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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

パズルのピースの型は変えられない

親の理想。

自分の属している社会の期待。

世間の目。

親戚や同世代からのプレッシャー

 

それらは親をビビらせる原因となる。

だから我が子が村八分にならないように親は必死になる。

 

でも親の理想や社会の定例や慣習や常識を優先させると

我が子が犠牲になることも往々にしてある。

 

つまり、これはパズルと同じ原理だ。

三角形のパズルのピースを無理やり四角の穴にねじり込もうとすること。

それは果たして可能だろうか。

画像元(https://illinoisearlylearning.org/blogs/growing/puzzle-play/

人もこのパズルのピースのようだ。

穴・枠は社会や親の期待とか常識とか。

ピースは子供(親でもある)。

無理やり形の異なる穴に入るためには自分の形をどうにかして変えないといけない。

でも上手に変えられない人もいる。

上のパズルのように硬い材質(つまり頑固!)ならほぼ無理。

それならノコギリで切りますか?

水にでも浸けてシナシナにさせて形を変えますか?

 

結局、自分をめちゃくちゃにしてボロボロにして形を変えるしかないのだ。

 

それは魂がボロボロになる生き方なのだ。

 

どうせ大人になったらどうしても型にはめないといけない時も出てくる。

せめて子供の時くらい子供らしく生きてもいいのじゃあないのだろうか。

 

一番大切なことは

子供自身が’自分でいられる’

正直に生きられる場所を用意してあげることかもしれない。

それが生まれ持った子供の「型」を尊重にしてあげること。

それが本当の愛情のような気がする。

 

やっぱり、どう考えてみてこうでなくてはいけない、というような考えは親子相互が苦しむ生き方なのだ。

無意味な苦しみになんの意味があるのだろうか。

こういう窮屈な考え方はやめないといけない気がする。

 

それでも自分らしく自分に正直に生きる・・・って

世間の目を気にしやすい団体行動主流の日本人にとっては難しいかもしれない。

だから子供にもさせてあげれなかったりする。

 

それならやっぱり親の意識改革が問題の鍵を握っている気がする。

型にはめないことが親子双方の心を軽くしてくれる唯一の解決策ではないだろうか。

 

わたしもそうしてあげたかった。

そうしてあげようとすごく努力もしたけど・・・

やりながら、かなりの迷いもあり、

行ったり来たりも多く、

子供たちを混乱させた気がする。(反省😓)

 

息子たちには心配から色々口出しをしていた。

反省するばかりだ。

 

特に元次男には、本当に子育てに失敗したと思う。

だから彼が親を恨みに思う気持ちもわからないでもない。
繊細で学力や思考能力が遅れているけど自立心が旺盛な子供の扱い方は非常に難しかった。

再度子育てをする機会があったら、今度はちゃんとやってあげれそうな気もする。

でも・・・やっぱり・・・失敗の確率の方が高いかもしれない。

所詮、私の性格もあるし、何をやっても、ダメかもしれない。

 

今子供たちが成人して、ちょっと(かなり😅)遅いけど、

もう彼らの型を変えようとはしていない。

親が彼らを変えようとすることは不可能だからだ。

 

自分がピッタリはまるパズルの穴がここになければ、探しにいけばいい。

すぐ隣にあるかもしれない。

そこで幸せになればいいのだ。

 

自分のエゴもプライドも全て捨てて、まっさらになって、どんなに頑張ってもできないことがあることを認める、って幸福に生きていくためには必須である気がする。

 

ドクダミママ至言

子供が自分でいられる居場所がないと子供の精神は曲がってしまう。

型にはめようとすることが問題。

親は、エゴもプライドも捨ててそれでいいと言える勇気が必要。

開拓者精神が重要。

子供がわれ我が道をゆくことを許してあげよう。