ドイツ在住でジャーナリストの川口マーン惠美さんの書かれた本がある。
川口氏は元々は音楽家で後にジャーナリストとして転身された方だ。
これは具体的な子育て教則本ではなくドイツでの著者の子育て体験記をエッセイ風にまとめたものだ。
一口に言えば軽く読みやすい内容。
で、何が本書のユニークな点かというと
世の中には誰でも子育ては努力でどうにかなり、その努力で子供も立派になるというような風潮がある中で、この本は「子育てには向き不向きがある」という前提を踏まえて書かれているということ。(悩める母の味方!)
まあ、もっと深いものを期待している人にはイマイチ物足りないものがあるかもしれないが、ここに少し、あそこに少しと座右の銘になるような語録が登場していて、真面目すぎる母親には救いの言葉になりそうだ。
例えばこんなのがある。
’いい子’だから’幸せな子’というわけではない。
’聞き分けのいい子’とか’勉強ができる子’が’幸せな子’というわけではない。
’いい子’か’いい子でない’かは親の主観。
’幸せ’と感じているかいないかは子供の主観。
’子供の幸せ’と信じられているものは、’親の満足’であることが多い。
子供の自然の姿を変形すればするほど、子供は幸せから遠ざかる。
親がすべきことは子供が幸せだと感じられる子供時代を与えてやること。
子育ては母親は一番楽なようにやるべき。
我慢してやったからといって別段子供のためになっているわけでもない。
要は自分に無駄な負担を強いないこと。
親子という近くてそして対立する関係にある人との関係(は微妙・・・)。
母親は偉大な脇役。
教育は洗脳と紙一重。
他人の評価は関係ない。
(世間、一般常識、親戚家族、学校、近所、ママ友・・・・全部無視すべし!)
親だからこそ’いい子’ではなく、’幸せな子’になるように見守ることができる。
報われない努力はやめよう。
これだけでも、読みたくなるような本であることしかり。
この中で個人的に自分がハッとさせられた語録はこれ。
母親は偉大な脇役。
まさに当たっている。😰
それでもって、この脇役を自然に笑顔でできる人が理想的な母なんだと思う。
で、自分はどうだったかというと、子供の幸せを考えて色々やったつもりだったけど、自己満足が目立つことも多かった。
当然やりすぎた面も多く、同時に足りなかった面も目立ち、結局子育て終了後の自分の結論はこれとしか言えない。
つまり・・・
子育ては頑張っても頑張っても完璧にはできない。
それでそこまで頑張っても子供は親の思う通りになど絶対にならない。(保証する😅)
結局親の子供への望みはただの「親のエゴとプライド」。
「こうあって欲しい」というのは本当は親の幸せのため。
子供の幸せとは親の知らないところで起きていることが多い。
子供に尽くしすぎると執着がひどく子離れできない。
執着がひどいと子供を自由にさせてあげれない。
すると子供から避けられる。
だからやらない方がいい。
放任主義賛成。
親子両者にとってベスト。
要するに川口マーンさんと同意見ということだ。
こういう本に30年前に出会っていたかった・・・。
いや、始めるに遅いってことはないはず。😅
ドクダミママ至言
母親に向かない人はそれに向く子育てをすべき。
女性に課せられた理想像は聖母像であり、これはプレッシャーが生半可ではない。
もちろんできる人はそれでいい。
でも無理な人もいる。
無理でもいい。
開き直るべし。
向かないなら向かないなりの子育て方式があっていいはず。
それが許されるなら、少子化問題なんて発生しないはず。
理想を語る人は多い。
でも理想は理想。
現実は現実。
現実に対応しおう!