フリーレンジ子育て。
これは新しい子育て用語。
意味は発達の年齢に応じて、現実的な個人的リスクを合理的に受け入れて、独立して、限られた親の監督の下で機能することを奨励する精神で子供を育てるという概念。ヘリコプター子育ての反対として見られている(Wikipedia)
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英語の意味は
Free:自由
Range:距離的範囲
だから隔離しない養育法を指す。
このフリーレンジの語源は
ずばり、動物の飼育法からきている。
ということで、フリーレンジとは、放し飼いを意味し、主にニワトリの放し飼いに使われている。
また、米国で売られている卵はフリーレンジのニワトリの卵なら入れ物にそう記載されていることが多い。
(裏庭のフリーレンジのニワトリたち。自由で幸せそう!)
必然的に登場
これが子育ての一方法として新しく登場してきた。
正確には、2008年に、ニューヨークのコラムニストであるレノア・スクナージ女史が”なぜ私は9歳の我が子をたった一人で地下鉄に乗せるか”という題で記事を書いたことから、一躍有名になり、この名称がメデイアによって広められ世間の論争の的となった。
でも・・・ひょっとしてこれって昔はみなこれでしょ?
それに日本で小学生の子供が地下鉄に一人で乗るなんて大したことではない。でも過保護のアメリカでは珍しいことなのだ。
だから大騒ぎだった。
そう。つまり、従来当たり前だったことが、現代になっておしゃれな名称で再度出現することになっただけのこと、そして世間から(あたかも新しい試みのような錯覚とともに)フラッシュライトを浴びることになった。
その一つの理由は
ナチュラルライフ流行が関わっていて、子育てにもその方法が見直されてきたというわけだ。
つまり子育てもナチュラルに、ということ。
この背景には、
必死になってやる「子育て」に疲れ果てた親がいる。
その親とは、
子供を危険にさらさないように目を光らせ、将来の子供の出来栄えは親の責任であるかのようにプレシャーをかけられ、プロという人の意見に振り回されてたくさんの情報の中で溺れかかりながら、必死になって親業をやってきた我々のこと。
でも、そうやって必死になって子育てに励むのは親にとってかなりのストレスなのだ。
それで結果が良ければそんな苦労も報われるものだけれど、結果が伴うとは限らない。
親の心配も倍増する。心配の多い親は子供を虐待しやすい。
子供もいつまで経っても親に依存し責任感が養われない。
それでフリーレンジ子育てが出てきた。
つまり、放し飼い子育て!😁
自分も子育てを30年もやってきて
「これにすればよかった!」としか思えない。これが認められていればこんなに苦労をしなくてもよかったのだ。
自分の時代は、「しっかり見張っとけ子育て」で「子は親の鏡」で「子供がおかしいのは親のせい」という風潮だった。
しかし長く親という責任を遂行してきて思ったことがある。
子供の出来栄えは親の手の届かないところにあることが多い、ということだ。
そもそも、親がどんなに必死になっても、事故もあるし、病気にもかかるし、反抗もあるし、コントロールすることなんて、はなはだ無理😰!(特に我が家に関しては!)
合法化
アメリカは子供を守るための法律が厳しく、近所の人から警察に通報があったりとそんな事件が結構後を絶たない。児童保護グループが目を光らせているのだ。
フリーレンジなんて本格的にやったら、大変なことなのだ。日本のように「幼児のお使い」なんてやったら親は刑務所行きが見えている。小学生でも一人で買い物に行ったりしたら、レジの人が警察に通告することもある。うちの子供達にもさせたけど、やっぱり「親はどこにいるのか?」とけげんな顔で聞かれたそうだ。だから地下鉄なんてもってのほか。
またアメリカでは6歳から10歳の子供を一人で学校や公園に歩いて行かせるだけで通報されることがある。(日本が羨ましい・・・・・)
だから疑われないように、親を守るために合法化することが大切になってくる。
つまり、「我が家はフリーレンジ子育て」と言えば、親の立場が保護されることになる。
現在、フリーレンジ子育て合法化の動向が各州であり、
2018年にユタ州が全米初の認可州となった(ユタ州は宗教的な理由から子沢山が一般的で、十分に見張るのは無理だから)。他州では悪戦苦闘でなかなか合法化に漕ぎ着けられないでいる。
この法律、名付けて、”フリーレンジペアレンテイング法”。
わたしの子育て真っ最中の時代に、これを実践していた人もいる。
当然社会も学校もうるさく、親は監獄行きというのも頻繁にあった。
そのため、これ専門の弁護士が出てきたり、へんぴな田舎に引っ越しを余儀なくしたりたもあった。
またフリーレンジの家庭の子供達がほぼ全員ハーバードに入学したりと、そんなすごいニュースもあり、世間を騒がせていた。
お薦め
中流家庭は一般的にきれいな住宅地に住み、アカデミックな成功に重きを置き、習い事で子供を多忙にさせ、自由な時間は(あればの場合)ゲーム。これが典型的な子育て。とにかく大人の監視下で隔離するイメージが高い。当然、勝手にあっちこっちに行かせない。
でもこれは天才を育てる環境ではなく、幸せな子供時代にも結びつかない。
そもそも、隔離され自由のないニワトリのことを考えていただきたい。
フラストレーションの塊で、ストレスレベルは高く、耐えられないので、隣のニワトリをつついて殺したりも結構ある。つまり、ニワトリ社会のいじめ。
つまり親の監視が多い家庭の子供は精神が歪む恐れがあるということ。
さらに親が子供をいじめること(虐待)も出てくる。
でも反対にフリーレンジ子育てをすれば、こんないい恩恵がある。
子供の創造性が発達する
自分で問題解決する力が伸びる
親はストレスが減る
ゆったり育てられた子供の方が自尊心が高い
他の人と自分を比べたりしない
屈折した競争心とかはない
社会性が発達する
穏やかな子供になりやすい
子供は反抗期が軽いか皆無(反抗する理由がないので)
フリーレンジの方が子供がはるかに幸せ。
親も幸せ。
世間に合わせて子育てをすると子供に歪みが出る
別に勝手に色々なところに行かせることだけがフリーレンジ子育てではない。
子供に目を光らせて子育てをすることがフリーレンジからかけ離れているのだ。
親子双方の精神状態にもよろしくない。
私はそれを前々からなんとなく理解していた。
でも周りからのプレッシャーは無視できない。それにこのアメリカという国。
夫は伝統や凝り固まった考え方で育てられた人。
相談すると、そういうアドバイスしかもらえなかった。
だから自分の心の声に聞き従わずに、夫と周りの人の意見に従った。結果的に中途半端な子育てになっていた。
その結果はというと、
目も当てられません!!!😭😭😭
理想的には、
母というものは、家族・親戚・学校・社会を無視できるほどの強さがないといけない。
自分はそういう強さと勇気に欠けていたのだと思う。
結果的に、周りの意見に惑わされたから我が子が犠牲になった。
一般社会に見事にフィットする子供と幸せな子供のどちらに価値を置いているのだろうか?
