苦諦
仏教用語に「苦諦(くたい)」というのがある。
その意味はこうである。
生きることは思い通りにならない。だからそれを理解し、苦しみと向き合うこと。
この「生きること」を「子育て」に置き換えてみたい。
そうするとこのようになる。
子育ては思い通りにならない。だからそれを理解し、自分の中の悩みと向きあうこと。
そう
子育ては思い通りにはならない。
最初からそういうふうにできているのだ。
そして子育ての先人はほぼ100%そういう結論を出している。
それなのに現役の親はどうにかしようと必死になる。
どうにかできないことを認めようとしない。
親というのは相当頑固な生き物だ。
四苦八苦
そのため
子育てで「四苦八苦」する羽目になる。
実はこの「四苦八苦」というのは苦諦を分類した概念で、
生きていると必ずつきまとう苦しみの数を意味する。
その四苦八苦とはすなわち
1。出生
2。老
3。病
4。死
5。愛別離苦(あいべつりく)
6。怨憎会苦(おんぞうえく)
7。求不得苦(ぐふとっく)
8。五蘊盛苦(ごうんじょうく)
最初の4つが基本的な四苦で残りの四苦を足して全部で8つの苦しみとなる。
最初の四苦は誰もが避けることのできない肉体的な苦しみだが、残りの四苦は主に精神的な苦しみを指す。
愛別離苦
今回は5番目の愛別離苦についてカバーしたい。
愛別離苦とは愛する対象と別れる苦しみを意味する。
それば物理的な別れだけでなく精神的な別れをも指す。
愛する対象とは物質であることもあるし人間であることも考えられる。
その中で最も辛い別れは家族との別れで、その中でもさらに辛い別れは子供との別れかもしれない。そして最も残酷な別れとは言うまでもなく、子供を亡くしてしまうことだ。それは計り知れない苦しみにちがいない。
しかしそんな最悪の別れでなくとも子供との別れはたくさんあるものだ。
子供が成長するに従って親は少しずつ子供から離れていかないといけない。
でもそれはなかなか難しいことなのだ。
子供を見ていて、とても自分だけでやっていけそうもないと思えるからだ。
だから自立しようとする子供にちょっかいを出したくなる。
でもそれが自立をさえぎることに繋がらせる。
本当は失敗をしても目を瞑って子供から離れないといけない。
それが苦しいのだ。
子供の失敗や苦しみを黙って手を出さないで見守ることが苦しいのだ。
けれどもこれは誰もが通らないといけない道なのだ。
全ての物にそして人に、どんなに愛着があっても別れを告げないといけない時は必ずやって来るからだ。
だからその真実(誰もが通る道であること)を理解し、自分の心の苦しみと向き合うことが大切であると「苦諦」は教えているのだ。
別れがあれば出会いもある。それぞれの成長段階にあって自分なりに人生を切り開いていき自立し立派になった我が子に再会する時が出会いなのだ。その時の喜びのために今の苦しみを受け入れ乗り越えることは親に課せられた宿命かもしれない。
だから別れを受け入れることは人間としての成長につながるのだと思う。生きている限りは苦しみから逃れることは不可能だから、それでいいのだ。
我が家の娘
我が家には21歳の病気の娘がいる。よく理由なく呼吸困難になりその度に胸が痛くなるのだ。今も原因を探るために医者通いだ。けれども持病はこれだけではない。心配だから家に置いておきたいのが山々だ。でも、今年中には家を出すことにしている。それは家にいると甘えてしまい自分の人生に責任を持たないから。それから親が心配からついつい口出しをしてしまうから。家にいることにより成長が阻まれていることは明らかだ。
外に出したらやっていけないかもしれない。死んでしまうかもしれない、と心配は尽きない。でもどんな結果が待ち受けているかは誰もわからない。私は運命を受け入れることにしたのだ。それに娘に「健康問題があるからやりたいことを諦めないといけない」的な人生を歩んでは欲しくない。そして自分の健康管理も自分で責任を持ってやってほしいのだ。できなかったら?それはそれで仕方がないと諦めた。
親も本人も心配だ。でもチャレンジしない理由はないと思う。
それに、親は先に逝ってしまうのだ。ずっと面倒を見てあげることなどできないのだ。だから成長のために本人も親も両者が一時的な試練を通り抜けないといけない。
別れは辛い。でも子供を本当に愛しているなら別れないといけない時もある。
親は子供の人生をコントロールできないのだ。
「可愛い子には旅をさせよ」とはまさに本当のことだが、送り出す親にとっては苦しみとなる。それはその先に何が待ち受けているかは予測できないからだ。
ただただ祈るような気持ちで我が子の安全を願うしか親にできることはないのだ。
そんな風に思う。
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ドクダミママ至言
子育ては親の思い通りにはならない。
だから思い通りにしようと必死にならないこと。
苦諦を避けることは不可能だから、受けいることが幸福への道。
別れの後には出会いがあるー成長した我が子との再会。