しつけの漢字はこう書く。
躾
語源は、身を美しく、ということ。
躾の本当の意味
つまり
きちんとした作法を身につけることが躾。
そう躾とは本来そういう意味。
それだけのこと。
それだけでいいなら教えてあげたほうがいい。
その文化の中で生きていくために、
また周りの人に失礼にならないように
大切。
それだけのこと。
でも・・・・実際はそれだけじゃあないようだ。
現代の躾
現代はそれ以上のことを教えてあげないといけない。
マナーや作法以外のこと。
たくさんある。
それを親は一生懸命やっている。
すごいことだ。
でも思うようにいかず
ストレスの原因にもなっているのが現実だ。
それは親によって躾が下手な人もいるからだ。(自分もです・・・😅)
躾をしない方がいい人
それは躾方法が厳しすぎる親。
確かにただ何かを教えてあげるのは問題ない。
でも厳しい躾は害あって利なしが多い。
もしあなたが怒らないで躾ができるなら、どうぞいくらでもやってください。
でも感情が入りすぎて怒らないではいられない性格の親ならしないほうがいい。
飴と鞭という言葉があるけど、
確かに飴ばかりは甘やかしになる。
でも鞭はおそらくいらない。
鞭も軽いならいいけど、深い傷が残るような鞭しか与えられないなら
全面的にやめた方が良さそうだ。
厳しい躾は子供の精神を歪める
鞭で叩いても子供は叩かれたことは覚えているけど
なぜ叩かれたかは覚えていないことが多い。
その痛みを親の愛と捉えられるそんな大人びた考え方ができる子供はほぼいないだろう。
だからそんなことは期待できない。
「子供のためを思って心を鬼にしてやっているんだ!」は子供には通用しないのだ。
かえってそういうふうに育てられた子供は
暗くなるか神経質になるかで自信のない人間になりやすい。😓
鞭も罰もいらない。
ただ言い聞かせるだけ。
年相応の説明で。
鞭や罰を与えるとそれを避けるためだけに間違ったことをしないようにする。
捕まるからやらない、という考え方になってしまう。
だから隠れてコソコソやったりする。
本当はそうではなく、「正しくないから」という理由でないといけないのに。
交通ルールがこれに入る。
これは警察に捕まらないために守るものではなく、万人の安全のためなのだ。
でもなんとなくしかたなく守っている人が多いようだ。
それが正しいなら、バレなければ違反も全く問題ないということになりかねない。
アメリカの躾でタイムアウトという類いがある。
最初これは何かと思った。
直訳するなら’時間切れ’だ。
もっとわかりやすくいうなら
’いい加減にしろ!’という親からのメッセージ。
つまり、親の観念袋の緒が切れたことを意味する。
具体的には
これは子供が親の目から見て’悪事’と思われることをしたときに
他の部屋に追いやることを指す。
そしてそれに付随してタイムアウトチェアというのもある。
タイムアウトチェアに座らせられることは罰なのだ。
親がいいというまでそこに座って自分の悪事を内省しろ!というわけ。
いや〜子供がそんなことできるわけない!😅
どうも本来の目的は親と一時的に距離を取ることらしい。
でも子供側からは親からの拒絶で愛情の撤退に見える。
だからタイムアウトと命令されると、どの子も泣く。
タイムアウトイコール愛情の拒否と子供の存在の拒絶と取れるからだ。
要するに
目ざわりだから向こうに行け!
と親が思っていることを子供は感覚的に理解している。
だから悲しくて泣くのだ。
よって内省なんて無理。
いつも思っていた。
タイムアウトは親のためにあると。
子供を教えるためではないと。
こんな躾方法はいらない。
でも虐待にならないように現場から離れることだけが目的ならタイムアウトは役に立つだろう。
その場合は子供をタイムアウトさせないで
親自身がタイムアウトすればいいのだ。
要するに親が他の部屋に逃げる。
子供にはいらない。
子供のする悪いことは大したことではないことが多い
考えてもいただきたい。
そもそも子供が怒られるようなことって大したことではないのだ。
大したことないのに躾と称してガンガンに怒られたりしてはたまったものではない。
これは躾という大義のもとに、
親が自分のストレスやフラストレーションの吐口にしているだけ。
もし罰を与えるなら、その犯した罪悪に直接結びつくような罰でないと意味がない。
(殺人に対して死刑・・・というような感じの😅)
おもちゃを片付けなかったらおもちゃの一つを取り上げるとか。
それは子供でも理解ができる。
悪い成績を取ったからお小遣い減らすとかは直接的でなくこの二つに関連性は見られない。
だから価値あることを教えていることにはならない。
悪い成績を取ったらその結果により自分自身が後悔することが罰なのだ。
だから親は何もしなくてもいい。
自然の成り行きで学ばせる方が効果的。
やっぱり・・・
過去を振り返ってみてつくづく思うことは
躾なんて必要なかったということ。
躾をするんじゃあなくて
子供の成長段階に応じて
ただ教えてあげるだけでいいのだ。
あとは自分で気づかせるだけ。
ドクダミママ至言
感情を抑えられない親は躾などしない方がいい。
躾ではなくて
未熟な子供の感情に寄り添う姿勢が大切。
どうにかしようとあくせくするのではなく心に寄り添うだけ。
ちゃんとできない子供への理解。
子供なんだからできなくて当たり前を常に前提に対応すること。
あとは何回も何回も教えてあげる。
少しでもよくできた時は褒めてあげることも忘れずに。
結局親側の忍耐にかかっている。😓
そしてその忍耐力は親の心の平穏度を測る物差しなのだ。😓
後書き:’しつけ’には他に’仕付け’という漢字もあり、着物の仕付けというように使われている。実がこれが中国由来の言葉で、’躾’は和語。今回は後者の’躾’という漢字を基に展開させていただいたが、仕付けも子育てに関連がある。
仕付けは、ある一定の型になるようにあらかじめ型にはめて基盤を固定させること。
子育ても’このような人物になってもらいたい’という親の希望の元に仕付けを行う。
ただ親の権威が絶対だった江戸時代なら’仕付け’は当たり前でも、
現代社会でこれを実践するには難しいものがある。
より自由な現代社会では子供の意見も尊重しないといけなく、融通の効かない仕付けを親が強要してもうまくいかない確率が高い。だからマナーの訓練くらいで十分と思う。