅

 

明日は自分のプロジェクトのリサーチと油絵にタッチを入れる。それから銀行口座と家計簿の見直し。

夫は午後は昼寝。

祭日の月曜日も残りの外壁の洗浄。それと残りの桑の実とお茶用のミントを収穫する予定。

レストランもバーベキューもなし。

でも、決めたことを終わりにした後は最高にいい気持ちがするからこっちの方がいい。

経験からいくなら、怠惰や先延ばしは不幸感が増す要因になると断言できる。

 

つまり我々は・・・

結果が伴わないことをするのが嫌いな夫婦。

本当の喜びや充実感は勤勉さからもたらされると信じている夫婦なのだ!😅

 

でもこうやっていつも働いている親を見て子供たちは親の生き方について疑問があるようだ。

イソップのアリとキリギリスの寓話を覚えておいでだろうか?

この生き方を推奨してきたけど、子供たちはそれに対しても反対意見を持っている。

彼らに言わせると、

ずっと「アリ」のように働くのも、行き過ぎじゃないかと思っているらしい。

(もしかしてアリじゃあなくて働き蜂かあ〜〜〜〜?日本人魂の表れ?😅)

 

でもね〜、たった二人で花火ってどう?

たった二人でバーペキューって楽しい?

 

だからやらない。

そういう家族中心の時代は終わったのだ。

(親としての義務感と犠牲の上にやっていた。実は本当はやりたくなかった。

読書でもしている方がましと夫婦揃って思っていた・・・😅)

 

子供たちは親の生き方について色々反対意見もあるだろうけど、

親だって子供たちの生き方について眉をしかめるときも多い。

お互い様だけど・・・😅

 

それでも・・・やっぱり親が正しい!

今後彼らの生き方の結果がどう出るか楽しみだ。😅

 

ドクダミママ至言

子供は親の生き方を非難することが多い。

確かに彼らはいくらでも非難する権利がある。

でも非難するだけでなく反逆精神旺盛なら

どんな結果が出るかは大体想像がつくものだ。

しかし・・・

結果が出る頃は親はもうこの世にいないかもしれないから関係ない。

 

もし我が子を見て落ち込むようなら

「自分には関係ない!」を

マントラのように繰り返そう!

 

 

 

 

成人した子供への正しい対応

ミシガンにあるGreen Field Villageのカモの一族。池の右上にはコガモもいる。家族一緒に仲良く泳いで幸せそうだ。でも・・・コガモが自分でしっかり飛べるようになったらそれは巣離れの時。
親はもう会うことのない我が子を懐かしんだりしないのだろうか?

ネットで、成人した子供と仲良くできない親や、子供に会えない寂しさを語る親をよく見かける。それは万国共通のようだ。

得に子供の数が少ないところは非常に悩みが深いようだ。

 

仲良くできない

成人した子供と仲良くできない一番の理由は、

いつまで経っても親が我が子を子供扱いすることがまずあげられる。

そしてお願いされてもいないのに色々助言をすること。

子供の決断に対して口をはさむことだ。(いや〜〜〜よくある話!)😅

これが関係をこじらせる。

 

大切な我が子だから色々助けてあげたくて助言もするし口出しもするのでしょ?

全ては愛情から来ていると親は言いたいんだけど・・・

心配しているから・・・と言いたいんだけど・・・

子供は全くそれとは違った見方をしているようだ。😅

 

そもそも愛することと介入は根本的に異なる。

愛することは相手を思いやり尊重すること。

ということは子供のやり方を尊重し失礼な意見は慎むこと。

つまり「上から目線」を排除すべきなのだ。

これは成人に対してはかなりまずい。

でも親は子育て時代の延長を引き続きやってしまうのだ。

それで子供に嫌われる。

 

子供は成人して特に結婚でもしてしまったら、

親の出番はほとんどない。(孫の面倒くらいしか残っていない・・)

そう覚悟した方がいい。

確かに親にとっては子供はいつまでたっても子供。

でもそれいう見方をやめない限りは子供から嫌われてしまっても仕方がないのだ。

(自分のことかしら?・・・😅)

 

つまり子供が成人したら、特に家を出たら、

我が子ではなく、友達のように扱うべきなのだ。

 

親業に終止符を打ち、

子供の生き方を尊重する。

これに尽きる。

これができないと関係がこじれる。

 

でも、長い間一生懸命子育てをやってきた母親にとってはこれはかなりの課題である。

 

疎遠

関係が悪化すると

疎遠になる。

連絡をしても無視される。

滅多に連絡をしてこない・・・など。

 

でも相手の立場になればこれは容易に理解できることだ。

まず子供はもう親を必要とはしていない。(ということは子育てに成功したということ!)

 

遠くにいても親は子供のことを常に考えているかもしれない。

でも子供がわはその反対。

親のことを考えることはほとんどない。

自分のことで多忙なのだ。

 

年に2回ほど連絡を入れてくる子供は、それは義理でやっているだけ。

それでもないよりはマシ。

これが普通なのだ。

どこも同じようなもの。

 

わかっていても

この疎遠は子供を失うことと同じような感覚で、

それは死別を意味すると感じている親もいる。

だからかなり辛い・・・。

他人は「子離れできない母親はまったくしょうがないなあ〜〜」とか

軽くあしらったり

軽蔑したりと

厳しい。

でもわたしにはその気持ちが手に取るようにわかる。

世間の母親に対する評価が厳しすぎて・・・ほんとひどいよね〜。😰

 

対応策

我が家の子供たちの4分の3は親が連絡しても無視するのが普通。

母の日も誕生日も子供の半分が無視。

それなのに、自分宛のクリスマスプレゼントや誕生日のプレゼントはまだ期待していると来ている。

で、あげないと怒る。😰

こんな風に大人になったり子供に戻ったりと複雑で親は困惑している。


扱いが難しいので

わたしは用事がない限りは成人した子供たちに連絡を入れないようにしている。

それは確かに寂しい。

でも彼らは皆自分の生活で忙しいから特に悪気はないのだと自分に言い聞かせている。

(本当のところはどうなのかは謎・・・😅)

 

もし子供から月一で連絡が来たらすごいことだ。

年に一回でもいい。

それ以上は望まない。

もし何年も連絡がなかったら?

