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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

母親特有複雑性PTSDかもね

今日はPTSDについて語ってみたい。

 

定義

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、症状の差こそあれ、危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり、悪夢に見たりすることが続いたり、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態のことを指す。

www.mhlw.go.jp

 

このPTSDの前にCが付くと、Complex -PTSDとなり、

C -PTSDとも呼ばれ、日本では複雑性PTSDと呼ばれる。

 

より掘り下げて説明するならこういうことになる。

PTSDだけなら、一時的なショックからのトラウマだけど、

複雑性となると、長期に及ぶストレスからくる心的障害を示している。

 

実は母親はこの障害に無縁ではない・・・と最近感じている。

母業の年月は長い。

20年とか30年とか・・・人によってはそれ以上・・・。😅

こんな長い間ずっとストレスを抱えていて、

子供が成人してもストレスは止まなかったりも多い。

 

だから「母親特有複雑性PTSD」になる。

英語だと、Motherhood Complex Post Traumatice Stress Disorder!

(舌がまわらないほど長い!)

 

だから短縮するなら、

MC-PTSD(母親特有複雑性PTSD)

もしくは

PC-PTSD! (親特有複雑性PTSD)

 

もちろんこんな単語は存在していない。

とりあえず’まだ’・・・。😅

 

私が発明した造語だ。(またしても!)😅

 

自分もこれだ!

最近、自分が多分それかもと気づくことが結構ある。

それは階下に住んでいるよそ様の子供たちをみて・・・湧き上がってくるものがあるからだ。

 

その湧き上がってくる気持ちとはこんな感じ。

 

今はまだいい。

そのうちどんどん反抗していくのだ。(すでに始まっているけど・・・😅)

親の言うことなんて全部無視。

だから必死になって子育てをする方が馬鹿らしい・・・

と瞬時にそんな思いが頭をよぎる。

 

そしてこの子供たちに優しい言葉をかけてあげてはいるけど・・・

心の中ではそこまで優しくはなれていない自分にも気づいている。

心の中は冷めている。

笑顔はただの演技。

そしてこれ以上干渉もしたくないし、これ以上の笑顔もあげたくない、とも感じている。

 

それは彼らが自分の子育て時代を思い起こされるからだ。

トラウマというのは身体に染み付いているストレスなのだ。

だからおそらく彼らを見るたびに筋肉が収縮するのだろう。

緊張から。😓

 

そして特に小学生の男子、T君は多分それに気づいているのだ。

彼は私の前では笑顔が出ない。

かなり緊張している。

 

そう、私は男子の母で

この「息子という肩書きの宇宙人」にかなり悩まされたからだ。

それもあり同じような宇宙人に遭遇すると

自然とマイナスオーラが満ち満ちてしまうのだろう。

T君に会うと体が硬直するのだと思う。

 

息子たちと同じ種族。

同じホルモン。

 

自分とは異なる種族。

異なるホルモン。

自分にはないY染色体を有する種。

 

何も言わなくとも相互にビンビンに感じているのだと思う。

T君は私に嫌われていると思っているのだろうか?

いや、嫌ってはいない。

全く。

 

でもやっぱり心の底では

どうでもいいと思っている。

 

どうせその遺伝子にすでにインプットされた通りにしかならないのだから。

他の人が何をしようとも変貌とかあり得ない。

 

だから我が時間の無駄にならないように、関わり合いを持たないようにしているのだ。

 

私は冷たいのかも・・・。😓

 

でも自分の子供たちが成長期にあったときは、子供という種族に割と優しくできたし、

学校で教えたりもしたこともある。

年少の子供たちは目の中に入れても痛くないほど可愛いと思ったものだ。

 

だって・・・あの時は希望があったから・・・。😅

 

親として自分のやっていることには大きな意味があり、

よそ様の子供を助けてあげることにも意味があると錯覚していた。

 

でもあるとき・・・目が覚めた。

 

結局遺伝子なのだ・・・と。

遺伝子に勝てない・・・と。

 

土台がないところに乗せれるものは少ない。

そして必死になることがどんなに無駄なことであるかあとでわかった。

そして必死になることがどんなにストレスで実を結ばないものかもわかった。

 

それは親子両者のストレスにつながる。

 

子供は自分の遺伝子に刻み込まれた通りの人生を生きる。

確かに環境も大きいのは認める。

でも・・・やっぱり遺伝子以上の成果を望むことは親のエゴの表れなのだ。

自分は昨日3月31日に会社(研究所)を退社した。
とっても勉強になったしやりがいもまあまあだったし、
お給料も結構良かったのに辞めた。
そして9年間分の自分のしてきた翻訳文書を処分した。
でもこの箱の中身は自分のしてきた仕事の半分くらい。

シュレッダービンに入れるとなんとも虚しい気持ちにさせられた。
一生懸命やったのに結局ゴミになるなんて。

子育ては結果が良ければゴミにはならないけど、結果がおもわしくなければ、
やっぱりこれと同じでゴミ・・・かな・・・。
もしかして・・この書類と同じ?
そういう場合はいっそのことこの書類のように
思い出をシュレッダーにかけて証拠を消滅させてしまいたい、と思う母もいるだろう。

人生は虚しさや悲しみや葛藤に満ちている。その目的はなんなのか・・と考えざるを得ない。

 

ドクダミママ至言

ありのままの我が子を受け入れてあげよう。

それは子供にとっても親にとっても精神上もっとも良いことなのだ。

もし奇跡が起きたら喜んであげて

奇跡が起きなくてもそれで満足するという心構えは幸福な人生に不可欠。