我が子が一番大切なら、他は無視するしかない。
私は毎日、そうできなかったことで罪悪感から逃れることができないでいる。
我が子の問題は彼らの問題なのだけれど、自分もそれに関与していることはわかっている。
もっとおおらかで自由な子供時代をおくらせればよかった。
(結構自由にさせたつもり。でも同時に息子たちに精神的プレッシャーをかなりかけたし、当然フリーレンジではなかった。)
子育てで最も大切なことは、
子供を成功させることではなく
子供の精神安定を促すことで、
親子間の関係であるように思う。
日本人の親は子供を成功させるよう必死になりやすい。
アメリカのアジア系の親の子育ても皆似通っている。
成功が全て!のような感じだ。そのため、監視が鋭い。
そのしごきについていける子供もいる。
でもついていけない子供もいる。
そういう子供はついていけないだけでなく、精神的に不安定になったりもよくある。
精神が歪むと、人生全般に悪影響が及ぼされる。
だから成功に焦点を当てることよりも、子供の心に焦点を当てることの方が大切になってくる。
一番にならなくともいいし、大成なんてしないくてもいい。
そのままで受け入れてあげれて
失敗してもガミガミ言わない親になれれば
それだけで親としてはかなり立派だと思う。
受け入れてあげることがすなわち愛するということではないだろうか。
結局、人は失敗から学ぶしかなく、でも親は我が子の失敗は耐えられないのだ。
だから失敗する前に先回りして失敗が起こらないようにしようとする。
でも失敗からしか学べないこともあることは確かだ。
フリーレンジ子育てはリスクを回避させない子育て。
失敗を許可すれば、学びと成長につながっていく。そして失敗を恐れない勇気ある人になっていく。「いくらでも失敗していい」そう笑って言えるような懐の大きさが子供の精神状態に大きく響くように感じている。
日本のフリーレンジ子育てへの概念
日本はアメリカと比べて遥かに安全なので子供達が独立して自由にあちこちに行ける環境が整っている。だから日本での実践は異なるように思える。
ちょっと調査してみたけれど、日本ではこのように捉えられているようだ。
フリーレンジな育児とは、子どもたちが自然とダイレクトに触れ合い、大人の介入はほとんどなしに、自然の中で自由に自分たちだけで遊ぶ、そんな環境で子どもを育てる育児方法。・・・丘を登り、森の中を歩き、木に登り、野原を駆け回る。夏には海で泳ぐこともある。その自由な空間の中で、自然とのつながりを深める。(https://note.com/life_for_future/n/nc4a366e9d587)
つまり、親の監視抜きで、自然の中で自由に遊ぶ、こと。なるほど。
他に翻訳本も出ているようだ。
書籍名:『フリーレンジ・キッズ 自由に羽ばたける子どもを育てよう ~のびのび育児のすすめ~』著:レノア・スクナージ
出版: バベルプレス
- 上記の本の著者は、例の我が子を一人で地下鉄に乗せたコラムニスト。だからフリーレンジをもっと広範囲でカバーしている。つまり、この子育て方法には自然の中で自由に遊ぶ以上の事柄が含まれている。
子育てはフリーレンジの方が絶対的にいい
大賛成!!!
かといって完全な放し飼いということではなく、
つまりそれは
子供の発達段階に合った自由で、
現実的な個人的リスクを合理的に受け入れ、
親からは独立して行動し(年齢相応)、
親の限られた監督下で機能すること。
ということは、
子供に食べたいものをなんでも時間構わず食べさせたり、
全て子供の好き勝手という自由ではない。
健康や安全の原則を無視していいわけがない。
つまり、基本は重視して残りはなるべく自由、といった感じ。
自分もこの方法で子育てをすればよかった・・・・
今も後悔の念で歳悩まされるばかりの日々。😭
でも
いまさら後悔しても、子育ては既に終わってしまったので、
せめて自分たちの孫が自由に生きてくれるように心から願っている。😢
ドクダミママ至言
子育ては必死にならない方がいい結果が出やすい。
フリーレンジ子育ては親も子供を精神的な解放をもたらす。
親の介入の多い従来の子育ては両者にとってストレスのもと。
一般社会に見事にフィットする子供と幸せな子供のどちらに価値を置いているのだろうか?
我が子が一番大切なら、他は無視するしかない。