チャイルドアビュース、つまり児童虐待という言葉が一般的になってからまもなく、ネグレクトという言葉も社会に登場するようになった。
ネグレクトとは、つまり「放棄」ということ。この場合は育児放棄。
他の訳なら「無視」または「監督不行届」。
ではどんなものかというと、
子供を捨てる。
食事をあげない
家に入れない。
危険から守らない。
体格や気温に合った服を着せていない。
教育を受けさせない。
これが基本的なタグイ。
でもいくらでも増やすことも可能。
例えば、
子供が遊んで欲しいのに遊んであげない。(遊ぶ時間なんてない・・とか親が病気とか・・)
栄養価の高い食事を与えない。(インスタントラーメンばかりとか・・)
子供の勉強をみてあげない。(時間がないとか・・)
ネットやゲーム中毒を放っておく。
(一番の子守だけど、やめろと言ってもいうことを聞かないとか・・)
などなど。
アメリカでは子供が13歳くらいにならないと家に子供だけを置いておくこともできない。
だから子供が何人もいる家は大変。
一人の子供を医者に連れて行くために残りの子供も全員連れて行かないといけない。
なんとなく連れて行く方が虐待っぽい感じがするけど、家に置いていけばここではネグレクト。
で、ちゃんとやらないと児童保護サービスなる団体がやってきて子供を取り上げる。そのため親は真っ青になって子育てをする。
確かに、こういう団体や法律は子供を守るために制定されたことはわかる。
しかし、アメリカの場合はやりすぎの場合も多い。
そういえばアメリカのあるおじいちゃんがクルーズ船で孫をうっかり窓から海に落としてしまってそのおじいちゃんは犯罪者呼ばわりさせていた事件があった。でもこれはわざとやっった事ではない事故。でも子供を守ろうとする社会から見るとネグレクト。確かにその窓の外に孫を出したからこれはリスクの高い行動だった。でもお年寄りだし、頭が働いていなかったのかもとも思う。そんな事件が起きてもその子供の親は祖父への起訴取り消しを嘆願していた。戦っていたのは児童保護サービス。
どうでもいいけど、子供を一部始終ずっと監視しているって無理。うっかり事故もありえる。
我が家は4人なので一部始終監視は無理。それより多い家族はもっと無理。
ずっと見張っていろというなら国で無料の託児所を設置して欲しいものだ。
わたしは子育て真っ最中の時代は具合が悪い時が多く、ほぼ毎日寝込んでいた。
親も親戚も周りにおらず、託児所に払うお金もなく、かといって国の助けを借りられるほど貧乏でもなく、結果的にネグレクトの時も多かった。それでも面倒は見ないといけないので、無理やり起きて来て子供たちの面倒をみていた。かなりしんどかった。そういうわけで、テレビに子守をしてもらうことも多くあった。
理想は理想。
でも現実は異なる。
サポート体制が整っていないと子育ては大変なのだ。
だから祖父母とか親戚が近くにいないと大変
そもそも、このネグレクトって言うけれど、
人類の歴史を振りかえってみて
子育てはどこもかしこもず〜とネグレクトだよ。👊
20世期後半くらいで、そういう言葉をよく聞くようになっただけ。
その前は子育てはほぼネグレクト。
マジョリテイの家庭はどの時代も食べていくだけで必死だったのだ。親だけでなく子供だってひもじい思いをしている家庭などいくらでもあった。
便利な電化製品もないし、家事だけでも相当な労働だった。
子供を四六時中みはっていることはほとほと無理。
考えてもいただきたい。
世界の人口のほとんどが農業に従事しており、背中におぶれないような体重になった子供は田んぼ周りのあぜ道に寝かせておいた。母親だって農作業に参加しないといけない時代(今だってそうでしょ?)だったのだ。これプラス家事だってある。
それじゃあアッパークラスはどうかというと、母親は自分の子供の面倒など見なかった。乳母がいるし、養育係がいた。親は面倒を見ない。面倒を見ている乳母や養育係がいても結局親ではないし、常に愛情をかけていたかどうかは謎である。子供は大人の前では余計なおしゃべりをしてはいけない風潮もあった。子供と遊ぶ?あり得ない!
日本の場合、経済的に余裕のあるところは「ねえや」を雇い、貧乏なところは年長の姉が子守をさせられた。でもそれは子供が主に赤ん坊の時。歩き出したらずっとは見張っていられない。
要するに!現代のような手厚い子育ては存在していなかったのだ。
現代は母親が子供を家に置いたままでパチンコ店に入り浸るとか。恋人と遊び惚けていて家に帰ってこないとか・・。
日本のネグレクトは日本的な怖さがある。
アメリカのネグレクトには残酷なケースもある。
でもそれは最もひどいケースに違いない。
ま、言いたいことは、
子育てはほぼずっ〜とネグレクトだったということ。
で、今はヘリコプターペアレンツという言葉もでき、反対の親がバッシングを受けている。
ネグレクトでもなくヘリコプターでもない親。つまりその中間が望ましい。
でもこれもなかなか難しい。
わたしが思うにはほとんどの親は、広範なスコープの真ん中辺のどこかにいるのではないだろうか。
わたしの育ちは正真正銘のネグレクト。
自分で自分の面倒をみないといけない、ってわたしの人生。
ネグレクトだったけど、まともからは外れるけど、それなりに大人になった。
育ててくれた人を恨んだこともない。
だから?って感じ。
それにラッキーなことに、ちょっと前はそんな言葉もなかったし、気にさせてくれるような情報もなかった。(今は情報過多でストレス)
でも我が子には違う子供時代を生きてほしいと思い、やりすぎてほとんどヘリコプターママ(病気の時を抜かして)。
で、結論はというと、「経験したことのないことを実践するのは難しいものだ。」
一般的にネグレクトに陥る親には心の問題があったり、経済的な問題を抱えているケースもある。病気の場合もある。やはりこの辺で行政や家族からの支援が必要な感じがする。
ただ感じたことは、
そんなに手をかけなくとも子供は育つし、病気でない限りはそのくらいの方がいいかもしれない。たくましく育つ。親が手をかけすぎるとひ弱な人間になりやすいのだ。
つまり子供から脱皮するのに時間がかかる。
そんな風に感じないでもない。
ドクダミママ至言
仕事をしていて子供にあまりかまってあげれない母親などは一般的に罪悪感を感じるようだ。でも気にしなくていい。
人類が始まってからほとんどがチャイルドネグレクトなのだから。
そんな細かな配慮で面倒などみれない。
それに、そうしてあげても結果がよく出るとは限らないし。
一生懸命面倒を見てあげても病気にかかるし、事故にも遭う。
学習をサポートしてあげても、これも子供次第。
子供が寂しい思いをしている、かわいそう、という人も社会には多くいる。
でも、それもその子が背負っていかないといけない課題で、それが人生なのだ。
それに親って親業をやっているだけじゃあない。
大人は他にもやることが沢山あるのだ。
そこまで気にしていられない。
長い時間を一緒に過ごしてあげれなくとも、たくさんのお金を使ってあげれなくとも、それが一番重要なのではなく、愛情の深さが最も重要。
それはできるだけでいいのだ。
他の親と比べたりしてもいけない。
ある状況下での努力で十分。
とは言っても、文句を言われれば、
やっぱり親はかなり気にする・・。
でも子供が文句を言っているならそれは子供の方の問題。
それなら、我が子に満足にできないことを謝ることもいいかもしれない。
だってできる事しかできないんだから・・・。