そうしたらその現実を受け入れ気にしないようにするしか術はないと腹をくくっている

 

つまり’意識して’子供のことを考えないようにするのだ。

そのためには’意識して’自分を多忙にしないとこれはなかなかできない。

 

もし子供が成長期に親から傷つけられたりとか嫌な思い出があるため親を遠ざけるなら、

親は子供の言いたいことを黙って聞いて、その感情に寄り添ってあげることが、できることとしてあげられる。

そして親は本音を控え、子供の感じていたものを尊重して

親のプライドなんか捨てて

謝ることが大切。

この後、それでもことあるごとに過去の親の不始末を口に出す子供もいる。

しかしそうなったらそれは本人の問題で親の問題ではない。

 

親は心から謝ったらそれで前進しないといけないのだ。

子供も親が謝ったら、過去を振り返らず前を向いて進んでいかないといけない。

そもそも互いに赦し合うことができない家族は家族として機能できない。

どんな家族にもドラマがあり、失敗もあるのだから・・・それを認めるべきなのだ。

 

ではここで成人した子供への対応ルールをリストしてみよう。

1。家を出た子供のところに呼ばれてもいないのに押しかけていかないこと。

2。こちらからは滅多に連絡を入れないこと。

3。結婚した子供の生活には特に口出ししないこと。

4。年に一回向こうから連絡があるだけで満足すること。

5。意識して自分のことに集中すること。

6。親としての役割に終止符を打つ。

7。自分の心の滋養になることをする。

8。子供の前では言葉数を減らす。

9。自分の悩み事とか子供の前で言わない。(迷惑らしい・・・😅)

10。悩み事は同世代の友達に言う。

 

これをまとめると、たとえ今までどんなに近い関係でも、

今後は親子間に距離をとり、

互いに息がしやすい関係を築く努力が必要になってくるということだ。

 

つまり距離を取る。

それは嫌????

いやでもなんでも・・・

 

飛びたとうとしている雛鳥と

飛び立ってしまった雛鳥を巣に戻そうとしてはならない。

 

たとえ我が子でも決して自分の所有物ではない。

彼らは借り物なのだ。

借り物はずっと手元に置いておくべきではないのだ。

 

それがどんなに悲しく寂しくともそれが親の運命なのだろう。

だからそれを謙虚になって受け入れるしか幸福への道はないと言っても過言ではない。

 

それともなんですか?

引きこもってもらいずっと家にいて欲しいとか?

飛び立たない子供を持つ親はもっと苦しいはずだと思う。

 

ドクダミママ至言

成人した子供は子供として扱わない。

大人として彼らの人生の選びを尊重する。

それがどんなに危なかっしくても。

巣から飛び立とうとしている雛鳥と

すでに飛び立った鳥を巣に無理やり戻そうとはしないこと。

我が子を本当に愛しているならそれが親の道。

でも・・・悲しいのは痛いほどわかります・・・。😓

 

 

 

 

 

 

子供を産んだ人はこれだけですごい!

裏庭のさくらんぼ。親である家主は何もしなかったけどたくさん実がなった。
親も我が子に立派な実を沢山実らせて欲しいと望んでいる。でもどんな実かは本人次第。

今の世代の若い人のことを米国ではZ世代(ゼット・ジェネレーション)と呼ぶ。

これを短縮して'GenZ(ジェンジー)'と一般的に呼ばれている。

 

このGenZの顕著な特徴は

個人主義+’entitled (自己の権利を主張する資格が100%あると思っている)'

 

つまり、こういう風に考えている。

 

自分はユニークで特別な存在で他の誰よりも大事。

自分軸によって生きることが最も重要。

どちらかというとやっぱり社会より個人が大切。

(社会改革のためのデモとかはやってるけど・・・)

個人は家族や社会に対して責任はなく負わなくともいい。

親や家族に対して責任はないけど、超スペシャルな自分は親から全ての援助を受ける権利があり親はそれをする義務があると思っている。

 

元々欧米はこういう傾向があったけど・・・最近は輪をかけて目立つ。

 

欧米だけならいいけど、

どうもこれが日本にも輸入されたようだ。

 

日本の結婚観も変わり

一生未婚の人も増えている。

結婚は人生の墓場で子供なんて自由の足かせ、とも聞く。(うちの娘が言ってます・・・😅)

社会や家族より個人が大切だから

自分の自由を犠牲にしてまで家族なんて面倒なものはゴメンこうむりたいと言う人もいる。

(気持ちはとってもわかりますが・・・😅)

 

人は結婚などただの紙切れで(この紙切れがとてつもなく重たい!)

それは人生に必要ではなく

(結婚願望がある婚活女子は高望みで結局結婚しなかったりだし、必要ないと言っている人もいるって・・・😅)

子供も産まなくてもよく・・・

(精子バンクで気に入ったのを選んで子供を産む独身女性もいるけど・・・一人で子育てをする大変さをわかってない・・・😅)

 

全ては個人が決めることで全く問題なしという見解が主流。

確かにそれは100%間違いとも言えない。

でもこれで本当に問題がないのだろうか?

