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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

頭上から爆弾でも落ちてこない限りは目が覚めないほど頑固な子供を持った場合の戦略あるある

頭上から爆弾でも落ちてこない限りは目が覚めないほどの頑固な子供への対応はどうしたらいいのだろうか?

 

答えは、

爆弾が落ちるのを止めようとしないこと。

なるがままにさせること。

自然の法則に任せること。

 

それだけしか残っていない。😅

 

頑固な人には爆弾が落ちるもの

こういう人には必ず

いずれは爆弾が落ちる。

それは人間の歴史を見れば一目瞭然である。

 

爆弾でも落ちない限りは彼らは反省しない。(もしかして自分のこと?😅)

目も覚めない。

全て社会と学校と親のせい。

 

だから爆弾は落ちるべきなのだ。

それを見かねて止めようとしてはいけない。

子供に本当に必要なのは爆弾なのかもしれないから。

それに’雨降って地固まる’というではないの。

 

可哀想だから・・・とは

親が精神的に耐えられないからそう言っているだけのこと。

実際は自分を守るため。

心から子供のためを思って言っているわけではない。

 

それに実際そう思うのは親だけであって、

社会や他人はそうは思ってはいない。

当然の罰もしくは呪いと見られているのが普通。

 

元次男の決断

実は三男の陸軍の基礎戦闘訓練が終了したかと思ったら、なんと

今度は元次男が軍隊に申し込むと言っている。

 

空軍に申し込むとか。

(無理じゃあないだろうか・・・空軍は選抜が厳しいのだから・・・)

それを友人に言うと、「心配ね〜」と言われた。

 

それに対するこちらの反応は

「いや、心配などしていない。

爆弾でも落ちないとこの人は目が覚めないほど頑固だから

ちょうどよかった。」😅

 

まずは最初のブートキャンプでプライドを粉々に潰され謙虚になるでしょう。

胃潰瘍体質なのでストレスから血でも吐くかもしれない。

ソライアシスという皮膚病の体質でもあるしアレルギー体質だから・・・

これも絶対問題が出るだろう。(そもそも入れてくるのだろうか?)

トレーニングはグループでの協力が要求されるので、彼のような人は絶対嫌いなはず。

周りと足並みを合わせられない感じ悪い人は嫌われる。

そしてグループから嫌われる人はキャンプから追い出される。😅

 

運よくブートキャンプのトレーニングを終わりにできても

昨今の情勢を検討に入れるなら、戦地に生かされる確率は高い。

 

世界中の市民が恐れていることはこれ。

一度に世界のあちこちで戦争が勃発することだ。

ロシアがウクライナを占領し、西側とロシアの戦いが始まる。

中国が台湾を占領し、よって米中戦争と発展する。

北朝鮮が近隣国を爆撃。(その近隣国ってもしかして????😰)

イランがイスラエルを爆撃・・・と。

 

全部一度に始まればバイデン政権を初め先進国全部がうまく対応できないだろう。

よって世界は混乱する。

これがなんとなくロシア・中国、北朝鮮、イランなどの同盟国のもくろみと見ている人は多い。

 

そもそも現在こんなに多くの戦争に一度に対応できるほどの兵士がアメリカにいない。

だから現在どこの軍でも兵士を募集している。

でも戦争中か戦争が始まりそうな時に、みすみす軍隊に申し込むほど浅はかな人は少ない。

よっぽど愛国心が強いとかでない限りは命を落とす確率の高さから入隊を渋る。

 

だから足らない。

今も足らないので、Non-active duty(普通は戦地に行かない)の兵士も駆り出されるらしい。

こう言う状態では大卒とか専門職とか全く関係がなくなってくる。

それなら、徴兵制度も考えられる。

現につい最近ウクライナでは18歳から60歳の「女性」にも徴兵が課せらるという法律が制定されたらしい。😰😰😰

 

女性ですか・・・・😰

60歳・・・・😰

 

女性が駆り出されるほどなら

元次男の戦地に駆り出される確率はかなり高くなるだろう。

 

そして爆弾の一つや二つ受けて人生の悪夢を経験する。

すごいウェークアップコールだ・・・。😰

 

でも・・・これくらいの超過酷な試練じゃあないと彼は目が覚めないだろう。

必要なんだと思う。

だからそれに飛び込もうとしている彼に反対しない。

 

これで目が覚めるだろう。

人生の見方が変わるだろう。

いいことだ。

 

温かい心臓なら傷つくばかり

恐らくこんなことを言っている母親を世間は冷たい目で見ることだろう。

しかし、世間が何と言おうともなんとも思ってはいない。

 

はっきり言って

冷たくならなくては親は生きてはいけない。

そもそもここまで冷たくなったのはこの息子が要因である。

まだこの心臓が温かかった時、

わたしは彼のために泣きまくり怒りまくりで精神が完全に破壊した。

だからこれ以上子供のことで心を砕くことができないのだ。

まるで生きたまま肉を食われているような年月だった。

そのため強く何も感じないような人間になれるようにかなりの努力を重ねた。

それで今の自分がある。

 

息子の犯す惨事と息子の狂乱の叫びの数々。

それにいちいち反応していたら親も狂って当然。

 

ガラスのような壊れやすい状態では耐えきれない。

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ガラスの心臓。(出典:https://stupendoustidbits.wordpress.com/2013/08/08/china-utensils-and-fragile-hearts/

ガラスではなく雪結晶でもなく、もしそのまま柔らかい心臓なら

グサグサと彼の毒舌と刺すような眼差しに突かれどんどん穴が開いていく。

細胞は破壊が進行していく。

その進行を阻止するために心を岩のようにする必要があった。

岩になれば血潮は流れない。

そこにはもう温かいものはないのだ。

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(出典:https://external-preview.redd.it/bTaO_GIQqXUMaz02NbuGS5G-J31aVnZPqkYihj6zUGk.jpg?auto=webp&s=0ac7ddb9f4b8d190209491d58b83d6227cd0288c

 

岩の心のわたしは

戦地に行くと言われてもおそらく何も感じないのだろう。

怪我をしても何も感じないだろう。

でももし戦死でもしたら・・・?

これで自分の悩みの種が消え全てが神の御手の中にあることを認識できて

安心するかもしれない。

 

岩の心はどんな強風にも立ち向かえるほど強い。

なんでもかかってこい!と大声で言える。

 

夫と私はこの人に疲れ切って

全てがなるようになればいいと思っている。

 

子供の年齢の低い親はこう言う私たちの意見を酷すぎると言うかもしれない。

でも反抗心が生半可じゃあない息子を持った親は’絶対に’同感するだろう。

 

親も自分が傷つかないために自己を守らないといけない。

いちいち子供の言うことすることに反応していたら、命がいくつあっても足りないっていうものだ。

これ以上精神が粉々にされないために

感じないようにすることも必須。

悪いけど・・・。😅

 

それが神からのお告げだった。

それなら神様にお任せしよう。

でも多分神の助け方は親の期待とは反することが多いことから、

思いっきり全ての期待を捨てた方が賢明かもしれない。

 

神の助け方

神様というお方は

高慢な人間には容赦ない。

神様の助け方というのはこういうものなのだ。

ムチでもって教訓を教える。

決してアメではない。

 

それをやめてくれとお願いするのが親というもの。

しかしこれが物事のあり方。

原因と結果の法則。

この法則を無視するなら人間は経験から何も学ばす再び同じことを繰り返す。

だから夫と私は、やめてくれなどとは間違ってもお願いできない。

我が子は自分の言動の結果がもたらす苦い結果を味わわなくてはいけないのだ。

 

人は物事がうまくいっているときは自分の力を誇るけれど

うまくいかなかくなった時は日頃は無信心なくせにすぐに神に助けを求める。

しかしそれで神からも助けが来なければ神を呪う。

 

人は自分の行いでつまづく。そして穴に落ちる。

しかしそれを自分のせいだとは認めないことが多い。

だから神はつまづいたままにさせる。

そしてそう簡単には落ちた穴から救い出してはくださらない。

その警告を無視して生きてきた息子にはあげる言葉はこれ以上ない。

(ま、親も人のことは言えないんだけど・・・😅)

 

心を中庸に保ち何にも影響されないためには

頑固な子供には何も言わない方がいい。

しかし

容易に口をつぐむためには

心を中庸に保つことが必須。

心をザワザワさせないこと。

そうしないと精神は確実に破壊される。

 

だから何も感じないように精神を影響物からブロックする戦略が必要。

例えばこんな感じの。

 

  • 外部の影響を受けないようにする戦略①

まず自分の体が透明の筒の中にあり、筒の中は光に満ちていることを意識し、

そこに何者も入ってこられない状態を想像する。

ゆっくり深呼吸をしながら。

その状態に自分をもっていきそれをなるべく長く維持するなら、

我が子が何を言おうとも何をしようとも

一切影響を及ぼさないだろう。

 

  • 外部の影響を受けないようにする戦略②

子供に依存しない’独立した人間’にならなければ親は一生苦しむ。

だから

    A. 両者の間に世界一太い想像上のマジックマーカーで線を引く。

     その線をいつも心に描く。

    B. 自然の法則イコール原因と結果の法則に任せること。

     つまり子供に自分の蒔いた種の収穫をさせること。

     その収穫がどんなにひどいものであっても収穫自体がゼロでも

     もし親が一生賢明教えてきたなら、それは親のせいではない。

 

  • 外部の影響を受けないようにする戦略③

下記のフレーズを呪文のように’毎日’繰り返そう。😅

 

What I think of my child is none of his/her business. 

