怖い面
世界的にみて、社会問題を起こす大多数は男性。
犯罪も80%以上が男性。
非行に走りやすいのも男子。
ギャング活動も男性主流。
そして親に激しく反抗するのも男子。
天才も男性がほとんどだが学習障害も男性の方に多い。
自分の面倒がよく見れないようで、子供の時はとにかく手が焼ける。
親の話を聞いていないことが多い(自分の考えで頭が一杯だから)。
プライドが高い一面、自尊心が傷つきやすい(扱いづらい!)。
このようなマイナスの可能性を持つ息子に恐れを抱き
親は息子を一生懸命育てようとする。
このせいか、男の子は怒られる回数も度合いも女子に比べてはるかに上を行く。
よって精神に問題を来す例も多くある。
特記側面
男の子は好奇心が強く、怖がらずに色々試したがる。
男の子には個性の強い面白いキャラが多い。
誰もやらないことをやりたがる。
リスクを恐れない。
失敗も多いが立ち直りも早い。
このせいか男性には発明家が多い。
組織設立など何かを始めることに才能を発揮する。
リーダーシップの才に長ける。
社会を動かすのも男性!
より高く、強く、自分の限界を越えようと躍起になるのが男性(だからうまくいかないととても落ち込み酒で憂さ晴らし、なんていうのもある)。
どちらに転んでも
男性というのはすることが生半可ではない。
うまくいけばビル・ゲイツ。しくじればアル ・カポーネ(マフィアのボス)。
だから
そんな両極端の側面を持った息子に親は大きな期待を抱き、それと同時に悪いことをしないようにと目を光らせている。
ここまでは男親も女親も男の子についての概念が変わらない。
ところが女親はこれプラスまだある。
母親にはわからない男の子の本能
実際このような男の子特有の個性に母親は脅威を覚える。
我が子は将来一流の何かになれるかもしれないという期待で、責任感と生まれながらの犠牲心により我が子のためにはどんな苦労でも買って出るのが母親。
だが、普通の母親は子供のこととなると心配性で、また自分の生まれ持った女性性のため、息子のとるリスクを怖がる。
よって、偉い人になるように励ますと同時に危険なことを避けるようにという相反するメッセージを子供にあげることになる。その結果、息子を混乱させる。また母親に服従を要求することもある。母の言う通りにやっていれば安全だし成功率も上がると説得を挑む。
でも男の子というのは本質的に
人(と世代)を超えていかないといけない生き物(失礼)なのだ。
本能的に、人を超えるためには男性は失敗を恐れず失敗を通して成長して行くべき、と理解している。
さらに、これだけは100%わかっている。
「自分は男で、ママにようには絶対ならない」ということを。
「ママの言うことを聞いていたら、きっとママのようになる。僕は男だからそれは嫌だ」と自分では気がついていないところで思っているのだ。
男の子は、大人の男性に脱皮するためには、母親のエプロンの紐を手放し、つまり母親の庇護を離れて一人歩きをすることが絶対必要なマイルストーンであると理解している。
男の子の深層心理にはそう書かれている。
DNAにそう刻まれているのだ。
男性の本能なのである。
そして男の子はそれをなんとなく知っている。
だからママの言うことなんて聞かなくて当たり前。
それなのに、
母親は自分の言うことを聞かせようと必死になり、より手綱を固く握り締める。
よって当然反抗される羽目になる。
すると母親は逆上して感情に任せて息子に当たりまくる。
言えば言うだけ、息子は無視に徹する。
「またかよ〜!」
と母親にうんざりする。
男の子というのはこういう感情の爆発では自分の行動を内省するなどできないのだ。
でも母親にはわからない。
なぜなら、女性だから。
男の子は通常母親が根本的に好きで、母親をがっかりさせたくないという気持ちもどこかにある。でも男性としての使命を果たすために生まれた男の子は、母親を喜ばせたい自分と自分の人生を生きたいと願うもう一人の自分との狭間で葛藤を経験することになる。
どうしていいかわからなくなった男の子は、とりあえず今は考えたくないし結論も出せない。だからゲームにでも没頭して逃げることにするのだ。(ゲームでは勝てるし、結果は割と早く出る)
おとなしいタイプ(+母親が強すぎるタイプ)の男の子は勝ち目はないと判断し、自分の心の中の声を無理やり消して、母親の好む従順な息子のフリをしようとする。つまりここでは女性化するしか生き延びる方法はないのだ。
母親は従順な息子に喜ぶが、息子は自分の本能をつぶされる。
母親が息子をつぶしているのだ。
手放せない
息子に羽ばたいて欲しい気持ちは山々でも、心配で手放せないのも母親である。
引きこもりのケースがこのいい例である。
母親はどんな状況でも息子をとにかく心配する。だから追い出すなどそんなことは不可能なのである。ホームレスにでもなってしまったらどうなるのか。飢え死にしてしまうかもしれない。と、母親は最悪の事態を想像しやすい。
だから無理。絶対無理。
「心を鬼にする」ことは母親にとってほぼ不可能なことなのだ。
「心を鬼にする」にぴったりの表現は英語で「tough love」と言う。
包み込み助けてあげるのも愛、厳しい態度で臨むのも愛。つまり、タフラブとは、本人の選択によりマイナスの結果が出た場合は自分で責任をとらせないといけないということだ。学習には痛みが伴うことを受け入れないといけない。
だがこれは母親には限りなく困難なのである。
厳しく突き放すことも大切とわかっていながら同時にそこまで冷たくもできない。息子の男性性を受け入れないといけないとわかっていてもできない。だからいつも中途半端になり息子を混乱させる。そして母親はどうして良いかわからず激しく落ち込む。