 

まあ確かに個人の自由といえば自由だけど・・・

社会無くして個人もないということも忘れてはいけない気もする。

 

少子化の問題

先進国の少子化は進んでいて

去年の合計特殊出生率(一人の女性が一生のうちに産む子供の数)は

米国は1.6

日本は1.3(おととしの0.03ポイントを下回った)

 

6年連続で前の年を下回っている。

ついでにもっと怖いのが・・・

日本の未婚率平均は34.6%

生涯独身を貫く人の割合は男性では全体の3分の1。😰

女性は5分の1。

 

少子化がもたらす問題点1:国が消える

米国は今後どうなるかはわからないけど

日本に関していえば

国家がなくなる恐れがある。

つまり強力なお隣の国々(複数!)にのっとられても全くおかしくないということ。

 

女性が子供を産まないから労働力が不足する。

不足するから輸入するしかない。

海外から労働力をたくさん入れるとどうなるか・・・

当然・・・日本民族が少数派になるのだ。

よって国は乗っ取られる確率が上がる。

 

そうなれば、日本語使用禁止となり

日本語は世界から消えるだろう。

日本人という民族もなくなる

それは大問題ではないだろうか。

それでも個人主義を貫くつもりだろうか。

 

まあ、そんなことを聞いてもなんとも思わない人がほとんどで

みんなお構いなしに独身貴族の身分を謳歌しているようだ。

 

問題点2:国民年金(social security)

個人主義も行き過ぎると問題がある。

親も一人っ子で子供も一人っ子でその一人っ子が子供を産まないという社会は成り立たない。

少子化から若い労働者数が足りないので社会が成り立たなくなってくる。

(税金が不足する→国民年金が足らない)

ただでさえ足りないのに、引きこもって働かない人口も男性の中に多くいる。

 

こんな個人主義の国民を国だって支えてあげられないのだ。

(国のために何もしないでも恩恵だけはもらいたいってありですか?)

 

だから〜

こういう状態だから〜

まずもって国民年金など期待しない方がいいってこと。

もらえても日本は毎年その需給金額が減っているというではないの。

物価が高騰しているのに収入が減るってあり?

 

でも仕方がない。

国が払えないのだから。

 

問題点3:老後の面倒は誰がみる?

老後と死亡時は誰が一体面倒を見てくれるのだろうか。

みんな老人ホームに入り

孤独死が常となるだろう。

残した財産も引き継ぐ人はいない。

残したものは全部ゴミとなる。

 

アメリカの場合だと、

そういう場合は行政が生前整理を担当し、全財産も行政に回ることになっている。

 

一生懸命働いてきた人生は一体何だったのだろうか。

自己実現だけが人生の目標?

虚しい人生だとは思わないだろうか。

(自分のことをちゃんとやりましょうって言ってきてるけど、利己主義とかになれとは言ってませんよ。)

 

結婚しない選択。

子供を産まない選択。

確かに全ては個人の自由ではあるけれど

誰も自由とは怖いものであることに気がついていない。

自由に選べてもその結果は選ぶことはできないのだ。

 

そしていつでも子供を産めるわけでもない。

遊んでいる間に歳をとっていって、やばい!と焦った時ではもう遅い。

 

独身貴族は孤独死。

子供を産まない市民からなる国は滅亡するのが運命。

 

みんな勝手にやっていて・・・個人主義・利己主義で生きていると

しっかりとお釣りが来ることがこれで納得いただけただろうか。

 

我々はすごい!

ということは!

我々はすごい!

ちゃんと子供を産んで国に恩返しをしているのだから!

 

日本の方はお金がないから産めないとか言われてるけど、

我が家だってお金なんかなかった。

学生結婚で子供を産んだ時も夫はずっと学院生。

ずっと超貧乏。

でも産めるときは限られているし

体力の限界もある。

 

貧しかったけど、楽しい思い出もたくさんある。

かといって、子育ては本当に大変で、こんなことに意味があるのか???と

疑問に思ったこと何億回。

それでも今思えば、自分の義務をきちんと果たした達成感はある(それなりに・・・😅)

 

よって!

夫も私も国民年金をもらえる権利がしっかりある!

4人も産んだのだから!

みんな働いて今の年金生活者を支えている。

すごい!

教職につく方々が仕事を維持する助けともなっている。

医療関係も!

子供用品の製造業さんも!

実に、子供を産むと助かる人が世の中にたくさんいる!

すごい!

ということは、これに関しては子育てに成功したと断言できそうだ。

 

たとえ思うように子育てができなくとも、

育った子供が期待はずれでも、

この点、親である我々は

立派に社会貢献をしたことになる。

 

ということは!

もう落ち込む必要はないよ〜〜〜!

我々親はすごいのだ〜!!!

 

ドクダミママ至言

子供を産んだ人はそれだけで立派な社会貢献をしていることになる。

だからうまく子育てできなかったと嘆くことはない。

大した社会貢献するような大人にならなくてもいい。

有名人にならなくともいい。

それは本人の責任なので気にしなくてもいい。

(引きこもりの方もお願いだからなんでもいいから社会貢献してください・・・)

産んだだけですごい!

育て終わった人はもっとすごい!

