人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

親が毒親なら子供はどうなのよ〜?

うちの郵便受けにからまっているPoison Ivy (ツタウルシ)。
警告:ウルシは毒。ウルシ負けすると怖い事になる!

毒という漢字の成り立ちは面白い。

この漢字は上部と下部で成り立っている。

上部は草が芽を出した様子。

下部は、子を産むという意味。

 

子供を産むときに飲む薬草は飲みすぎると毒になることから、

体によくない毒のことを指す。

 

そう・・・

生き物に良くないものは毒。

それなら・・・

子供に良くないものは毒親。😓

 

毒親は新しい言葉

わたしが若い時「毒親」なんていう言葉は存在していなかった。

親が完全でないなんてどこでも同じでそれを期待している子供も見当たらなかった。

実際、それが普通だと思っていた。

そもそも自分だって完全になんてなれないんだから

そういうことを誰かに期待するってことが頭にも浮かばなかった。

親とは未熟な部分を備えた大人で失敗もするということを誰にも言われずとも認識していた。

周りを見渡す限りはみんなそういうふうに見えた。

それに人類の歴史を振り返ってそういう完全に近い親っていたんでしょうか????

 

江戸時代など、親が我が子に切腹を命じることが許されていた。

結婚の自由なんかもなかった。

親には絶対服従しないといけない時代。

子供を売る人もいたし・・・捨てる人もいた。(現代でもいる・・・😓)

どこもここも毒親の鏡で溢れていた。

これに比べれば、今の親なんか’ほとんどは’全然大したことない。

 

それが今の世代の子供は

ネット環境のせいか

親をけなす情報に通じており

わたしたちを毒親呼ばわりすることが多い。

 

それで、そういうことを言っている人のほとんどは不幸な人で、人生がうまくいっていない人が多い。そしてそれを全て親のせいと決めつけている人も目立つ。(全員ではない)

自分のメンタルが弱いのは100%親のせいとも思っているみたいだ。

 

多くの心理カウンセラーも

全人類の問題の根本的要因は育った家庭とその過程にあると言っている。

つまり親のせいであると謳っている人がほとんどだ。

 

確かに親に非がないとは言わない。

親はたくさんの間違いを犯す。

それは真実だ。

 

それでも言いたい。

 

それやっても解決にならない・・・💧

 

それは子供には都合のいい原理なのだ。

自分で責任を取らなくていいから。

かっこうの逃げ道になる。

人のせいにしている分には人が変わればいいだけで自分は変わらなくていいと思っている。

自分には全く非がないと思わせる原動力となるのだ。

 

大人になって何かが嫌なら

変えるように努力をする道もある。

実際そうやっている人はかっこいい。

子供の時はできなくても大人になれば自分の人生を自分で選べる。

でも何年も何年も親のせいにしている人は、みっともない。

かっこよくない。

そして、そういう人はどうもいつも過去のしがらみに縛られて、

自分で自分を苦しめているように見受けられる。

彼らは未来を見ているのではなく過去を見つめているのだ。

だから前進できない。

それは時間の無駄かもしれない。

 

そもそも・・・毒親なんて・・・多くの親は多かれ少なかれ毒親の部分がある。

完璧な親なんて存在しないのだ。

それを期待する方が間違っている。

 

それでも世間が毒親を正当化するなら

私は新しい言葉を誕生させよう。

名付けて・・・

 

毒子

英語では既にこういう言葉が誕生している。

Toxic Adult Children

つまり、成人毒子😅

 

毒親の定義が子供の毒になる親ということなら

毒子は、親にとって毒になると言うことだ。

 

全ての子供が素直で育てやすいというわけじゃあない。

確実に育てにくい子供もいる。

でもそれって仕方がないのだ。

だから親は仕方がないと思って我慢して子育てをやっている部分も大きい。

育てにくいけど、力不足だとわかっているけど、試行錯誤しながら頑張ってやっているのだ。

我が子をしかってもそれは子供を愛していないということではない。

でも相性が合わないというのはある。

それでも!逃げずに続ける親がほとんどではないだろうか。

 

もし完璧を求められるなら、とっくの昔にサジを投げていたことだろう。

多分養子縁組に子供を差し出していただろう。

完璧なんて無理。

 

うちの子供たちが私のことを毒親と呼んでいるのは聞いたことはない。

でも多分・・・・心のどこかで密かに「毒親」呼ばわりしている気がしないでもない。

それならわたしも’密かに’我が子を「毒子」呼ばわりさせていただきたい。😅

 

でももし我が子に面と向かって毒親呼ばわりされたら・・・

 

その時はこう言うつもりだ。

「はい、そうです。まさしくわたしは毒親です。

親になってはいけない人なのです。」

開き直る。😅

 

子供は親に変わって欲しいから言っているのだろうか?

