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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

アリとキリギリス

今はミシガンの一番暑い時だ。

と言っても日本のそれとは比べものにならないくらい涼しい。

蝉の声も聞こえない。

これが夏?

一応ね。😄

 

イソップ物語

夏になると思い出す。

イソップ物語を。

 

うちには

イソップ童話の絵本がある。

子供達が幼い時から読み聞かせてきた本だ。

頑丈な装丁と美しいイラストレーションのその本は今も娘の本棚に大切に保管してある。

 

その中でも特にこのアリとキリギリスの話を何回も子供達に読んで聞かせた。

 

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The Grasshopper and the Ants, illustrated by Charles Santore

寓話に見られる人生のサイクル

にはタネを蒔き、

夏には干ばつや雑草や害虫から作物を守り

しっかりと手入れをし、

秋には収穫をし、冬にその蓄えで豊かに生きる。

それはまさに人間の人生のサイクルまたはステージを象徴している。

 

我が子にもこう教えた。

 

は子供時代で夏の準備をする時、つまり種蒔き時。

種をたくさん蒔いても全部の芽がでるとは限らない。

けれども多くのことを学び(種蒔き)芽が出るのを待つ時。

心と体と知能が著しく成長する時だ。

 

は20代から30代。

我が家の子供達のサイクル。

 

この時代に遊んでしまうと秋の収穫はない。

この時期はとにかく働かないといけない。

収入も大したことかもしれないし今後のことは完全には予測が立たない。

それでもやるべきことをやる時なのだ。

人生にチャレンジする時でもある。

 

キリギリスは周りの助言を無視して

この時期、歌を歌って人生を謳歌していた。

まだまだ大丈夫と油断していたのだ。

20代の若い人はこの時期親の監視下から逃れ自由を謳歌し

好き勝手に生きる傾向がある。

けれどもその代償はかなり大きい。

 

しかしながら、まだ取り返しは効く。

ただそれにどのくらい早く目が覚めるかどうかが今後にかかってくるように思える。

 

は40代から50代。

枯葉が舞う時。収穫の時。

今までの努力と忍耐が実を結ぶ時。

この時期は社会で認められるようになり収入もあがる傾向にある。

でもそれはその以前にどのように生きてきたかによる。

 

キリギリスはそれでもまだ大丈夫と思っていた。

そして

そしてあっという間に

冬が来た。

 

は60代以降。

食べ物は底をつき、計画的に準備をしてきたアリに頭を下げる羽目になり、

そこで言われた言葉は

「君は今まで何をしていたの?」

だった。

 

夫とわたしは

子供達がキリギリスにならないように再三再四この話を聞かせた。

それなのに・・・

上の二人はバランスライフを生きたい!とか声明し、

20代の半分は無駄にしたかのようだった。

それを彼らもわかっているようだ。

 

まだ遅いということはない。でも失ってしまった時間は戻ってこない。

かなり努力しないと挽回は大変だよ〜。

だから警告したのに。

 

バカな息子たち。😢

それしか言えない。

でもそれも人生。

60歳になってやっと目が覚めたキリギリスでは取り返しがつかない。

でも20代ならまだまだやり直しが効く。

 

確実性などあるのか?

そもそも

人生には100%の確実性というのはない。

計画的に生きているつもりでも計画通りにいかない時もある。

社会の出来事に翻弄されることも多くある。

コロナ禍がそれのいい例だ。😷

 

だから親の勧めが100%安全で賢いとも言えない。😅

かと言って古の言葉をそのまま実践されても困る。

 

キリストは「明日のことを患うな。」

釈迦は「過去を求めるな。未来を逐うな。」
と語っていたではないか。
 
いやいや。
これは予測の完全につかない先のことを心配して心を煩わせるなという意味で、
将来の計画を怠っていいということではない。
今日すべきことを先送りにしないで今日を一生懸命生きれば明日のことを心配する必要などないという意味だ。
 
自分の子供たちに関していえば、

冬が来るまでにキリギリスをやめてくれればいい。

そう今は思っている。

それに息子たちに人生の冬がやってくる頃にはわたしはこの世にはいない。

どうあがいても助けてあげることはできない。

だから結局本人たちの責任なのである。

 

