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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

一番の親孝行とは何か

 

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庭の水仙。春の訪れを知らせる花。水仙の花言葉は希望。そのためか、この花を見つけるたびに気分が高揚する。自分がこの世からいなくなってもこの水仙の球根は生き続けるだろう。

それはとても素敵なこと。


親孝行として年老いた親を海外旅行に招くことをよく聞くけれど、

本当の親孝行は他のところにあるように気がする。

夫とわたしは、孫が一人くらいいてもおかしくない年代に入ってきた。

そして、親に対する一番の孝行がなんであるかしみじみと理解できるようになってきた。

 

別に海外旅行に招待してくれなくともいい。

ただ親が子供に望むことは

安定してほしいこと。

でも究極の親孝行とは、

結婚して孫の顔を見せて欲しいということだ。

 

若い時によくそういうことを聞いたものだ。

その時になぜそうなのかはわからなかった。

でも、今その気持ちがとてもわかる。

 

親はどんどん歳を老いていき、子供は親に向かって「長生きしてね」と言うけれども、

親は何の希望も喜びもなければ長生きなどする理由はないのだ。

自分は滅びていくとしても、新しい命が生まれればそれは自分の命の続きであり、自分は終わりということではない。そして自分の一部が今後も続いていくことが感覚的にわかる。

それは希望を意味するのだ。孫はどんどん成長し、それを見守るのが祖父母の喜びなのだ。

だから長生きしたいと思えるのだ。

 

やっぱり

一番の親孝行は孫なのだ。

孫の顔を見るまでは本当の意味で安心はないのかも。

もっとも子供が経済的に安定しなければ孫どころではないのはわかる。

 

それでもそれは真実なのだと感じている。

 

我が家の子供たち

わたしたちには4人の子供がいる。

4人の子供を育てることは言葉にできないほど大変だった。

息子が3人いたので、夫は自分の個人的な夢を捨てて息子たちと時間を過ごすことにした。

わたしも、手のかかる息子たちをサポートするために自分の人生を捨てた。

 

そして今、

夫とわたしは、これから何を希望に生きていったらいいのかあまりよくわからない。

 

長男はゲイ。

台湾出身の婚約者と一緒に住んでいる。でもお相手のご両親にゲイであることをまだ伝えていないし、一人息子であるしご両親が嘆き悲しむのは目に見えている。だから多分結婚はしないような気がする。

もし結婚したら養子を迎えたいようなことを言っていたけれど、ゲイのカップルが養子にできる子供にいろいろ条件を出すことはできない。ウェイテイングリストに名前を入れても、他の人が彼らを飛び越して彼らは常にリストの一番下に留まったままで順番はなかなか上に上がっていかないのが普通だ。もっとも誰も欲しくないような子供なら養子にできる。さらに養子縁組には年齢制限がある。息子の年齢は問題がないけど相手が問題。

だからこの息子からは孫は望めない。

 

次男は結婚している。離婚騒動はちょっと落ち着いたようだ。ということは孫を期待できるかもしれない。

でも妻は婦人系の病気持ちで妊娠は命取りになる恐れがあるので産まない方がいいと医師から言われている。

かといって養子縁組は条件が厳しい。収入や持ち家があるかどうかも検討される。夫の収入が高く妻が主婦の家庭が最優先。嫁は仕事を続ける予定で、息子は仕事が安定しない。こういう家庭は養子縁組は難航する。

だから、ここからも孫は望めない。

 

三男。

結婚しているので子供をもうけると約束をしているが、現在、経済が低迷しているので仕事がなかなか見つからない。仕事が安定しなければ子供どころではない。最近、嫁に息子の健康問題について初めて伝えショックだったようだ。だから結婚がずっと続く保証もない。

孫を期待していたけれど、どうなるかはわからない。

 

長女。

子育ての大変さを目の当たりにし、さらに母親の涙を見すぎた娘は子供など欲しくない。結婚もしそうもない。それは娘は全米の州立大学でトップの大学を卒業しているからだ。美人だけれど、出身大学がわかると男性のほとんどはさっさと逃げる。

トロトロやっていると見つからないよ。と言ってあるけど、今はニーズを感じていないし男性に興味がないしどうでもいいと思っているらしい。あのね〜、ニーズが出てきた時では遅いのよ!と言ってあるけど聞く耳持たず。これ以上言うと娘を怒らせるし、究極的には本人の人生なのでこれ以上は何も言えない。

よって娘からもどうも孫は期待できない。

 

