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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

新年の抱負とは誰に対する抱負?まさか子供?

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(これは私の趣味です。チクチクとストレス発散のためにやってます。😅)

 

読者の皆様、あけませしておめでとうございます。

 

今回は時に適ったテーマ、

つまり新年の抱負についてお話しさせていただこうと思います。

 

新年の抱負は誰のため

当然、自分のためであるけれど、実は密かに子供のことが入っていたりする。😅

例えば、

子供が

これができるようになりますように。

どこそこの学校に入れますように。

この弱点を克服できますように。

など。

 

もちろん子供たちは親がそんなことを考えているなんて全く知らない。

でも親だから当然そういうふうに願うこともごく普通。

 

もしこれを口に出して本人たちに告げたらおそらく怪訝な顔をされるだろう。

だから普通は口にしない(でも願っている😅)。

 

わたしの新年の母業抱負

成人した自分の子供たちは新年の抱負などというものを考えているだろうか。

今が楽しければそれでいいのではないだろうか。

そんな気がする。

娘は親のお金で帰省したけれど、家には最初にちょっと寄っただけで、残りは兄と友人の家を渡り歩いていて全く帰ってこない。

だからお正月もこの辺にいるはずだけど一緒には過ごさない。1月中旬にアリゾナに帰るらしいけれど、いつなのか何も言ってこないので放ってある。ちなみに帰りの切符は買っていない。親に迷惑をかけて自由に生きることが娘の独立宣言らしい。

 

ということで、今年は夫と二人のお正月。

それならわたしは自分だけのための2021年の母業抱負を考えることにしよう。

 

1。成人した子供たちのことが頭をよぎったらすぐに止め、思考を完全にシャットダウンする。その後は他のことを考える。

2。三男以外の子供たちにこちらからは連絡を取らない。

3。三男以外は「我が子」と呼ばない。Ex-son, ex-daughter、つまり、元息子、元娘と呼ぶ。

4。成人した元子供3人を「ちゃん付け」で呼ばない。全員に対して敬語で会話(今までもそんな感じだったけど、今後はより徹底させる)。

3。自分の幸せだけを考える。

 

もしかしてこれは自己中?

冷たい親?

と思われるかもしれない。

でも、わたしは自慢ではないけれど、今まで子供たちのために、自分のことは忘れ、自分のやりたいことは無理やり我慢して、家族のために考えられないほどの犠牲を払ってきたのである。その結果、心も体もボロボロときている。はっきり言ってやり過ぎた。

 

自分がこんなにもか弱い人間だとは思わなかった。

若い頃は怖くても、勇気と努力でどうにかなる、と信じて疑わなかった。

「やっちゃえ!」みたいな精神は旺盛だった。

自分の人生モットーは「ダメもとでぶつかる!」で、壁に遭遇したらその壁を壊して進む。

そんな自分は、その勢いで子育てにも臨んだ。

でもその勢いも長くは続かなかった。実際、自分の心の中は「恐れ」で充満していった。その恐れから、どうにもならない子供たちを見てますます必死になった。「努力」は人を裏切らない!と信じて疑わなかったからだ。でも親業に関しては、親が努力したってダメなのだ、とわかった。😰

今となっては「あの努力は無駄」だったとしか言えない。

でもこの努力も最初の10年ほどで終わるものと楽観視していた。その後は自分の人生を生きれると思っていた。ところが親業はその後も続き心配事は度合いを増していった。

 

ずばり!

子供の年齢と対応しないといけない問題の大きさは見事に比例しているのだ。

だからどんなに頑張っても楽になることはない。

(今から警告。だから必死になるな!ってことよ。😅)

 

引退宣言

母業は母の健康をむしばみ、精神を狂わせるようだ。

親になると"Intense worry"(極端な心配)から自由になることがない。そのため神経が休まらない。

これはストレスの原因。病気の原因。

だからこの辺でこんな人生から引退したいのだ。心の隠居生活と言ったほうがいいかもしれない。

それは許されるはずだ。もう”十分”頑張った。でも”充分”じゃあなかったのは認めるとしよう。ただ自分にはこれしかできなかった、という言い訳しか言えない。でも言い訳も許してもらえないなら最初から母親などにはならなかった。世の中は母親に対して厳しすぎる。

 

先日、ハワイに到着した三男と話をして、これからはもう自分のことだけを考えて生きて行っていいか?と聞いた。息子は「そうだよ。そうしたほうがいいよ」と言ってくれた。

「僕がお母さんの立場だったら絶対そうするよ。」とも言ってくれた。

三男は思いやりがあり親のことを気遣いよく連絡をくれる。そして親を悩ませている自分の兄妹に対して嫌気がさしているようだ。だからこの子が親をかばってくれている。

 

残りは全て神様にお任せすることにした。

「神様、もういいですよね。わたしにはこれ以上の努力もできないし、これ以上何をしてもいいかもわかりません。だからこの辺で勘弁してください。」

そんな言葉しか出てこない。

 

私たち夫婦の親としての責任は終わった。彼らは人生を自分の力で開拓していかないといけない。これからは親のせいにはできない。無責任と言って欲しくはない。親はたくさんの世渡り術を教えてあげて、助けもあげて、資金の援助もしてあげた。だからそれで責任は終わり。その後は子供の責任なのだ。

 

子供の出来栄えは全て親のせい、のように世の中では言われているけれど、一概には言えない。親はそれなりの状況下でそれなりの努力しかできず、その努力も当てが外れていたりもする。そもそも親が頑張ったって子供側が頑張らないなら結果など出ないのだ。

したがって、わたしが言いたいことは、

常にこれ!

 

子育ては思い通りになどならない。

努力が実らないことも多い。😢

 

だから2021年の抱負は自分のために生きることにする。

そして同じように悩み苦しんでいる他の多くの親御さんのために生きたい。

私たちには、その昔、子供が4人いた。

でも今は1人。

残りの3人にとって親は邪魔な人間。だからさっさと(喜んで)消え失せるとしよう。😅

それは”一見”悲しいことかもしれない。😓

でもそれでいいのだ。😀

この現状を受け入れるしか心の平安を取り戻ることはできないのだから。

男性は仕事のしすぎで命を縮める。

女性は我が子のことを心配して命を縮める。

それを美徳のようにちまたでは言われているけど、

今後は遠慮させていただきたい。

 

まあ確かに、

彼らは親の目から見ると「とんでもない」状態かもしれない。

でも神様の目から見ると「最もふさわしい立ち位置」にいるのだ。

そして後はこの全てをご存知の全能の神様にお任せして生きていく。

さらに、これからは親と子供という関係ではなく、「友達」でいることにしよう。

友達なら気楽でいい。

 

そもそも!

わたしの肩書は母親ではない!💢

だって、何年続けていてもプロ級になれないならそれは職業とは言わないでしょ?

よって!30年間に及ぶ(無報酬で感謝されない)ボランテイア活動はこれにて終了!

 

2021年は跳ぶぞ〜〜〜〜🤣!

皆さんも一緒に跳びましょう〜〜〜〜🤣!

 

ドクダミママ至言

新年の抱負は自分だけのため。

密かに子供に対する願いを入れないこと。

子供は子供で自分の人生を構築するのだから。

2021年は親業以外の人生の目的や生きがいを見つけること、

それを是非ともお勧めします(これは子供がまだ成長期にあっても同じ。今からやらないと50歳すぎて見つけようとしたってそう簡単には見つかりません・・・😅)