だから国から感謝状をもらってもいいくらいだよ。

 

 

 

 

 

 

幸福な家庭の条件とは

裏庭のイチゴ

我が家の裏庭にはイチゴが生えている。

今月もたくさん実がなった。

 

イチゴはツルでそれぞれの実を連結させている。

そして可愛い実は大きな葉っぱ傘の下で守られている。

まるで家族のようだ。

 

そういえばこのイチゴという漢字。

草冠に母と書く。

一つの株に次々にたくさんの実をつける特性があることから、子株を生み出すという意味で「母」の文字が使われたらしい。

 

そして花言葉の一つは「幸福な家庭」。

同じ株から赤いイチゴが実る様子は子沢山の家族のようにも見えることから「幸福な家庭」という花言葉が付いたと考えられている。

でも子沢山だからといって一概に幸福とは言えない・・・。

 

幸福な家庭。

素敵な言葉だ。

 

誰もが幸福な家庭を望んでいる。

日本では新郎新婦が「二人で幸せな家庭を築きます」と、結婚式の出席者の前で誓う。

でも多くの家庭はそういう風にならないことも多い。

それは幸福な家庭とは根本的にどういうものかをあらかじめわかっていないからかもしれない。

加えて、そのためにはどんな条件が必要でどんな努力が求められるかもわかっていない。

 

ではイチゴが育つ幸福な家庭にはどんな前提条件が必要なのだろうか。

それはこのイチゴを観察してみるとわかる。

 

イチゴがすくすくと育つには下記のものが必要。

1。明るい太陽

2。綺麗な空気

3。潤いの雨

4。良い土壌

5。連結したツル

 

同様に、幸せな家庭にも条件がある。

1。明るい親。

2。きれいな雰囲気(よどんでなくて清らかなエネルギーが流れている)。

3。心を潤すような言葉がけがされている。

4。家庭がしっかり立つための土台や基礎となる標準や目標やルールがあり各人がそれをわかっている。

5。家族のメンバーは帰属意識が強く一致団結している。

 

上記の質があなたの家庭にはあるだろうか?

もしあれば

たとえ親子両者の遺伝子がどうでも

親の育った環境が理想的でなくとも

子供の個性がどうでも

幸福な家庭に近づける。

 

上記を心がけている家庭は幸福な家庭になる確率が上がる。

当然完全な家庭じゃあないけど、

人生に課題があっても幸福度は高まる。

 

そもそも

全てがそろっているから幸福なのではなく(そんな家庭はゼロ!)

家族一人ひとりの心構えや態度によるのだ。

 

確かにそれは理想かもしれない。

でも上記の条件を満たそうと努力している家庭は

比較的うまく機能しているように見受けられる。

 

どこで間違ったのか・・・と、

親は子育てが終わってから真理に気づくことが多い。

我が家は今は子供たちが巣立ち、それぞれ全く異なった考えを持ち、

一致もしていない。でもそうなったのは

他でもない親に上記の事柄が欠けていたからが理由の一つであると納得している。

つまり・・・リーダーシップがよくなかったからなのだ。😅

 

リーダーに欠かせないもの

幸福な家庭に欠かせないものは

つまり・・・

確固とした親。

つまり心が安定した親。

自分の歩んでいる道を確信していて揺るぎない確固とした内面を備えた親。

(そんな親どこかにいるのだろうか???)

 

嵐が多い家庭生活の中で親がしっかり立っていない家庭は

崩れやすい。

親の精神状態がものを言うのだ。

究極的にはこれにかかっている。

 

可愛いイチゴの実を守るために

幸福な家庭になるように

親は実よりはるかに大きな葉になるべき。

 

つまり・・・やっぱり・・・

親は上記のことを念頭に入れて子育てに臨まないといけない。

親は家庭のリーダーとして模範を示すことが必要。

(今さら遅いか・・・😅)

  1. なるべく明く振る舞うこと。
  2. 清らかな雰囲気を家庭にもたらすこと。
  3. 魂を潤わすような言葉かけ・・・つまりクリーンな言葉かけを心がける。(意地悪で汚い言葉や表現は避ける)
  4. 家族の目標や標準やルールを決めること。
  5. 帰属意識と一致団結心を高めるようなことを一緒にすること。

これが大切。

(全部やるように心がけたけれど・・・一番目から三番目までがイマイチでした・・・😓)

 

最も大切なこと

なんの考えもなく

家族として何の目標もなく

意識ゼロで幸福な家庭はなかなか築けない。

何を持って幸福と呼ぶのか。

自分も含めてほとんどの親はわかっていない部分が多い。

それは設計図のない建物を建てるようなものだ。

自分達が一体どんな建物を建てる予定なのかそのプランがないのだ。

だからめちゃくちゃの建物になりやすい。

結果的に大嵐でも来れば簡単に崩れてしまう。

 

ただ一緒に暮らしていくだけなら幸福にはなれない。

幸福な家庭には設計図とそれを理解している家族のメンバーの意識が大切なのだ。

 

可愛いからとか・・・そんな軽々しい気持ちで子供を産む人もいる。

何となくみんな子供がいるし、それが家庭だと思い、人並みのことを自分もしたいから?

でも設計図のない家庭で「可愛いだけ」の子育ては難航しやすい。

 

親は家族としての目標は何なのか認識していないといけない。

そして人生の目的とは何なのかそういったこともわかっていた方がいい。

つまり生きる哲学がないといけないのだ。

生きる目的や目標とはただ生き続けることではない。

それだけだと、刹那的な生き方になってしまう。

それは本来の人間的な生き方ではないのだ。

 

子供を有名大学に入れるとか(小学お受験とか・・・・大切?)

