子育ても終盤まじかとか、子供に手がかからなくなってくると少し余裕ができる。
そうすると自分に心が向くようになる。
さあ、これからは、自分のやりたいことをやろう!と意気込む母も多くいる。
でも、その’やりたいこと’がなかなか見つからない人がいる。
それもそのはず、今まで子供中心で生きてきたのだから
いきなり見つけるとか無理があったりする。😅
そして自分の人生の使命とは何かとか真剣に考え出したりする。
自分は社会を変えるような原動力となる人間になりたい・・・とか思ったりして・・・。
でもこれはかなりのプレッシャーだとは思わないだろうか。
実はそんなすごいことを考えなくてもいいと思う。
もっと軽い気持ちで
わたしは事務と翻訳の仕事をしていたけど・・・それは生きがいでもなく、特に楽しいわけでもなかった。なんとなく慣れたけど、元々こういう仕事に適正が不足しているのだと思う。頭脳もイマイチだし・・・。努力しても無理。得意な人はちょっとの努力で結果を出せるけど、苦手だから人の百倍努力しても結果が出ない・・・。これって意味なし・・・😰。
だから今はそこからかなり足を洗いアート(イラスト風油絵)に焦点を置いている。
でもアートが生き甲斐とか聞かれるとそれはどうだか・・・。
生き甲斐とか
人生の目的とか
使命とか・・・
そういうことは考えていない。
そもそもそういうことを考えていくと、煮詰まってしまう感じがする。
絵を描いて社会貢献とかそういうことも考えていない。
今私が絵を描いているのは、それを見てみんなが幸せになってほしいとかそういうのはないのだ。ただ楽しくて描いてる。
もし作品を観た人が好いてくれるならそれはそれで嬉しい。
買ってくれるなら(そうです。商品化して売ってます😅)もっと嬉しいけど・・。😅
ただそれだけのことよ。
みなさんも
そんな軽い気持ちで物事に当たった方がいい感じがする。
特に何かのコースに登録したりもしなくていいと思う。
今の生活の中で何か興味のあることを拡張すればいいだけなのだ。
(でも、ネットで調査をやりすぎると、これも迷いと煮詰まりの原因となりやすい・・😅)
身近なものでいい
家事だって立派な活動。
お片付けだって
料理だって
掃除だって
なんだっていい。
なんでも徹底してやるとそこには深いものがあることはわかるだろう。
なんでも成長の糧となる。
全ての意義ある活動には哲学が潜んでいるのだ。
だから遠くに探しに行かなくてもやれることを追求したらどうだろうか。
今やっていることを楽しんでやることでいいのだ。
特に深く考えずに
自分が楽しいと感じれることで今すぐ取り掛かれることをすればいい。
人生の使命とか目的とか・・・
もう〜考えるのやめ〜〜〜〜!
本当の人生の目的
もし人生の目的が本当にあるなら(あります)
それは・・・
自分に与えられた(イマイチ不具合の多い)この環境で
このわずかな才能や能力で
感謝の気持ちで生きていくことだと思う。
それができる人こそが幸福な人であると感じている
(・・・ほとんどの人はなかなかできないのです。😅)
キリスト教的な概念だと、この世はただのお勉強会で、
別に大金持ちになったり有名になることが目的でもない。
なんのためのお勉強会かというと、それは自分の人格を改善し、神様に近づく努力をすることが人生の目的なのだ。
それで当然、そんな大それた目標だと無理が多いので落ち込む。😓
落ち込みながら、一喜一憂しながら、ダルマのように転んだり立ち上がったりと苦戦しながら生きていくのが人生。
そしてこの世を去った後に、それを神様にご報告するのだ。
色々大変だったけど、自分なりに頑張りました、とご報告。
(あくまで自分なりの頑張り😅)
親になることは使命
もし使命が知りたいなら、私たちはすでに自分の使命を生きているはず。
例えば子育て。
でも私たちが言いたいことは、「これは使命ではない!」ということだろう。
絶対これじゃあない!もっと、素晴らしくて、華々しいものに違いない!と思っている。😅
そもそも・・・
いくら続けても失敗続きでプロレベルに決してなれないものに生きがいを感じるって
無理があるよね〜〜〜!?😅
さらに子育ては目立たないし、あまり感謝もされない。
失敗が大きいと世間からもコテンパンに叩かれる!
とても使命とは思えないし思いたくもない!と感じられて当然だ。
それでも・・・やっぱり・・・子育ても女性の使命のうちだと気がしてならない。
人助けが使命
これは素晴らしいことでこれこそ究極的な使命だと誰もが思うことだろう。
だから子育ても使命なのだ。
ただあまり感謝されないけど・・・。
この人助けを他人にするととても感謝されるし
認めてもらえる。
心が温かい気持ちで満たされるのがうってつけだ。
確かに心からの人助けは一番の幸福につながる道であると思う。
だから人助けになる何かをしたい!と思うのももっともなこと。
とても立派な姿勢だと思う。
でも・・・その前にどうにかしないといけないことがある。
それは自分自身の幸せ。
人をどうのという前に自分自身が充実しないとね。
まずは自分が幸せにならなければ本当の意味で他の人を幸せにはできないと思う。
自分を大切にすることも重要
まず言いたい!
自分を大切にすることはわがままではないのだ。
(でも母親は我慢の人生を生きるのが運命で、自分はいつでも一番最後が常・・・😰)
自分を大切にするということは、我が身をいたわること。
我が身をいたわるということは
自分が幸せだと思うことをすることでもある。
(好き放題に何でもかんでもOKということではないけど)
自分の魂と細胞が喜ぶことをすること。
それは罪悪ではない。
神様はこう言われた。
「自分を愛するように他の人を愛しなさい」と。
これは、つまり自分をなおざりにしていいということはないのだ。
そもそも自分を愛していない人が本当の意味で他の人を愛せるか?ってことよ?
家族の例でいくと、
’自分だけが我慢していれば家族が幸せ’というのはまずあり得ない。
親が不幸で、子供たちも不幸な顔をして、みんな我慢しているだけなら、
家族全員が不幸な気持ちでいることになる。
これでいいってことないでしょ?
だから母も幸せになるべきなのだ。
そのためにも、今できることで自分の魂が喜ぶことをやってみよう。
ドクダミママ至言
子供に手がかからなくなってきたら自分の幸せに焦点を移そう。
使命とか目的とかそういう立派なことを考えなくてもいい。
自分の魂が喜ぶことをすればいい。(健康に悪いことはだめだけど)
身近なことですぐに始められることに取り掛かってみよう。
それを続けていくと自分が本当にしたいことが見えてくる。