だからここで
父親が出てこないといけない。
父親の出番
男の子がある年齢に達したら(通常は思春期)母親は父親(または信頼のおける他の男性)に子育ての手綱を譲るべきであると私は信じている。もちろん日々の細かいことは母親が引き続き担当しても、大きな決断については父親がリーダーシップを取ることがふさわしい。躾も父親が担当すべきだ。
この件において昔の人はあまり教育はなかったかもしれないが、男の子の育て方については現代人よりはるかに理解していたように見受けられる。江戸時代などは思春期を待たずにもっと早い時期に大人の男性に教育係がバトンタッチされていた。
男の子には男性の模範は必須で、それを当人も知っている。それは、言うまでもなく男の子は「将来は父親のような大人の男性になる」ということを本能的にわかっているからだ。間違っても「母親のようになる」などとは思っていない。
また男の子は自分より大きく強く社会で活躍している男性を尊敬する。たとえ尊敬などしていなくとも、自分の上を行く大人の男性に対してある種の脅威感を抱いている。そして男性というのはそういった明確なランキングを好み、自分が社会のどこの位置に属しているかを知ることによって心が安定するらしい。
だから男性の方の意見の方がわかりやすいだけでなく、このランキングシステムのため結果的に従いやすい。母親と息子の間にはこのランキングはなく、あるのは極めてねちっこい親子関係だけ。つまり感情だけの世界。
息子は母親のコミュニケーション方法が嫌い
男性はごちゃごちゃと長説教をしたり小言も言わない。
端的に言うべきことを伝える能力に長けている。
では女性はどうだろうか?
例外はあるとしても一般的に女性はこれとはかなり異なる。
特に我が子のことになると感情に支配され自分でも何が言いたいのかわからなくなってくるくらいだ。
母親はその日の気分によって言うことが違う、という苦情はどこの国でもよく耳にする。
わたしは、長々と説教をし挙句の果てはちゃんとやってくれない息子に泣きついていた。感情に訴えて相手に罪悪感をもたせるやり方だ。
で、効果はというと
当然ゼロ。
夫は反対に
ただ
「いいか、これからはもうするな。」
で終わり。
え〜?これだけ?
そう。
男の子はこれだけでいい。
でも母親にはこんな短い説教は無理。
だから父親に任せるのだ。
任せるといっても、父親が母親の期待するシナリオでやってくれるとは限らない。
それでも、男性という性を母親よりはるかによく理解している同性である父親に完全に任せることは両者にとってはるかに価値がある。
でも世の母親というのは、自分以外に我が子のことをよく理解している人間はいないと自負して止まない。だから夫の短い説明で効くわけがないとも思っている。
そのため、昨日せっかく父親が納得させてくれたのに、今日また余計なことを口走ったりする。
よって息子はごちゃごちゃと意味不明で支離滅裂なタワゴトが多い母親を怪訝するようになる。
母親はこのことによって息子から尊敬されない。
でも当たり前。
象の社会
象は男女別々の家族単位で生活している。子供の時はメス象もオス象も女系家族内で生活して行く。だがオス象はメス象はある年齢を境に異なる人生を歩むことになる。
当然、象にも思春期も反抗期もあり、メス象のグループは生意気なオスをグループから追い出すことになる。
一人でやっていけないオス象は、男系グループに入れてもらうことにする。
しかし男性社会はここでもそう甘くはない。男系グループには人間社会のようなランキングやルールがあり、入ってきたばかりの生意気な若造の態度を認めるわけがない。それをわからせるために、年長の象がそれを態度で知らしめてやるのだ。
「ここで生き延びたければグループのルールに従え、年長者の言うことを聞け!それができない奴はさっさと出ていけ!」とばかりに激しく鼻で叩かれる。
受け入れてもらえない若年オス象は、
「ああ、いいさ!こんなところこっちから出ていってやる!」
「俺はこんなところにいなくとも自分でやっていけるのさ!」
と負け惜しみを言いグループを離れる。
けれどもどんなに偉そうなことを言ってみたとしても、社会的な動物である象はたった一人では生きて行けなく、当人もそれを知っている。
だから他のグループを当たってみる。
だが、どこに行っても結局同じ。こんなのはどこでも通じない。
最終的に、最初のグループに戻りそこの一番下の平象として小さくなって生きて行くことに甘んずることにする。
これは人間の男性社会に似ている。
もっともここまで厳しくはないとは思うが。
結局、男性は男性の社会で認めてもらえる人間にならないといけないのだ。
(もし年長の男性が率いるグループで認めてもらえない場合は同性代とグループを結成する)
それは女性社会とは異なる厳しい社会なのだ。
「甘やかされたママの可愛い坊や」は男性社会では通じない。
だから母親は、さっさと息子の前から消えた方がいい。
息子が思春期を迎えたら(早くて10歳)母親は影の支えとなり甘やかしの許容範囲内(息子の好物を作るとか)で力を発揮し肝心の分野では父親に任せた方がいい。
はっきり言って
男の子をつぶすのは(自分を含めた)母親である。
ドクダミママ至言
男の子をしかっりさせ自分の言動に責任を持てる大人にするには
母親はある面で消えないといけない。
父親に大事なことは任せること。
男の子は未知にチャレンジし失敗から成長する生き物。
それに歯止めをかけてはいけない。
(と、自分にも言い聞かせている。。。。)