親は子供を通して夢を見やすい。
というかほとんどの親が子供に過大な期待という夢を抱いている。
自分もある意味でそうだった。😅
だって・・・
こんなに犠牲を払っているんだからそれに見合う報酬がないなんて割に合わないでしょ?
でも・・・現実はこういうふうに行かないことの方が多い。
例えば子供にバイオリンを習わせるとする。
親は意識していなくとも、その眼の裏では我が子がカーネギーホールで演奏している姿を妄想してたりする。
これがバレエならボリショイバレエ団。
スポーツならオリンピックなど・・・。(まあ、これはすごいマックスの期待ですが・・😅)
それは良い言い方で言うと「ビジョン」。
確かにビジョンは素晴らしい。
高いビジョンがあるなら努力もできるし、最高記録も残せる。
でもそのビジョンは
本人が描くものであって親ではないのだ。
子供と親は一心同体ではなく別々の体と別々の魂を持った別固体なのだ。
それを親はついつい忘れてしまい、勝手な夢を見る。
その夢を見ることは
実に楽しい。
その夢があるからこそ大変な子育てにも耐えられるというものだ。
でも子供の立場になったら、多分迷惑でしかないのだろう。😅
それでも・・そういう親の期待に応えられる子供も世の中にはいる。
例えばゴルフのタイガー・ウッズとか・・・スケートの羽生結弦君とか・・・。😅
彼らの親は我が子の才能を伸ばしチャンスを掴ませるために多くの犠牲を払ったけど、
そこには生まれつきの才能や本人の根性もさながら、親の期待や勧めに応えてもいいと思う従順な性格もあったのだ。
じゃあ、わたしたちの子供たちはどうだろうか?
我が家の子供たちにそういう従順さはない。
そういう従順という遺伝子は夫の父方の親類にはあまり(というかほとんど)見受けられない。
我が子たちは、地理的にかけ離れた場所に住んでいるため、親類にほとんど会ったこともない。それでも性格だけでなく表情までそっくりで遺伝子の威力とその怖さに頭が下がる思いだ。
夫の家族はここまで反抗するか〜〜〜?と思わされるほど、その反抗に何の意味がなくとも反抗する。
要するに「頑固」なのだ。
どの角度から見ても確実に間違っていても懸命になって「固執」する。
例えば夫の姉は父親を怒らせるために、反抗するために、わざと大して愛してもいない男性と19歳の時に結婚した。
大学1年が終わった夏に家に帰省していた時に知り合ったのだ。
お相手は学歴なし、教養なし、専門技術なしで安定した仕事もない。
かと言ってそこから這い上がるために何か計画とかあるわけでもない。
大志も夢もない。
ただ遊びボケているタイプ。😅
かろうじて揃っていたのは外見だけ。
親は当然猛反対。
でも娘が引かないので、仕方なく娘の自由意思を尊重することにして結婚させてあげた。
でもやっぱり周りの予測通り21歳で離婚。
それだけでなく持病が悪化してその若さで亡くなった。
全て親の勧めに耳を傾けなかった結果による。
実際、彼女はこんな言葉を最期に残した。
「やっぱり親が正しかった」と。
従順かどうかとか
親孝行とか親に感謝とか
親の応援を感謝しその心を汲むとか
そういうのは謙虚じゃあないと無理なのだ。
そして謙虚さっていうのは長く生きていって身についていくものなのだ。
だから若い人にそれを望むのも無理があるかもしれない。
それでも若くてもそういう傾向のある人はいる。
それはある種の経験と先天的な性格がものをいう。
その経験とは親がお膳立てして経験ではなくて
自分で選んで経験したことであり
(親の勧めはあっても自分の本心から決めて行ったことも含む)、
結局親がうるさく言っても効き目はないのだ。
親は我が子が人生で失敗する姿に耐えられない。
だから手を差し伸べようとする。
でもある年齢に達すると子供はその差し伸べられた手を「おせっかい」としか取れない。
だから我が子が七転び八起きを繰り返している中、親は影に潜んでいるしかできないのだ。
それが親にとってはかなりきつい。
それでも結局、彼らは彼の人生を歩むことが運命で、
親は親の人生を生きることが運命なのだから仕方がない。
なぜなら・・・
子供の夢は子供のもので、親の夢は親のものだから。
ドクダミママ至言
子供の夢は子供のもの。
親の夢は親のもの。
子供の人生は子供が決める。
親の人生も自分が決める。
各々が自分の人生に責任がある。
だから・・・
互いに過剰な期待をかけないこと。
結局頑固は治らない。