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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

さようならを告げるには型から入るといい

お釈迦様も言われていた。

現生の苦しみの中の一つに別れを告げることが入ると。

別れには様々な形がある。

子供との別れもこれに入る。

その中で一番辛いのが死別。

次が子供の巣立ち。

 

子供の自立には親が自主的に別れを告げないといけないことがある。

飛び立とうとしている雛を引き止めてはいけない。

子供が親の方を見てくれなくとも仕方がないと思わないといけない。

それは全ての母が経験するさだめのようなものなのだからだ。

 

実は母はそのことを心ではわかっている。

でも現実にはかなり難しいと感じていることが多い。

子離れ、卒親に困難を感じる人は往々にして子供にたくさんのことをやってあげた人に多い。

子供とたくさんの時間を共有した人に多い。

放任主義の母にはこういうことは通常は見られない。

 

たくさんいろいろしてあげたから、

その結果への執着も人一倍だし、意を決することも難しい。

 

それでもやっぱりそれは避けれない現実で親は向き合わないといけない試練なのだ。

 

子供も全捨離したい

三男の所有物と娘の所有物を処分する。

以前にすでにかなり減らしたけれど、それをより少なくするように、つまり箱ひとつまでに減らすのが目標。

この音楽を聴きながら一気に処分!と行きたいところだけれど結構時間がかかっている。

www.youtube.com

たまたま見つけたビデオだけど・・・なんじゃあこれ・・・?

切なくなってきて涙が止まらない。😰

 

男の子はとっても世話が焼けるし、病気も多い。

危険なことも犯すから怪我もするし、

口答えは多いし、

とにかく男の子を育てることは並大抵ではない。

そして成功率は低い。

だから心痛が絶えない。

 

母はこの息子のために心を砕き、

あらゆる犠牲を払い

忍耐を試されたきた。

 

でもある日いきなり、

若い女性が現れて息子はさらわれていった。

まだ子離れは完全には終わっていないのに。

23歳になったばかりで二人は結婚してしまった。

 

一人娘は去年家を出た。

週末に娘の所持品を再度断捨離すべく再び開かずの箱を開けることにした。

結果、4つあった衣装箱は二つに減った。まだまだ全捨離とまでは行かない。😅

 

本人に「どうせ家に戻ってこないのに何故服をとっておかないといけないのか?」と尋ねた。

すると、意味不明なことをごちゃごちゃと並べていた。

自分の匂いのするものを処分して欲しくないということか・・・。

ん?

猫?

 

二人分の服の処分後、どうせなら自分のものにも手をつけることにした。

その中でパジャマがわりに着ていたTシャツが気になった。

これ処分しようか・・・。

でもこれって子供の誰かがくれたものだ。

だれっだったか・・・。

はて?😅

 

ちょうど胸の辺りに文字が書いてある。

でもそれは見るに耐えられない。

しかし寄付するにはよれよれすぎる。

だから思いっきり文字の箇所を切り取ってしまうことにした。

 

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色々やってくれて

ありがとう。

お母さん。

世界で一番!

 

そう書いてある。

本心?

 

のわけない。

だから、これを見るたびに自分の子育ての失敗をリマインドさせられる。

 

切り取ってしまった。

そして真っ白の布を空いた部分につぎはぎした。

真っ白で今までに何もなかったかのように生きたいから。

 

そして切り取った部分は燃やしてしまうことにした。

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これから燃やす。

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"For ll you do, nks om Best. " 意味不明な文!😅これでよし。

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あとちょっと。

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終わり。跡形もない。こんなもんだ。😅

人生とはこういうもの

究極的には全ての人は、

この地上のすべてのものに別れを告げなければいけない日がいずれやってくる。

だからその時のためにこれは踏まないといけない段階なのだ。

少しずつ別れを告げていければ、最期の別れも辛くない。

いくつもの別れを経験してくことが生きていくというもの。

その都度悲しみを乗り越えていくことが人生。

 

次はいつ声が聞けて顔を合わせることができるかなんて楽しみにしていてはいけない。

未練がましい態度には決別をつけ、自分の心に言い聞かせるのだ。

本当にさようならを言わないといけないと。

 

思い出をありがとう。

母は自分の人生を生きます。

さようなら、と。(実は毎日言ってます・・😅)

 

ドクダミママ至言

親が子供に会えなくなることは当たり前で、親の意見を反映させることも、どんどん難しくなっていくもの。

それでも

完全に去らせたくない自分の執着心に綺麗さっぱりおさらばをし、

この親のさだめを素直に受け入れることが賢明な策。

それがどんなに苦しくても・・・

それしか出口はないのだから。

 

根本的に子供というものはこういうものなのだ。

この切ない心のうちを汲んで欲しいなんて思わない方がいい。

ほんの一雫でいいから母の涙を拭って欲しいとは言わない。

ただ、ただ、せめて・・・感じ取ってはくれないだろうか。

一瞬でもいいから。

でも、それも多分望みすぎというもの。

 

重く痛い胸はいつか軽くなり涙が乾く時が必ず来ることを信じて

ただひたすら信じて

我が子にさようならをいう。

それがさだめ。

 

でも現実は結構厳しい。

だから型から入るといい。

つまり断捨離。できるなら全捨離。

自分を嫌な気持ちにさせるものが目に入らないようにする。

泣けてくる原因になるものからは離れる。

 

愛した機会にありがとう。

でもさようなら。

一つ一つの思い出の品に感謝と終結の意を伝え、処分。

それか、いっそのこと、跡形も残らないように燃やしてしまおう。