今週はサウスカロライナにある米国陸軍の基礎戦闘訓練、つまりブートキャンプの卒業式に出席した。
零下での卒業式
サウスカロライナは雪国のミシガンとは異なりすでに春の兆しが見えていた。
それでも朝の気温は零下近くでかなりの寒さだった。
長い列を恐れてゲストは朝の6:30から受付に集まっていた。
私たちも9時に始まる式に備えて7時前に到着した。
予想通りさっさと入場させてもらったのはいいが、
寒い屋外でただひたすら待つこと2時間。😓
その後やっと式が始まり、さらに寒い中1時間。
感無量で泣くと聞いていたけど、涙は出てこなかった。
寒い中、薄着で行進している800人近くの卒業生。
彼らは、下着も含めて3枚の化繊衣服を身につけ、手袋着用は禁止で、かろうじてベレー帽をかぶっているけどあまり暖かくない。
行進しているときはまだいいけど、ただ直立でロボットのようにしている時がいちばん辛そうだった。
前方に立っていた女性兵士がいきなり気を失って倒れるという事件もあった。
栄養不足と低体温症のためか。
卒業証書授与とかいうのもなかった。
ひどく簡単な式だった。
その中に優秀賞の授与があった。でも息子には該当しなかった。
そもそも背は高いけど、そこまでの立派な体格(筋肉隆々)ではないし、どの技術においても’一番’は無理だったのだ。射撃はかなりできたようだけれど一番の兵士しか賞はもらえない。
今回も「兵士の価値基準」の暗唱があった。
我々はアメリカの兵士。
戦士でチームメンバー。
米国市民に仕え、陸軍の価値基準を生きる。
すなわち、
我々は常に使命を第一とし、
敗北を決して受け入れない。
決して諦めない。
怪我をした同士を置き去りになど決してしない。
我々は自制心に富み、肉体的にも精神的にも強固で、訓練されており、戦士としての任務と訓練に熟練している。
常に武器と装具を良好な状態に維持する。
我々はエクスパートでプロである。
いつでも戦地に出向き、任務に従事し、接戦で米国の敵を打ち負かす。
我々は自由と米国の生き方の支持保護者である。
・・・・これを毎日暗唱するなら、国と世界のために命を捨ててもいいと思うようになっていくのだろう。それが容易に伺える。
式が終わってから息子のところに走り寄った。
極度の寒さで体がガタガタと震えていた。
咳き込んでいた。
風邪をひいていたのだ。
でも彼だけではなかった。
卒業生の3分の2が風邪をひいていたのだ。
体温が下がれば免疫も下がる。
風邪をひいてもおかしくない。
せめてもっと暖かいユニフォームを着せてあげれないものか・・・。
ロシアの軍人は中にダウンの入っているような軍服を着ているようだけど、
なぜアメリカではやらないのか・・・。
病気になっても戦えということなのだろうか・・・・。
そりゃあ戦地での状態に比べれば風邪なんてただの引っ掻き傷。
でも風邪は万病の元ともいうじゃあないの。
食事もちゃんと食べていないらしく、毎日宇宙食みたいなもので、それ以外はとにかく一瞬でエネルギーに変えられる菓子のオンパレードだったらしい。要するに砂糖と保存料などの化学物質でいっぱいのものが主食。
感謝祭の時だけ立派な普通の食事だったようで、その様子がフェースブックに載っていた。
これはもしかして親を安心させるためか・・・。😰
何はともあれ、これで肉体の試練は終わり。
これさえ終わりにできればあとはあまり大変ではないらしい。
息子は、卒業式の翌朝2時に、専門分野の訓練を受けるために、
ジョージアに向かいバスに乗り込んだ。
愛国心に燃えている同士たちと一緒に・・・。
愛国心
私は特に愛国心でいっぱいの人間ではない。
米国籍を持っているけど、特にこの国をこよなく愛しているわけではない。
今でも母国は日本だと思っている。
だから、この国のために命を捧げたいと思ったことも全くないし子供にもそういうことを教えたことはない。
国の法律を守るようには教えたけど・・・。
職場の一部の同僚に息子がブートキャンプを卒業すると伝えると、
ほぼ、同じ答えが返ってきた。
素晴らしい!