そういうことよりも大切なことが幸福な家庭なのだと思う。

実際にこれよりも大切なことって世の中にあるのだろうか。

 

お金とか物は消えてゆくもの。

いくら健康に留意しても肉体もいずれは滅びてしまう。

立派な学歴も、それはそれでいいけれど、歳をとればとるほど人はあまり気にしないもの。

世の中には中卒でも立派な人はいるもの(斉藤一人さんとか)

究極的にはどんなに社会的に成功しても、家庭の失敗を補うことはできないのだ。

(悲しい・・・😰)

 

やっぱり

一番大切なものは家庭で

永続性のあるものは、愛。

これに尽きるのではないだろうか。

 

そういえば、多くの歴史上の偉人も同じようなことを語ってきている。

自分も歳をとるに従って

嫌でもそれがまさに真実だと納得するようになってきた。

 

そして自分がどんなに間違っていたかを気付かされるに至った。

 

幸福な家庭の前提条件は5つだけ。

イチゴの家族のように生きれば家庭は幸福度が増すのだ。

 

ドクダミママ至言

幸福な家庭を築くためには・・・・

  1. ’なるべく’明く振る舞うこと。
  2. 清らかな雰囲気を家庭にもたらす。(濁ったエネルギーを流さない)
  3. 魂を潤わすような言葉かけ・・・つまりクリーンな言葉かけを心がける。(意地悪で汚い言葉や表現は避ける)
  4. 家族の目標や標準やルールを決めること。
  5. 帰属意識と一致団結心を高めるようなことを一緒にする。

上記の実行は不可能ではないけれど、完璧を目指すなら無理がある。

でも親はひたすら努力を続けるしか他に術はないのだ。

もし、その努力が十分じゃないと文句を言っている子供がいたら、それは子供側の問題。

 

ほとんどの親は多忙でさまざまな悩みや問題を抱えて生きている不完全で生身の人間。

みんななにかしら問題あり。

それが人間というもの。

完全なんて無理。

ただ七転び八起きの努力だけしかできない。

でもそれでいいと思う。

昨日よりほんの少しマシにできたら自分を褒めてあげよう。

成長していればいいのだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘を持つ父親の気持ち

パパ大好き!(画像出典元:https://diamond.jp/articles/-/226263

娘は15日に24歳になってしまった。

この間大学を卒業したばかりだと思ったのに・・・。

ほんとに時がすぎるのはあっという間だ・・・。

 

年頃の娘に干渉をするのは良くないとわかっているけど・・・

プライベートはどうなっているのか妙に気になる。

特に・・・恋愛。😅

 

娘はまだ結婚していないし

多分当分しそうもない。

それどころか恋人を持った経験はたったの一度だけ・・・それも見事に失恋に終わった。

 

娘はどんどん強くなっていってこんな女性と結婚したい男性が世の中にいるのだろうかと

疑問に思うくらいだ。

おまけに身長が高い!171センチもある。

だからこれで選択肢がグッと狭まることになる。

 

娘が結婚しないのは親にとっては心配なのだ。

親がこの世からいなくなったらどうなるのか・・・と思ってしまうからだ。

 

でも結婚したらしたで、特に父親は感慨深いものがあるようだ。

これは国を問わずみんな同じような感じだと聞いている。

 

うちの夫と娘はずっと相思相愛。

産まれた時に夫は可愛い娘の顔を見て泣いた。

仕事から帰ってきて最初に抱くのも娘。

可愛くてしょうがなかったようだ。

 

娘は娘で父親はまるで恋人のようだった。

そういえば

娘は幼い時にこんなことも言っていた。

娘:「大きくなったらパパと結婚する。」

父親:「でもパパはもうすでにママと結婚しているから無理だよ」

娘:「それは問題ないわ。だってね、あたしが大きくなった時はママは死んでるから」😅

 

こんな思い出が懐かしいくらい今は父親のことなんてなんても思っていないような態度で

夫は悲しそうだ。

やっぱり父親は娘に嫌われるのが一番こたえるようだ。

 

では

今回も父の日にちなんで

再び感傷的な歌をご紹介したい。

これも泣ける。

自分もボロ泣きだった・・・。😭😭😭

 

ただこの日がいつくるのかと母である自分は首を長くして待っている。

(晩婚で遅く出産されても孫の面倒など見れないとプレッシャーをかけてます😅)

だから父親とはちょっと違う気持ち。

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ドクダミママ至言

父親は娘の人生に欠かせない存在。

そして娘は父親にとってかけがえのない存在。

 

父親だって泣く

 

画像出典元(https://www.almanac.com/content/when-fathers-day

この日曜日は父の日。

母親が我が子を想う深い気持ちは世界に共通するものだけれど

父親も静かに心の中で我が子を案じていることには変わりない。

 

数日前に朝起きると夫がこんなことを言っていた。

「昨晩はよく眠れなかった。

息子(次男)のことで自分が大泣きしている夢を見たんだ。

それで目が覚めて本当に泣いていたことに気がついて驚いた。

自分の眼が涙で溢れていたんだ・・・。」

 

(元)次男は

親の教えてきたこととは180度違う人生を生きることにした。

父親が何を言ってもそれは母親が言えと言ったのだろうと一方的に決めつける。

「俺は女親の言うことなんか聞かない」と言わんばかりの勢いで口論を仕掛けてくる。

それで夫ももう何も言わないことにしていた。

なんの勧めもしないし、

意見も言わないし、

何も聞かない。

互いに連絡も取り合わない。

 

それでも心の中では

放蕩息子と化した我が子のことについて(ずっと)心を痛めている。

 

息子は

大学在学中に

学業に身を入れず

首をかしげるような友達ばかりとつるみ

女性のお尻を追いかけていた。(不道徳な類😰)

そうかと思っていたら、オンラインデートサイトで見つけた女性と同棲を始め

生活が複雑化し、人生の下り坂を転げ落ちていった。

それでもやっと大学を卒業した。

 

しかしやはりきちんとした仕事につくことができず

そんな中でその同棲していた女性と結婚することにした。

でもこのお相手との結婚は親だけでなく友人兄弟全員からの反対に遭った。

 

それはこういう理由による。

彼女は若いのにアル中で

病気持ちで

不妊症で

アメリカによくある度を超えた肥満。(息子も彼女と同棲してから体重が倍になった)

反抗心が強く(息子と同じ)

頑固で(息子と同じ)

繊細で気難しい。(息子と同じ)

金遣いも非常に荒い。(彼女の趣味は買い物!そしてこの呪いが息子にも乗り移った!)

