人気ブログランキングへ (/head>

ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

落ちぶれていく息子

大学中退

春が来て、トビアスは家に戻ってきた。

もうどんな格好をしていようと驚くこともなかった。

 

さすがに前回のような恰好で現れるということはなかったが、

相変わらず化粧はしていた。

4か月洗っていない汚いジーンズをはいて登場した。

浮浪者の方がクロスドレッサー(異性の格好をする人のこと)よりましか。

 

戻って1週間後くらいに息子と改まって大学の話をした。

 

息子は年間40,000ドル(400万円)という学費が異常に高い大学に行ったのである。

そこはギフテッドの学生しか入学許可が下りず、卒業生は、ハーバード大学院などの有名大学院に進むケースが多い。だから息子の将来が開けるように信じて行かせたのである。息子は大学から条件付き返却不要の全額支給奨学金を受けていた。

 

生活態度の方が少々心配だったので、

送る前に危険を感じた親は誓約書を書かせた。

そこには「これこれをしません。真面目に勉強をします」というような事を書かせた。

 

だが

息子は全部破った。

 

その理由を聞くと

なんと

「最初から守るつもりなどなかった。」

と開き直っているではないか!!

 

なに~~~~~~~~?

私の怒りが頂点に達した!!!

 

信頼を裏切った息子と同じ屋根の下で暮らすほどいやなことはない。

最悪だった。

この分でいくと、評価が怖い。

 

案の定、前学期の評価が届き、来年度の奨学金は大幅にカットされていた。

40,000ドル(400万円)なんてうちにはないよ!!

 

あなたはね、将来に期待して奨学金を出してくれた大学側をがっかりさせ、

生活費を出してくれ、送り出してくれた親をがっかりさせた。

それなのに、反省心がゼロってどういうこと????

むかつく~!!!!!!!

 

取り合えず卒業してもらわないことには困るので他の大学に願書を出すようにと(アメリカの大学はトランスファーというのが可能で、過去の単位も次の大学に移行する)指示したが何も行動を起こさない。

よって父親の働いている四流大学に行ってもらうことにした。

本人もそれでいいと承諾した。

 

新しい大学

これで真面目にやってくれるかと期待したが、期待は見事に外れた。

とにかくネットサーフィンに浸かっていたかと思うと、オンラインデートサイトで、ある男性を見つけ頻繁に会うようになり、すべてが下り坂を転がり落ちていった。

ついに、これ以上学習を続けられないので大学を辞めたい、というほどになった。

 

理由は、ゲイの案件で頭が一杯なんだそうだ。

親の期待を裏切り(慣れてます)

自分自身がゲイである事が嫌でしょうがない、

かといって自分を変えることもできない。

 

そのジレンマで悩んでいたのだ。

今後どのように生きていったらよいかわからない。

社会の目も怖い。

 

こんな風に混乱と鬱にすっかり呑まれ、悪魔に魂を抜かれたようた顔つきにさえなってきた。

親は、「ゲイだってなんだっていい!今やっていることに集中しなさい!」

と怒ってみたが、当然効き目ゼロ。

 

それでも母の励ましと脅し(脅しの方が多い)により、どうにかまともな成績で卒業は果たした。

だが問題はそのあと。

 

求職活動

トビアスの専攻は英語と心理学のダブルだった。

普通このような専攻では、就職は至難の技だ。

そのため研究に興味のあった息子は大学院に進むことを検討していた。

1年間アルバイトをしながら試験勉強に励むことにした。

 

でも仕事は何も見つからない。

なんでもやります、と言ってもどこも雇ってくれない。

アメリカは経験を重要視する国なのだ。

経験?

そんなの若い人にあるわけないでしょ!

だれかがそのチャンスをあげなければ経験などだれも積むことができないのだから!

 

息子は仕事の経験がないことはない。

でも会社で働いたわけではない。

店で働いたわけでもない。

だいたい言われることは

“Over qualified.(この仕事が必要としている学歴及び資格がありすぎる)”

今までの仕事の経験はリサーチアシスタント及びバイオリンの講師。

主婦や学生と競争して、息子はいつも負ける。

 

じゃあ

資格と学歴に合う仕事はというと、

「経験なし」という理由ではじかれてた。

 

なんでもいいからと、とりあえず洗車の仕事にありついた。

一年だけの予定だった。

 

どん底に落ちる

だが、ゲイ友とツルみ、受験勉強はまったくせず、遊びまくっていた。

大学院の試験についても「受けた」と言っていたが、それが嘘であることは1年後に発覚した。

毎晩のように、ゲイ友と麻薬、酒、煙草、ゲイポルノに溺れ、女装でゲイバーに出入りしていた。そしてそこで知り合った人(当然男性。人数不明)と肉体関係を持ち、真っ逆さまに落ちていった。その辺にいくらでもいる落ちぶれゲイと化したのだ。

ゲイによくあるケースのように、息子のゲイ友の一人は深刻な精神問題が抱えていたため、息子の助けを常に必要としていた。一人でいられないのだ。

類は友を呼ぶというように、息子も精神を病んでいたことから、

互いに依存することによって支え合っていたのだ。

やがて息子は服を取りに1か月に1回しか家に帰らなくなった。

家に戻らず、将来に対する計画もなく、

ただゲイ友とフラフラしている息子の存在そのものが

わたしの神経を取り返しのつかないほどすり減らしていった。

いい加減にして・・・。

 

どうにかしないといけない。

なんでもいい。

できることは全部しないと。

ゲイ友の家の人にも協力を募った。

なんでも、一応、二人とも大人なのだから口出しすべきではない、と追い返された。

だがそこに息子が登場した。

恥をかいた息子は怒りを隠せず刺すような眼差しをわたしに向けた。

 