さぞかし誇りに思っておられることでしょう、と。
そこで本音をいうことは厳禁。
いいえ、全く、
なんて言ったら嫌な顔をされるだろう。
彼らは私がよその国から来た人間であることを知っているはず。(一時は敵国!)
でも、彼らは私が彼らと同じ考え方をする人間であると信じて疑わない。
アメリカには狭い考え方でしか物事を見れない人が沢山いる。
だから仕方がない。
彼らに説明してもおそらく理解できないだろう。
本音はというと、
大変なことを成し遂げたということに対して誇りに思っているけど、
軍隊が素晴らしいとか戦争のために命を捨てることが美徳であるかとか、
そういうことは別件。
そういう意味で誇りに思わないといけないなら、多分自分はそうではないはずだ。
戦地に赴いたり、そういうことは、親としてやはり耐え難いことに決まっている。
でもそれは表向きには言ってはいけないこと。
私は、戦争に駆り出されて精神を侵されてしまったり、大きな怪我を負ったり、自殺に追い込まれた人を個人的に知っている。
彼らのいうことは皆同じ。
It's not worth it.
価値はない。
そう皆口を揃えて言っている。
軍人は家族も犠牲にするし、自分の人生をこれにかけて生きていくのだ。
軍隊が中心の人生。
それに振り回される人生。
確かに無事に帰還できればその職務に意味はあるといえる。
でもその反対になれば、そういうことは簡単には言えない。
だから手放しで喜ぶ人の気が知れない。
おめでとう、とは一体なんの意味なのだろうか?
考えを変える
当初、本人は職業軍人になりたかったようだが、この経験から考えを変えたらしい。
結局リザーブ軍人(つまり予備兵)に徹し、8年の期限が過ぎたら抜けることを希望しているらしい。
軍隊の現実については色々話には聞いていたけれど実体験に勝つものはない。
職業軍人はやりたくないとのことだった。
何が嫌かって、意味のないルールづくめ。
上官が怒鳴りまくる軍隊の文化。
大人なんだから怒鳴らなくともちゃんと説明すればわかるのに怒鳴る。
軍隊こそモラハラづくめ・・・とか。
でも人殺しを教える組織にモラルなんてそんなものを要求する方が
そもそもおかしいのではないだろうか。😰
憧れて入ったけれど、結局親の言った通りだったと気がついたらしい。
また家族の中に軍人が多い同期生が沢山いて、色々な内部事情を聞き、自分には向かないと思ったらしい。
体も他の兵士に比べると強くないことも’やっと’悟ったらしい。
(だから言ったじゃああああああ〜ん!😓)
経験しながら成長する
結局子供はこうやって自分の決めたことから色々学び
それから次の決断に結びつけていくのだろう。
親は色々警告をあげるけど、結局子供によっては、そんな警告は馬耳東風。
でもそれでいいのではないだろうか。
今後8年の軍隊人生。
すでに顔つきが荒い。
それを悲しむ母がここにいる。
でも仕方がない。
本人が選んだ人生なんだから。
自分の決めたことだからそれに責任を持てばいいのみ。
帰りの飛行機の中で涙が出てきた。
こうやって自分の人生を自分なりに切り開こうと頑張っている息子を誇らしいと思う。
でもそれと同時に・・・親が教えてきたことはほぼ役になっていないと感じてしまい、
親としての自分の人生に虚しさを覚える。
その虚しさから「もう、どうでもいい」という気になるのだ。
所詮、我が子の選ぶ人生の筋書きは親には変えられない。
だから受け入れるしかない。
そしてどうにかしようと足掻いていた自分の心に「さようなら」を告げるしかないのだ。
ドクダミママ至言
子供は親がなんと言おうと自分の人生を生きようとするもの。
どんなに危険だろうが・・・。
本人の意志を尊重することは親にとっては辛くともそれを回避することはほぼ不可能。
それを受け入れるしかないという結論に辿り着く日は誰にでも来るようだ。
そして子供は自分で答えを見つけていく。
その過程で結局親の警告が当たってしまうことも多い。😅
(そして親はいかに賢明であったかと気づくのだ!😅)
どこに行こうともやっぱり母国が一番なのだ。