そして母親との関係に問題がある(息子と同じ)😅

 

アル中は同棲していたアパートの近所から苦情が頻繁に出る度に警察を呼ばれるほどだった。

現在、処方箋薬を使って以前よりはコントロールできるようになった。

でもアル中は治らないと言われている。

またいつぶり返すかは誰にも分からない。

 

こういう女性と結婚するなんてなんと浅はかなのか・・・と

周りは全員呆れている。

 

そういう息子は無神論者になり

嘘が多く

道徳心に欠ける。

(真っ直ぐな子供だったのに・・・)

仕事はこの春にやっと正社員の仕事につけたけど、ただの繰り返し作業職で将来性ゼロ(データが正しく入力されているかの確認)。

シカゴの一等地で今も計画性ゼロ人生を謳歌している。

借金は一向に減らないけど貯金もない。

それなのに高級レストランに頻繁に通っていると聞く。

趣味はバカ喰いと外食とゲーム。

(だから親は一言二言、言いたくなっちゃうのよね〜!😅)

 

こういう大人になりこういう生き方を選ぶとは・・・

思いもしなかった。

 

こんな状態だから

親は自分達が教えてきたことを悔いるようになった。

あれは全部無駄だったのだ・・・と。

 

それでも・・・

こんな息子でも

親は我が子の身を案じるのをやめられない。😓

 

夫は父の日が来ても連絡は来ないであろう息子のことを案じて涙する。

親とはこういうもの・・・だね。😭

 

この親の気持ちをよく表した歌がある。

さだまさしさんの歌で「案山子(かかし)」という。

是非聴いてほしい。

これが親の気持ち。

特に父親の気持ち。

 

日本的な情緒いっぱいで泣けてくる。😭

 

たとえ世界のどこにいても、こういう曲を聞くと切なく感じられるのは自分が日本人である証拠だと思う。やっぱり遺伝子に刻み込まれた日本の感性を消すことができないと感じるのだ。

 

www.youtube.com

父の日おめでとう。

たとえ今は感謝されなくとも

神様は父の心をご存じのはず・・・。

そして子供たちにも自分が親になって初めて親の気持ちがわかる日が・・・

いずれ訪れるだろう。

 

父親は娘の最初の恋人で

息子の最初のヒーロー。

(でも今は両者とも父親をそうは見てはいないようだけど・・・😅)

 

補足:夫とは異なりわたしは息子のことでもう泣くことはありません。散々泣いたので涙の一滴も残ってません。さらに二度と息子に振り回されないようにガードをしっかり固めているのです。つまり息子について見聞きしても、何も感じないようにブロックしているのです。そうです。ロボットのように感情ゼロで身動きさせしません。このくらいしないとやっていけませんからね。😅

 

 

伝記は自分で書かせること

庭のワイルドフラワー4輪。我が家の4人の子供たちも野生児。みんな好きなところに勝手に咲いて自分勝手に生きている。親としては勝手にどこにでも咲いてほしくないし、もっと土壌がましがなところがありそうだと思う。でもそこで本当にいいならそこで頑張って花を咲かせるのもあり。

長男の誕生日

長男が6月8日に32歳の誕生日を迎えた。

 

ガソリン代が高騰していることから訪ねることを躊躇したが、

一年に一回だけの誕生日だし

コーンブレッドでも焼いて届けてあげることにした。

 

子供の時はいつもケーキを焼いてあげていたけど・・・今はただのパン。

でも彼にとってはお母さんの味だからまあいいか・・・。

バターもたっぷりしみてリッチな食感の黄色いパン。

 

それをタオルに包んで、大雨の中、車を急がせた。

高速で45分。

天気が崩れていたためいつもより時間がかかってしまい

運転中に息子は心配して電話をかけてきた。

 

やっと着き玄関に現れるなり嬉しそうな笑顔で出迎えてくれた。

「こんなシンプルなパンしか焼いてこなかったけど・・・気持ちだけ」

と伝えると彼は包んであったタオルを外し思わず顔をほころばせた。

 

彼は自分は親から何かをしてもらうにふさわしい人間ではないし

愛される値打ちもないと思っているようだ。

だから親が尋ねていくと(年に一度だけど・・・😅)

素直に喜んでくれるので訪ねがいがある。

 

わたしはこの長男に特別な気持ちを抱いている。

 

どんなに泣いただろうか。

今でも思い返すと目頭が熱くなり涙で全てが霞んで見える。

胸がズタズタに切り裂かれるような痛みがよみがってくる。

 

自分はこんなに人を愛したことがあっただろうか。

 

親の気持ちは親になってみないと決してわからないものとはよく言われているけど、

どんなに我が子を想っているか、

その強く果てしない想いは親にしかわからない。

 

心配させられ

苦労させられ

涙を抑えることができないほど親は我が子を愛する。

失恋は一生のうち数回しかない。

でも親はこの締め付けられるような想いを度々経験する。

’Broken heart(壊れた心)’ は実在する症状で多くの親がこれを経験する。

 

世の中にこんなにも深く

こんなにも強く

こんなにもせつなく

こんなにも心を動かすものは他にないと断言できる。

 