親が子供をなんと思っているかは子供の知ったことではない。

What he/she thinks of me is none of my business.

子供が親をなんと思っているかは親の知ったことではない。

What he/she does and say is none of my business. 

子供がすることも言うことも親の知ったことではない。

 

結論

自分で墓穴を掘ってそこに飛び込もうとしているのは本人である。

自ら火の中に飛び込む。

それを親は必死になって止めようとする。

しかし彼には聞こえない。

彼は自分のことを客観的に見ることができないのだから。

 

考えられないほど頑固な子供にはなんの戦略も効き目はない。

もし泣くのも説得もすでに全部試したなら

あとは諦めしか残っていない。

 

その代わりに自分の戦略を構築すべき。

相手をどうにかしようとするのではなくて

自分の精神を守る戦略の構築。

 

ドクダミママ至言

考えられないほどの頑固な子供を持ったら

お手上げ。

どうにかしようなどと夢にも思わない方がいい。

経験者は語る!

どうにかしようとあがけばあがくほど関係はもつれてくる

 

どんなに我が子に不幸が訪れようとも目を瞑ってそれを止めようとしてはいけない。

頑固な人が目を覚ますにはそれしか方法がないのだから。

 

親はガラスや雪の結晶のような心ではなく

岩のようにならないと生存は無理。

自分を光の筒の中に置いて、そこにはどんな敵も侵入できないことを想像しよう。

筒の外の黒いモヤモヤは自分を破壊するもの。

自分がそれらから守られていると唱えよう。

子供の言動は親の知ったことではないと呪文のように繰り返す。

あとは神様を信頼してその御手に委ねる。

神様にムチで懲らしめられてもそれを止めない。

 

究極的に、生き残りたかったら親も自分の精神を守るべきで

そのための戦略は必須。

 

一度壊れた関係は修復が困難。そんな時は親子断絶しか残ってない

 

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(出典元:https://blog.heartmanity.com/how-to-deal-with-a-disrespectful-grown-child)

三男の陸軍の卒業式から戻り、預けていた飼い猫を引き取りに娘のところに寄った。

その時に感じた。

 

まだ反抗期が終わっていない!と😰

 

あの冷たいひねくれた目つきは

いかにも馬鹿にした感じで

どんなに母親を嫌っているかを物語っていた。

その瞳の中に清らかさの陰りも残っておらず

それは憎しみに満ちていた。

 

娘はこちらを見るのを辞めたかと思ったら早速携帯をいじり始めた。

早く出ていってくれと言わんばかりの眼差しと態度だった。

 

そんなに邪険に扱わなくてもいいんじゃあないだろうか。😓

 

こんなに面倒を見てあげたのに・・・

ピアノを買ったのも母。(父親の収入では無理)

大学の学費を全額払ったのも母。(父親の収入では無理)

日本語を教えてあげたのも母。(補修校に通わせる予算なし)

全教科の家庭教師を務めたのも母。(外にお願いするほどの収入がないため)

病気につきあって医者を探し毎回連れていったのも母。(アメリカは自動車社会なので親が全てのところに連れていかないといけない・・・)

他に悩み相談に乗り・・・

関与介入の機会は多かった。

 

本人が自立しようと頑張っているのはわかる。

そのためには親は邪魔なのだ。

でも・・・そんな風に冷たくしなくてもいいんじゃないだろうか。

 

そんな目で見られるほどの悪いことを私がしたのだろうか。

確かに・・・2年前にちょっと口喧嘩にはなった。

でもそういうことも数回だった。

 

でもその数回で関係が崩れてしまったようだ。

女性は根に持つというけれど本当だった。😰

 

一度壊れた関係は修復がとても難しい。

 

心傷つき、家に戻ってきてから日記に書いた。

 

2022年の卒親対象は娘になると。

 

1年間こちらからは絶対に連絡を取らない。

ラインでつながる?

やらない。

どんなに困ったことがあってもお願いしない。

娘の人生に関与しない。

邪魔しない。

しゃべらない。

 

実際、娘のことを考えることはほとんどなくなった。

でもやはり猫の世話とかお願いしたりしていた。

あちらも病気になった時など心細いのか連絡してきていた。

でももうその受け答えもやめる。

 

私は1年間だけ、娘との連絡を完全に断ってみる事にした。

彼女が真の意味で大人になるために、

そして自分が完全に卒親するためにはこれしかない。

 

連絡をしない。

連絡をしてきても対応しない。

 

つまり・・・親子断絶。😅

 

ちなみに元次男とは1年断絶してとってもよかった。

自分も綺麗さっぱり卒親できたし

距離が取れて初めて互いに頭を冷やすことができたからだ。

もうなんのしがらみもない。

 

軽いさっぱりとした関係。

ただの知り合い。

なんでも話せる友達なんかではない。

建前の関係。

 

なんの期待もないから意見もない。

意見もないからアドバイスなどもない。

所詮、警告もアドバイスも彼にとってはただの束縛であり呪縛。

だから無言でひたすらモナリザの微笑みを貫き通す。

 

何を言われても

「あっ、そう」

だけ。

 

おかげで親は

しごく平和。😅

 

それにならないといけないのだ。

究極的にはそうならなければ親子関係はうまくいかない。

 

ドクダミママ至言

成人した子供とは

軽くさっぱりとした関係を築いた方がいい。

親子断絶も一時的ならとても意味がある。

 

 

説明すればいいだけなのにと言うけれど・・・

😓「ダメだというだけでなく説明するべき。

ダメと言うだけだから子供が反抗するんだ。」

 

と陸軍の卒業式の後で三男に言われた。😅

 

あああ・・・・そんなこと言われなくともわかっとる。

しかしそれはあくまで理想なのだ。

 

それで本人にこのように返した。

 

親が説明しても理解できない子供もいる。

それは知性の発達段階により、

情緒的な発達段階にもよる。

年齢による。

個性による。

 

いくら説明しても

生まれつき反抗心の強い子供は真っ向から説明なんて聞かない(うちの息子のこと!)

自我の強い子供も親の説明は無視する。

だから自分の親は全く説明していないようなことを本人は言っていたけど、

実はちゃんと説明していた。

 

どうも子供は自分にとって都合の悪いことは覚えていないようだ。

 

きっと理解できなかったに違いない。

いや、理解などしたくなかったように見えた。

 

更に親は説明ができない時もある。

全てのことを丁寧に説明している余裕がないときも多い。

我が家のように子供が四人もいれば当然そういうこともある。

そういう時は

やっぱり一言

「だめ!」と言うしかないのだ。

 

親になれば大した親になどなれないことがわかる

所詮子供のいない人は理想を語る。

だから親を赦さない。

だからこうも返した。

 

あなたにもジャイアンとかあなたのような息子が生まれるといいわね。

そうすればわかるでしょう。

きっとあなたは自分の親とは反対に100倍も素晴らしい親になれるでしょう!

幸運を祈るわ!😅

(イヤミ😅)

 

本人は笑っていたけど、笑い事じゃあない。

一刻も早く手のかかる自我の強い息子でも持ってしっかり苦労してもらいたい。

そうすれば、どんなに子育てが大変かわかるでしょ。

理想なんて到達できないって納得するでしょ。

自分の力のなさに落ち込むでしょ。

 

そもそも・・・理想はそうだけど・・・理想通りに行くならみんなこんなに苦労していない!

何度も言うけど、親ってね〜子育てをしてるだけじゃあないのだ。

 

他にも山ほどやることがあり

他にもストレスの要因が捨てるほどある。

そこにきて子供がわがままを言えば、いい加減にしろ!と叫びたいことだってある。

いちいち説明なんてしている時間がない。

そもそもそれについては既に説明済みでしょ?