(努力してます・・・😅)

 

それなら、親もこう言うことができる。

子供も変わってください、と。😅

 

実際、子供たちに散々文句を言われて、

その度に誤った。

そしていつも親が全部悪いわけではないけれど、「親にふさわしくないのに親になった」と彼らが聞いて嬉しくなるようなことを口走ってあげていた。

でもそれをしたせいか、彼らの一部はいまだに全てを親のせいにしている。

 

間違った。😓

 

さらに、誤って許してもらえてそれで終わりならいいけど、実際はそうじゃあない。

特に元次男はことあるごとに、

赤ん坊の時からの恨みつらみを言ってくる。

今でも・・・。

つい最近も・・・😰

(あんたは赤ん坊の時のことなんか覚えてないだろうが!!!!💢)

 

親だからなんでも言っていいってそんなこと許されるわけない!

人類の歴史を振りかえってみて、こんなに親に対する態度のでかい時代はない!

どんなに親が未熟で問題ありでも、言ってはいけないことがあるのではないだろうか?

(言ってもいい場合もあるけど言い方にも問題がある・・・)

大人になったからって、同等の態度ってそれはないと思う。

そもそも誰のおかげで大きくなったわけ?(ってみんな思ってるでしょ???)

 

まず親を罵倒する。

日本人は常識が好きな国民性だと理解していた。

それならこれは常識に反することではないだろうか。

昔は親のことは「父上、母上」呼び。

現代は、「クソジジ」「クソババ」呼ばわり。😰

こんなふうに扱われて、平気な顔をしていられる親がいるのだろうか。

子供を持ったことを悔いる親は後を絶たないに決まっている。

 

欧米の真似はやめた方がいい。

欧米は割と子供を同等に扱う風習がある。大人になるとこれがますます顕著になってくる。

そもそも日本語のように目上がどうとかそういった言語形態が根本的に異なるから

同等の口の利き方になりそれが同等の態度として現れる。

それがとてもいいようなことを言う若人もいるけど・・・・

親はやっぱり我慢を強いられている。

よって親子の関係がいいかと聞かれると、実はそうでもない。

親子断絶は西洋に結構多い。

自分の周りにもたくさんいる。

(英国では20%の親子が断絶状態にある。)

みんな至極まともな親なんだけど。

 

こういうふうになるのは、子供時代の面影のかけらも残っていないほど変貌し、

全てのことに親とは全く違う見解を持った子供と関係を続けることが難しいからだ。

親子間に共通のものには果たして何が残っているのだろうか。

 

友達になれる人は共通点が多い人

ちなみにあなたの友人とはどういう人だろうか。

人は通常、自分と似たような意見を持った人と友人関係を築く。

もし全く異なる意見を持っていたら友人関係を築きたいと思うだろうか?

もう答えはお分かりかと思う。

 

つまり、成人した子供と血の繋がり以外は何も共通点がないなら、この関係を築くことは難しいのだ。

おまけに家族ならなんでも言っていいと思っているのか、親の考えを古臭いと言い、馬鹿にし、自分の意見で丸め込もうとする。もし親が子供の意見に納得しないなら口喧嘩に発展する。

人によっては今までの恨み辛みの仕返しと称し(元次男がこれ😓)、このことによって親をわざと苦しめようとする。(ザマアミロ!とかネット上でも言ってますね・・・😰)

これで親子関係がうまくいかないと言って、それを親だけのせいにするなんて言語道断。

それで親と縁を切ってそれで幸せならいいけど、実際は違うらしい。

心理カウンセラーは縁切りを薦めるかもしれない。

しかし何をしても、心の中の曇り空を消すことができないのが親子というもの。

 

親を毒親と呼ぶなら、子供は毒子。

つまり、みんな大して変わりはないということだ。

だから互いにあまり期待しないこと。

そして本音を控えること。

これしかない。

 

ドクダミママ至言

毒親があるなら毒子も存在する。

人類が始まってからいつもそうだった。

完全な人はただ一人として存在したことなはい。

そして毒親と毒子では互いに仲良くなんて無理。

なんとなく上手くやっていくためには

本音は言わないでおこう。

互いに期待しないでおこう。

時にはそうすることでしか親子関係を続けていくことができないのだから。