家に戻ってから

息子とわたしは大喧嘩になり逆上した息子はわたしの頬を打った。

それを見た夫が息子を追い出したのだ。

観念袋の緒は完全に切れた。

もう修復不可能。

 

追放

家を追い出され、ゲイ友に身を寄せさせてくれるように交渉したが、見事に断られた。

結局、行き場はどこにもなく、弟の情けを買いそこに転がり込んだ。

最初はしばらく親の悪口を言っていたが、

彼の味方になってくれる人など一人もいなかった。

仲の良かったゲイ友も親に言われたらしく、会うこともほとんどなくなってきた。

その後も息子は今までのように洗車の仕事に通うのみの単調な日々を過ごしていた。

 

この間ずっと。

息子の人生は嵐。

親の人生は、台風とハリケーンと竜巻。

わたしは

真っ暗闇の中でかろうじて生きていた。

 

息子、回復の見込みゼロ。

息子を助けてあげれない。

母業落第。

もうどうでもいい。

全てを忘れたい。

でもそれも不可能。

 

親業って

はっきりいって「呪い」以外のなんでもない!

子はかすがいとか、祝福とか、絶対うそ!

 

来る日も来る日も全然笑えない。

泣くばっかり。

 

改善の兆し

そうこうするうちに、息子の怒りは収まり、滅茶苦茶になってしまった自分の人生について真面目に考えるようになってきた。怒っていたのは、親に対してではなく、どうにもできない自分の人生に対して、または自分自身に対して怒っていたのかもしれない。

 

転換期は24歳の誕生日だった。あと1年で25歳。このまま今の状態が続くかもしれない。その時が来てもまったく前進していない恐れも十分にある。息子は恐怖に包まれた。

こんな風にどんどん年をとっていったら、挽回など無理だ。取り返しがつかない。

どんなに反抗しても、ゲイだろうがなんだろうが、生活はしていかないといけない。親は1ペニーだって仕送りなどしてくれない。こんな履歴では仕事を紹介してくれる人など誰もいないだろう。一生安月給で車を洗っているわけにはいかないのだ。結局最終的に自分が一番苦しむのだと気が付いてきた。このままではいけない。

目が覚めたのだ。

 

どうにかしよう、人生を変えようと彼はもがき始め、たくさんの会社に願書を出した。だが全くダメだった(当然だけど)。

生活態度も変え、クリーンな生き方をしようと努力を始めた。

麻薬はもともと長続きしなかったので中毒にはなっていなかった。

飲酒は、飲酒に向かない虚弱体質と分かりこれもやめた。

問題は煙草。

アメリカでは、煙草を吸うということは下級階層出身で自制が効かない人間と見なされ、かなりマイナスイメージだ。だからどうしてもやめないといけない。一生懸命だったが、一度中毒になると難しい。

女装もやめた。

化粧もやめた。

ゲイポルノもやめた。

ゲイバーにも行かなくなった。

 

そして

25歳の誕生日の6ヶ月前に、仕事が見つかった。

最初は産休の女性社員のポジションを埋めるだけの3か月契約だったが、結局その女性は戻ってこなかったので、正社員として雇われることになったのだ。奇跡だった。

私は泣いて喜んだ。

放蕩息子の人生がこれで変わる!!

 

その会社は日系企業で、面接官に日本人が一人だけいた。

面接官は、息子を見て哀れに思ったらしい。なぜこんな大卒の青年が車を洗っているのか。どうにかしてあげたい。と彼は思ってくれたのだ。

そして彼にチャンスをあげようと思い他のアメリカ人面接官を説得してくれた。

こんなことは殺伐としたアメリカの企業カルチャーには絶対ない。

息子は、一般的なアメリカ人の男性のような荒さがない。正真正銘の紳士である。

腰もめっちゃくちゃ低い。そんなところが好かれる理由だったのかもしれない。

 

現在

今は同じ会社の北米本社の営業部で、コスト分析関連の仕事をしている。グループマネージャーらしい。社外に営業に出かけることもあるので、肝が据わり自信に満ちてきた。現在ビジネス分析の勉強を自分でしていて大学院に進む準備をしている。

 

会計士の婚約者(もちろん男性)もいて、トビアスにいつも賢明な助言をくれとても感謝している。私がどうにかしなくちゃと騒ぐのをやめてたら、事態は勝手に動き始めてどうにかなったのだ。神様が母の切なる願いを聞いてくれたのかもしれない。

今年の母の日のカードには、「今までのことを考えると、結局ごく普通の人になったということは驚きだよね」と書いてあった。

 

今、息子は親に頼らず一人で独立して暮らしている。

時々会いたいと思うこともあるけど、我慢して極力構わないようにしている。

男性が男の子から大人の男性に飛躍するためには母親の「可愛いぼくちゃん」から「脱皮」しないといけないからだ。その努力をしている最中に母親がのこのこ出てくるべきではないのだ。息子に立派になってもらいたかったら女親はバックグランドに消えないといけない。それは私にとっては悲しいけれど、成長している息子の噂を聞くことで満足しないといけない。それでいいのだ。

 

ゲイでもなんでもいい。

経済的に自立してくれて精神的に安定してくれれば他に望むことはない。

なによりも幸せであって欲しい。

 

息子に対して全く違う勝手な「親の」夢と理想があった。

違う人生を期待していた。

でも息子は自分の人生は苦しくとも自分で切り開いていくと決めたのだ。

自分の心に正直に堂々と生きている。

そんな息子を見ていて誇らしく思える。

 

もちろんいつもいい状態というわけではない。

本人も親も不安要素を100%消すことは不可能だ。

ただできることは、現実を受け入れることだけ。

(開き直ることだけ)

1日分だけの幸せを見つめることだけ。

それしかできない。

 

ゲイでもいい。

それがどうした!