上記の詩はとても有名でアメリカでのペアレンテイングの本でよく目にします。
親としての理想的な姿を簡潔にそして美しく表しているとは思いませんか?
でも実は、どんな親でも本当はこうなりたいと思っているはずです。
とはいっては一日でこうなれるわけがなく、日々その理想を心に刻むことが必要かと思います。そして努力を続けていれば、長い先にこんな親に少しでも近づけた自分の姿があるのだと思います。
上記の詩は、祈りですが、まさに親業をしていて祈りたくもなってくる状況に追いやられることは多いものです。
それは自分の中の高慢さをことごとく砕き、親を謙虚にさせ、子供のためにもっと良い人になりたいと思わせられることにつながります。
つまり、良い親になるということは、良い人間になるということと同じなのです。
立派な親とはつまり
「愛の人」で
立派な人とはつまり
「愛の人」なのだと思います。
わたしは親になってからというもの、全ての面において足りない自分を日々嫌なくらい感じされられています。
自分には愛が 欠けていて子供の心の奥深いところを見てあげれない。
常に自分の心の大嵐を食い止めることばかりに集中しているだけ。
子供がどうとかいう前に自分をどうにかしないといけなかったのです。
だから子育ては自分を変える媒介であるとも言えます。
子供の出来不出来で裁くことなく、今の状態で受け入れてあげ、これからの可能性を信じてあげることが大切で、それには親が自分の根本的な人間としての弱さを認め、改善を試みることが必須であるではないでしょうか。
親は子供を変えようとやっきになりやすいですが、
本当に変わらないといけないのは子供ではなく親である自分自身かもしれません。
そして親の態度が変わるためには
親の心が最初に変わらないといけないのだと思います
わたしたち親の心が変われば、
真に穏やかな広い心で子供に接することができるのではないでしょうか。
そうすれば子供も変わります。
変わるべきは親。