覚えてない?????

 

開き直る

そして最後にとどめを刺した。

ママは子育てで数えきれないほど間違いを犯しました。

やっぱり、わたしみたいな人間は親にならない方がよかったわね。

〇〇さんみたいなママだったらあなたはもっと幸せだったことでしょう。

 

でももし子育てをまたする機会があるなら

今度はあなたたちの期待通りにするつもりよ。

絶対に正反対にやるわ。

 

それは当然・・・

野放し子育て!

 

つまり・・・

 

読み聞かせ?

やるわけない。

 

宿題を見てあげる?

それは自分の責任。

 

習い事?

それはなんのこっちゃあ?

 

勉強?

やりたければどうぞ。

 

学校?

行くか行かないか全部自由。

 

友達はどんな類でもよし。

麻薬をもよし。

タバコも酒もバクチもよし。

一日中ゲームをやっていてもいいよ。

 

お菓子は食べ放題食べなさい。

歯磨きは自分で必要と思うならやってください。

お風呂?入りたい時にどうぞ。

何を着てもいいし、真冬に裸でも問題なし。

 

食事の時間は決まっていない。

寝る時間も決まっていない。

好きな時に好きなことを好きなようにしていいよ。

 

でも・・・それで病気になってもそれは親の責任ではないです。

だって子供の大好きなママをちゃんと実践しているんだから

わたしは理想の親なのです。

 

子供の望む’理解あるいい親’の定義とは

こういうことをいうのでしょ?

つまり勝手にさせてくれる親。

だからそうしてあげよう。

 

たとえ説明しても・・・

息子はちゃんと説明すればわかると言っていた。

いや、上記のことは全部理路整然と説明してきたつもりだ。

 

ただ本人はその説明に同意しなかった。

それかやっぱり理解したくなかった。

そもそも理解できなかった。

それしか考えられない。

頭の中が自分のやりたいことで一杯だから親の説明なんか

まさに馬の耳に念仏なのだ。

 

親は説明している。

でも100回も同じことを繰り返すことのしんどさ。

100回目には説明なんてどこ吹く風。

それが普通でしょ。

 

だからなんでもかんでも親のせいにされても困ります。

それを親を代表して言わさせていただきます。

 

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今朝のニャンタ。机の下でお昼寝中。
素直で生意気なことは一切言わない。だから説明なんていらない。

ドクダミママ至言

子供はなんでも親のせいにするけど

親が不出来で無能だからこうなったというけれど

説明すればいいだけなのに・・・怒る、とかいうけれど

説明をほとんど聞かない本人も問題に関与していることを無視するきらいがある。

 

所詮、人間は誰も自分に都合の悪いことは聞きたくないものだ。

真実は受け入れ難い。

胸の中心を指し貫く。

それは嫌なのだ。

だから親を敵視し、やり込めようとする。

つまり戦闘体制。

親の精神を破壊する爆弾を持ってバリケードを越えてやってくる。

今までの仕返し!とか言って。😰

 

もしそうなったら

自分の精神状態を守るための国防庁を立ち上げ、

敵が攻めてこないような

高い塀を建て、深い堀を築くべき。

当然メンタルを強くするための銃も準備。

ウクライナ共和国を見習おう!

 

ただ、この塀と堀と銃が何かは自分で発見しないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸軍の基礎戦闘訓練の卒業式で思ったこと

今週はサウスカロライナにある米国陸軍の基礎戦闘訓練、つまりブートキャンプの卒業式に出席した。

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不動で立ちっぱなしの兵士たち。(卒業生はこの数の10倍)
やっと太陽は顔をのぞかせてきたけどまだ風が強く気温も低い。息子は一番左の列の後ろの方。

零下での卒業式

サウスカロライナは雪国のミシガンとは異なりすでに春の兆しが見えていた。

それでも朝の気温は零下近くでかなりの寒さだった。

長い列を恐れてゲストは朝の6:30から受付に集まっていた。

私たちも9時に始まる式に備えて7時前に到着した。

予想通りさっさと入場させてもらったのはいいが、

寒い屋外でただひたすら待つこと2時間。😓

 

その後やっと式が始まり、さらに寒い中1時間。

感無量で泣くと聞いていたけど、涙は出てこなかった。

 

寒い中、薄着で行進している800人近くの卒業生。

彼らは、下着も含めて3枚の化繊衣服を身につけ、手袋着用は禁止で、かろうじてベレー帽をかぶっているけどあまり暖かくない。

行進しているときはまだいいけど、ただ直立でロボットのようにしている時がいちばん辛そうだった。

前方に立っていた女性兵士がいきなり気を失って倒れるという事件もあった。

栄養不足と低体温症のためか。

 

卒業証書授与とかいうのもなかった。

ひどく簡単な式だった。

その中に優秀賞の授与があった。でも息子には該当しなかった。

そもそも背は高いけど、そこまでの立派な体格(筋肉隆々)ではないし、どの技術においても’一番’は無理だったのだ。射撃はかなりできたようだけれど一番の兵士しか賞はもらえない。

 

今回も「兵士の価値基準」の暗唱があった。

 

我々はアメリカの兵士。

戦士でチームメンバー。

米国市民に仕え、陸軍の価値基準を生きる。

すなわち、

我々は常に使命を第一とし、

敗北を決して受け入れない。

決して諦めない。

怪我をした同士を置き去りになど決してしない。

 

我々は自制心に富み、肉体的にも精神的にも強固で、訓練されており、戦士としての任務と訓練に熟練している。

常に武器と装具を良好な状態に維持する。

我々はエクスパートでプロである。

いつでも戦地に出向き、任務に従事し、接戦で米国の敵を打ち負かす。

我々は自由と米国の生き方の支持保護者である。

 

・・・・これを毎日暗唱するなら、国と世界のために命を捨ててもいいと思うようになっていくのだろう。それが容易に伺える。

 

式が終わってから息子のところに走り寄った。

極度の寒さで体がガタガタと震えていた。

咳き込んでいた。

 

風邪をひいていたのだ。

 

でも彼だけではなかった。

卒業生の3分の2が風邪をひいていたのだ。

体温が下がれば免疫も下がる。

風邪をひいてもおかしくない。

 

せめてもっと暖かいユニフォームを着せてあげれないものか・・・。

ロシアの軍人は中にダウンの入っているような軍服を着ているようだけど、

なぜアメリカではやらないのか・・・。

病気になっても戦えということなのだろうか・・・・。

 

そりゃあ戦地での状態に比べれば風邪なんてただの引っ掻き傷。

でも風邪は万病の元ともいうじゃあないの。

 

食事もちゃんと食べていないらしく、毎日宇宙食みたいなもので、それ以外はとにかく一瞬でエネルギーに変えられる菓子のオンパレードだったらしい。要するに砂糖と保存料などの化学物質でいっぱいのものが主食。

感謝祭の時だけ立派な普通の食事だったようで、その様子がフェースブックに載っていた。

これはもしかして親を安心させるためか・・・。😰

 

何はともあれ、これで肉体の試練は終わり。

これさえ終わりにできればあとはあまり大変ではないらしい。

息子は、卒業式の翌朝2時に、専門分野の訓練を受けるために、

ジョージアに向かいバスに乗り込んだ。

愛国心に燃えている同士たちと一緒に・・・。

 

愛国心

私は特に愛国心でいっぱいの人間ではない。

米国籍を持っているけど、特にこの国をこよなく愛しているわけではない。

今でも母国は日本だと思っている。

だから、この国のために命を捧げたいと思ったことも全くないし子供にもそういうことを教えたことはない。

国の法律を守るようには教えたけど・・・。

 

職場の一部の同僚に息子がブートキャンプを卒業すると伝えると、

ほぼ、同じ答えが返ってきた。

素晴らしい!

さぞかし誇りに思っておられることでしょう、と。

 

そこで本音をいうことは厳禁。

いいえ、全く、

なんて言ったら嫌な顔をされるだろう。

彼らは私がよその国から来た人間であることを知っているはず。(一時は敵国!)

