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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

人が変わるきっかけは常にこれ

自宅の東がわのガーデン。春に綺麗にしたはずなのにそんな事は嘘のように雑草で乗っ取られた。ここまでくると雑草を抜く気にもならない。面倒なのでこのままでももういいや!と見て見ないふりをして逃げることにした。😅これと同じように、ここまで見事に’繁殖した’自分の欠点もなかなか改善する気にならないのが人間の常。いっそのこと焼きはらってしまえばいいかな。

昔から言われていることがある。

人は簡単には変わらないし変われない、と言うこと。

 

つまり・・・

親もそう簡単には変わらないし変われない。

子供も同じ。

 

でも全く変われないかと言うとそれは違う。

人は変わろうと思えば変われるのだ。

人によっては「この日を境に!」と一気に変身もある。

(ダイエットの神様が降りる!とか・・・😅)

でもほとんどの人は時間をかけて変わっていく。

(肥満対策は時間がかかりますね😅)

 

変わっていくには強い決心が必須だ。

なぜなら強くなければまた元の鞘に収まってしまうからだ。

習慣は強く根付いており、この習慣を変えるにはちょっとやそっとの努力では無理がある。

つまり「心」の問題なのだ。

 

以前にも触れたように

その強固な決断には、起こらないといけない前提条件が二つある。

 

それは

Desperation か

Inspiration。

 

前者は「絶望」の意味。

後者は「ひらめき」の意味。

 

絶望

絶望は人が変わるためのきっかけになる。

絶望まで辿り着けば、そこから逃げるか這い上がるかのどちらかしかない。

穴の一番下のDownまで行ってしまったのだから、これ以上、下には行けない。

だからUpしか残っていないのだ。

ということで、自分の今までの素行を振り返り、それが現在に結果として現れていると認める人はそれを直そうと思うのだ。

 

思わない人、つまり自分は全く間違っていないと頑固に主張する人や

思いたくない人や、 

他の人や社会に責任転嫁する人や   

自分を変えるには遅いと思っている人は、

以前と同じように生きるだけでなく、飲酒や麻薬やゲームや爆食いやネットサーフィン(😅)や買い物などに逃げる。(結局、変わらない言い訳をしているだけで、内心は自分のせいであるとわかっているからその自分の声を封じ込めるためにこれらのことをして逃げる)

そして絶望のどん底まで行き着いた人は自殺まで考える。

 

私の元次男の嫁はアルコール依存症だった。

それが彼はとても嫌だったけど、やめる約束で結婚した。そのために自分の人生を犠牲にするつもりでさえいた。(それが親としてはちょっとね・・・・😅)

でも、人はそこまでいくとなかなか治せない。(ウオッカとかテキーラをかをぐいぐい飲む酒豪タイプ・・・汗)

それどころか改善もほぼ見られなかった。

隠れて毎日昼間から飲んでいることが発覚した時に、夫(元息子)から三行半を叩きつけれられた。でもアパートを解約できないので、家庭内別居を8ヶ月くらい続けていた。

嫁は毎日泣き、真っ青になって自分を本当に変えようとした。

そして今は依存症はとりあえず克服したように見える。

この場合も「絶望」によって変わったいい例であると思う。

 

ひらめき

ひらめきは、ふと頭に浮かぶということ。でもそれだけでなく、ある記事を読んだり人からいい話を聞いたりして、心が強く動かされ、それが変わるモチベーションになることも含む。

つまり、感動により変わることを言う。

 

「素晴らしい!そうだ。そうするべきなのだ。今までの習慣はやめよう!こんなことを続けていてはいけない!」と思うのだ。

罪悪感に襲われ変わることもこれに入る。

尊敬できる人に巡り合い、その人のようになりたい!と思うことも入る。

でもこの段階に至るにはやっぱり謙虚にならないといけない。

だから・・・もし頑固な子供なら何が起きても変わることは少ない。

 

理想的にはこの後者のやり方、つまり「ひらめき」で変わるのがいい。

でもほとんどの場合は、悲しいかな、前者のやり方(絶望)で変わろうとする人が大多数を占める。でも絶望から立ち直るって・・・かなり大変なことだと思う。

だって・・・マイナスからいきなりプラスにはいけない・・・。

最初にマイナスからゼロに到達が必要。

つまりめちゃくちゃな状態をとりあえず「普通」の状態に戻さないといけない。

形として改善が見られるようになるのはその後の話。

 

親がごちゃごちゃいっても変われない

では、あなたのお子さんはどちらのタイプだろうか?

前者なら親ができることは少ない。ただ結果で我が子が苦しみ目が覚め、そこから起き上がれるようにと影から見守ることくらいだ。

後者なら、きっと良い本を読んだり尊敬できるような人に巡り合い、自分から変わろうとするかもしれない。

 

所詮、親の力で子供を(伴侶も😅)変えることはかなり難しい。

親が色々言って、一見子供は親に従っているように見えても心は従っているわけではないのだ。親が怖いから従っているだけ。

子供の時はそれでもいい。でも大きくなればそれは全く効き目がない。

(特に男子は成長すれば母親なんて怖くもなんともないのだから😅)

 

結局誰のためでもなく自分のために大きく変わりたいという決心がつかないとダメなのだ。

究極的な変化は心の中での変化が最初で、それには本人が目覚めないといけないのだ。

 

新約聖書に「人が変わるのは神の力による」と言う聖句がある。

この意味は、まさに後者の「ひらめき」により変わることを意味している。

つまり、心に「ある建設的な思い」が浮かぶということ。

その良い思いは神からきているということを指す。

 

いつか変われるように期待し、待ち望む

親は子供がひらめきとなる書籍や人や体験などに巡り合えるように期待するしかない。

自分から変わりたいと思うきっかけとなる「何か」に巡り合える日が彼らに訪れる日を待ち望もう。

そうなることを期待しよう。

(そういう機会や場面を親が作ってあげることもいい。でも親がガミガミいうのは状況が悪化するだけ・・・)

それと同時に親も自分が変われるように努力しよう。

 

人は変われる。

でもどくらいの決心によるかにかかっている。

そしてどんな動機づけによるかも大切だ。

 

ドクダミママ至言

人は変われる。

でもまず自分が間違っていたと心から思わないとだめ。

そして心の底から変わりたいという決心がないとだめ。

身についた習慣を粉々に壊すのはちょっとやそっとの努力では難しいからだ。

我が子がいつか目覚めるように、気づくように影から見守っていこう。

「ひらめき」に謙虚に従える人間に親も子供もなれるように

ありの歩みでもいいから希望を持って生きていこう!