ご存じのように長男はゲイで

今もゲイのパートナーと暮らしている。

実はわたしも夫もこのパートナーをとても気に入っている。

人間的に素晴らしい方だと思っている。

実際、他の息子たちの嫁よりはるかに気に入っている。

特にわたしは新しく増えたこの息子をうんと可愛がっている。😅

 

息子は大学院も残すところあと一年。

今もビジネスデータ解析士の仕事も続けているので多忙だ。

精神は安定し、しっかりと地に足をつき、

目標に向かって突き進んでいる姿を見ることほど親として嬉しいことはない。

 

ここまで辿り着くまで長い旅路だった。

心配から父親は髪が真っ白になってしまった。

わたしはそこまで白髪にはなっていないけど・・・シワが増えた・・・特に眉間に・・・😅

(怒りや心配や不安は眉間のシワの原因・・・😅)

 

そのことに長男は気づいていて

今は親に心配をかけないように過去を挽回するかの如くに生きている。

そりゃあ、今だってゲイだけど・・・もうそれはどうでもいい😅。

それにあまり気にもならなくなってきた。

(欧米ではゲイ人口の間にサル痘が流行してきてちょっと心配だけど・・・😅)

 

どの親にとっても

どの子も特別だけれど一番上の子供は特に特別だ。

初めての子育て。

だから右往左往が多く

心配事が多く、

不安が多い。

アマチュア両親の実験台になり・・・親の犯す失敗の犠牲者となりやすい。

 

だから本当に彼には頭が下がるばかりだ。

ごめんなさい、って何回言っても自分を赦せない。

 

でもいつも感じていた。

 

この子はなんと慈悲深く

ダメ親をこよなく愛してくれているのかと。

こんななさけない親でも、赦してくれて感謝しきれない。

 

彼は弟や妹にも優しく面倒見がよく

典型的な長男だ。

心優しく思いやりがあり

エゴは小さく

心の綺麗な人だ。

 

立派になったなあ・・・と長身の彼を見上げる。

こんな日が来るとは思いもしなかった。

 

誕生日おめでとう。

わたしたちを選んで産まれてきてくれてありがとう。

そしていたらないこの親にずっと忍耐してきてくれてありがとう。

それを再度伝えると

彼の住まいを後にした。

 

外に出ると雨は止んでいた。

9時を過ぎていたのに空にはまだ微かな陽が残っていてそれが地平線上に広がっていた。

 

子供の人生の筆者は本人

親は子供の現状を見て

希望ゼロ!と終止符を打ちやすい。

 

でもちょっとまだ早すぎるかもしれない。

それは我が子はまだ自分の伝記を書き終えていないからだ。

その伝記は本人に書かせてあげないといけない。

それは自叙伝であり、親が書くものではないのだ。

その伝記は本人のもの。

 

伝記には成功だけでなく失敗談もないと面白くない伝記になる。

だから我が子には失敗も許してしてあげよう。

修正も編集もだめ。

赤ペンなんて言語道断。

 

それは親にとっては精神的な拷問であり苦悩だ。

それでも伝記は本人に全部書かせよう。

自叙伝にしてあげよう。

 

覚えておくべき最も大切なことはその伝記はまだ書き終わっていないということ。

 

うちの成人した子供たちの自叙伝もまだ最終章には至っていない。

実際のところまだ半分も終わっていない。

だから希望は沢山ある。

 

どんなストーリーが書き加えられるか・・・楽しみだ。

引き続き波瀾万丈人生か・・・・。😅

 

ドクダミママ至言

子供は自分で自分の伝記、つまり自叙伝を書く権利がある。

そこにはプラスの経験だけでなくマイナスの経験も書かれた方が読むには面白い。

それには恥になるようなことも書かれるかもしれない。

それでもいい。

 

その本を書くのは本人でまとめるのも本人。

誰のものでもなく彼の本なのだから好きなように書けばいいのだ。

 

伝記はまだ書き終わってはいない。

だから親は赤ペンで書き込みを入れたい気持ちを抑えて

本人にその偉大な本を完成させてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

千寿の谷に突き落とすことも大切

(画像出典元:https://news.livedoor.com/article/detail/4630379/

親は子を愛するため色々助けて結果的に甘やかしになることも多い。

手助けすることが愛であると思っている。

だから(ライオンの親のように)可愛い我が子を千寿の谷に突き落とすなんてとてもできないと思う親は・・・特に母親に多い。

 

実際、突き落とすことは親にとって辛いのだ。😓

 

でも本当の愛は我が子に最も必要なことをすること。

それには谷に突き落とすことも場合によっては含まれている。

特に成人の子供へは。

 

突き落とされた子供は親を恨みに思うかもしれない。

もっとも

どんな「突き落とし」かにもよるし

どんな「崖」かにもよる。

ただ・・・それが必要なときはある。

 

子供がハンドルできるレベルの

辛い経験は宝になると信じて突き落とす。

それを過去10年ちょっとやっている。

それまではやってきてはいない。

どちらかというと救ってあげていた。

谷に落ちないように先周りし色々警告したり・・と甲斐甲斐しい子育てをやっていた。

 

どうもそれがまずかったようだ。

子育てに失敗した理由にはこれが一理ある。😅

 

toyokeizai.net

 

ドクダミママ至言

千寿の谷に突き落とすことも時には大切。

手を差し伸べるだけが愛じゃあない。

子育ての全ての面で落第という親は少ない

ここを貸している。(引っ越してくる前の写真。今は土足で家の中を歩くので汚れてます・・。)

階下に移ってきた家族について話そう。

母と子供二人。

子育てのスタイルはズバリ・・・

 

「手抜き子育て」!