でも、彼らは私が彼らと同じ考え方をする人間であると信じて疑わない。

アメリカには狭い考え方でしか物事を見れない人が沢山いる。

だから仕方がない。

彼らに説明してもおそらく理解できないだろう。

 

本音はというと、

大変なことを成し遂げたということに対して誇りに思っているけど、

軍隊が素晴らしいとか戦争のために命を捨てることが美徳であるかとか、

そういうことは別件。

そういう意味で誇りに思わないといけないなら、多分自分はそうではないはずだ。

戦地に赴いたり、そういうことは、親としてやはり耐え難いことに決まっている。

でもそれは表向きには言ってはいけないこと。

 

私は、戦争に駆り出されて精神を侵されてしまったり、大きな怪我を負ったり、自殺に追い込まれた人を個人的に知っている。

彼らのいうことは皆同じ。

It's not worth it.

価値はない。

そう皆口を揃えて言っている。

 

軍人は家族も犠牲にするし、自分の人生をこれにかけて生きていくのだ。

軍隊が中心の人生。

それに振り回される人生。

確かに無事に帰還できればその職務に意味はあるといえる。

でもその反対になれば、そういうことは簡単には言えない。

 

だから手放しで喜ぶ人の気が知れない。

おめでとう、とは一体なんの意味なのだろうか?

 

考えを変える

当初、本人は職業軍人になりたかったようだが、この経験から考えを変えたらしい。

結局リザーブ軍人(つまり予備兵)に徹し、8年の期限が過ぎたら抜けることを希望しているらしい。

軍隊の現実については色々話には聞いていたけれど実体験に勝つものはない。

職業軍人はやりたくないとのことだった。

 

何が嫌かって、意味のないルールづくめ。

上官が怒鳴りまくる軍隊の文化。

大人なんだから怒鳴らなくともちゃんと説明すればわかるのに怒鳴る。

軍隊こそモラハラづくめ・・・とか。

でも人殺しを教える組織にモラルなんてそんなものを要求する方が

そもそもおかしいのではないだろうか。😰

 

憧れて入ったけれど、結局親の言った通りだったと気がついたらしい。

また家族の中に軍人が多い同期生が沢山いて、色々な内部事情を聞き、自分には向かないと思ったらしい。

体も他の兵士に比べると強くないことも’やっと’悟ったらしい。

(だから言ったじゃああああああ〜ん!😓)

 

経験しながら成長する

結局子供はこうやって自分の決めたことから色々学び

それから次の決断に結びつけていくのだろう。

親は色々警告をあげるけど、結局子供によっては、そんな警告は馬耳東風。

でもそれでいいのではないだろうか。

 

今後8年の軍隊人生。

すでに顔つきが荒い。

それを悲しむ母がここにいる。

でも仕方がない。

本人が選んだ人生なんだから。

 

自分の決めたことだからそれに責任を持てばいいのみ。

 

帰りの飛行機の中で涙が出てきた。

こうやって自分の人生を自分なりに切り開こうと頑張っている息子を誇らしいと思う。

 

でもそれと同時に・・・親が教えてきたことはほぼ役になっていないと感じてしまい、

親としての自分の人生に虚しさを覚える。

その虚しさから「もう、どうでもいい」という気になるのだ。

 

所詮、我が子の選ぶ人生の筋書きは親には変えられない。

だから受け入れるしかない。

そしてどうにかしようと足掻いていた自分の心に「さようなら」を告げるしかないのだ。

 

ドクダミママ至言

子供は親がなんと言おうと自分の人生を生きようとするもの。

どんなに危険だろうが・・・。

本人の意志を尊重することは親にとっては辛くともそれを回避することはほぼ不可能。

それを受け入れるしかないという結論に辿り着く日は誰にでも来るようだ。

そして子供は自分で答えを見つけていく。

その過程で結局親の警告が当たってしまうことも多い。😅

(そして親はいかに賢明であったかと気づくのだ!😅)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこに行こうともやっぱり母国が一番なのだ。

子供を育てる上で最も大切なことは何か

子供を育てる上で最も大切なことはなんだろうか。

それは・・・・

たとえ認識していなくても

多くの親はおそらくこれを考えているはずだ。

つまり・・・

我が子を・・・

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(出典:https://www.inc.com/nicolas-cole/10-lies-people-believe-about-success-that-simply-arent-true.html

勝ち組にすること😅

親は往々にして世俗的な成功に焦点を置き易い。

でもそこにだけに、またはそれに1番の焦点を置くことは危険かもしれない。

つまり、良い成績を取り良い学校に入り安定した仕事に就くことが全てのような姿勢だと子供がバランスの取れない人間になる可能性があるということ。(自分がそれ・・・・😅)

そのためならなんでもする、というような人間にもなりかねない。

友達や同僚は競争相手であり、その競争相手に勝つためにはどんな汚い手でも使う、

といった人間にもなりかねない。

それはどんなものだろうか。

 

親は我が子に立派な人になってもらいたいと思っているのが普通だ。

でも立派な人というのはどういう人を指すのだろうか。

認識しているいないにかかわらず普通は社会的に成功している人を指しているはずだ。

表向きには優しい人になって欲しいとか言っても

本音は競争に勝てる人。

要するに勝ち組。

 

だけど、勝てない子供だっている。

そういう子供はどうしたらいいのだろうか。

もし親の望むような勝ち組になれなかったら

子供は自尊心がズタズタに傷つき、

自分を責め、

フラストレーションから誤った行動に走るかもしれない。

 

確かに学校の勉強やこの世の成功も大切かもしれない。

でも基盤がちゃんとしていないところにそれを乗せていくことに問題があるように感じられる。

もっとも大切なことは

他にあるのではないだろうか。

 

世俗的なことを目標にすること

そもそも、どんなにこの世で成功を収めても、そんなものは永続するものではない。

みんな歳をとっていき

いずれは墓に横たえる日が来る。

それならなんのために成功しないといけないのか。

生きることとは一体なんなのか。

どうせいつかは死ぬ身ならなぜここまで頑張らないといけないのか。

この世を去った後に一体何が残るのだろうか。

この世で生き抜くことだけが唯一の生きる目的で目標なのだろうか。

と、特に親の期待に応えられない子供に限ってそういうことを考えるきらいがある。

 

たくさんのお金を稼ぎ、海外旅行に頻繁に出かけ、豪邸に住み、

みんなに羨ましがられるセレブ生活が目標?

それが可能ならそれをすることもいいだろう。

でもそれだけが人生の目的ならいずれは虚しさを感じる時がやってくるに違いない。

 

どんな人の人生にも終わりはやってくるのだ。

財産はあの世に持ってはいけない。

豪邸も然り。

持って行けるのはその人の人格とか学んだこととか

そういった内面的なもの。

実際、傑出した人物の共通点とはただ単に社会的成功を収めたということだけでなく

人格的なことも多く含まれている。

やっぱり心が一番大切。

 

有名にならなくとも、経済的に大成功を収められなくとも、

誰かたった一人の人を助けることができたなら

それは助けてもらった人の心に残る。

誰かの心に残ること、

それも立派な業績の一つと数えられるのではないだろうか。

 

とは言っても貧乏は苦しいし、辛いものだ。

我が子がホームレスになるとかやっぱりとんでもない。

それでも、我が子が自分でいいと思えるレベルで幸せならそれでいい気もする。

 

一番大切なこと

どんなに稼いでも悪いことをすれば結局それが発覚した時に全てを失うのだ。

だから道徳心が大切。

また、心が不安定だとどこでも機能できない。

だからやっぱり心が一番大切。

 

子育ては子供を育てること。

それは体だけでなく心も。

子供の心の衛生状態を健康に保つことは体の健康と同じくらい大切。

 

そしてそれが一番難しい。

実際、子育て中に親はたくさんの間違いを犯し、意図せずに子供をひどく傷つけることもある。

子供の心を守ってあげることが大切とわかっていても’うっかり’舌が滑るのだ。

そして手が出てしまう場合もある。

時には足も・・・・・。😰

 

それを避けることは人によってはとても難しい。

一番大切なことは一番難しいものなのだ。

親業は難しい。

そして親は後悔ばかりが頭をよぎる。

 

でも過去をずっと悔やむより、

今日から子供の心を汲んであげる姿勢を見せる努力をすればいい。

つまり我が子を違った眼差しで見てあげるのだ。

 

そのために、最初に認識することがある。

それはこれ。

 

子供の本当の存在は、その肉体ではなくその肉体の中にある魂であるということ。

子供は親と同じで心のある生き物であるということ。

それを親は常に自分自身に言い聞かせないといけないかもしれない。

(悪気はないけどそれをついつい忘れてしまうのも親・・・😅)

 

それができれば、我が子を今までとは違った目で見てあげれるようになろう。

 

それなりでいい

期待が大きいと、我が子の出来具合に対して親はガッカリすることが多い。

ただ我が家に関して言えば、本人たちはあまり気にしていないように見える。

気にしているのは’やっぱり’親。😅

それは親はエゴと見栄の塊だからかもしれない。

 

でも最近思う。

本人がそれでいいならいいんだよね、と。

 

とりあえず生活できていれば

たとえそれが理想からはかけ離れていても

そういう人生もありではないだろうか。

親は別のことを考えていたし期待していたけど、

本人以外が自分を変えることはできないのだから。

 

彼らが自分でどうにかしないといけないと感じた時に

初めてどうにかするだろう。

 

もしどうにもならなかったら?