今キリギリスにならないように長男は貯蓄に励むようになって来た。

親はやっとなんとなく安心できるようになって来た。

子供が経済的に安定し自立してくれないと親は心休まる日が来ない。

 

次男は28歳にもなってまだ定職がない。😱

でもあまり心配もしなくなった。彼は自分のペースで自分なりにしか物事を運べないからである。それを受け入れるしかない。

そうそう、自分のやり方でいいよ。

でも神様は、彼に勿体無いくらいのしっかり者で頭のいい女性を妻として与えてくれた。だから離婚でもされなければどうにかなるだろうと思えるようになって来た。

(妻に見捨てられないように、もっとしっかりせんかい!!!!😡)

 

三男は大学がほぼ終わりだ。

でもコロナ禍のおかげで就職難の時代に世の中に出ることになる。

ついでに既に結婚している!

ちょっと!

これからどうすんの???

ああ、ため息〜。😩

 

娘も仕事をどうにかせねばと必死になっている。

依頼心の強い娘はこんなご時世でもなければ必死になどならないだろう。

だからマイナスの要素はたくさんあるが急カーブで成長しているようだ。

ただね

急カーブだとストレスが生半可でなく、親にとばっちりが来るのがちょっとね。😓

 

でも人生とはこんなものだと超長生きのお年寄りが言っていた。

彼は大恐慌、世界大戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争、湾岸戦争、当時多発テロを経験した。この間、経済破綻もあり自然災害や疫病も流行った。今回が初めてではなかった。ガンにもなったし伴侶も亡くした。子供も亡くした。

だからコロナなんて驚くべきことじゃあない、と語っていた。

 

彼のように人生で多くの困難に遭遇すると、

一喜一憂することが無駄なことであることがわかるものだ。

常に時は移り変わり一時として同じところに留まってはいない。

今日は雨でも明日は晴れることもある。

今日が晴れでも明日は台風になるかもしれない。

心配しても仕方がない。

 

 時間の無駄。

エネルギーの無駄。

 

そうだ、そうだ。全くそうだ。

だから

どうにかなるだろう。

 

キリギリスっぽい子供でも

どうにかなる。

安心立命の気持ちで運を天に委せる。

今はそうありたい。

 

あのイソップ童話を一瞬でも思い出してくれたら親の努力も無駄でなかったと思える。

多分頭のどこかにあるはずだ。

そう願いたい。😢

 

ドクダミママ至言

人生にはサイクルがある。

若い時に怠けているとしっぺ返しが必ずやってくる。

どんな親もそう子供に教えているはずだが、超の本人である子供がそれを信じ、

実践するかというと全て本人次第としか言えない。

親としてやるべきこと、つまり模範を示すことと教えること、をしっかりやってきたなら、あとは本人に決めさせるしかない。

それで人生を失敗しキリギリスになってもそれは親のせいではない。

当然そんな我が子の状態を黙って影で見ていることはとても苦しい。

けれども、人の学習の仕方は常にこれである。

失敗から学ぶ。

 

そもそも、いつまでたっても自分の意見を持たない従順な子供でも困るではないか。

転んで泣いて初めて自分の間違いがわかるのだ。

わたしは我が子から苦しみを取り除くつもりはない。

しっかり転んでもらい、そこから学習してもらうつもりだ。

 

アリもキリギリスに言っていた。

「君、秋がやってくるよ。冬もやってくるよ。働かなくてもいいの?」と。

キリギリスはアリの提案をバカにして相手にもしなかった。

まさに「明日のことは一切煩わない生き方」の一例ではないか。

 

ここで気をつけたいことはこれだ。

アリはキリギリスに無理やり労働を強いたわけではなかった。

ただアドバイスをあげたのである。

そのアドバイスに従うかどうかはキリギリスが決めることでアリは放っておいた。

そして結局、キリギリスは冬がやってきてやっとアリの言っていたことが理解できたのだ。

 

「明日のことを患うな」とは

今まで親がきちんと教えてきたなら、必ずそれを思い出す日が来るから心配するな、という意味だ。

それがいつかはわからない。

ただ親はそれをひたすら信じるしかない。