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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

トビアスのカミングアウト

正式なカミングアウトは十代の終わりごろだった。

なんとなくそういうことを考えているらしいというのはそれとなく気が付いていた。

それが確実になったのは

マサチューセッツの某私大からクリスマス休暇に帰省した時だった。

 

夫と一緒に飛行場まで息子トビアスを迎えに行った。

だがまったく見つからない。

飛行機が遅れたのだろうか。

それとも飛行場行のバスに乗り遅れたのだろうか。

飛行機は1時間も前に到着している。

荷物引き取り場を確認してもその便の番号は掲示板に出ていない。

全部終了していた。

 

どうしても見つからないので取り合えず家に帰ることにした。

車の座席に座り

「見つからない」と夫に告げるや否や、

夫が

“Look who’s there!” (そこに誰がいるかみてごらん!)

というので、窓の外をみると、

そこにはさっき何度もすれ違った「おばさん」が立っていた。

 

夫はなにを言っているのだろうか?

しかしよくよくしっかり見てみると、

なんと

それは

自分の探していた

息子だった!

 

髪を長く伸ばし

眉毛を細く剃り

化粧をし

女性用のスラックスをはき 

女性用のサンダルをはき

女性用のジャケットを身に着け

ネックレスを付け

ブレスレットを付け

ペデイキュアを塗った

性別不詳の「おばさん」は

ニコニコ笑ってそこに立っていた。

これが息子????

 

ガーン!!!!!!!!!!

ガンガンガンガンガンガンガンガンガン!

 

バカー!

アホー!

 

親がどんな反応をするか想像がつかないの?

わたしだったら、この日に限っては自分の本性を隠すように努力するのに。

ニコニコ笑って

平気な顔でいる。

なんという浅はかな。

 

家に帰る車の中は異様な空気で充満した。

わたしは何と言っていいかわからなかった。

夫は、一生懸命

「大学はどうだ?」

「飛行機の旅はどうだった?」

と当たり前のような質問を繰り返し、平静を保つようにしていた。

 

恰好だけではない。

その喋り方までが・・・。

 

わたしはますます黙りこくった。

自分の子供が “drag queen”(ドラッグクイーン)になるとは思っていなかった。

どうせ女装をするならもっと上手にせんかい!

化粧も下手。ファッションもダメ。

はっきり言ってエライ醜い!

 

家では弟たちや妹が、兄の帰りを楽しみに待っていた。

みな玄関に向かって走っていったが、どの子も目を真ん丸にして驚きを隠せないかのようで、一気にユータンをして自分の部屋に戻ってしまった。

“That’s not my brother! That’s not him!(自分のお兄ちゃんじゃあない!違う!)”

と叫んで。

無理もない。

 

私は息子に夕食を食べさせて片づけを済ませてから頭を冷やすために外に出た。

裏道を歩きながら涙が止まらなくなってきた。

ショックと自責の念と失望と嘆きで心が破裂しそうだった。

あんなリベラルな州のそのまた超リベラル大学に送ったわたしたちがいけなかったのだ。

あの大学で「本当の自分を発見した」とか言っていた。

でも

なんであれになっちゃうの。

最悪。

 

自分は結構オープンな人間だと思っていた。

どんな人でも受け入れられると自負していた。

でもわが子になるとそれは違うのだ。

これからどうやって息子の顔を見ればいいのか。

どうやって接していけばいいのか。

普通に接すればいいのよね。

今まで通り。

でも果たしてできるのかしら。

お先真っ暗だった。

そしてなによりも

自分の子供を愛し受け入れるという基本的姿勢がぐらついた時であった。

自分の中の闇が見えた時であった。

 

この日から新しい闘いが始まった。

現実を受け入れられない自分との闘いだった。

 

クリスマス休暇を終えてマサチューセッツに息子は戻った。

発つ前に、ゲイは仕方がないとしてその女装をやめてくれるように約束させた。

 

次の4か月は息子とスペースを取ることができたことで、

親側はゆっくり状況を整理し、現実を見すえ理解し、今後の対策構築に費やす時間が取れた。

 

そしてそのままの息子を受け入れ、何があっても息子を愛していこうと決心を固めた。

親子関係も兄弟関係も今までと同じ。

何も調整するようなものはない。

だがその考えが甘かったことに気づくのにそう時間はかからなかった。