それも本人の人生だから親には責任なし。

 

子供が50歳になってもどうにもなっていなかったら?

その時は親はこの世にいないかもしれないから

そんな先のことまで心配しても仕方がない、と開き直るしかない😅

 

多くの子供は親が喜んでくれるような人になりたいと心の中では思っているものだ。

でもそれがなかなかできない・・・。

できないとわかっているから苦しいのだ。

だからその気持ちだけでいいとしてあげよう。

結果が伴うことがなくても、その心だけは理解してあげよう。

そしてそれだけで十分と思えるようになった時が

親の悟りの時と言えるかもしれない。

 

勝ち組になんてなれなくともいい。

 

ドクダミママ至言

子供が’勝ち組’になるようにとそれだけに集中するきらいが親にはある。

しかし実は社会的に成功するように育てるより心を育む方がもっと大切。

子育てには子供の体のみでなく心を養うことが入っている。

それを忘れてしまうことが親にはとても多い。

子供の心の奥深くに入り込み、そこにあるものを感じてあげるなら、

親は子供を理解することができるようになる。

そうなれば、子供も自分を認め、自分でしっかりやって行けるだろう。

ただその’いつか’は子供が決めること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一旦親になるとずっと親って本当のこと

一旦親になるとずっと親だとよく耳にしないだろうか。

どんなに卒親すると言っていても関わり合いがゼロになることもほとんどの場合はない。

そしてたとえ顔を会わせなくとも、心から完全に離れることもない。

だから大変なのだ。😰

 

三男、兵士になる

陸軍に入隊した三男のブートキャンプ(基礎戦闘トレーニング)の最終課題Forge testが終了した。

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Forgeテスト中。忍耐を試される。(引用元:https://www.usar.army.mil/News/Article/658593/victory-forge-tests-soldiers-resiliency/

そして先週の木曜日に、達成完了を記念する式があった。

これで晴れて(かどうかはわからないけど😅)息子は兵士。

式の間は、精神を鼓舞するような音楽と共に

米国陸軍の偉大さを称えるかのごとくの

過去の業績を連ねたスピーチが延々と続いた。

そして米国憲法を尊び国家のため世界平和のため、犠牲を惜しむことなく雄々しく働くと宣誓させられていた。(要するに喜んで怪我をして死んでもいいと約束するということ)

 

う〜ん。

なんとなく軍隊や戦争を美化しているように見えないでもない。😰

まさか洗脳?

いやそうでないことを願う。

でもそんな思いを完全に脱ぐい切ることは難しい。

 

兵士たちは皆背筋がまっすぐで真剣な表情で誇らしいほど立派であった。

そしてそれはそれで美しい式だったので感動した。

でも同時に複雑な気持ちにもさせられた、

この何千人もの若い兵士のうちの何人が命を落としたり精神を犯してしまうのかと思うと

胸が苦しくなった。

実際、陸軍兵士の自殺率は去年46%も増加したらしい。

parstoday.com

そして彼らの背後にはいつも親がいて、

その親の気持ちを思うと、それだけで目頭が熱くなってきた。

特に現在、台湾戦争とウクライナ戦争が勃発寸前ということもあり、式の間に危機感を感じた。

 

当然、命をかけた任務なのだからヘラヘラ笑っている場合じゃない。

彼らはファッションとかグルメとかゲームなどの世俗的なことに最も興味のある同世代とは比べ物にならない。生死を掛けた生き方を選んだ若人の顔には、すでに同世代とは違うオーラが漂っていた。

(でもまだ現実はまだわかっていないはず)

 

陸軍は戦地で銃をかついで戦うのだ。

空中や海での戦いではなく、体で勝負の戦い。

1対1の壮絶な戦い。

だから犠牲者が出る確率は高い。

息子は大卒であるし特殊部隊なので、銃をかついで戦う可能性は低い、しかしそれでも戦地に赴く確率はある。息子は予備軍だけど予備軍だってお呼びはかかる。最低6年間は現役なんだから。

 

戦地は戦地。危険に満ちている。

戦友が目の前で殺されるのを目撃でもしたら、毎晩夢にうなされるのが現実・・・。

 

今後息子に何が起きても、親にはそれを止めることはできない。

ただ無事を祈ることしか残されてはいない。

もし無事でなかったら・・・そうしたら・・・

それも運命だと自分に言い聞かせるしかない。

 

孝行息子が親不孝者になってしまった

以前はゲイの長男とフラフラしている次男に頭を抱えていたけど

三男の陸軍入隊はそれよりも心配が大きい。

一番の親孝行息子が今は一番の親不孝者になってしまった。

軍隊の訓練は体だけでなくメンタルも強め自制心のある人間を作り上げるのが目的。

息子はすでに自制心はかなりある方だった。

だから別に軍隊は必要なかったのだ。

それなのに・・・入隊とは。😰

 

もし息子が命を落とすことがあったら国家は彼をヒーローと呼ぶ。

とはいっても所詮、彼はただの数の一つであっという間に忘れられる存在。

もし万が一命を落とすことになってヒーローの一人に数えられたとしても

親の悲しみは消えない。

 

親にとってはこの息子の代わりは他にいないのだから。

ヒーローなんてどうでもいい。

 

この後どうやって心の平穏を維持していくのか。

それが親の新しい大課題になってしまった。

親の力の及ばないどうにできない課題。

だから重い心を軽くすることが難しい。

(嫁は全然平気みたいですが・・・・😰)

 

できることは結局これ

ここにきて

親には子供の人生をどうにかできる能力も権利も

限りなくゼロ(それ以下のマイナスかも😅)

であると否応なしに理解させられた。

 

遠く離れた戦地に送られても親は何もできない。

そもそも何が起きているかもはっきりとはわからない。

 

こうなったら神様にお任せすることだけしか残っていない。

息子をお守りください、

そして何が起きても動じない強い人になれるように、と、

祈り信じるしか術はないのだ。

 

子供は何歳になっても我が子には変わりがない。

親の心は常に我が子にある。

国や文化や時代を超え、この思いは同じ。

でも子供はそんな親の思いを知らない。

 

親になるとは悲しいものだ。

悲しいけど、それが親の運命というものかもしれない。

 

子育てには喜びも多いけれど、それと同じくらい魂が粉々にされることも多い。

だから自分の魂を癒す方法を見つけることが必須になってくる。

 

それでもどんな方法をとっても心が安らかにならない時もある。

お手上げの時。

そんな時は最終的には神様にすがるしかない。

皆さんにはどんな方法があるだろうか。

 

息子は自分の選んだ人生に誇りを持って進んでいってくれるだろう。

たとえそれが母の心をズタズタにしたとしても、そんなことはどうでもいいのだ。

彼が幸せなら

それでいい。

全ては神の御手の中にあると思えば、全てを受け入れることができる・・・。

所詮、明日のことは誰にもわからない。

わからないことを心配しても仕方がない。

 

それでも親は我が子のことを考えてしまう。

結局親は死ぬまで親か・・・。

 

最近、精神的にかなり卒親できたと思っていたけど

これで少し後退してしまった。

またがんばらねばね〜。😅

 

ドクダミママ至言

我が子は何歳になっても我が子に変わりがない。

だから悩みや心配が尽きない。

そんな時でも笑顔を作り

全能の神様に全てをお任せして生きていく。

それが心の平安を維持すること。

 

 

 

 

 

 

理想の母親像なんて捨ててしまうべき

あなたにとって理想の母親像とはなんだろうか?

誰にでもあるはず。

 

理想の母親像って問題かも

でもこの理想の母親像はあなたを苦しめる要因ともなりうる。

だから

 

いっそのこと窓からぽいっと捨てた方がいい。

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(画像出展元:https://www.housebeautiful.com/lifestyle/a22997032/ex-box-breakup-clutter-service/)

そもそもこの母親像とは一体誰がなんの原則により決めたことなのか。

文化や環境や伝統が大きいのではないだろうか。

もしかして憲法にあるとか?

