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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

勉強ができない子供

 

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(出典:https://www.nydailynews.com/news/national/ny-news-children-suffer-mental-health-condition-20190214-story.html

世の中には一を聞き十を知る能力の子供がいる。

 

我が家には十を聞き一も知ることができない子供がいた。

親はこの子が理解できるようになるならと、なんでもしてあげようと思った。

けれども、手を変え品を変え説明すればするほど混乱に陥ることが多かった。

でも彼は努力家でとにかく頑張り屋さんだった。

怠け者からはかけ離れていた。

だから

私は心苦しかった。

こんなに頑張っているのに。

わからないで苦しんでいる彼の心中を察して親である自分も無性に苦しくなった。

だからどうしてもわからせてあげたいとより必死になった。

けれどもそれは間違いだったのだ。

そのような「これでもか、これでもか」というような大人の半強制的な期待は、結果的にどうせわからないから、やる気も消え、ふてくされた態度につながってしまった。

 

でも心の中ではわかっていた。

学年のレベルのことが理解できないのは彼のせいではないと。

あれが彼のベストなのだと。

この学年のレベルをいうものを作り上げた学校制度が問題なのだと。

そのレベルの上をいけばギフテッドと呼ばれ、下なら知能遅れと呼ばれる。

もっとも子供を傷つけるという理由で最近は知能遅れとは言わない。アメリカでは「タイトル1」と呼んだりする。日本では特別支援教育。

たとえどんな呼び方をしても子供も親も同世代の子供たちも知っている。

それが何を意味するのか。

そんなレッテルを貼られた子供は自尊心を傷つけられそれが一生続くこともある。

 

長くこのような子供の勉強を助けてあげていて、見えてきたものがある。

それは、こういう子供は知識や概念を寝かせておく長い期間が必要なのだと。

普通の子供は1日2日でわかっても、このような子供は最低1か月以上もかかることがある。1年というのもある。

それは本人と大人の知らないところで、子供の脳は入ってきた新しい概念を消化しようとしているのだ。人がそれぞれ違って当たり前のように、その消化時間は子供によって違っても当然ではないだろうか。

 

それなのに、

大人はわかっていない。

こういう子供に頑張れという励ましの言葉は拷問以外の何物でもないのだ。

頑張ったってわからないものはわからないのだ。

 

人は勉強のできない子供を「馬鹿扱い」したりする。

それは「馬鹿」ということではない。

ただ、消化に時間がかかっているだけということ。

もしくは、いまこの子が学ぶべき内容のことではないというだけのことなのだ。

それだからといってそれが悪いわけではないのだ。

 

理解できないことを、「悪」や「罪」呼ばわりすることはアンフェアである。

それなのに大人は犯罪でないことをとやかくいう。

悪いことをする人は「馬鹿」で、勉強ができないのは「馬鹿」ではない。

大人は子供の学びのペースを忍耐を持って待ち、異なる学び方を理解してあげるべきであると思う。

 

とは言っても、実際の対応は難しい。

こういう子供に親もイライラしたりは多い。

 

そんな時は

本当はできるようになりたい我が子の心に寄り添うことが大切かと思うのだ。

どんな子供も先生や親が誇りに思ってくれるような人になりたいと思っているものだ。

でもそんな理想に報いることができない時は子供はどうしたらいいのだろうか?

反抗にはそういう子供の切ない思いが隠されているのかもしれない。

 

 

大人は子供の肉体と思考の訓練にもっとも力を入れる傾向がある。

でも人間は肉体と脳だけでできているわけではない。

心、つまり魂というものもある。

それを忘れている人が多い。

子供の心は肉体よりも思考よりも大切なのではないだろうか。

 

大人の世界は子供の心を傷つけるようなことをたくさん行ってきた。

勉強もそのうちに入るかもしれない。

勉強は子供の人生の多くを占めるが、一生という長い人生でもっとも大切なことではない。

 

勉強のできない子供に無理強いしても良い結果があまり得られない。かえって性格が湾曲するだけ。自分も我が子の性格を湾曲させてしまった部分がある。

今できないことを無理やり押し付け素直な子供を期待する方が間違っているのだ。

子供は思春期に入り、自分の目標ができてきて、それには勉強が必要であると理解したら自分で頑張ろうという気になるものだ。それまでは親が色々言っても無駄。

本人の脳の発育が追いつき、やる気の原動が明確になってきた時に、親や学校がその子の心を潰していなければ、そのときに理解能力が開花する確率が高い。

 

だから、

理想なんて大切じゃあない。

心がもっとも大切。

 

子供を愛するということは

すなわち

言葉にならない

その子の心の声を聞いてあげることではないだろうか。

 

ドクダミママ至言

  • 勉強がわからない子供には。知識や概念を寝かせておく長い期間が必要。
  • この潜伏期間中に脳が概念の消化に携わる。
  • 子供の脳では何も起こっていないように見えるがそれは違って本当は多くのことが行われているのだ。
  • デイドリームも大切で、遊びも大切。その間、子供の頭は活性化してゆき、様々な新概念の消化に携わっている。
  • 頭より心の発育が大切。心を養ってあげれていれば時期がきたときにその子は自分で羽ばたこうとするもの。
  • できない子供の心に寄り添ってあげること。言葉にならない心の声を聞くこと。
  • 結果よりもプロセスが大切。