地下に次男夫婦を住まわせている。
経済的に不安定な彼らの助けとしてせめてできることはこんなことしかない。
彼らの住まいは、
台所、バスルーム、寝室、ダイニング、リビング、書斎、と完全に二世帯住宅化している。これを他人に貸せば1ヶ月最低1200ドル(12万円)は取れる。
でも、家賃はタダにして光熱費だけ払ってもらうようにしている。
感謝の気持ち?
あるかもしれないが、息子は決して口には出さない。
それどころか「当たり前だ」態度が目立つ。
最近、下から、息子のコンコンと咳をする音が聞こえてくる。
このご時世、コロナウィルスに感染したかもとふと思った。
自粛するようにとの命令を無視して、彼らはほぼ毎日買い物に出かけている(嫁が買い物大好きだから)。自宅に友達を呼んだりもしていた。
嫁の実家にも頻繁に出かけて行く(メキシコ人にとって親戚に会えないのは自殺行為?)。
そのせいかもしれない。
免疫の低い彼にはコロナ感染はあり得る。
最初にしたことは、娘に地下に行かないようにという勧めだった。
そして次に、地下には私も出入りする洗濯室があるので、そこを殺菌することだった。
ドアをノックして「大丈夫?」なんて優しい言葉もかけない。干渉するなと怒鳴られるのが目に見えているからだ。
娘は息子が亡くなったりでもしたら私が泣くかどうか聞いてきた。
多分たくさん泣くと思う。
でも長くは泣かない。
運命だから仕方がない、と言うに違いない。
それは私の心はほぼ完全に冷え切ってしまったからだ。
息子のことで泣いていた時はまだ心が熱かった時だ。
でも、泣きすぎてカラカラになったダムからこれ以上出てくるものは何もない。
何を聞いても
「I don't care. (どうでもいい)」しか口から出てこない。
夫も同じことを言っている。
周りの人には決してこんなことは言ってはいけない。
言ったら、なんて冷たくひどい親だと言われるだろう。
でももしこれ以上息子のことを心配するなら、すでに傷と割れ目だらけの自分の魂が完全に破壊されてしまうことは簡単に予想される。
これは自分の魂をこれ以上傷つかせないための、自己防衛術なのだ。
氷のように冷たくなっても、太陽が出ない限りは溶けることもない。
壊れやすいガラスの魂では生きていけない。
だから今は冷たい氷になることにしたのだ。
氷の心は何も感じない。
こんなもんだ、と開き直っている。
悲しみも落胆も、それだけでなく喜びも感じない。
結局、自分の人生でさえどうにもできないのに、子供という他人の人生をどうにかすることなんて無理があるのだ。
子供は親とは異なる別の人間で、自分の人生を自分自身のやり方で生きていかないといけない。当然失敗もある。でも親は失敗から救ってもあげることもできない。
親には何もできることはないのだ。
それは悲しい。だから魂が打たれっぱなしで傷だらけになってしまう。
泣き人生に終止符を打つためには、どんな大嵐が来ても何も感じないようにするしか親には術がない。
粉々になって修復不可能となる前に手を打たないといけない。
感じやすい母は美徳かもしれない。でも感じやすい母は命取りでもある。
子育ての後に悟ったことは、
運命は存在する、ということ。
だからそれを謙虚になって受け入れるしかない。
受け入れたら奇跡を信じることも可能。
ジタバタしているうちはまだまだだと思う。
ドクダミママ至言
母親は自分の心を守るための戦術が必要。そうしなければ、異常に手のかかる子供に振り回され、魂は破壊される。Broken heart つまり心が打ち砕かれるということは医学的にもあることだとその手の書物で目にした。人の文化はそれを美化する嫌いがあるが、どんなに美しいと言われていても、避けて通った方が賢い。それは魂を守るため。
運命も奇跡も存在する。それを信じながら全てをあるがままに受け入れ淡々と過ごすこと。それが氷の心になること。