母親自身が勝手に夢に描いているものなのだろうか。

それともやっぱり天性のものなのだろうか。

 

でも・・・こうも思える。

100人の母親(父親)がいれば100通りの子育てがあっていいのでは、と。

それに理想を追い求めても、所詮たどり着くところは「理想には絶対に手が届かない」という現実に違いないのだから。

 

女性は子育てのことになると自分にとても厳しい。

そして高い理想に近づけないと自暴自棄になる人もいる。

それならそんな手の届きそうもない理想は害あって利なし。

だから理想の母親像は捨てた方がいい。


その代わりにできること

それよりも

あなたにとって理想からかけ離れている母親像は一体なんであるかを認識した方がいい。

例えば

毎日子供を殴る・・・とか。😅

 

じゃあ、そうしないようにすればいい。

これだけできたらあなたは理想の母。

それだけで理想の母。

 

どう?

これなら可能(か可能に近い)でしょ?

 

一番の理想の母とは

実は理想の母親像なんて概念よりもっと大切なことがある。

それは・・・

 

幸せな母になること。

笑顔の母になること。

それが子供にとって最もいい母なのだ。

 

家なんかピカピカでなくていい。

子供は何かで「一番」にならなくともいい。

完璧を目指さなくていい。

 

すべきことは

今日という日を’なるべく’平穏に

子供の前では’なるべく’笑顔で振る舞うこと。(ふりでもいい😅)

 

それだけできれば理想の母。(これだけでもなかなか大変!)

あなたは理想の母。

 

ドクダミママ至言

理想の母親像は母を苦しめる要因となる。

それは理想に全く手が届かずそのギャップにガッカリすることが多いから。

向上心の高い女性に限ってこうなる確率が上がる。

その代わりに自分にできそうな最低限の基準を設ける。

 

そして

幸せな母になること。

笑顔の母になること。

それが

理想の母。

 

 

 

 

 

親は開き直って子供の親友になるべき時もある(ゲイの息子から学ばせてもらったこと)

親は開き直らないといけない時がある。

世間に顔向けできない我が子の状態に対して開き直るのだ。

 

開き直る時は

親が子供の一番の理解者で

子供の一番の親友になってあげないといけないと痛感する時。

その時は必ずやってくる。

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うちの猫。人見知りが激しいけど、飼い主にとっては特別な存在。
孫扱いで親友扱い。誰がなんと言おうとも可愛い。愛に条件はなし。

ゲイだからなんだってゆうの?

ご存じのようにうちの息子の一人はゲイ。

最近はゲイなんて驚くことでもなくなってきた。

その辺でいくらでも見聞きする。

 

現に三男の同級生も昨年カミングアウトして、年末に結婚までしてしまった!

おまけにそのニュースを写真入りでフェースブックに載せていた。

あっぱれな勇気!

それで夫も自分も「いいね!」にそれぞれ一票入れてあげた。

彼の生き方を全面的にサポートするという意味ではなく

彼の幸せを心からサポートしているという意味で。

 

そもそも今の世の中はゲイやレズビアンだけじゃあない。

こんなに色々な性別がある。(実際はこれ以外にもあるらしいけど・・・😰)

 

lesbian:レズビアン

gay:ゲイ

bisexual:両性(男性でもあるし女性でもある)

transgender:トランスジェンダー(自分で認識している性ーつまり心と体の性が一致していない人)

queer/questioning (one's sexual or gender identity):クイア(奇人という意味)自分の性がなんであるか考え中の人。

intersex: 間性(男性、女性のどちらとしても認知できるし、あるいはいずれの性にも属さないと認知する)

asexual/aromantic/agender:無性(😓)

 

なんか・・・世もおしまいか・・・・。😰

 

だからゲイなんて軽い軽い。

 

こんな時代でも

新規なものを潔く取り込もうとする勢いのあるアメリカでも

息子がゲイだとこそこそと隠し事をするような態度の親が今でも結構いる。

でも夫とわたしは息子がゲイで恥ずかしいとはこれっぽっちも思っていない。

それどころか世間に堂々と言っている。

我が子はゲイです、と。

それもかなり立派なゲイです、と。

それを間違っているとか変であるとか

そんなことは

考えたくない。

そんなことはどうでもいい。

 

とは言っても

宗教的及び道徳的観点から見るならこれは問題視されることなのかもしれない。

でも自分は神ではない。

不完全な人間には彼を裁く権利はないのだ。

だから息子の個人的な人生の選択には介入しないことにしている。

 

そもそも彼がしっかり生きていってくれればそんなことは二次的なこと。

 

息子は・・・

優しくて、

思いやりがあって、

上品で、

楽器が弾けて、

歌がプロ並みに歌えて、

社交ダンスが得意で、

知性及び教養のレベルが高く、

バイリンガルで、

長身でハンサムで、

紳士の中の紳士。

(もったいない・・・・😅)

 

’ただ’ゲイなのだ。

だからそれがどうした!!!?

 

と、開き直ってます。😅

 

今は親ではなく彼の親友になってあげたいと願っている。

何を言っても許される親友に。

 

親友になる

結局親はいつかは「親」を卒業し、親友にならないといけないと感じている。

我が子が自分の人生を堂々と生きることができるように影で応援するのが親友の役目。

一番の理解者が親友。

そして親友は裁かない。

 

親は危なっかしい子供を見て口出し(ダメ出し)をしやすいけど・・・

それを止めないとといけない時は必ず来るものだ。

 

何も言わないでも子供はいつかどうにかなるもの。

ただ信じてあげる。

本人が自分の力で人生を切り開いていく力があることを。

それだけでいいのだと思う。(それが一番難しいのだけど・・・😰)

 

認めてあげる

子供に親が誇りに思えるような人物になって欲しいと

自慢の子供になって欲しいと

願い、夢を見るのは親の常。

 

でもそうならないケースの方が多い。

ならなければ親は落ち込む。

でも、おそらくそうなれない子供も親の期待に添えなくて辛いのだろう。

だから本人の生き方を認めてあげるしかないのだ。

犯罪を犯していない限りは認めてあげよう。

親の理想なんて捨ててしまおう。

世間の目も無視しよう。

そもそも

世間にどんな目で見られているかなんてどうでもいいことなのだ。

常識?

そんなもの・・・

そんなものは国や文化によっても異なるし時代によっても変わるもの。

永続するものではないのだ。

 

子供が心を割って自分の気持ちを伝えられるような親友になろう。

子供の十分でない部分が見えたら

開き直ろう。

 

ドクダミママ至言

親には開き直るべき時がある。

世間の目よりも常識よりも子供の心の方が大切。

わたしたちには

いずれ親という’上から目線’をやめて親友に変わらないといけない時が来る。

その時が来たら、腹をくくって潔くそれに臨むべき。

 

 

 

 

 

心から信じられないなら信じるふりでいい

去年末のクリスマスプレゼント。

 

長男に何が欲しいかと聞くと、

Flanklin Covey plannerと答えるではないか。

え?それバインダーと税込みで100ドル以上!

そ、それは・・・うちの予算を遥かに超えている・・・。😅

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本当に使うつもり?と聞くと

絶対に使うというではないか。

でも10年前にプランナーが欲しいと言われて、20ドルほどの商品を買ってあげたけど、

何も記入せずに結局翌年ゴミになった。

こういう記憶がまだ脳裏に焼き付いている親は一瞬顔が曇った。

なんと言ってもこういう前科があるからね〜〜〜。

この彼の言葉の信憑性を疑ってしまう・・・。😓

 

でも・・・せっかく成長しようと頑張っている息子を応援しないのもない。

だから買ってあげることにした。

50%引きのシーズン割引券を使って・・・。😅

 

ちょっと前まではプランナーなんて彼には無縁のものだった。

親がしつこく勧めても無視していた。

それが社会人になって自分でしっかり生きていくために必要と気がついたようだ。

 

親は何もしなくとも社会に育てられて成長したようだ。

不思議なことだ。

 

10年前は自分の弱点に対して無視が多かったけれど、

今はそれを素直に認め

転ばぬ先の杖が必要であることも認められるほど謙虚になってきた。

長い旅路であったけれども

このように少しずつ成長している姿を見て

喜びで満ち溢れるこの気持ちを抑えることは難しい。

 

我が子を信じるということはこういうことなのかもしれない。

今はこんな状態でも

いつかはどうにかなるということを信じてあげること。

たとえそれが絶対無理なら

信じるふりでもい

 

子供たちは

自分のやり方で

自分の速度で

自分の人生を切り開いていくもの。

 

ただそれを陰から見守ることは

親にとって結構な課題。

特に前科がある子供を信じることはかなり難しい。😅

 

それはわかるけど、

おそらく・・・

どんなに世間が我が子を無視しても

非難しても、

親だけは信じ続けないといけないのだろう。

たとえそれが無理でも、

親はできるものなら信じたいと心の底では思っているものではないだろうか。

 

信じ続けることには苦悩が伴う。

いつどうなるかわからないことを期待し続けることは苦悩だ。

おまけに親は手を貸せないときている。

だから自分より大きなものに今後を任せることが心の安定に欠かせないのだと思う。

 

子供の選んだ人生がうまくいくかどうかはわからない。

どうもうまくいかない可能性の方が高そうだ。

だったら他の方法を選んだ方がいい。

それを伝えるべきか伝えないべきか・・・。

こうやって親は常に悩む。

 

でもこれが大人になる過程なのだ。

つまり七転び八起き。

それが自分で人生を開拓する方法。

 

親はそれを止めてはいけないのだ。

どんなにそれが親の心を苦しめても・・・・・。😰

そしてできることは信じること。

それが絶対無理なら

信じるふり!

