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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

心の中でさようなら

6月の父の日に長男(だけ)が家に来てくれた。

午後2:30にスーパーに立ち寄って買ってきたサラダを手に玄関に現れた。

相変わらず優しい笑顔。

 

この日は父の日だから父親を持ち上げる日で

父親を中心の会話をする日のはず。

 

でも・・・

来てくれた息子を中心に会話が進んだ。(夫は半分無視されてました・・・😅)

久しぶりに親二人と子供ひとりだけでじっくりと心を割って話ができた。

 

そして夕方の7時に彼は家を出た。

そのあとに思った。

今日は残りの一生分の会話ができた、と。

そして全く悔いがないほど親の気持ちも伝えられた、と。

 

だから今後一生会わなくても全く大丈夫でもあるとも感じた。

それは悲しくもなく

ただ、それでいいという気持ちだった。

 

長男はゲイのコミュニテイに関わっていて

この辺のゲイのコミュニテイは毎週末に何かしら行事がある。

それはゲイの自尊心を向上させるためにあるらしい。

ゲイというマイノリテイとして生きていくことはいくらオープンなアメリカでも差別対象にされたり嫌なこともあるのだ。

辛いこともたくさんある。

たとえ家族や友人が受け入れてあげていても・・・やはり彼らの心中は100%穏やかにはなれないようだ。

自分の中での葛藤が100%消えることはないようだ。

それはおそらく多分こういう理由からきているようだ。

 

まず、彼らは正常ではないというような引け目を多少は感じている。

それを強く感じている人はアイデンテイテイ・クライシスに陥る。

 

二番目に彼らは良心の呵責を感じている。

心のどこからか、それが間違っているという声が聞こえてきて、間違っている生き方に対する罪悪感。どんなにその声は微かでも、消すことが難しいらしい。

そしてそういう胸の痛みをこれからも一生抱えていかないといけない。

それは辛いことだろう。

だから仲間の精神的サポートが生き延びりに大きく影響する。

 

もしサポートがなければ麻薬やアルコールに逃げることも多い。

社会できちんと機能できなくなりホームレスになったりもある。

自殺もある。

やっぱり単独で孤立は危険なのだ。

 

精神状態を健やかに保つために

誰でも自分が属することのできるトライブ(一族)や場所が必要。

何も言わなくとも分かり合える友の存在は大切だ。

特に彼らに関して言えばかなりのサポートが必要とされている。

 

息子は自分と同じような人たちの集まりに行っている時が最も幸せなのだと思う。

実家には時々顔を出してくれるけど・・・親に対して言いたいことをなんでも言うかというとそれは違う。

所詮、息子といえど彼の世界はよく理解はできないし

聞いても、彼は黙秘権を使うことも多いから気を遣う。

深入りは厳禁。

言葉遣いも常に敬語調。

 

これって親子なのだろうか?

確かに血は繋がっているけれど、別の人間である彼の人生は彼のもの。

自由に生きる権利がある。

だから親はただ笑顔で息子の幸せを願うしかない。

そして親子でも一線を引き、彼を尊重する。

 

そもそも、もう子供の時の関係は私たちの間にはないのだから。

かといって友達とも違う。

じゃあなんの関係なのかと聞かれるとうまくは説明できない。

 

もしかして彼はもうこの家には属さない人間なのかもしれない。

そうかもしれない。

それなら実家に近寄りたくない気持ちもわかる。

 

夫は子供への執着心が強い人なので同意しないと思うけど・・・

この日を境に長男を全ての面において’完全に’自由にさせてあげることにした。

それもなんの努力もなしにできそうだ。

 

この日、わたしは心がまた一段と軽くなった。

もし二度と会えなくとも悲しくはない。

この父の日に全てが吹っ切れて、それでいいと思えた。

 

I would let him go, completely. (完全に息子を手放すつもり。)

さようなら。

また会えればそれもいいし会えなくても大丈夫。

心の中で繋がっているから執着しないで済む。

 

去る者追わず来る者拒まず。

自然の成り行きに任せることが歳を経るに従って容易にできるようになってきたような気がする。(ちょっとは成長したかなあ〜〜〜?😅)

 

幸せになってね。

母はさようならを言います。

でもこの’さようなら’は、悲しみでいっぱいの’さようなら’ではなくて

すがすがしい気持ちの’さようなら’だから。

子供に依存しないで生きていくことを宣言する言葉なのだ。

 

親になる真髄とは

親とは悲しい役割だ。

その涙の果てにあるものは何か・・・。

その涙を乗り越えられた時に悟りがあり、

悟った人はもう悲しまないですむ。

そして親になる真髄がわかる。

 

実は

親になって自分のことがすごくよく見えてきた。

特に自分の弱点について嫌なくらい気がつくようになってきた。

つまり

親になると我が身を振り返る(内省の)機会が多く与えられる。

そのことにより魂の成長がもたらされる。

それが真髄なのかもしれない。

 

子供は親の先生なのだなあ・・・。

出来の悪い生徒ですまなかったと思う。

ついでも素行もイマイチでした。😅

 

桟橋を渡って一人で向こう側に行ってしまった我が子へ
ちょっと前まであなたは母の人生の全てでした。それが今は霞んだ点のような存在になってしまいました。母の知らない世界で生きるあなたの未来はどんなものになるのでしょうか。わからないなりにも、それがなるべく幸せである事をただひたすら望んでます。あなたの道は石ころが多そうだからたくさん転ぶかもしれませんね。転んだ時きっと母はその事を感じ取るでしょう。音信不通でも心はいつも近くにいるからわかるのです。胸に痛みが走るでしょう。それでも’さようなら’と言ったのだからもう振り返れません。またいつか気が向いたら家に寄ってください。お元気で。

ドクダミママ至言

子供は’我わが道を歩む’もの。

そうしたら親は2歩も3歩も引いて陰でそっと見守り

そして最終的には、見守るのもやめる。

その時は潔く、その場を去り、我が子の人生の門出を祝おう。

行きたいところに行かせ、

犯罪でない限りはしたいことを許し、

怖くて見ていられない場合は両目をつぶる。

それも無理ならうんと遠くに行くかせることだ。

過去は振りかえらず現実を受け入れ前進あるのみ。

さようならは子供に依存しないで生きていくことを宣言する言葉。