娘がアリゾナに引っ越ししてからかれこれ6ヶ月半が過ぎようとしている。早いものだ。
一人で悪戦苦闘しているらしい。よって例の遅い反抗期はほぼ完全に終了した。
やった〜〜〜〜〜〜!
この悪戦苦闘で一番成長したと思われる事件は交通事故とその後の始末だった。
娘の交通事故
娘が10月に交通事故に遭い
(https://hahagyo-rakudai.hatenablog.com/entry/2020/10/18/020614)
怪我はなかったものの車体が凹み傷だらけになってしまった。
とりあえず運転には差し支えがないので忙しさにかまけて修理に出していなかった。
その後、親にうるさく言われてやっと修理店に持っていった。
当初の見積もりは$3000。
でもその後なんと!
上乗せされて$6000にいきなり変更!💢
なんで二倍なの???
嘘でしょう????
こういうことはアメリカではよくあることだ。女性、特に若い女性が修理に出すと上乗せされる。「どうせ女は車のことなんかさっぱりわからない馬鹿。だからサバよんで騙しとってやる」的な詐欺行為が多いのだ。
こういうこともあるからあらかじめ誰でもいいから男性を連れて行きなさい、と言ってあったのに、
なんと親の勧めを無視して一人で行った!
よってこの結果。😰
保険会社からは、そんな高い修理費なら修理代は払わないと言われた。
ということでその車はお払い箱にして中古車を買うことにした。
その後、あるデイーラーシップの広告で$4000ドルのトヨタプリアスが売りに出ていたので、早速見に行ったらしい。またしてもたった一人で。
ところが娘が登場するなり、
いきなり金額を$9000に吊り上げた。
まただよ。😰
娘は一瞬たじろいたが、こう答えた。
「広告に$4000と出しておいて、いきなり金額を変えるなんて!詐欺行為って気がついてないわけ?そんなことしてよくビジネス続けていられるわね!!!!!ふざけんな!」
慌てたセールスマンは
「まあまあそう怒らないで。じゃあちょっと交渉にのってあげるから。そこに座ってね。(ウィンク、ウィンク)」
・・・なにこれ?半分子供扱い?それとも誘惑して売りつけるつもり?
優しくすればどうにかなると思っているというところが気に食わない!
あきれた娘は
「結構です。二度と来ないわこんな店。
女だと思って馬鹿にして!ふん!」
と捨て台詞を吐き店を出た。
これがアメリカの常。
だから次からは男性を連れて行くと心に堅く誓ったそうだ。
その男性だけど、車のことがさっぱり分からなくてもいいのだ。
迫力ゼロでもいい。
見かけが男性だったらなんでもいい。😅
隣に立っていてくれるだけでこんなことは起こらない。
結局、アメリカだって男性社会。
女性はか弱いと思われているし(メカに弱いと)馬鹿にしている男性も結構いる。
こんなのに負けてはいられない、とは思ってもこれが社会で普通に通っているのだから
上手に世渡りをしないといけない。
こんな経験を積み、娘はかなり強くなり、自信がつき、大人になっていった。
そのせいか、クリスマス休暇に戻った時も反抗的な態度は全く見られなかった。
苦労して初めて親のありがたみがわかり謙虚になるというのは本当の話。
今後もいろいろ起こると予想しているけれど、何せ遠くにいるので助けられない。
できることはアドバイスだけ。
だから遠くにいるくらいでちょうどいいのだ。
でも・・・
どんどん自立していって誇らしいけど、
なんとなくこれじゃあ、結婚とかずっと縁がない感じがする。
コロナも収束がつかないから顔を合わせるのは会社の同僚だけ。
でも彼らとは付き合ってはいけないという社内規則もあるし・・・。
まず強すぎて男性がそばに近寄らなくなるような予感がしてならない。
でもそれも本人の人生。
親が口出しすることでもない。
黙って見守るしかないのだ。
一人が寂しくなれば結婚も考えるかもしれない。
(今のところそれは地平線に全く見えないけれど・・・😅)
娘は親のことなど頭にもよぎらないようで人生を謳歌している。
そんな娘が眩しい。
(母親の誕生日にも連絡がなかったところを見ると完全に忘れられているよう😅)
でも親はやっぱり娘に会えなくて寂しいと感じている。(かなり慣れてきたけど・・)
特に今アルバムの整理をしていて天使のように清らかな娘の写真を見ては胸が締め付けれられる思いがする。
親とはみんなこんなものだなあ〜〜。
うちの愛娘、6歳半。親が溺愛していた時代(変貌のずうっとずうっと前の話😅)。
ファッションに興味なし。人形で遊だこともない。好きなものは自然と動物。素直で良い子の模範。(今は別人のよう・・😰)
ドクダミ至言
我が子が本当にかわいければ
立派になって欲しければ
巣から出し
自分で経験をさせることも大切。
そもそも手元に置いておきたいのは親の方の利己的な望みでしかない。
自分の人生を生きることを許してあげることが子供を愛すると言うこと。
なぜなら愛とは犠牲と苦しみが伴うからだ。