これしかない。

 

ドクダミママ至言

子供には七転び八起きをさせること。

その七転び八起きの先には何かいいことがあるのだと信じる。

その七転び八起きには意味があると信じる。

信じるのが絶対無理だというなら

信じるふりでいい。

それしかできない時もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒親活動で自分と向き合う

2021年も終わりましたね。

皆さんにとってはどんな年でしたか?

相変わらず怒涛の年?

 

コロナに振り回された年でしたね。

でも子育てに振り回されて一年が終わったと思われている方もいるかと思う。

私も一年の終わりには毎年そう思っていたりして・・・。😅

 

それから去年の新年の抱負は達成できましたか?

 

2021年の新年の抱負は達成!

自分はというと

新年の抱負はなんとなく達成できた気がする。

その一つは長年怠ってきた子供のアルバムを完成させること。

そしてそのためにとっておいた2004年から今までのプランナーとカレンダーを処分すること。

そこには子供が中心に回っていた自分の人生が刻まれている。

いつどこに連れていったとか、いつ写真を撮ったとか、そう言うことがぎっしり記録してあるのでずっと捨てられなかったのだ。

 

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左がカレンダーで右がプランナー(小学生の作文帳を活用していた)

クリスマスの日に子供の一人に「ほらママはこんなことをしていたんだよ」とプランナーとカレンダーを見せたけど、ちらっと一瞬横目で見ただけで、基本的に関心ゼロだった。

子供はなんとも思っていないようだった。😰

そんなものか・・・。😭

 

自分一人だけがこだわっていたようだ。

過去にしがみついていて・・・捨てられなかった。

30年という長い月日の思い出。

苦労の証。

それを処分した。

苦しくて泣きながら怒りながらまとめたアルバムはやっと終わったからだ。

 

全部暖炉に入れて燃やした。

一ページ一ページ破りながら燃やしていく時、確かに胸が痛かった。

溢れる涙を拭いながら跡形もない姿となっていく様子を眺めながら

間違っていた自分を慰めるしかなかった。

でもそれと同時に自分の中の何かが解けていくように感じた。

それは一体なんだったのだろうか。

しこりのような硬いものが溶けていったのだ。

しこりは執着でエゴで自分で勝手に描いていた子供にとっては迷惑極まりない理想。

これで全てを手放し過去に別れを告げることがかなりできたかもしれない。

 

それが2021年の卒親活動の実りだった気がする。

 

断捨離すると自分が何に固執しているかが見えてくるって本当だった。

自分は子供に固執していた。

彼らは自分の働きの業績だったのだ。

でもそのイマイチの業績に落ち込む日々。

今、過去のものと決着をつけること、つまり自分と向き合う機会に、目を背けることなく

1年かけて頑張った結果、重いものが本当に削ぎ落とされていくと感じている。

 

後悔していることは、卒親活動って子供がもっと小さい時から始めればよかったということだ。

子供から離れていく努力を少しずつすることはまとめて一気にやるより楽だ。

片付けも溜まっていくと大変になるのと似ている。

だから少しずつやるべきだったのだ。

 

母親になると気が狂う

このブログを読まれている方の中に男性の方が結構おられることが不思議なのだけれど、

時々、彼らから私の子供に対する思いは「尋常じゃあない」と言われることがある。

 

そう。母親になると半分発狂状態になるのだ。

尋常じゃあないと言われてそれは当たっていると思う。

母親になるとメンタルの強いまともな人間になどなれない。

強くあろうとしても粉々になってしまう日も必ずある。

それが母というものなのだ。

それが普通なのだ。

子供のことで悩み苦しみ、自ら命を絶つ女性もいる。

それもとてもわかる気がする。

わかっているから自分は

尋常じゃあないから、だから(なんなの)?

と開き直ってます。😅

 

それにそれはとてもキチガイじみていると言われるなら

その要因となっている当人が親を悲しませないように少しは努力をするっていうのもあってもいいかもしれない。

と親の立場にある自分はそう思うのだ。😅

 

2022年

2022年の新年の抱負は’捨てる’こと。

最後の執着の断捨離。

それには

1。物の断捨離

「スエーデン式死に向けた片付け」英語でSwedish Death Cleaning。つまり今後自分も使わないだろうし、子孫に回す予定のないものは全部処分するということ。

 

2。仕事の断捨離

今年は仕事を辞める計画でいる。

翻訳業務が90%なくなったので仕事量が大幅に減り、会社も私が辞めたくなるような方向に進めているように伺えられて仕方がない。

当然まだ定年には至っていない。

辞めたら家のローンの支払いにも影響がいく。

でもその解決策はもう見つけた。もうどうでもいい感じ。

 

3。人間関係の断捨離

必要のない関係は断ち捨て離れる。子供を含め他の人の人生に一斉口出しをしない。そのことにより精神的な自立を図る。他の人に振り回されないようにする。

 

この辺で私は自分の人生を生きたいと思う。

今まで心の中で燻っているた我が声を無視して、黙らせて生きてきた。

そんな自分が嫌になることもある。

それももうやめたい。

絶対にやめてやる〜〜〜〜〜〜!😅

 

いろんな母がいていい。母の悲しみは理解されない

ご存じのように最近日本で神田沙也加さんの死亡のニュースがあった。

彼女の不幸は母親である松田聖子さんのせいもあるようなことが言われているようだけど、そういうことを言う人の気が知れない。

私の目から見ると、彼女は自分に正直に生きてきた女性なんだと感じている。

それに・・・彼女は主婦は無理でしょうし、舞台で歌を歌うことが好きでたまらない女性なのだからそれを全うすることが相応しいのではないだろうか。

子供が一人っ子だったということで親の期待も高かったと思うし、それで本人の精神を冒した部分があるかもしれないけど、結局今更仕方がなかったのだ。

聖子さんを羨ましいと思っている人は多く、その理由で叩くのかもしれないとも感じている。

ただ・・メデイアが叩く・・・と言っても叩いている人って・・・男性が多い気がする。😅

 

彼らはおそらく女性の気持ちはわからないのだと確信している。

だから叩いている方に申し上げたい。

普通の女性は子供と家庭のために自分を殺し犠牲を払って生きていることを忘れないでいてほしい。

聖子さんは自分に正直に生きてきた女性。眩しい存在。それが半分家庭崩壊につながったとしても、とても彼女を叩く気にはならない。

あれが彼女のベストだったに違いない。世の中が言っているような理想的な母親にはなれなかったかもしれないけれど、娘を愛していなかったわけではないのだ。

 

人の愛し方はそれぞれ違う。

それでいい。

聖子さんの悲しみは深いことだろう。

親にしかわからない世界なのだ。

そして母親の気持ちも母親にしかわからない。

そんなものだ。

聖子さんの心が安らかになる日が1日も早く訪れますようにと祈るばかり。

 

ドクダミママ至言

子供の業績に固執しない

子供を通して自分の人生を生きない。

子供は子供

自分は自分

それを自己に言い聞かせて2022年を生きましょう。

 

 

 

 

なぜ親は子供を責めるのか

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ハリネズミ。こんなに可愛いのに怖がらせれば怖がらせるほど針が伸びていく。それに触ろうとすれば針に刺さって痛い思いをする。それが嫌なら怖がらせないこと。味方であることを示すこと。

前回の続きで、子供を責めることについて考えていきたい。

 

多くの場合は感情に任せて責めている。

ではなぜ親は子供を責めるのか。

 

それはおそらく・・・

こういうことではないだろうか。

 

自分の心の均衡性を保つため

子供のある行動や決断により親の感情が乱れ、

その乱れを整えるために

その要因となっている子供を責めるのだ。

 

おまえのおかげでパパもママも心が揺れている。

正気の沙汰ではない。

だから親の心を安定させるために

再度穏やかな状態に戻すために

どうにかしろ!