それで思った。

こんなに子供を産んで育てて、見返りはゼロ?と。

夫はこんなことまで最近言っている。

「僕は、君と一緒に同時に死にたい」と。

(まだまだそんな年ではないのですが・・・それにまだ死にたくない・・・😅)

 

孫がいないなんて。

こんなことになるなんて。

誰も親のことを顧みない自己中で頑固者の集まりだからしょうがないのか。

 

いずれにせよ、我が家の子供たちは親孝行などという言葉さえ知らない。もっともそんな言葉が英語にあるとも思えないけれど・・・。😅

親孝行してくれると思っていたからわざわざ教えたりなんてしなかった。

それに親のために犠牲を払ってくれなんておこがましくて言えないでしょ?

 

そうそう。

自分の人生だからどう生きようと勝手。

と言いたいのはわかる。

確かにそれは正しい。

 

でもこんなに苦労して育てたわたしたちはどうなるのか?

そんな気持ちを拭い去ることは難しい。

 

友人の話

知り合いで45歳くらいの女性がいる。

綺麗な方だ。

でも結婚はしていない。

それもそのはず彼女の理想は考えられないほど高い。

自分はいつまでも綺麗でその辺の男性と落ち着くなんてまっぴらごめんと思っている。

確かにその年にしては綺麗。でも男性は寄り付かない。

 

彼女には妹がいて40代の始めで結婚した。

でも年齢的なことから子供は産まないことにしたらしい。

 

この家には娘が二人しかない。

一人は一生独身。

もう一人は産まない。

だからこの家はこれでおしまい。

 

友人が言うには、

祖父母も親もこう言っているらしい。

「へんなの捕まえてきたりして苦労するだけだから、

それだったら焦って結婚などしなくていいよね。」

 

いや〜

でもこれは嘘。絶対嘘!

失礼になるから本音を言わないだけ。

言ってもどうなるわけでもないとわかっているから言わないだけ。

その言葉は自分への慰めなのだ。

本当は絶対に寂しいはずだ。

 

子育てのご褒美

子育ては大変なのだ。

だからご褒美がなければ頑張れない。

じゃあ、この大変な子育てのご褒美とは何なのか。

それは孫の顔を見れることに他ならない。

孫の顔を見て初めて、親というものは、

「大変だったけど、価値があることだった」と言えるのだ。

孫がいなければ、redemptionがない。つまり償いがない。

ご褒美がないのだ。

 

今それがひしひしとわかる。

海外旅行など、孫の顔を見ることに比べたらたわいのない一時的な気休めでしかない。

どんな御殿に住んでいても、どんなに財産があっても、それは孫に比べたら小さな価値でしかない。その理由は、子孫は永久性があるけれど、この世の物にはないからだ。

 

本当の喜びとは、なんてことのない日常の中にあるのだ。その中で一番の喜びは家族かもしれない。だからアメリカの大家族は幸せそうだ。

孫を持って初めて親は子育ての喜びと価値を感じるのだ。

だから孫は歳を取った親にとっての表彰状なのだ。

でも孫の顔を見るまではこの表彰状はもらえない。

 

ということは

もしあたながに子供がいるなら、それはあなたが一番いい孝行を親にしてあげたことになる。

そして親になることによって初めて自分の親に感謝ができるようになる。

さらに親の不完全さを赦すことができるようになるのだ。

親になることによって自分以外の人を優先することを学ぶ。

自分を捨てることを学ぶ。

それは何よりも大きな愛なのだ。

その愛する能力を身につけるために親になる。

 

だから自己中心的で、わがままな子供を持った親は悲しむことになる。
それは他ならぬ、わたしたち。

でもそういう子供に育ててしまったのもわたしたちなので今更何も言えない。😢

 

言い訳

ただ、

西洋という個人社会では個人主義の人間が出来やすく、日本人の温かい心を持った子供を育てることが難しいと感じている。

育った家よりも、育ててくれた親よりも、社会の影響力の方が圧倒的に強く、親はなす術がない。

だから自分たちのせいばかりでないとも感じている。

 

それでもこの個人社会でも親の悩みと苦しみは皆同じ。

自由に決めさせてあげても、親はやっぱり辛いのだ。

そうやってみんな周りの親は言っている。

自由というものも親の目から見ると問題があるかもしれない。

 

ドクダミママ至言 

一番の親孝行は孫の顔。

年老いて一番の楽しみは孫。

これはどこの国でもどの時代でも普遍の概念。