 

母親は仕事中なので子供たちは下校後、上にいる私のところに寄ることが多い。

寂しいのだろうか。

 

アメリカではこういうのは児童ネグレクトと呼ばれる。

なぜなら、13歳未満の子供は常に大人の監視下に置いておかないといけないからだ。

多分上に私がいるから(リモート勤務)それで正当化できると思っているのだろう。

 

3時半から6時までの間は子供だけで母親はまだ仕事中。

その後母親が帰宅し子供たちに夕食を準備してから彼女はジムに運動に出かける。

帰ってくるのは9時頃。

帰ってくるなり母親は「go to sleep(寝なさい)」とだけ言っておしまい。

よくその後に長女の泣き崩れる声が聞こえてくる(演技らしい・・・😅)。

翌朝、機嫌の悪い子供たちの声が聞こえてくる。

 

子供たちは

鉛筆削りもないから上に借りにくる。

絵を描きたいけど紙も絵の具もない。(安いんだけど・・・😅)

色鉛筆もない。(このくらい買ってあげれるでしょ????)

楽器もうちの電子ピアノを貸してあげた。

自転車も・・・。

当然ヘルメットも・・・😓

 

本だって一冊もない。

公共の図書館に連れて行ってあげたらいいのに・・・と思ってしまう。

中学校の隣にあるのに・・・。

 

そっかーーー何もやらないってこういうことをいうのだ。😰

 

学校にただ行かせておけばいいってものじゃあない。

当然宿題もサボっていたのがバレた時だけ「しろ!」とは言うけど、一切助けたりしない。

長女は私たちのところに来て助けを借りている。😅

 

典型的なアメリカの白人下層階級の家庭を目撃した気がする。

これはたとえ貧しくとも子供の教育に熱心なアジア系住民にはまずもって見られない風景😅

 

我が家もその典型的なアジア系の親。

十分ではなくともできる範囲で教育の機会を与え

学習教材を買い求め

情操教育にも力を入れた。(お金の許す限りだけど・・・)

誕生日の贈り物は常に教育玩具や本。

毎晩寝る前にする「ritual(儀式化された習慣)」があって

それは家族で本を読んで、注意事項を発表し、翌日の予定を確認し、

最後に1日を感謝し互いにハグをしてI love you!と言う。

それから各自の部屋に行かせる。

だからかなのか、就寝時にごねる子供も一人としていなかった。

 

それでも期待通りの大人にならなかったということはそこまですることもなかったのかもしれない・・・とも思えてならない。

 

しかし・・・何もしないのも問題な気がしないでもない。

まず自分が彼女と同じ立場に置かれていて、果たして同じような子育てをするだろうか。

多分しないだろう。

というかできないだろう。(日本人の血が騒いでしまって不可能・・・😅)

 

いくら多忙でも5分くらい本を読んであげるくらいは可能でしょ?

まあ・・精神的にも余裕がないからできないのか・・。

 

実際、子供たちに家にある本を勧めたけど

本は読みたくないと言われた。

本は学校で読ませ’られる’ものだそうだ。

だから嫌いなんだそうだ。😰

じゃあ私が読んであげることにしたが

集中力欠如で2分と座っていられなかった。

(長女11歳。長男8歳・・・幼稚園児じゃあない・・・💦)

 

それで思った!

我が家の子供たちにこういうのはなかった!と。

 

黙って親の話を聞くこともできた。

読み聞かせは習慣化されていたのでそれも問題なかった。

皆、本は大好きで勝手に一人でも読んでいた。

図書館には毎週連れて行っていた(〇〇ランドとか名前のついたところに連れて行ってあげる経済的余裕がなかったからこれが遠出の娯楽・・・😅)。

たとえ大した大人にならなくとも知らなかったこと知る楽しさとその思い出は肌に染みついているようだ。だから、この面では親としてちゃんとやれたのかもしれない。

 

娘にそれを伝えると、答えは

「そうだよ。ママはちゃんと教育的な環境に子供たちを置いてくれたんだよ」だった。

 

娘は親に「子育ては成功した」と思って欲しいのだろう。

もし子育て失敗なら、娘は失敗作ということになるのだから。

確かに失敗だったと思う子供もいるにはいる。

でも全員ではないし、全てにおいてではなかったことは真実なのだ。

 

自分の思い通りにならないと癇癪を起こしそこらじゅうの物を壊すのは次男のみ(今でもそう・・・😅)。

でも残りの子供たちは滅多にワガママは言わなかった。

親子の関係はイマイチでも兄弟同士はすこぶる仲がいい。

刑務所行きの子供も(今のところ)いない。(奇跡!😅)

とりあえず引きこもりはいない。

(うちは成人を養う経済的余裕ゼロ。だから働かざるもの食うべからずが方針😅)

とりあえず全員四大卒(だからって別に成功はしてないけど・・・)

どれもエリート企業ではないし、高収入は期待できないけど・・・

みんな仕事にはちゃんと就いている。

社会でもそれなりだけど・・・’どうにか’機能しているようだ。

親に頼っている子供は今はいない。(時と場合によっては仕方がない時もあるよね・・)

 

それなら・・・自分の子育ての’全てが’悪かったわけではなかったかもしれない。

 

今でも過去を振りかえって自分の犯した子育ての問題点について胸が痛い時がある。

でも・・・他の様々な家族を見ると・・・うまくできたところもあることに気付かされる。

 

所詮、完全は無理。

でも何かうまくできた面も確かにあったようだ。

それを探してみるのも意義があると思う。

 

ドクダミママ至言

子育ての全ての面で落第という親は少ない。

何かよくできた面も絶対にあったはずだ。

それをリストにあげてみよう!

子供の年練に関係なくやってみたらいい。

きっと発見があるはず。

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