と叫んでいるのである。

 

つまりストレスの原因である子供に解決しろと訴えていることになる。

精神の均衡性を保てなくなった親はその原因を作った子供にどうにかしろと言っているのだ。

(まあそんなこと無理に決まっているのですが・・・

ついついそう叫びたくなるのです・・・はい。😅)

 

心が揺れて不安定になることは命に関わる

我が心が揺れて揺れてどうしようもなく

ストレス100%の状態は

生命の危険につながる。

人は自分の命が脅かされると必死になる。

この大切な命を守るためにはどんなことでもしようとする。

正気を失うのだ。

 

目の前にいる’敵’をやっつけなければ自分の命が危ないとしたら

人は相手を傷つけても、戦いを挑むようにできている。

この場合の敵とはいうまでもなく我が子。😅

 

これが自然の法則。

創世の始めからずっとこうだった。

生存に欠かせない特性。

つまり動物的本能なのだ。

 

自分が一番

全ては我が心のためである。

自分の幸福のためである。

子供のためではない。

所詮人間は自分が一番可愛いのだ。

子供を(他の人を)責めることがそれを証明している。

自己防衛が責める目的。

 

責めてもいい関係は築けない

責めるという行いは相手を敵視していることになる。

敵といい関係を築くなんてまずもって無理。

一方が勝てばもう一方は負ける運命。

ウィンウィンには絶対ならない。

でも両方とも頑固で両方とも負けるのが嫌なら

戦いはいつまで経っても終わらない。

 

ということは、どう考えても責める方法は心が離れていく一方だ。

だから’我が子可愛さに子供を責める’は

正当化できないことなのだ。

 

こういうことを理解していながら

自分も子供を責めたことはたくさんある。

その度に自己嫌悪に陥った。

 

でもこれを認識しているのとしていないのとでは大きな違いがあるように感じている。

認識していれば、少しずつでも改善の余地がある。

相手の心に寄り添うこともだんだん可能になってくる。(時間がかかってます。。。😓)

 

今日から責めない練習

この責めるという行いがいかに非効果的かは

子供だけでなく伴侶や職場でも一目瞭然である。

だからこの行いに意味はないのである。

止めるべきなのだ。

 

とは言っても、もしこれが習慣化しているなら

いきなり変えるのは結構難しい。

 

それでも

責めている自分は相手の立場に立っているのではなく

自己中であるということをしっかり認識するだけでも

もっと余裕を持って事態に対応することにおいて

役に立つように思える。

 

もしそれが理解できれば親は変わることができる

親が変われば家の中の空気も変わる。

そして子供の心が明るくなっていく。

その後に変化がやってくる・・・だろう。

 

だから、今日から子供を責めない練習をしてみよう。

まずは責めたくなったら、そこで一歩立ち止まって考える。

もしすでに責め始めていたらそこで止める。

次はもっと良くできるように自分に言い聞かせる。

などの戦略を構築すること。

 

ドクダミママ至言

子供を責めるのは実は親のため

親の心の安定が目的

自分の不安感をどうにかしてくれと子供に向かって要求していること。

本当は不安感100%の親が原因。

だから子供を責めるのではなく

親の自己改革が必要。

穏やかな人間に近づけるように訓練が必要。(なかなか難しいけどね・・😅)

 

 

 

 

 

子供側を責めることの代わりにできること

親はとかくこんなことを子供にしやすい。

つまり責めること。

 

「なぜこうなのか」

「どうしてやらないのか」

「一体いつになったらやめるのか」

「いい加減にしろ」

などなど、とにかく子供を責める。

 

責めれば親は子供の敵となる

しかし責められた子供側はいい気はしないに決まっている。

そして親から粉々に潰されそうになっている自尊心を守るために、防御姿勢に入る。

つまり

口答え。

反抗。

 

それをされた親は自分の親としての威厳とプライドを守るために、つまり自分の自尊心を傷つけてくる敵の攻めから自分を守るために

 

さらに子供を責める。

 

よって燃え始めていた炎はさらに大きくなり手がつけられなくなり

親子関係は手の施しようなないくらい悪化していく。

 

もしどちらも引かなければ

これがずっと繰り返されることになる。

 

実は自分にもこういう態度が結構あったし

我が子にも同じようなことが多くあった。

 

自分の経験から行っても

子供側を責めて、まずいいことはなさそうだ。

それよりももっといい手がある。

 

それに気づくことにかなり時間がかかってしまったけど。

これが答え。

 

親子関係が炎上しないために気をつけることは

子供を責めないこと。

その代わりに他にできることがある。

 

責める代わりにできること

それは何か。

それはいかにも相手が全部悪いかのように相手を責めるのではなく

自分の気持ちを素直に伝えること。(声を荒げずに・・・)

 

具体的には

日本語は主語を省くことが許される言語だけれど、

これに主語を常に入れるなら

"you"から "I"に変えることを言う。

 

より明確に説明するならこういうこと。

 

「あなた」は悪い

「あなた」は怠け者

「あなた」は親の言うことをきかない

「あなた」は反抗的。

をこちらに置き換える。

 

「私」はあなたのやっていることを見てとても悲しい。

「私」はそんな子供の姿を見てがっかりしている

「私」はこんな気持ちでいるのよ

「私」はあなたにこんなことを毎日言われて辛い

「私」はあなたの冷たい態度に傷ついている

 

など。

これだと、相手を直接的に非難したり責めていることにはならない。

主語が自分だから自分の気持ちをただ伝えているだけ。

子供の自尊心も傷つけていない・・・はず。😅

でも、それとなく子供のやっていることを遠回しに非難していることにはなる。😅

 

これはどうだろうか。

 

親の気持ちを伝えることは悪くない。

黙って耐えるばかりが解決策でもない。

いっそのこと伝えてみるのもいい。

でもそれは自分が主語であるべき。

 

自分がこのクリスマス休暇で元次男に伝えた言葉は

必ずしも「私」が主語であったと言うことでもない。

でも、それなりに自分の心中をなるべく穏やかな口調で伝えた。

どんなに親が彼に対してがっかりしていてどんなに悲しんでいるか伝えた。

以前は「どんなに怒っているか」だったけど・・・。😅

 

親を悲しませるのはどんな子供も嫌なはずだ。

そうしたら優しい態度に変わった。

 

そう、

だからこれから子供に言いたいことがあるときは"you"から "I"に変えるのがいい。

その結果子供にどんな変化が起きるか起きないか

それを楽しみにして暮らしていこう。

 

その結果どうなるも子供次第

しかし、たとえ子供が親の気持ちを理解したとしても

結局、自分の人生に結論を出すのは子供側。

親は自分の意見を伝えることはできても

子供の意志を曲げることまではできない。

子供の悪癖が一気に治る保証もない。

 

子供が何を決断しようともこの先は本人次第。

 

子供の選んだ道がたとえイバラの道であってもそれをただ見守るしか道は残されてはいない。

しかし、それが今までずっと子供を支えてきた親にとっては大きな悲しみとなる。

それでも・・・それが親の道であり受け入れるしかないのだ。

 

親の今後の課題は

子供の運は天に委ね、

計り知れないそのみ力を信じて、

親としての過失も反省し

人格向上に励むこと。

 

子供の課題も親と同じ。

人格向上が人生の目的。

 

このように、互いに同じ目的と目標に向かって歩んでいる同志だと思えば

避難の回数も減るはずだ。

忍耐も容易にできるようになるではないだろうか。

 

これからはなるべく子供を責めないで

ただ互いの生き方を尊重するのみ。

励まし合って生きていくだけ。

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暖炉の上にあるステンドグラスランプ。
互いに責めあうと家の中の光は全て消え、
どんよりと暗くなり、
住んでいる人の心も暗くなるだけ。
それは家庭崩壊につながる。

 

ドクダミママ至言

思い通りにならない我が子を責めても良い結果は出ない。

むしろ全てが悪化する確率の方が高い。

それよりも’自分’の気持ちを正直に伝えた方が効果的。

ただ、伝えても相手が心と生き方を一気に変えてくれることは期待しない方がいい。

子供は自分のペースで自分独自のやり方でしか進めないのだから。

所詮、子供の人生は子供のもの。

親は運を天に委ねるような気持ちで日々を過ごすことがベスト。